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香月よう子様主催の「春にはじまる恋物語企画」参加作品です。
このお話で完結です。
「かすみは就職どうするつもりなの?」
マサトが尋ねる。表情はいつものマサトだ。
「今は業界研究を始めてて。
食品系の企業にエントリーしようと思って準備してる。
理想は研究開発だけど、製造・管理か、営業・販売でも良いと思ってる」
「相変わらずちゃんと考えて行動してるんだね」
「そんなこと無いよ。
カナデ先輩に色々教えてもらってやってるだけ」
「カナデ……ああ、蘇芳先輩ね。
あの人はキレ者って感じだよね」
カナデ先輩とは、前に住んでたアパートの入居者の一人である。
一緒に不正契約の証拠を集めてくれた人だ。
それ以外にも色々なことを教えてもらっている。
名前は蘇芳奏。
容姿も行動力も名前もカッコいい。
「かすみは元からしっかりしてたけど。
久しぶりに会えて、更に頼もしいって感じに見える。
それにお洒落で大人っぽくなった。凄く素敵だよ」
うっ。
私は自分の頬が熱くなる実感がした。
顔が赤いの絶対マサトに見られてる。
そう思うと、余計熱くなるので、私は外を見てごまかす。
「カナデ先輩やエナから、私の見た目は就活で武器になるから、折角だから活かせって言われて。
だから就活生向けメイクとか、パンプスにも慣れとこうと思って」
私の今日の服装。
黒のシフォントップスの上にクリーム色のジッパー付パーカーを羽織り、ストレートデニムとピスタチオ色のぺたんこパンプスを合わせている。
パンプスは全然履いてなかったから、慣らしている。
同回生で友達のエナに靴選びを手伝ってもらい、自分に合ったものが見つかった。
お洒落上級者のエナに感謝だ。
「そうなんだ。偉いね」マサトは言う。
「ありがとう……」
お礼なのに、私は彼と目を合わすことが出来なかった。
■■■■■
カフェを出て私達はお手洗いを済ます。
いよいよ空港を離れる。
私の頭の中に余計な疑問が浮かぶ。
マサトはどこに帰るんだろう……?
実家? それとも……?
洗面所の鏡の私の顔が再び赤くなる。
化粧を直したのに、これじゃあ台無しだ。
待たせる訳にもいかないので、私はトイレを出る。
マサトはスマホを触っていた。
「お待たせ……。電車何時発だろうね?」
「そうだね。調べてないや」マサトは言った。
「急行だと、次の次かぁ。
歩きながらでも間に合うね」
私達はレストランフロアの下の国際線出発フロアを歩く。
ベンチには大きなトランクを脇に置いた人が座ってスマホを触っている。
家族や団体がトランクやカートにもたれている。
傍を通ると、アジア系の人々だと会話で気付く。
到着フロアと違い、どこか活気ある空気だ。
これから海を越える人々が集まっているからだろうか。
「A駅に行くまでに、3回も乗り換えるんだ。
来る時、大変だったんじゃない?」
「A駅に向かうの?!」
私は思わず声を出す。
A駅は大学最寄り駅であり、私の住むマンションの最寄り駅でもある。
て、ことは……。
マサトは私の部屋に来るつもりなんだ……。
「うん、そうだよ。
実家帰る前に、大学窓口で色々手続きしようと思って」
「あ、そういうこと……」
勘違いを自覚し、一気に恥ずかしさが増す。
ヤバい。顔が赤くなってるはず。
マサトに悟られたらどうしよう。
私はギュッと口を閉じて、下を見ながら歩く。
隣で歩く彼の服の擦れる音すらこそばゆい。
突然、マサトは立ち止まった。
私は数歩進んでから気付き、そっと振り返る。
「どうしたの?」私は尋ねることができた。
「ごめん……」
リュックを前にやり、ジッパーを下げて中を漁り始めた。
「これ、返すよ。
僕が前入居者だから、気を遣ってくれたんだよね?」
マサトが取り出したのは、飛行機のお守り根付がついた鍵だった。
私がマサトに渡したやつだ。
「お守りだけもらって、鍵は返すよ。
ごめん、変なこと想像させちゃったね。
男が部屋に入るなんて、君にはとても怖いことなのに……」
私は前のアパートで、知らない男に「部屋に入れろ」と詰め寄られたことがある。
マサトが助けてくれて事無きを得たけど。
マサトは申し訳なさそうな、悲しそうな顔をしている。
悪いのは、はっきりしない私の方なのに。
彼が優しい故に、必要ない罪悪感を与えてしまっている。
根付を外した鍵を、彼は私の前に差し出した。
■■■■■
マサトの大きな掌の上に、ポツンと乗った鍵。
これを受け取ってしまったら、私とマサトはどうなるのだろうか?
優しいマサトのことだから、これからも連絡を取ってくれるだろう。
相談にも乗ってくれるだろう。
紳士的で理解ある振る舞いをしてくれるはずだ。
でもそれは、私が望んでいることなの?
望みが叶うか、叶わないか、分からない。
けれど、彼の優しさに中途半端に甘えるのはよそう。
私は手を伸ばした。
■■■■■
マサトの手を、鍵と一緒に私は握り締めた。
「かすみ?」
「違うの。ごめんなさい。
私が曖昧なことをするから、マサトを困らせちゃった」
彼の手に触れた瞬間、心臓がバクバク鳴り出す。
勇気を出して、このまま続けるんだ。
「私はマサトと付き合いたい気持ちがあるの。
だから、部屋の鍵も渡したの。
私の部屋に来てほしいって……」
握る手の熱を感じる。
恥ずかしさで逃げ出したくなる。
懸命に頭の中で留まるように声を出してる。
「で、でも!
もしもマサトに彼女とかいたり、片思いしてる人がいたり、そもそも私とは付き合うとか考えられない、とかだったら、鍵は返してもらう!
友達同士なら、鍵はいらないもんね!」
マサトがどんな顔をしているのか見れない。
自分の顔も、今は見たくない。
「私に気を遣わないで。正直に教えて……」
目から涙が出そうだ。
「ごめんね」と言って離れるマサトの手が、頭に浮かぶ。
「かすみ……」マサトの声が静かに降り注ぐ。
■■■■■
いつまで私は彼の手を握るんだろう。
気持ち悪いよね。
私は少し汗ばんでいる自分の手を緩めた。
その時、彼の長い指が動き、私の手を包んだ。
「マサト……?」
私は思わず顔を上げる。
顔を赤らめたマサトがそこにいた。
「僕の方こそごめん。
鍵をもらった時にちゃんと言えば良かった」
ドンッと脳天を叩かれた心地になった。
頭がクラクラする。
ああそうか……。
鍵は渡すべきじゃなかった。
私って本当に馬鹿だ……。
「ううん、ごめん。迷惑だったね」
ヤバい。涙が頬を伝っている。
「違うよ! そんなことないよ!」
大きいマサトの声に、周囲はこちらを見る。
マサトは手を握ったまま、泣いている私を引っ張り歩く。
人の少ない連絡通路の方へ行き、端に寄って立ち止まる。
「かすみ。
僕も凄く嬉しかったんだ。
君から鍵をもらった時に、勝手に彼氏として認めてもらえた気分になってた。
だから付き合っているつもりになってた。
留学して遠距離になっても、チャットや通話で繋がっている気になってた。
帰国して君に会えたら、彼氏彼女らしいことも出来るのかなって勝手に想像してた」
握る手がとても熱い。
この熱はマサトからなんだろうか。
「けど、ごめん。
ちゃんと伝えてなかった。
お互い、確認してなかったよね。
言わなくても分かるなんて、都合の良い話だ。
話し合わなきゃ、納得した形で距離を近づけることも出来ないよね」
グダグダした言い方。
前々からそう感じていたけど、今はとてもホッとする。
今のマサトは、マサトなんだ。
「僕もかすみと付き合いたい。
ずっと好きだったんだ。
でも、あのアパートで嫌な思いをした君に、男の僕が言い寄ったら、傷付けてしまうと思ってた。
だから……」
私はもう片方の手で、握り合ってる手を包む。
もう大丈夫。そんな気がした。
「ありがとう……嬉しい。
私もマサトのことが好き……」
マサトのもう一つの手が更に重なった。
私達はお互いの顔を見る。
真っ赤で涙ぐんで、微笑んでいる。
多分同じ顔をしてる。
■■■■■
ホカホカになった鍵に、マサトは再度根付をつける。
鍵をリュックに仕舞うと、彼は手を繋いできた。
「電車、もう一本遅らせようか。
大学には明日朝に行けばいいし、すぐ行けるもんね」
マサトの言葉に、私は照れくさくて笑う。
駅の改札に向かう途中の通路から空を見上げる。
いつもより大きな飛行機の姿が空の中にいる。
「ねぇ、マサト」
「ん?」
「人は一人ひとり違うから、ルールという形で共通するものを決めたんだよね」
「そうだね」
「ルール以外のもので、共通するものが見つけられたら、とても幸せなことかもしれないね」
「そうかもしれないね」
彼も空を見上げる。
私とマサトが見てる空は同じだけど、頭の中は色々違う。
でも、気持ちは今同じなんだって、くすぐったく感じた。
この話を書き終えたのは2022年2月末頃です。ほんの数年前までなら、気軽に誰もがパスポートや航空券を持って、国内外へ旅立つことが出来ました。一日でも早く、そんな日々が戻ることを願っております。
※2022/09/10
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