時の垣根を越えて、
人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり
「もはやこれまでか……」
織田信長は燃え盛る本能寺の中で自嘲の笑みをこぼした。
朱色に赤色が混ざったような色の炎が建物を飲み込んでいき、辺りは雄叫びと悲鳴で阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。
やれやれ、謀反を起こされるなど、我も堕ちたものだな。しかも、こんな派手に。
明智の大軍勢が本能寺を包囲。
弓を番え戦ったが多勢に無勢、直ぐに満身創痍となった。
ドスンと勢いよくあぐらをかくと、脇差を取り出した。
「殿!」
そばに控える小姓の蘭丸が制止するように声を上げた。
「蘭。こうなった以上、自害する他ない」
その言葉には、こうなることは分かっていた、とでも言うような諦めの響きが僅かに感じられた。
蘭丸は反論すべく少し裏返ったような声で叫んだ。
「殿! 私たちは最後まで戦います! どうか殿だけは!」
「蘭! こうなった以上もうどうにもできぬわ! 仮に逃げ出せたとしても、明智の軍勢に見つかったらどうしろというのだ!? 首を取られるに違いなかろう!? お前は主の首が敵方に渡っていても良いと言うのか!?」
「それは……」
痛いところを突かれて蘭丸の口が閉じかかっている。
従うかそうでないか、迷っているようだった。
暫くして何かを決め込むと、自分が絶対的な忠誠を誓う主の目を改めて見て宣言するように言った。
「分かりました。ですが、我らは最後まで戦います。殿の首は、絶対に明智方には渡しません」
「ああ、頼んだ。武運を祈る」
最期の契りを交わすと、脇差の鞘を抜いた。
「蘭」
穏やかに続けた。
「介錯を頼む」
蘭丸は苦悶の表情で抜いた刀をしっかりと握りしめた。
信長は脇差を腹に突き刺した。
記憶はここで終わっている。
意識を取り戻すと、ベッドから飛び起きた。
女子の体になっている。
朝日がカーテン越しにちらちら顔を覗かせている。
すぐに起きるとスマホで自分――織田信長について調べた。
織田信長は本能寺で自害し、その事件は本能寺の変と呼ばれているようだ。
本能寺の変では、森蘭丸も討ち死にしたと書かれている。
そして、本能寺の変が起こった1582年は「1582」と覚えられていることも知った。
スマホを使っていて気づいたことがある。
今は2020年。我が死んでから約440年後の日本のようだ。
この女子――村瀬透は中学3年生であることも。
そして、我の意識は今、村瀬透の体を乗っ取っている。
その証拠に、今この脳ミソには、村瀬透の記憶・学習データ・癖の他に、我のそれも記録されているからだ。
要は、記憶が二つあるということ。
しかし、一つ解せぬことがある。
なぜ急に名前も姿も関係もないこの女子の体に乗っ取ることになったのか?
村瀬透と織田信長の記憶をもってしてもその謎は解けぬままだ。
だが、そんなことはどうでもよい。
また、別の人間としてだが生を受けたのだ。戻る気はない。
村瀬透の主人格には申し訳ないが、これから村瀬透として生きていこうと思う。
「透ー! 朝ご飯できてるよ! 早く来てー!」
母親の声が聞こえた。
村瀬透の記憶をたどると、このくだりも日常茶飯事らしい。
「分かった。行く」
返事をして、自室の扉を開けた。
暫くして森蘭丸――が乗っ取った佐々木理人は、通っている御坂高校に着いた。
佐々木理人は、この高校に通う2年生らしい。
こちらも同じように佐々木理人の記憶・学習データ・癖と、森蘭丸としてのそれも脳ミソに記録されているらしい。
教室に入るとすでに人影が何人か見えた。
「おー! 理人! 早いな!」
記憶をたどった。親友の榊原漣斗らしい。
「オッス」
一応返事をしたが、かなり声が小さくなった。
榊原漣斗は不自然に思ったのか、近づいて、肩を叩いて、からかうように笑った。
「お前、もしや、あの課題、まだ終わってないな? 今日提出だぞ?」
「課題?」
「ああ。今度の校外学習で行くところの下調べだよ」
「「校外学習?」」
李相中学校に着いた透――の人格を乗っ取った信長は聞いた。
「うん。そうだよ。2週間くらい後に行くじゃない。忘れちゃった?」
そう話すのは透の友達の木村璃紗だ。
透の記憶をたどると確かにそんな話をされた覚えがあった。
(岐阜城!)
透の記憶によると、行き先は岐阜城らしい。
「調べたらさ、ロープウェイもあるんだって! 楽しみすぎる! 私、ロープウェイ乗ったことないんだよね」
璃紗が何か続けているが、信長は思考を巡らせていた。
(よし! よし! 岐阜城! 我のゆかりの地だ! この謎の乗っ取りの原因の手がかりがつかめるやもしれん! だがまずは!)
「ちょっと、聞いてる? 歴史オタクだからはしゃいでる?」
「おい、女」
「お、女……? 何?」
「岐阜城へ行くのは何月何日だ?」
「え……急に何? 戦国武将ごっこ?」
「ごっこではない! 我は織田信長だ!」
「中3でごっこはイタいよ……?」
急に始まった会話に璃紗はついていけていないらしい。
だとしても「織田信長ごっこ」呼ばわりとはクソ無礼な奴だ。
いや、この際ごっこでもよいわ。
なぜなら透の記憶の中にある透自身は、信長から見て少々はしゃぎすぎだ。
あのようなはしゃぎまくる真似をするくらいなら、ごっこだと言われても織田信長を貫く方がましだ。
「とにかく! 行くのはいつだ!」
「「9月16日」」
榊原漣斗は校外学習の予定を伝えた。
佐々木理人の人格を乗っ取った森蘭丸は、そこまで聞いて大きくうなずいた。
その反応を見てから、漣斗は理人のカバンを漁った。
「おいおい、課題できてるじゃねーか。期待返せよ。せっかくバカにしてやろうと思ってたのに」
昨夜死に物狂いで終わらせていた理人の記憶がよみがえった。
理人め……怠惰な奴だ。蘭丸は自分の体の主人格に愚痴をこぼした。
自分がやったことではないため何も言えないが、とりあえず苦笑いで返した。
それよりも!
今度の校外学習は岐阜城らしい!
殿のゆかりの地!
(岐阜城とは! 私が殿に仕えるよりも前の活躍が目に見えるというのではないか!? それに、ややもすると、私がこの状況になった原因もつかめるやもしれん。まあ、あまり期待はできなさそうだがな)
そんなことを考えている間に、いつの間にか教室には生徒が続々と集まっていた。
暫くするとチャイムが鳴った。
「お、もう時間か。座ろうぜ」
「んぁ!? あ、あぁ」
蘭丸は急にこっちの世界に引き戻されて情けない声を出しながら自分の席に着いた。
二人は同じことを考えていた。
うまくいけば、こうなった原因がわかるかもしれない。
9月16日 午前9時35分
御坂高校2年生の生徒たちを乗せたバスが岐阜城に到着。
その中に一人だけ、異様なオーラを出している者がいた。
まるで今から戦でもするように険しいような、でも好きな人に会いに行くようにとても浮かれているような顔だろう。
言うまでもない。佐々木理人……の人格を乗っ取っている森蘭丸だ。
そして、蘭丸にとっては先程の比喩表現のどちらにも当てはまる気持ちでいた。
「おい、理人、理人! 着いたぞ! バス降りるぞ!」
隣の席から榊原漣斗が話しかけてくる。五月蠅い黙れ今考えことをしているのだ。
「もしかして、体調悪ィのか? なら先生に言って……」
「分かっている。さっさと降りるぞ」
なんだかやばいことになりそうだったので適当に返事した。
ロープウェイを降りた先からは、事前に決めたペアと自由行動となった。
ペアはもちろん……
「おい、理人! 早くしろ!」
五月蠅い漣斗だ。
ったく、まだ城の解説を読んでいる最中なのに。
「待ってくれ、もう少しで終わる」
「はぁ!? おめ、読む速度遅すぎだろ。どんくらいのスピードで読んでるんだ?」
「遅いわけじゃない。文章を3周しているだけだ」
「なんでンな読んでんだよ」
「いいだろう別に」
「マジで遅いと置いてくからな!」
「見回りの教師に怒られるの、お前もだぞ」
はぁ、理人はこんなのとよく気が合ったものだ。
同日午前9時52分
李相中学校3年生の生徒を乗せたバスが岐阜城に到着。
その中に一人だけ、異様なオーラを出している者がいた。
以下略す。
「ね! ロープウェイ楽しみじゃない!?」
そう話すはバスも教室も隣の席の木村璃紗だ。
「あぁ。そうだな」
村瀬透の人格を乗っ取った織田信長は適当に返した。
信長の胸の中には懐かしさも広がっていた。
(さて、岐阜城。現代になってどんな様子になっているかな?)
そんなことも気にしながらバスを降りた。
ロープウェイを降りた先からはグループで行動となった。
信長は璃紗と、璃紗の友達の花野理子と一緒に行くことになった。
とはいっても、そのグループは信長が半ば強引に率いているようなものだった。
所々にある解説を適当に見てさっさと次に行こうとする透のあまりの速さに、璃紗と理子はギリギリついていけるかどうかの様子だった。
璃紗は息を切らしながら、先へ行く透に質問した。
「ちょっと、透ちゃん……なんでそんなに速いの……?」
「これは我が斎藤道三より奪った城。我が一番知っておる」
誇るように話す信長の言葉に迷いはない。だが後ろの二人は信じようとしていない。
「透ちゃん……! ごっこも大概にしてよ……」
困惑の様子も含む璃紗の口調に信長は少し唸った。
(どうしてこやつらは信じようとしない……? 歴オタ風に返せば納得してくれるのか……? 考えろ! 考えろ織田信長……!)
「あー……」
透の口から間を埋めるように言葉が発された。
「れ……歴史オタクだから、そういう情報は調べる過程で自然に入ってくるのだ。解説など同じ文章を二度も三度も読み返しているようなもの」
ありそうでなさそうな口実を信長は述べた。
意外と二人は納得した。
暫く歩くとひと際大きな解説の看板があった。
その前には見慣れない制服を着た男子の学生が二人立っている。
一人は食い入るように解説を読んでいるが、もう一人は興味なさそうに突っ立っている。
(他校の生徒も来ているのか……偶然とは起こるものだな)
信長はそう言いながら後ろの二人を待たずにその看板の前に歩を進めた。
まぁ、またまともに読まずに立ち去るつもりだったが。
進み出た先は他校の生徒の横に並ぶ格好となった。
一応並び際にその学生に一言声をかけた。
理人……蘭丸はその看板の解説を読んでいた。
看板が大きな分、読む文章も長い。
だが、解説3周ルールは守る。
隣では五月蠅い漣斗が「おいもういいだろ」と腕を引っ張るが、気にせず読み進めていると諦めたように突っ立って明後日の方向を見始めた。
五月蠅くない3周目は心地よく感じられた。
後ろから足音が聞こえた気がしたが、気にしなかった。
足音が隣にやって来た時、隣から不意に声をかけられた。
「隣、失礼するぞ」
女子の声だった。
現代の感覚からすると敬語を使っていないのはいかがなものかと感じられるが、蘭丸はそうは思わなかった。
むしろ、前世の記憶……信長を連想させる心地よい響きもあった。
そのためか、ついつい前世の癖が出た。
「はっ」
声に出した後で、(しまった……)と後悔した。
現代人で「はっ」て、誰も使わないだろう!
そう感じたが、隣の女子の反応は違った。
その目の端に映る女子は、驚くほどの速さで首をこちらに向けた。
だが、そんな様子より、蘭丸の意識は解説を読むことに向けられた。
だが、その女子の次の言葉で蘭丸の意識は完全にそちらに向けられることとなる。
「蘭……?」
信長は口を両手で抑えた。
何を言っているのだ、我は。たとえ返しが蘭のそれと似ているとしても、何という失言! 隣が気にしていないとよいのだが……!
そう思ったが、隣の反応は違った。
その男子は解説に向けられていた熱いまなざしをぎこちなく、ゆっくりとこちらに向けた。
「「え?」」
信長と蘭丸のそのセリフは驚くほどに重なった。まるでずっと一緒にいて気が合っているように。
実際は初めましてなのに。
だが二人は絶対にお互いのこと、いや、お互いの人格のことを知っていた。
いつか、どこかで共に同じ道を歩んだかのように。
漣斗は、隣の異変に気付いたのか、体をこっちに向けた。
そこには理人が他校の生徒と向き合っている姿があった。
漣斗は困惑の色を隠せないし隠そうとしない。
信長と一緒に来た璃紗と理子もやっと追いついたが、他校の生徒が二人もおり、その一人と透が向き合っているから漣斗同様、困惑しかしなかった。
信長は男子の肩に手を置いた。
蘭丸も片膝をついた。
二人はお互いが誰なのかすでに認識していた。
「蘭だな?」
「殿……!?」
傍観者三名は困惑しかしなかった。
三名は感動の再開の最中の二名を止めに入った。
「おい、理人……? 何してんだ? ついに狂ったか?」
「透ちゃん! 他校の生徒とは関わっちゃダメなんだよ!」
「そ、そうだよ。早く離れないと、先生に……」
見事再会を果たした二人は突然の邪魔に顔をしかめた。
そこには戦国の世を生き抜いた者しか持てないような威厳も含まれていた。
「「黙れ無礼者共が!」」
二人はその体制のまま声を張り上げた。
三人は、えぇ……と若干二人に引きながら後ずさった。
蘭丸は立ち上がると、目線は女子の透よりも高くなった。
小柄な体となった信長は大柄な体となった蘭丸を見上げると苦笑いをした。
「まさか、蘭もこちらに来ていたとはな」
「ええ。驚きました」
世間話を始めた。
あまりの二人の馴れ馴れしさに他の三人は困惑した。
「あいつ、君たちの友達の友達?」
漣斗は璃紗と理子に聞いた。
「さぁ……?」
「聞いたことない……」
二人とも神妙な顔持ちで首を横に振った。
そんな三人の姿もよそに二人は会話を続けていた。
「殿、スマホはお持ちですか? 良かったら連絡先交換してほしいです」
「あるにはあるが、今はない。今度またここ集合で、そしたら交換してやろう」
「ありがとうございます。じゃあ日時を……」
話し続ける信長と蘭丸を見て、漣斗、璃紗、理子は大きなため息をついた。