第百十四話……アイアースの計略
統一歴568年1月中旬――。
ラム盆地から周囲に走る街道はすっかり雪に閉ざされ、噂話を運ぶ行商人の往来も絶える。
だが、雪の季節は戦も少ないため、傭兵として諸外国に出稼ぎをしていたケードの戦士たちも里帰り。
里のあちらこちらの家も賑やかそうに感じる。
「姫様、お加減は如何ですか?」
「うむ。悪くないぞ」
ある日の午前中。
私はガンター先生と共に、フィー姫のご様子伺い。
姫君は、先生の魔法と施薬の甲斐もあり、治療から十日を過ぎると食欲も出て、好物なら食べられるようになっていたのだ。
「ですが油断は大敵ですよ。温かくしてくださいね」
「わかっておる。小うるさい先生じゃな、ははは!」
侍女に聞くところによると、姫君が笑うのは珍しいとの事。
本当に不治の病かと、疑問に思うほど血色も良くなっていたのだ。
「また、参りますね」
「うむ。ご苦労」
その日の午後は先生と別れ、殿下とケードの首領との宴席であった。
貴族家の世界は頻繁に宴席を開くが、そこでの話題こそが政治の調整であったり、外交の準備段階であったりと非常に大切なものであったのだ。
今日の話題も雪解けを待って、北方のローランド地方への出兵の件であったのだ。
「……ほう、では王国は、今は兵を動かすことはないと申すか?」
「左様にございます。今は昨年の敗戦で意気消沈。国庫の余力も底をついておりますゆえ、収穫のある秋まで動けぬでしょう」
ケードの首領であるドンは、オーウェン連合王国の出方を探っていた。
王国とケード連盟は同盟をしていたが、戦国の世において同盟は絶対ではないからだ。
「……では、余は全軍を動員できそうだな?」
「はい、更には我等もお供しましょう」
「ん? 其方が助力してくれるというのか?」
ドンは少しビックリした表情で殿下に問う。
「はい、友好の一環として、お供いたしまする!」
「それは心強い。頼んだぞ! あはは!」
ドンは殿下の肩を叩き、顔を皺くちゃにして喜んだ。
ケードの首領はあまり笑わないことで有名であった。
多分、彼は殿下のことを気に入ったのだろう。
これだけでも今回の親善は成功というべきである。
同席していた私も、心から笑みを作ったのであった。
◇◇◇◇◇
統一歴568年2月初旬――。
まだ雪は多いが、ラム盆地においてケード連盟軍は密かに軍備を整えていた。
ケードが狙うのは北のローランド地方。
そこには小国が乱立しており、比較的与しやすい相手だったのだ。
下級貴族や騎士達が、臨時の雇用である傭兵達への招集と交渉。
さらには、馬やドラゴネットの餌を買い集め、集積施設に集めた。
そして、ネヴィル地方やヘザー盆地駐留の有力貴族達も参集。
首領の館で軍議が執り行われた。
首領の館にて軍議の間。
此度の戦に参戦する私も、議場の末席にて参加していた。
「……ならば、まずはノエル城を攻略せよと申すか?」
「左様にございます」
首領であるドンにノエル城攻略の献策をしたのは、初老の将であるアイアース。
彼はネヴィル地方の要衝であるアガートラム城の城代であり、そこから北に位置するノエル城の情報を以前から収集していたのであった。
「ノエルの城を攻略するのは悪くない。だが相手はリーの奴だろう? きっとノエルの堅城に閉じこもって出てはこんぞ!」
ケード連盟の十八番は、ドラゴネットの機動力を生かした野戦だ。
反して攻城戦はあまり得意でないことを、副王ドメルは気にしていた。
「わかっております。調べましたところ、ノエルの東側にはアルルという低山があります。ここの頂上を奪取して投石器を置けば……」
「なるほど! 高所からの石弾で、さしもの要害も粉砕できますな。ははは!」
アイアースの柵に快活に応じるのはヴェロヴェマ。
彼は背が低いが、勇将であるオヴの腹違いの弟であり、戦術に優れた前線指揮官であった。
「で、肝心の投石器はどうなっておるのだ?」
「はっ、雪解けの三月初旬には間に合う予定です」
ドメルの質問にアイアースが応え、ドンが静かに頷き軍議は決した。
「よし、三月初めに軍を起こす! 諸将は速やかに所領にもどり準備を行え!」
「ははーっ!」
一同がドンに向き直り、深く一礼。
さらにケード連盟に古くから伝わる紅い竜の旗に、戦勝を祈願する言葉を唱和して軍議は終わったのであった。
「お疲れ様でした」
私は同席した殿下に、ねぎらいの言葉をかけた。
「我々も手柄を立てるぞ!」
「はっ?」
殿下の気持ちはわかるが、我々は手勢を連れてはいない。
兵がいない将など、どうやっても手柄を立てられないような気がするのだが……。
その翌日――。
私はガンター先生と姫君の様子を伺った。
「お主も出陣かな?」
「はっ、左様にございます。ただ、先生は姫様のもとに留まりますゆえ、ご安心くださいませ」
「左様か、お主の武運を祈っておるぞ」
「有難き幸せ、恐悦至極に存じまする!」
その後、侍女が熱いお湯と茶葉を持ってきた。
「お主らのために、銘茶を取り寄せたのじゃ。飲んでたもれ」
「恐縮です」
私とガンター先生は、姫君に高級なお茶をご馳走になった。
お茶請けもお菓子も美味しく、話もとても弾んだのであった。
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