第百話……ソーク地方の要害ハーディー城
女王陛下が休む部屋の外の廊下。
「陛下のご容態はどうなのだ?」
宮中の医師長にオルコック将軍が問い詰める。
医師長は丸眼鏡を拭いて、一呼吸おいてから応えた。
「過労が続いたのでしょう。御政務を離れしばらくの御安静が必要です」
「……う、うむ。そうか。わかった」
オルコック将軍は力なく頷き、我々参謀を連れ、参謀本部室に引き返したのだった。
◇◇◇◇◇
参謀本部室――。
オルコック将軍を上座に、複数の参謀がテーブルに着いていた。
「しかしこまりましたな。頼みの陛下がこの調子では……」
「左様左様、クロック派の勢力を削れる絶好の機会なのに」
オルコック将軍の幕僚たちは口々に愚痴を吐く。
ここにいる多くの者は、宰相のクロック侯爵が重傷の隙に、政治勢力を挽回しようとする者たちの集まりだったのだ。
だが、後ろ盾に期待する陛下が病気に倒れ、その目論見は泡と消えようとしていた。
……不幸なことはまだ続く。
二時間後に、急ぎの伝令が飛び込んでくる。
「申し上げます! ハーディ城にチャド公爵の軍が攻め込んで参りました!」
「なんだと!?」
このハーディ城。
ソーク地方の海岸沿いにある要害であり、ファーガソン地方を奪われたオーウェン王国にとっては最前線の要地であった。
「将軍! 至急御援軍を!」
参謀たちが一斉にオルコック将軍に詰め寄る。
この要地をとられては、更に王国領が削られることが予想されたのだ。
「急ぎ、宰相閣下に使いを出せ!」
「はっ」
宰相のクロックは、王国の軍事の最高職である大元帥も兼ねる。
大元帥の許可なく兵を動かせるのは、女王陛下のみだったのだ。
……だが、侯爵は傷病の身。
クロック侯爵家の家宰を務めるサワー宮中伯は、援軍を出すことをかたくなに拒んだ。
「サワー宮中伯殿は、前線の勇者たちをお見捨てなさるおつもりか!?」
「……否、だが、今兵を出す余裕は我々には無い。暫し待つのだ。今、我等はガーランド商国と和平工作中なのだ。今、軍を起こして商国を刺激したくないのだ!」
「……う、うぬぬ」
チャド公爵はガーランド側に寝返ったが、ガーランド商国の傘下に入った訳ではないらしい。
あくまでチャド公国として独立し、商国と対等の同盟国として独り立ちした、といった体裁なのだそうだ。
確かに今の王国には、まとまった援軍を起こすのは厳しいかも知れない。
もし全力を挙げて西に向かえば、いつ東のフレッチャー共和国が牙をむいてくるかわからないからであった。
「……とのことです」
サワー宮中伯の判断を聞いたオルコック将軍。
極めて渋い顔で悩むが、暫し後に言葉を発した。
「多くの援軍は出せぬが、少しでも出さねば士気にかかわる。偵察を兼ねて兵二千を率いて向かうぞ!」
「はっ!」
後の報告によると、敵の数は約一万五千。
二千では到底太刀打ちできない兵力差であった。
私もこの部隊に参加することが決まる。
アーデルハイトとナタラージャに準備するように伝えたのだった。
◇◇◇◇◇
三日後――。
オルコック将軍率いる兵二千は、急拵えの荷駄を用意し、王都シャンプールを進発。
西へと急いだ。
六日後にはハーディ城が見える丘に、敵軍との距離をとって布陣。
幕舎などを建て、長期の布陣に備えたのだった。
「敵は二万以上おりますな」
「話が違うではないか!?」
斥候からの報告を伝えた幕僚に、オルコック将軍は悪態をついた。
「申し訳ありませぬ。ソーク地方にも敵についたものが数多くいる様です」
「……く、くそう。オーウェン連合王国の貴族の風上にも置けぬやつらめ!」
オルコック将軍は憤るが、ソーク地方も元はと言えば王国の被支配地域。
王国本土とは、いくらか貴族たちの気風も異なったのだ。
急ぎ作られた見張り台に、私は率先して登った。
ハーディ城は、水も漏らさぬ位に敵に包囲されていた。
二重三重に策が施され、ところどころには櫓のような建造物が見えた。
その布陣は、後詰めに来た援軍にも配慮されており、我等がうかつに近づいても、撃退されることが容易に予想される縄張りだったのだ。
「火傷の男爵殿、いかがでござった!?」
「いや、怠りなき布陣でござる。つけ入る隙はないかと……」
そう報告すると、将軍は「やはりか」といった雰囲気になった。
「仕方ない! 王都に援軍を送る様、引き続き使いを出せ!」
「はっ」
こうして我々も王都からの援軍頼みとなり、ハーディ城を眺めるだけの存在となったのだった。
◇◇◇◇◇
ハーディ城――。
ソーク地方の美しき名城である。
沿岸に張り出した険阻な岩場に、石造りの堅牢な城塞が築かれている。
内包する町は無く、軍事専門の施設である。
濠は天然の荒波を孕む海。
引き潮のときにのみ、城へ一部通行が出来るシステムであった。
満潮の時にはまさに大海に浮かぶ要塞であり、攻め寄せる敵の心を竦ませるものがあった。
秋の海は比較的穏やかであったが、チャド公国軍には軍船は少なく、力押しで攻めるほどの海軍力は無かった。
そのため、チャド公国軍は遠巻きに包囲。
物資や食料、飲料水が切れるのを待つ兵糧攻めを展開していたのであった。
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