8 それぞれの道と、お誘い
ナタリーさんが話し終えると、食堂はシン……ッと静まり返った。
そんな中、ジャクリーンさんが下を向いたまま静かに口を開いた。
「……わたくしは悪くありません」
そう言うと顔を上げ、ふてぶてしい態度でさらに言い募る。
「だって、噂を流したのもカーラさんを階段から突き落としたのも全部ナタリーさんがなさったことでしょう? わたくしは何もしていませんわ。わたくしの気持ちを彼女に少し伝えたら、実行してしまったんですもの」
自分は何もしていなくて、悪いのは行動に移してしまった彼女だと堂々と断言するジャクリーンさんの姿は理解しがたく、怒りが沸いてくる。その怒りに任せて反論する。
「それは違うわ! ナタリーさんが拒否できないとわかった上で話しているし、実行に移すと確信もしている。ウィッグまで用意しておいて、私は関係ありませんなんて言い逃れはできないわよ!」
キッとジャクリーンさんを睨むも、本人は腕を前で組み、どこ吹く風と飄々としている。
「わたくしがそのような思考だったという証拠はどこにあります? ありませんでしょう。憶測でものをおっしゃるのはやめてくださる?」
あなたね……と言いかけたところで、私の前に右手が出てきて制止される。マティアス様だった。
彼はこちらを少しだけ振り返ると、任せてというように笑みを少し浮かべ、ジャクリーンさんに顔を向き直して笑顔で話しかける。
「確かに貴女は何もしていない。エリアーヌへの気持ちも嫉妬からくるものだと理解できます。彼女だけ番に選ばれて悲しい気持ちになったのでしょう?」
わかってもらえた! とジャクリーンさんはパッと笑顔になり、同意を示す。
「そうなのです! エリアーヌさんに対して良くない感情を持ってしまったことは反省しております……。ですが、わたくしはあくまでそのことをナタリーさんに相談しただけで、本当に実行するなど思わなかったのです」
ナタリーさんごめんなさいね? と顔を向け、かたちだけの謝罪をするも、ナタリーさんは悲しい顔を見せるだけで何も言えず黙っている。
その様子を見て、マティアス様は真剣な表情で言葉を続ける。
「貴女は恥ずかしくはないのですか?」
「はい?」
急にそう問われて、ジャクリーンは目を瞬いて聞き返した。
「彼女に相談をして、結果彼女は行動に移しました。それに対して私は悪くないの一点張り。悪いのは彼女だと、そう責め立てることは恥ずべき態度だと思いますが」
「なっ!」
「友人であるのなら、一緒に罪を認めて償おうとするものです。そもそも、友人にそのようなことをさせるように誘導すること自体が間違っています。貴女は見た目ばかり着飾って、心はまったく美しくない」
心が美しくないと言われて、ジャクリーンの顔がカッと真っ赤に染まる。
「そして、そのような方が番に選ばれるはずもない。サラやエリアーヌを逆恨みするのはやめていただきたい」
マティアス様が、きっぱりと言葉を放つ。
食堂に集まっていた他の生徒たちからも、ジャクリーンさんに対して冷たい視線が集まっている。
ジャクリーンさんは握りしめた両のこぶしを震わせながら、怒りがこみ上げて紅潮した顔を斜め下に向け、そのまま踵を返して一人で食堂を出て行った。
あれから私たちの噂はすぐになくなった。
ナタリーさんは食堂での騒動後、私たちにも直接謝罪してくれた。そしてそのまま自主退学することになった。引き留めたが、彼女の意思は固かった。本邸があるレルネ伯爵領へ戻り、親が結婚相手を決めるまでの間、花嫁修業などをして過ごすと話してくれた。
そして、ジャクリーンさんは退学となった。事の顛末について聞いた親が、強制的に退学させたかたちだ。オードラン侯爵は、被害者のカーラの親、ホラーク男爵に多額の慰謝料を渡し、お金で黙らせた。ホラーク男爵も、侯爵家相手にはこれ以上何も言えないだろう。
当の本人はというと、今回の話が社交界でも広まったことで国内では良縁に恵まれることはないだろうと、国外で結婚相手を探すことになったと噂で聞いた。相手が見つかるまでは、両親の監視の元、侯爵邸の中で静かに過ごすことになるそうだ。
「マティアス様、今回は色々とありがとう」
騒動が落ち着いた後のある日の午後、学園の渡り廊下でマティアス様を見つけたので声を掛けると、彼は首を傾げて反応する。
「どうした?」
「ジャクリーンさんの件。あなたがナタリーさんに声を掛けてくれていたんでしょう?」
騒動の後、ナタリーさんは私に話してくれた。
『今回、勇気を出して言えたのは、マティアス様のおかげなんです。騒動の前日、昼休みに彼から呼び止められて。直接的な言葉は言われませんでしたけど“貴女は今のままでいいのか? このままずっと同じことを繰り返してしまう前に、一歩勇気を出して踏み出すことで、あなたの世界は変わると思う。貴女が思っているより、この世界は広いし、自由だ“とおっしゃったんです。そのような考えを伝えられたのは初めてでしたし、ハッとしました。今までどんなに狭い世界で生きていたのか……。変わる勇気と一歩踏み出す力を与えてくださって、本当に感謝しております』
マティアス様は、ああ、と思い出したように頷いて肯定する。
「サラたちの教室で、今回の件に関して私たちが話を聞いた時があっただろう? その時の彼女の様子から、間違いないと思ってね。余計なことかもしれないと思いながらも、彼女に声を掛けたんだ」
「余計なことなんかじゃないよ。マティアス様の言葉でナタリーさんは勇気をもらえて自由になれたし、私たちも噂や騒動から解放されたもの。本当にありがとう」
ぺこりと頭を下げると、マティアス様は目を瞬かせた後、ふんわりと微笑む。
そうだ! と私は前のめりで彼に提案する。
「お礼に食堂で何かご馳走させて! 何でもいいよ」
いい案だとばかりに笑顔で返事を待っていると、マティアス様は少し考えてから言葉を発する。
「何でもいいの?」
「もちろん!」
じゃあ……、と彼はにっこり微笑んで、首を少し傾けながら提案してきた。
「サラと一日、街でデートをしたいな」
はい?




