第百六話……摂政クロック
統一歴567年10月中旬――。
イシュタル小麦の収穫が終わり、農村においては芋などの二毛作に取り掛かる。
漁村においては最盛期で、脂が載り切った魚が続々と市場に並んだ。
「……ふう」
私はエウロパの城の風呂に浸かっていた。
これは魔石によって沸かされる自慢の湯釜だ。
リルバーン家において、モルトケ達たち武官は東のネト城の救援に。
城代であるモンクトン子爵たち文官は、レーベ城の周りの開発に勤しんでいた。
リルバーン家の中核たるレーベ城を旧臣たちに奪われた形に成ったが、ここエウロパ城の城代はアーデルハイトに、そしてゲイル地方の総督には、私ことライスター男爵家が任についていたのだった。
私は居城を実質的に追われたが、旧臣たちのイオやオパールに対する忠義は疑いようもない。
そのことは大変に幸せだ。
もし、私が戦場で散ったとしても、彼らはオパールを盛り立て、巧くやっていくであろう。
「お前様、孤児院の方がお越しになっていますよ」
「ああ、今行く」
イオに促され、着替えを羽織って執務室に急ぐ。
待っていたのは、私が子供のころにお世話になっていた孤児院の老シスターだった。
「お久しぶりでございます、シンカー様。そのお顔の火傷は?」
「大事ない。これがいつもの寄付金だ。護衛を二人付ける故、気をつけて帰ってくれ」
「ありがとうございます。きっと神も見ておられます」
老シスターは、私から金貨の入った革袋を受け取る。
この老シスターはノーランド教の聖職者である。
ノーランド教はオーウェン連合王国のみならず、この辺りの国々の民に深く信仰を集めた巨大な宗教であった。
ノーランド教は各地で孤児院を経営。
私もその孤児院の出身だった。
だが、私がノーランド教を信じているかと言えば話は別だ。
この宗教は、領主との利権を巡って武力抗争も起こす。
口にはしないが、どうにも好きになれない組織だったのだ。
◇◇◇◇◇
三日後の夕方――。
私はエウロパ城の謁見の間で、とある少年と面会していた。
彼の名はウォルト=パーシバル。
ハーディー城への伝令での忠烈の士、スター=パーシバルの息子だった。
「……お、お初にお目にかかります」
少年は怯えながらに私に接した。
「恐れることはない。お前の父は王国に忠義を尽くした。よってお前をライスター家の騎士に取り立てる。励め!」
「え? え? ははーっ! 全力を尽くします」
「では、下がって休め」
「はっ!」
私は、少年が退室した後に呟いた。
「王宮の連中は一体何をしている。王国への忠誠を貫いたものの子孫を、未だ雇わず放置しているとは……」
それを傍らで聞いていたナタラージャが応える。
「しかし、御館様。血脈だけで決める人事は危険かと巷の賢者たちは申しております」
「そんなことはあるまい。主人に命を懸ける者など稀有だ。それくらいの恩に報いずして、何が主人だ!」
「はっ、要らぬことを申しました」
「あと、ナタラージャ。あの少年を一人前の竜騎士に育てよ。頼んだぞ」
「畏まりました」
私は謁見の間にナタラージャを残し、イオとオパールの待つ部屋に急いだのだった。
◇◇◇◇◇
統一歴567年11月――。
木々の葉が散り始め、冬の到来を告げている。
私が、イオやオパールとの時間を楽しんでいる頃。
王宮においては、大きな政変が起きていた。
「クロック閣下! もうお体は大丈夫なのですか?」
「うむ、大事ない」
クロック侯爵の傷は、王国の治癒魔法使いが総出で治癒にあたった効果がでていた。
彼の傷は概ねふさがり、軽い運動が出来るまでに回復していたのであった。
「女王陛下は如何なされている?」
「……そ、それが、病に伏せられており、表向きのようには耐えられませぬ」
「左様であるか」
クロック侯爵が政務に復帰しても、女王の体調は戻らない。
王族と老臣たちは度重なる協議の上。
宰相であるクロック侯爵を公爵に任じ、さらに摂政とすることが決まったのであった。
「おめでとうございます、閣下!」
王城の廊下を歩く摂政に、サワー宮中伯がお祝いの辞を述べる。
「ああ、卿の言うとおりになったな」
「はい、宮廷の老臣どもには前々から賄賂を贈っておきましたゆえ、それが効いたのでございましょう」
「ほう、流石だな。しかし王族の方はどうなっておる?」
「はい、今回は閣下の摂政のご就任に反対する者はおりませんでした。閣下の日頃からのご威徳の賜物かと存じまする」
「そうかそうか、はっはっは!」
快活に笑う摂政を部屋に送った後。
サワー宮中伯は、貴族に似合わぬ王城の地下牢へと足を運んでいた。
「サワー宮中伯! これはどういった事だ!?」
「そうじゃ、そうじゃ、我等は気高き王族だぞ! この仕打ち我慢ならぬ!」
地下牢に入っていたのは、なんと王族たちであった。
彼等は妻や子、娘たちごと牢屋に繋がれていたのであった。
「皆さま方、何を申される。クロック様の摂政就任の儀に反対せしめた事、万死に値しまする。こののちは王家の秘密鉱山にでも働いてもらいましょうか?」
この言葉を聞いて、王族たちの顔は一変。
更に地下牢に、荒くれ者のならず者違地が雪崩れ込んできた。
その意味するところに、王族たちは顔を青ざめたのであった。
「いや、すまぬ。宮中伯殿! 我等が悪かった。なんでもする。許してくれ」
「そうじゃ、ワシも何でもする。鉱山だけはやめてくれ!」
無罪の王族たちが、荒くれ者たちを従えるサワー宮中伯に次々に懇願する。
それだけ王家の秘密鉱山とは過酷な所だったのだ。
「……では、この書類にサインを頂ける方だけを開放いたしましょう」
サワー宮中伯は、一枚の羊皮紙を王族たちに突き付けた。
それは女王の退位への賛意と、次の王にクロック公爵を擁立するとの誓約状であった。
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