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棗ノ怪異物語  作者: 夏野
濡女ノ怪
22/29

 妖怪……!

 見分けはつかないけれど、柚は目の前に立っている女を見て、そう思った。玉緒は威嚇(いかく)しているし、今まで誰もいなかったのに、急に現れたりして、妖怪に違いないと身構える。

 早く、春太郎に知らせなくては……相手がどんな妖怪かもわからずに、ましてやただの女中の自分が、どうにかできるわけもない。玉緒も無理に戦ったりしてはいけないと、春太郎と約束していた。

 春太郎からもらった護符があるから大丈夫。栗摩沼に行くときは怖がっていたのに、妖怪と対面して、むしろ(きも)()わっていた。

 逃げようとした、そのとき……

「待って」

 女に呼び止められた。柚は反射的に動けなくなる。

「私が妖怪だって、わかるんでしょ?」

「え……」

 妖怪という目で女を見ていたが、彼女は()きつけられるように美しい容姿をしている。敵意のなさそうな声も相まって、油断してしまった。

「私のこと、ここから追い出すつもりなの?」

 消え入りそうな、哀れな声で女が言った。

「追い出すっていうか、悪い妖怪がいるから調べに来ただけで……」

 正直に打ち明けてみれば、女はさめざめと泣き始めた。

「ひどい……!」

 あまりにもわんわん泣いている姿に、柚と玉緒は警戒をよそに驚いている。

 悪い妖怪と決めつけられたことが、そんなに悲しいのか。だけど、人間に危害を加えようとしたことは確かなはず……

 柚が声をかけても泣き続けていた女は、しばらくすると消えてしまった。

「今のが、妖怪なの……?」

 栗摩沼で妖怪に出会った者は皆、怖ろしい体験をしている。だが、柚はただただ泣いている女に出会っただけだ。

 様々な姿に化け、人間を怖がらせている妖怪と、消えてしまった女は同じ妖怪なのだろうか……

「すまない、遅くなった」

 母の説教が長くて、なかなか家を出れなかった春太郎が来て、柚はいま出会った女のことを説明した。

「ふむ……同じ妖怪とはとても思えないが……」

「それか、何か訳があって人間を恐がらせていたのかも……」

 やむを得ない理由があったのか、もしくは悪意か。玉緒が人間を驚かせていたときは、悪意ではなく、妖怪の(さが)でだったが、一概に同じとは言えない。

「姿を現してくれない以上は、なにもわからんな」

 他に妖怪の痕跡はないか、栗摩沼を調べていた二人だったが、収穫は得られなかった。それから泣いていた女も現れずに、二人はそれぞれの家に帰っていった。


 翌日、この日は春太郎が用事があるので、調査は明日ということになっていた。

 柚は母の遣いであるところに茶葉を届けに行った帰り、気が向いて栗摩沼に足を向けていた。妖怪の正体がわからないので、深く立ち入ろうとはしない。また女がいるかもしれないと、遠目で(のぞ)くに留めた。

「あ……!」

 昨日と同じ女が、沼の前に立っていた。まるで身投げをする前のように、じっと沼を見つめている。

(たしか旦那様の用事は、夕方までかかるって……)

 つまり、春太郎は夕方頃には帰宅しているということである。用事があった日に言うのも申し訳ないが、女がいることを伝えるべきだ。きっと、妖怪に関わることならば、怒るようなことはしない。

 柚は玉緒に目配せして、女にばれないようにその場を後にした。

 柚たちが去った後、女は後ろを振り向いて、にたりと笑った。


 三日ぶりの浦野家を前にして、柚は一度、立ち止まる。

(う……おに……大奥様がいたらどうしよう……)

 やはりやめようか。しかし、なぜ報告してくれなかったのかと春太郎に言われるやもしれない。もし春太郎に見限られれば、君江に嫌われている自分は、簡単に女中を辞めさせられてしまうかもしれないのだ。

(ええい、ままよ……!)

 柚は勇気を振り絞って、声をかけた。

「もし……もし」

 奥の部屋からやって来たのは、君江だった。

「まあ、何の御用です。断りもなく来るなど、やはり春太郎に言って貴女のことは辞めさせなければなりませんね」

「そんな……」

 家に来たくらいで辞めさせられたのでは、(たま)ったものではない。やはり来るべきではなかったのか……

「旦那様に、仕事のことで……」

「春太郎はいませんよ。お仕事のことなら仕方ありません。私が代わりに、春太郎に伝えます」

 とりあえず、一安心というべきか。要件を言ってしまって、早く立ち去りたい気持ちでいっぱいだ。

「えっと……栗摩沼に妖怪がいたので、来てほしいとお伝えください」

 妖怪と言った途端に、君江はすごく嫌な顔をしたが、

「わかりました。さあ、早く出て行きなさい」

 と、一応は了承してくれたのであった。

 春太郎が帰宅したのは、それから少しした後のことだった。

「おかえりなさい。遅かったのですね」

「うむ」

「…………」

 君江は柚が来たことを言いかけて止めた。柚に何の権限があって、春太郎を呼び出すというのか。思えば腹立たしい。

 もし柚の言っていたことを伝えれば、春太郎はすぐに栗摩沼に行ってしまうだろう。

(妖怪だなんて……だからこの家は嫌なのよ)

 はじめの夫がしくじらなければ、春太郎は同心職を継げたのだ。お家取り潰しの憂き目にあった親子に手を差し伸べてくれたのは、亡き浦野家の先代である。たとえ次男でも、浦野家を継げなくてもよいと、君江は初め思っていた。困窮した生活よりはよっぽどよい。だから多少、奇怪な仕事をしている家に再嫁(さいか)した。ところが清之進とそりが合わずに、彼は牢獄に囚われる身となってしまった。罪悪感がないと言えば嘘になる。が、自分は悪いことをしたとは思っていない。春太郎が家督を継ぐことができて、これまでの苦労が報われたような気がした。

 このまま、春太郎に当主でいてほしい。これ以上、春太郎に苦労させたくない。

 あれは、女中の戯言(ざれごと)だ。忘れてしまおうと、君江は夕餉(ゆうげ)の準備に取りかかった。


 柚と玉緒は浦野家を辞した後、栗摩沼に向かっていた。

 夕方になり、玉緒は人の姿で柚の隣を歩いている。春太郎に見つかればすぐに小言を言われるのだが、玉緒は柚と話したいので、人の姿でいたかった。

「玉緒さん」

 声をかけられて、柚も一緒に振り向く。声をかけたのは、黄梅堂の手代だった。

 玉緒は黄梅堂で働く、実の正体は妖怪の弥市と親しくしていて、彼と一緒にいる姿を、その手代は見知っていたのだった。

「よかった。いま、玉緒さんに会いに行く途中だったんです。弥市さんがすぐに来てほしいそうですよ」

「え、弥市さんが!」

 玉緒は顔を(ほころ)ばせてよろこんだが……

「でも、いま行かなきゃいけないところがあって……」

「玉緒、こっちはいいから弥市さんのところに行ってきなよ。旦那様もあとから来るし、それまで沼の近くには行かないから」

「……柚、ありがとう」

 好きな人に会えるというのに、邪魔はしたくないという柚の厚意を受けて、玉緒は手代と後にした。

 弥市のことを想っているときの、生き生きとしている玉緒が、柚は可愛らしいと思っている。

 柚は栗摩沼近くに着いて、遠目に沼を見ていた。

(いなくなってる……)

 以前に玉緒とこっそり女の姿を(とら)えていた場所に来てみるも、すでにいなくなっていた。

(そりゃ、ずっといるわけないか……)

 春太郎に無駄足をさせてしまった。これではますます、女中存続の危機に(ひん)してしまう。

「はぁ……どうしよ」

 独り言を言い終わると、誰かに(ほお)を指で突かれる。

 反射的に指の方を見やれば……

「うわっ……!!」

 柚は盛大に飛びのいた。昨日はさめざめと泣き、今日は沼の前に立っていた女が、微笑んでいたのである。

(女中というより命の危機……!玉緒はいないし……よし、すぐに逃げよう!)

 まさか離れた場所に現れるとは思っていなかった。と後悔したところで遅い。逃げるしかないと柚は女に背中を向けたのだが……

「待って」

 と言われ、立ち止まってしまった。

(馬鹿馬鹿!逃げなきゃ行けないのに……)

 妖怪は、玉緒たちのように友好的な存在もいれば、人間に害をなす妖怪もいるとは、身に染みてわかっていることだった。なのに、弱々しい女の声に油断してしまう。

「何もしないから、話を聞いて」

 泣きそうな顔で女は訴えた。逃げるのは可哀想だと思うも、簡単に気を許してはいけない。が、柚は女の話を聞くことにした。

(少しは役に立たないと、女中を辞めさせられちゃう)

 柚の足を止めたのは、その思いだった。


 玉緒が黄梅堂に着いたときには、ちょうど商いが終わろうとしていた。

「弥市さん!」

「おや、玉緒さん」

 弥市はいつもの柔らかい笑顔で、玉緒を迎えた。

「この刻限に(めずら)しいですね。今日は柚さんと一緒ではないんですか?」

「…………?」

 確かに、弥市の邪魔をしてはいけないと、商いをしている時刻に弥市に会いに行くことはしていなかった。それよりも、弥市の自分が呼んだとは思えないような言葉に、玉緒は小首を(かし)げる。

「今までどこをほっつき歩いてたんだ!ガキみたいに寄り道してたんだな」

「違います、旦那様。……あれ?私は何を……」

 玉緒を呼びに来てくれた手代が、主人に怒られている。玉緒はさらに首を傾げた。

「あの人が、弥市さんが私を呼んでるって……」

「私が……?そんなはずは……」

 弥市は玉緒を呼んではいなかった。しかも呼びに来た手代は、玉緒を連れてきたことを忘れている。

「玉緒さん、柚さんはどこに……」

 弥市がそう言ったのと、玉緒が柚の危険を感じたのは、同時だった。

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