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Mr.DARKER STRANGE  作者: 事故口帝
Mr.Darker Strange
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Mr.DARKER STRANGE 第三章『愛する人』

第三章『科学者』


脳髄は、唐突に思い至った。


『人類を、滅ぼそう。』


それは、特に何かきっかけがあって放たれた言葉ではない。

どちらかといえば、緻密に計算され尽くしていた演算の終幕。そのどうしようもない袋小路の状況を憂いて生み出された、消去法的な考えだった。

もちろん、冗談と捉えられて仕方のないほど、突拍子もなく、荒唐無稽なものだったのだが、それを冗談と切り捨てることができないのは、培養器に不気味に浮かぶ脳髄のせいだろうか。


電極にコード、パイプなどに串刺しにされた脳は、息苦しそうなほどに過保護に守られていたが、紡がれる疑似声帯の電子音声はそれを感じさせない爽やかさで語る。


『私たちが頑張っても、どうにもならなかったし……うぅ……もう、ダーカー以外の人類を滅ぼした方が楽だよぉ……』


そうして言う脳髄の前で、跪いて首を垂れる人物が一人。

シワの寄った白衣の中に、ボーイッシュながらも美しい姿形を包む女だった。赤髪のショートカットを撫でつけて、理性的な瞳を光らせる女は、培養器に踊る脳髄にうやうやしく視線を移した。


「そうすれば、彼を、彼の中の異能を、取り戻すことができるのですか?」


感激に身を震わせながら。しかし、それで聞き苦しい声を出さないように気を配りながら。しかし、それでも抑えられない高揚と期待に狂喜の笑みを浮かべながら、白衣の女は脳髄にその策の有用性を問うた。いや、それは、正確ではないかもしれない。


彼女は、すでにその考えに対して、絶対的な信頼を抱いている。

それが失敗するなど、それに効果がないことなど、絶対にないと、確信している。だから、彼女が確認しているのは、既にその計画のことでない。

彼女は、自分が何をすればいいのか問うている。


自分を使え、と。傲慢ながらに、その矮小な自分への戒めを背負い、傷口に血を滲ませながら、しかし自分のうちに眠る確固とした自分の証を感じながら、乞い願う。


『セクタちゃんの異能で、ダーカー以外の人たちをポイントして……そのままセクタちゃんを殺しちゃえば、うぅ……セクタちゃん、ごめんねぇ……でも、それで、ダーカー以外は死ねるから、許してねぇ……うぅ……』

「セクタを……」


自分以外の部下の名前が挙がったことに、嫉妬に近い怨嗟の感情を滲ませながら、白衣の女は確認のために名前を復唱した。


人類すら滅ぼせるという異能を宿したダーカーの存在。白衣の女ですら詳しいことは知らされていないそのダーカーのことを、果たしてその脳だけの科学者はどう遣うのか。


『ヒューマくん……待っててねぇ……ごめんねぇ……』


自分本位な脳髄の言動は、培養器の中を反響して、この世界の命運に王手をかけた。

世界最高の研究機関。世界全ての人口の中で、トップレベルの頭脳を持つ者が集まった、いわば地球の頭脳は、自分の身体を壊すために動き出す。

地球に、人類はいなくても特に困らない。そう、自分が肉体を捨てても問題がないように、この地球も、人間など必要ではない。


原初のダーカーのためなら、そこに躊躇など、存在しない。人類は、『デュカイオ・シュレー』によって終末を告げられた。

よって、世界は、崩壊へのカウントダウンを、指折りで数え始めたのだった。



ヒューマと魔女の協力関係の発足から約二週間。

その期間は、別にゆっくり休もうという甘えた時間ではない。きっと、一番あの研究所に乗り込みたいのは魔女だ。

しかし、それをしないのには、二週間もの空白を開けてしまったのには、理由がある。


『デュカイオ・シュレー』の防衛プロトコルの周期だ。

研究所からその身を離した魔女が、捕らわれの天使を助け出すための研究所襲撃。

それは、『デュカイオ・シュレー』に酷く重い空気を立ち込めさせた。それは、自分たちがどれほどの化け物を作ろうとしていたのか気付いた、そんな自覚が大きかった。


そのため、研究所側にはメンタル的な面で非常に大きな損害が与えられた。それを危惧した当時の研究所上層部は、これ以上の研究員のモチベーションを低下させないために、各部署へのメンタルカウンセリングと、絶対的な防衛システムを構築した。


どういう手段であるかは知らないが、魔女から聞かされた約一か月の期間。一か月後、きっと魔女の考え出した計画で、研究所に侵入することができるだろう。

その間、ヒューマは特に何かできることはない。無為というには甘すぎる、有意義というには怠けすぎた時間が、過ぎていた。


「私のアジト……来ない…………?」


久しぶりの再会に情熱的な夜を過ごし、約二週間摂取できていなかった精液を吸い尽くしたフェルモアータは、シーツを顔まで上げて、不安げな表情を隠しながらヒューマに問いかけた。

約二日に及ぶ、フェルモアータからの愛情表現。ヒューマは、疲れというより、重ねるごとに増幅していくフェルモアータへの愛おしさを噛み締めながら、その言葉を耳朶に響かせた。


フェルモアータのアジト。彼女はアジトという言葉を使うような性根ではないので、きっとその三文字という短さに魅力を感じたのだろう。そんな淡白な語彙への執着ですらおかしくて、自分から来てほしい、という意思を見せてくれたことが嬉しくて、ヒューマはフェルモアータをぎゅっと抱きしめた。

それに恥ずかしそうに目を背け、けれど両手はがっちりとヒューマを抱きしめながら、「馬鹿……」と、小さく呟く。


フェルモアータのアジトへの招待というのは、実は初めてではなかった。

フェルモアータと初めて愛し合った日。彼女から受け取った鍵。それこそ、彼女のアジトの鍵だということで間違いはないだろう。

そんな不器用な招待に気付かなかったのかと苦笑しながらも、ヒューマはフェルモアータを抱きしめていた腕を解き、ベッドに横たえていた体を起こした。


シーツを口元までずり上げて恥ずかしげな表情を隠すフェルモアータ。それを微笑ましく眺めながら、ヒューマは与えられた一か月の期間に想いを馳せた。

ヒューマが過ごした二週間。残った時間は一週間。


「うん、それじゃあ、行ってもいいかな?君のアジト。」


ヒューマの言葉で、残りの暇な時間の使い方は、存外簡単に決まったのだった。



電車を乗り継いで、軽く昼食をとりながら着いた先。そこは、程よい田舎町であった。

無人の駅には人っ子一人なく、この電車が今まで存続していることに違和感すら抱く。

街のほぼすべての地盤となっている緑は、おそらく山の緑などの自然の類だろう。

そして、それに少しだけ場所を借りるようにぽつりぽつりと、垂らされた絵具のように見える灰色は、数えるのには少し億劫だが、多いというにはどうにも感性が許さない。それこそ、慎ましやかに点在する民家。この駅の存在意義である、人々の集落なのであろう。


「なんだか、素敵な雰囲気だね。」

「ありがとう。…………私も」


ヒューマが思わず漏らした称賛に、フェルモアータが足りない言葉で共感する。

ヒューマとフェルモアータが談笑する駅は、集落を丸ごと見渡せる高地にあり、その村が盆地であることがありありと伝わってくる。


山に囲まれているからか、絶妙な日の差し方によって美しく煌めく山々の表情は、たとえ二人の目が濁っていたとしても分かる。

それが絶景だということが、嫌でもわかる。


「案内……する。」


そういって歩き出すフェルモアータに付き従って、最早(がけ)のような傾斜となっている階段を下りていく。

滑り落ちれば命はないであろう階段は、ダーカーであるヒューマであっても躊躇してしまうほどの危険な様相であった。

これをただの人間が使っていると思うと、その強かさも馬鹿にならないと思い直した。


「ごめん。歩かせて……」


フェルモアータは、階段を十段ほど降りるたびにヒューマの表情を伺い、疲れていないかを健気に確認してくる。それに笑顔で返せば、安心したように小さい体で再び踏み出す。


後ろを向きながらでもグングン下っていくところを見るに、そのアジトには中々の頻度で通い詰めているようだ。晴動(セードゥオ)で精力的に活動している傍らで、ここまでインフラの発達していない場所に戻るということは、それほどまでに心地のいい場所だということなのだろうか。


「疲れたら……言って。」

「大丈夫、ありがとう。」

「ん……」


駅から約十分。ようやく集落の一部と言えるような場所に辿り着いた。

といっても、何か目に見えた変化があるわけではなく、ただ単に長かった階段が終わっただけで、緑の中に放り込まれていることに変わりはないのだが、どこか言いようのない達成感がヒューマの胸中を満たしていた。


そんなヒューマの感慨など知らぬフェルモアータは、変わらぬ足取りで森の道を歩き始める。

鬱蒼と生い茂る木々の中、雑草塗れの煉瓦道。心地悪そうに地面を這いずるその道は、どれほどの時間をその森で過ごしたのだろうか。もはや道であると理解するのに時間のかかるほどの惨状になっていた。


「君のこと、知りたいな」


そんな道に差し掛かったところで、ヒューマが歩みをそのままに云った。

身体を重ねて、唇を貪り合い、互いの身体の知らないところがない。そういっても過言ではない二人だが、その実、お互いのことを知っているかと言われると、ほとんど知らない。


お互いにダーカーで、お互いに性を求めていて、お互いに好意を抱いていて、互いが互いを想っていて、それでいて、お互いに何も知らない。

生まれも、育ちも。好きな食べ物も、好きな物も、好きな音楽も、なにも。


「突然……」


驚いたような視線を肩越しに寄越すフェルモアータ。言い逃れできない唐突さであったため、微笑でもってそれを躱して、無言で少女の肯定を待つ。


「消毒液……好き。」

「確かに。たくさん持ってるよね。」


絶妙に想定と違う答えが返ってきたことには触れず、ヒューマはそれに賛同した。

ラブホテルで彼女が使っていたキャリーバッグは、既にない。それは、中身の消毒液やら殺菌スプレーやらを使い果たして、そこに何の価値もなくなったからだ。

新品の輝いたキャリーケースが、悲しそうにゴミとして蒐集されていったのは、今でも涙なしでは語れまい。


殺菌に大して異常ともいえる執着を見せるフェルモアータの潔癖症事情は知らないが、その様子だと、自分が普通でないことは分かっているのだろう。


「世界……汚い……不潔」


規模感の違いを見せつけてくる壮大な嫌味を吐き出して、滑らかな唇に陰を落とすフェルモアータ。彼女のその固定観念、というより個性は根強いらしい。


「でも、えぐいプレイしてくれるよね?」

「好きだと、……汚いと…………思わない……」

「そっか……」


思っていたよりストレートな愛情表現が、ヒューマに突き刺さる。思わず緩む口角をぐりぐりと揉みながら、目の前を小さな体で懸命に歩むフェルモアータへの愛が増えていくのを感じた。

そんなカップルのような雰囲気でセフレのような会話をしていると、森の雰囲気が変わった。


「ッ!!!」


伸ばした手。それは、フェルモアータを掴もうとしていた。しかし、伸ばされたヒューマの手は、空を掻き、そこでピタリと止まった。それ以上動くことを、本能が許さない。

恐怖に震えて?酸素の枯渇で?違う。その場で動くことによって、自分の存在を、痕跡を、たった一片の角質ですら残したくなかったからだ。


それは恐怖でも畏怖でもない。そんなちっぽけな精神をほっぽりだす、本能の停滞だ。

生き残るための本能が、数十億年単位で培われてきた世界の理。それに逆らおう。ここで動こうとするのは、そういうことだった。


震える手は、既に力は入らず、痺れるほどに制御の利かない関節からじんわりと不動の空気が流れ込んでる。動くなという指令が、駆け廻ってくる。

呼吸が、浅くなった。酸素がうまく吸引されず、それなのに冷や汗だけは流れ続け、身体に何も取り込むことができないのに、身体から何もかもが引き摺り出される不条理が、理不尽が、それを不可解だと思わせない

滲んだ冷や汗が、自分が生きていることの証明。それだけが、今、こうして存在できていることのありがたさが、恐怖でしか認識できない。


「っ、ル……ぅ…………ふら…フェルモアータ、この先に……何があるの?」


ヒューマの感じ取った恐怖は、悍ましさは、ダーカー二人分の力量を兼ねるヒューマですらも震わせる。

そんなとてつもない恐怖の塊は、間違いなくその道の先にいる。

その感覚は、生い茂る森の中から濁流のように雪崩れ続け、依然ヒューマを恐怖の鎖で縛りつける。


「大丈夫……?」


そんなヒューマとは対称的に、フェルモアータはなんの動揺もなく、ヒューマを心配そうに見つめていた。

産み落とされた恐怖という本能が胎動を始め、ドクドクと刻まれるリズムがひたすらに深淵の闇を深めていく。

森は、木々に遮られているとはいえ、日光に照らされてある程度の明るさを保っている。

しかし、ヒューマから見れば、その道に明るさなど一片たりともなかった。噴き出すプレッシャーの奔流と、物量で押しつぶそうとする、存在するだけでかき鳴らされる不協和音。

絶対に、慣れることはない。

そんな、暗闇。しかし、その邂逅を知らないまま生きていくことも、できないであろう。


震える体に鞭を打ち、震える心に叱咤した。懊悩が精神のリソースを忙殺する中、もういっそ清々しいまでに機能しなくなった人間の部分に任せて突き進む。

握ってくれたフェルモアータの手の温かさが、自分の体温の低さと相まって熱いとすら思える。

知らない感情だ。知るはずのない感情だ。知りたくない感情だ。


「着いた…………気分悪い?…………ごめんなさい……」


しゅんと項垂れてしまうフェルモアータに、否定の言葉を重ねようとして、声が出ないことに気付いた。口腔で生成されるはずの声は、なんの引っ掛かりもなく漏れ出して、ひゅー、というしなだれた風切り音を響かせる。

なんとか首を振ってフェルモアータをフォローして、吸引のうまくいかない呼吸をなんとか安定させる。


「ベッド……用意……」


普段のフェルモアータなら、その準備の先にあるのは食事を兼ねた愛し合いなのだが、こと今に至っては純粋なる心配によるものだろう。それほどまでに、ヒューマの憔悴は激しい。


「こ……こは……?」


森の中、そこは崖であった。まるで空間ごと切断されたように隔たれている切り立った崖は、太陽すら覆い隠すように聳え立ち、いまにも崩れて押しつぶしてきそうなほどの迫力を放っている。

しかし、その崖の本質はそこにない。崖、というより壁と呼んだ方がいいほどの角度で仁王立ちするそれには、ひとつの穴があった。穴は穴でも、洞窟のような粗暴なものではない。


口を開けてヒューマ達を睥睨する穴は、立方体を切り出したように美しく舗装されており、一種の芸術品のような滑らかさが壁面を彩っている。

ここまでの森の中にわざわざ入ってくる人間はいないのだろうが、入口の装飾は過多とは言わないが、決して質素とは言えないものが取り付けられている。装飾にしては無骨であるため、何かしらの接合部品にも見えるそれは、口を開けた獣の牙のように見える。

恐怖もここまでくれば想像力だな、と口をつく軽口も尽きたところで、アジトに入る決心がついた。


「案内、してくれる?」

「うん……」


ヒューマの隠し切れない不調に、煮え切らない表情でフェルモアータが頷く。少女の手を掴んだまま、じわりじわりと距離を詰める。

いざ目の前に立ったところで、中の様子がやっとのことで詳細に見えてきた。

暗いながらも一定の明るさを保っている入口は、間接照明のようなものに照らされており、盲目の闇に誘われることはないだろう。隙間ひとつない精巧な壁面の囲む先、そこには、教会の扉を彷彿とさせる大仰な扉が鎮座していた。


反響する靴音と、内からも外からも聞こえてくる煩わしい呼吸音に苛立ちが募る。扉は、意外にも金属であった。

金属特有の冷たさを感じつつ、ヒューマの手を握った手と逆の手で扉を押すフェルモアータ。ギギギ、という重苦しい音をかき鳴らしながら開かれる扉。その先、幾筋にもわたる光がヒューマの視界を焼いた。


目に飛び込んできたのは、美しい大部屋であった。

吹き抜けのようになっている大きな部屋は、オペラホールのような雰囲気を纏っており、壁に這うようにして取り付けられた足場すらも、美しい装飾に見えた。


「き、れい、だね……」


思わず恐怖を忘れて呆けてしまったヒューマは、声に感嘆を滲ませながら称賛を溢した。

円形にくりぬかれた巨大な部屋。空間といったほうがいいだろうか。

空間の中央にある天蓋付きの巨大なベッドは、車が二台ほど止まってもおかしくないほどの広さがある。しかし、その煌びやかさは群を抜いており、この巨大な空間では少しだけ浮いているように見える。


その背後で存在を主張する階段は、遠目だからこそ小さく見えるが、近づいたときの等身大のサイズは規格外のものだろう。

壁面の崩壊を防ぐためだろうか、無駄なものを削ぎ落とした洗練された補強具が、重なり合って張り付いている。ひとつひとつはシンプルであっても、重なり合った時の幻想的な造形は脳裏に焼き付いて離れない。


「ん……ありがと。」


恥ずかしそうに袖で顔を隠し、赤面する表情でささやかな笑顔を示した。

しかし、依然乱舞する恐怖の源泉は消失しない。むしろ、先ほどより力を増してヒューマに訴えかけてくる。


「ねえ、ここ……何か、あるの?」


それは、酷くアバウトな問いだった。どうとでも受け取れるし、どうとも受け取れないこともあるだろう。けれど、もしそれを捉えてほしいように捉えられるとしたら、それは以心伝心すら超越した気色の悪い何かか、それに大して心当たりがあった時だけ。

そして、今回は後者だった。


「ん、……案内…………する?」


気後れする自分に叱責の冷や汗を垂らし、最早脱力した気持ちで頷いた。



天蓋付きベッド。その下。ベッドより少し小さいほどの穴が開いていた。

ベッドがすっぽりと覆っていうとはいえ、その異質な雰囲気は忘れ難い。普段その上で眠っているフェルモアータの強かさに苦笑しつつ、その穴を覗きこむ。


綺麗な円形に掘られた穴は、このアジトの入り口と同じように壁面が一片のひずみもなくきめ細やかに作られている。


「これは?」


異質にして異常。言えば、この空間こそがそうなのだが、そんな異常空間が入り乱れる中ですら違和感をねじ込んでくるほど鮮烈なもの。

思わず問いかけたヒューマはその質問の不可解さに言いながら気づいた。


ここは、フェルモアータのアジトだ。彼女が生活し、彼女が知り、彼女が練り上げた夢の城。

では、彼女の随分他人行儀な案内の仕方は何だった?まるで自分のものではないかのような諦観した口調。

今、この穴に対しても、フェルモアータは無理解の表情を浮かべている。

それは、まるで自分のものではないようで。

だからこそ、ヒューマは自分の質問がフェルモアータに投げかける質問ではなかったのではないかという懸念に苛まれたのだ。


「そもそも、このアジトって、君が作ったの?」


質問を変えて問うた。それこそ、この巨大空間をどうやって作ったのか。そもそも、作ったのか?

フェルモアータは、ダーカーとはいえ女の子。地の力は非力で、人間の域を出ない。というより、魔女の破壊力でこの空間を掘削できたとしても、このように壁面を美しく研磨して仕上げることが、できるのだろうか。


ダーカーの元来の性質は、ほとんどが破壊である。そこに創造の力が割り込むのであれば、それは創造に特化した異能であり、もはや人間業ではない。

だとするならば。


「見つけた。……住んだ。」

「ぉぅ…………」


何処まで行っても、ダーカーというのはダーカーで、頭の芯の所がどこか歪んでいるのはデフォルトなのだ。それが、突然見つけた正体不明の施設に住み着くことが、当然だと思っていても。


そんな衝撃の事実を聞いて、ヒューマはどこか納得のようなものを得ていた。

嫌に似合わぬベッドの豪華さ、規格外の空間の大きさ。そしてなにより、フェルモアータから感じる、その穴への不気味な畏怖。


「飛び降りる勇気、あったりする?」

「勇気だけなら。…………足、折れる……けど」


きゅるん、とした表情で暗に無理だと語るフェルモアータ。キラキラとした瞳で可愛く主張するその愛くるしい生物を撫でて、羽毛のように軽いその体を抱き、お姫様抱っこの体勢に入る。

それに満足そうに幸福感を滲ませて、フェルモアータがぐりぐりとヒューマの胸板に頬ずりした。


「愛してる。」

「……私も。」


覚悟を決めて、恐怖の渦へと飛び込んだ。

そこは、身体すら動かなかった恐怖の根底。根源。死ですらも生温い。そんな、地獄の底のようなプレッシャーが沈殿する、未開の地。


けれど、愛すべき少女が、胸にいる。愛したい未来が、胸にある。探すべき過去が、胸を焦がす。

馳せるのは、フェルモアータのことと、自分の命題である、この人生の意味。

自分という、キョウシュウ・ヒューマという最大の謎を解き明かすための、絶対的な目標。

行こう。そこに何が在ろうと、彼女は、彼は、彼女は。



暗い、暗い闇の底。

落ち始めて数十秒。数時間落ち続けているのではないかという錯覚すら生まれそうなほどに、その数十秒は体感時間的に引き延ばされていた。


人間というのは、本能的に暗闇に恐怖を抱く。そんな本能レベルの話の中で、ダーカーだけは違うといえる。

彼らは、本能的に闇を好む。それが光量的な話であっても、社会的な話であっても、精神的な話であっても例外ではない。


その典型的な例として、ダーカーの瞳は暗く、泥濘のように濁っている。

それは、瞳に流入して反射するはずの光が、瞳の奥で飲み込まれ、消えゆくことがひとつ。

脳が変質するときにあふれ出た脳髄が、瞳の抗生物質を許容範囲内で変質させるのがひとつ。

なにより、全員が全員。何かに対する期待だとか希望だとかを持っていないことが、ひとつ。


タンッ、と。爽快な靴音を響かせて着地したヒューマは、暗い闇底の凡庸さに若干の拍子抜けを感じていた。

着地と同時に腕の一本くらいは無くなるほどの覚悟と臨戦態勢を発揮しながら下りてきたのだが、暗闇からの反応はない。


「特に何も……ない?」


化け物じみた身体能力を持つダーカーでも、闇を見通すことは難しい。

空気の雰囲気でしか判断できない暗黒の中を、目を凝らしながらヒューマが言う。すれば、フェルモアータがごそごそと巨大な胸元をあさり、きゅぽんっ!と棒状のものを取り出した。

カチカチとボタンを押したフェルモアータがヒューマにそれを渡す。見れば、それは先から光を鋭く切り出しており、暗闇を切り裂く、光のナイフ。小型の懐中電灯であった。


「なんて場所から……でも、ありがとう。」

「ん……」


感謝を述べて額を合わせると、フェルモアータは目を細めて嬉しそうにはにかんだ。

その彼女の表情に若干緊張感を紛らわせつつ、懐中電灯の軌跡を周囲へと向ける。

幕を抜けるように晴れる視界の中、そこに何かめぼしいものはほとんどない。未だに続く綺麗な壁面や床に関心すら覚えながら、フェルモアータを抱えながら懐中電灯を揺らす。


潔癖症の彼女にとっては長時間の接近はきついだろうと思い、ゆっくりと下す意思を視線で伝えると、その小さな手でヒューマの服の首元をきゅっと掴んだ。その無言のおろすな、という意思表示にきゅんとして、ポケットに入れていた消毒スプレーを差し出す。

すれば、少女はヒューマの腕の中で全身を殺菌した。これで負担が少しでも減れば、と希望的観測でその体勢の続行を決定。

そして、それと同時に懐中電灯の軌跡がないかの影を捉えた。


「ッ!?」


過剰なまでの防衛本能がヒューマを突き動かし、全神経がそれに対して敵意を向けた。普通の人間だったらショック死してもおかしくないような殺気。そんなヒューマの全力の威嚇を受けて、聞こえてきたのは小さな息遣いだった。


「誰か……いるのですか?セクタを、見つけてくださったのですか?」


透き通った、母性に満ち溢れた、温かい声だった。

まるで、この世界の全てを、その柔らかい声で包み込んでしまいそうな、奥深く、奥ゆかしい、それでいて、よく通る。暗闇ですら映える、そんな不思議な声だった。


すぐにでも甘えてしまいたい、そんな声であるのにも関わらず、ヒューマは、それが未だ胸を騒がせる声の正体なのだと確信した。

確かに、確かに、ヒューマはその声に温もりを感じ、心の中にすっと侵入を許した。

そして、その声の主の柔らかな雰囲気を確信した。

しかし、同時に、自分が決して向き合ってはいけない。自分が相対してはいけない相手だと、瞬時に悟った。


そしてそれが確信を越えた本能の衝動に変わるのに、大した時間はかからなかった。

声が、続く。


「どうして、そんなに怯えているのですか?」


おかしい、可笑しいおかしいおかしい。

声は、ヒューマが怯えていることを的確に見抜き、今まで人の気配への歓喜に震わせていた声を、瞬時にヒューマを心配する慈愛の声音に切り替えたのだ。それも、なんの打算もなく。

それがどれほど異常なことなのか、どれほどの人間性がないとできないことなのか、ヒューマには、理解できなかった。


そしてなにより、その察しのよさは、人間には不可能なのだ。

懐中電灯が照らす先、木の根のようなものに拘束されている少女は、瞳に拘束具をつけていた。


「っ……」


白く、美しい髪だ。ショートカットの白髪は、闇の中ですら美しく確固とした『白』を主張し、意外にもグラマラスな体系が、ボディライン丸見えのドレスによって露見していた。

いや、意外ではなかったのかもしれない。彼女の胸は柔らかそうに揺れており、そこに色気というものは見えない。どちらかと言えば、それに甘えたいという被、庇護欲とでもいうのだろうか、そんな感情が掻き立てられる。


スリットから覗く白いふとももにも、その美しい輝きからも、情欲の類は生まれない。脳裏でムクリと動き出す感情は、その膝枕の上で眠りたいという、一切の肉欲のない純粋なる願望。


どうにも不思議な印象を受ける少女の目元。装飾の施された帯のようなものが、その目元を覆っていた。

そう、少女は、目の見えていない状態で、ヒューマが怯えていることを悟り、その態度を庇護的なものに変えたのだ。

そんな超人的な察知能力は、もはや人間ではない。しかし、そんなことができてしまう生命体が、この世界には居てしまう。そう、それこそ。


「ダーカー……なの……?」


フェルモアータが、ヒューマの思考を読むようにして口に出した。そう、ダーカー。それは、化け物と言われても何ら違和感のない、超人的な者達だ。

たとえ目を塞がれている状態で近くの人間の雰囲気を見極められても、なんらおかしくはない。むしろ、それくらいできなければ、ダーカー同士の駆け引きに相当なハンデを背負うことになる。

では、この少女はダーカーなのだろうか。瞳を覆う拘束具のせいで、瞳の濁り具合からの判断がつかない。


普通なら、その知覚能力で確実にダーカーだと確信できていたのだろうが、ヒューマには、フェルモアータですらも、それがダーカーなのか判断できなかった。

判断していいのか、迷った。

彼女から、ダーカー特有の壊れた空気を感じられなかったのだ。


「君は一体何者なのか……聞いてもいいかな?」


冷や汗を滲ませながら、ヒューマはできるだけ普段通りの態度と虚勢でもって少女に問いかけた。


「セクタは、セクタ。ただのセクタです。」


少女は、セクタは答える。


「人類を、滅ぼしてしまえる、大罪人。それが、セクタです。」


酷く陳腐な脅し文句。されど、否定できない説得力。闇は、深まっていく。



女は、普通の家庭に生まれた。

父に愛され、母に甘え、弟を守った。そんな一般家庭。所得も平均値であったため、裕福すぎず貧困してもいない、模範的な家庭だ。

そんな家庭の中で、女、(ふう) 隣杯(りんはい)は育った。

至って普通の家庭で彼女が培った人生観は、退屈ということだけであった。


エロも、グロも、彼女の両親は厳しく規制した。抑制されればしたくなってしまうのが人間というものだ。彼女は、順調に電化製品への理解を深めていった。天才的な頭脳の開花は、電子的なプロテクトを解くための思考から始まった。


ネットに転がっている性に塗れた惨状を、愉悦に犯された崩壊した肢体を、その目で見て、感じたい。

しかし、そんなサイトには当然子供への表示を制限する鍵がかけられている。それに対して、彼女は解決策を導き出した。


電子機器自体のアカウントを削除して、新たに自分専用のアカウントを作成。本当の意味で、その電子機器を自分のものにしたのだ。

作り変えて、自分のものにする。その突破したプロテクトを前に、彼女は感じたことのない達成感と、開放感を味わっていた。これが、物を歪めるという行為なのか、これが支配するということなのか、そんな感情が、胸中で滾り、渦巻き、発破したのだ。

彼女の間違いのないルーツ。それは、ほんの少しの、ルールへの反逆だった。


「申し訳ありません、少し、お時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」

『り、リオンちゃん……?私のこと、嫌になっちゃった……うぅ……ごめんねぇ……』

「いいえ!そんな、滅相もない……セクタについてお聞きしたいことがあるのですが……」


脳の浮かぶ培養器の中には、緑色の液体が泡をくゆらせながら流動し、その巨大な水槽の前で首を垂れる白衣の女は、それに対して淫蕩した様子で目を細めた。


今は変わり果てた姿、魔女が『デュカイオ・シュレー』を離れるとき、彼女は随分色気のない言葉で脱退を引き留めた。しかし、魔女は研究所内の施設をすべて把握していた。

隣杯(りんはい)の管轄ではない区画まで誘い込まれ、実験中の無人機に叩き潰され、彼女は腕を失った。

そのため、隣杯(りんはい)は一時期、腕に義手を付けた状態で研究を続けていた。

そのあとの襲撃によって脳以外をぐちゃぐちゃにされたことで霞んでいるが、彼女はすでに十分すぎるくらい魔女へのトラウマを募らせているのだ。


そんな隣杯(りんはい)を恍惚とした表情で視姦する白衣の女。レベリリオン・サブレリア、隣杯(りんはい)からはリオンと呼ばれている女は、先日の隣杯(りんはい)からの命令を遂行する上での不都合を嘆き、卑しい身ながら問いを持ってきたのだ。

人類を滅ぼせるほどのダーカー、セクタとは、何者なのか。

リオンの問いは、どう曲がりくねっても、そこに帰着する。


『セクタちゃんは……とってもすごいダーカーなの。……ヒューマくんと同じくらい…………ううん、もしかしたらそれ以上の力を持った、とってもすごい異能の……』


セクタ。人類を滅ぼすための、『デュカイオ・シュレー』最大の概念的殺戮能力を持った、最強に到達しうるダーカー。

その危険性は、隣杯(りんはい)ですら恐れるほどであり、来る時までは幽閉施設に収監している。

それも、超級の拘束具をつけて。心を痛めながら隣杯(りんはい)主導のもと行われた封印作業。

それに関わった関係者は、全員が、ただの一つの例外なく、爆発事故に巻き込まれて死亡した。もちろん、しっかりと作業が済んだ後に。


『デュカイオ・シュレー』、下手すればこの世界の爆弾であるダーカー。そんな強大な異能を宿した彼女は、一体何の想いを宿しているのだろうか。


「異能、というのは……」

『あの子は、……【愛する人】の異能を宿してるの……うぅ……わかりにくいよねぇ……ごめんねぇ……』

「愛する……人……!?」


ダーカーの異能の強さは、その想いの大きさ、深さ、特異さで決まる。

例えば、十人の想いを募らせた異能と、百人の想いを募らせた異能。いわずもがな、強力な異能になるのは後者だ。同じく、これが数千単位で構築されるのがダーカーの異能受胎。


通常のダーカーは、例えば【魔女】であったり、【淫魔】であったり、ひどく局所的な思想が多い。

西洋国の影響を色濃く受けた地域では、魔女という想いが構築されやすい。

逆に、色街などの性に対してオープンな場所では、淫魔のような所謂肉欲に対する想いが強かったりする。


しかし、そんな文化面を考慮してなお、セクタの宿した異能は想いの数が多すぎる。

死ぬ瞬間の想いを収束させる異能。死ぬ瞬間に愛する人を想うのは、どんな人間でも持ち合わせる感情だ。その異能は一体、どれほどの人数の想いを内包している?それに比例する思いの深さは、どんな強大な能力を発現させるのか。


「彼女が、セクタが人類を滅ぼせるというのは、たった一瞬で、ということなのですか?」


震えながら、リオンは隣杯(りんはい)に問うた。

人類を滅ぼせる。そんな語り口で明かされたセクタの運用。しかし、リオンの推測とその異能の本質は、凄まじく乖離していた。

リオンから言わせれば、人類を滅ぼせるほどの破壊力を持っている、という都市破壊レベルの話だと思っていたのだ。

しかし、今聞かされた話を額面通り捉えるのなら、隣杯(りんはい)はどうにも、こういっているように見える。


セクタの異能は、問答無用で、全人類を一瞬にして滅ぼせる、と。


『セクタちゃんは、……そうだよ。……きっと、一瞬すらかからないの……すごいよね、私にはもったいないよ……うぅ……』


口角が自然に上がる。抑えられない。その事実に心の中のはしたない部分が震えている。

どうしようもないほどに、それがとてつもない異能の力なのだと、本能が理解した。それこそ、全知全能を支配したような、高揚感。


馬鹿じゃねえの、そんな言葉が、リオンの脳裏をよぎった。それは、人に向けたものではない。紛れもない、異能そのものに向かって言ったものだ。そう、その反則級の力の強大さに向けて、思わず悪態を吐いてしまったのだ。

セクタという怪物は、本当に、数十億人の命を掌握することができるのだ。それこそ、滅ぼすことですらも、容易なくらいに。

本当に、皮肉なほどに。



暗い闇。孤独の中、盲目の中、それを恐れ、それを悲観し、それに終焉を望んだ。

まるで、それを否定するように。


視界を覆う拘束具の力は大きく、感情という機能が徐々に減衰し、自分が自分でなくなるような。自分が変わっていくことを、容認してしまうような気の狂いそうな作業が、無際限に繰り返された。


「人類を、滅ぼせる……?」


そんな地獄の底で、少女は、セクタはいつ以来かも忘れてしまった光を見つけた。

それがなくなってしまう可能性があった。しかし、だからといって嘘を吐くことを許したのなら、本当にセクタは自分を認識できなくなる。


震えるセクタに、怖れの臨界点に到達したヒューマが再度説明を求めた。それほどに、セクタの言ったことは信じられなかった。

国ひとつが滅んだ『フレンダーの審判』。あの大厄災ですら、その後の世界はダーカーによってここまでの混沌を強いられているのだ。それなのに、人類全てを滅ぼせるなど、地球の命運すら握っているに等しい。


「セクタは、【愛する人】のダーカー。紛れもない、最強のダーカーが、セクタなのです。」


セクタの独白は、まるで罪を吐露するようなやるせなさ、または、それに準ずる恐怖や罪悪感に彩られて、痛々しく響いていた。


最強とは。最強という称号は、最も強いという証明。

『強さ』というピラミッドの頂点に立ち、その下に燻るものたちを睥睨する、それは誇り高く、羨望されるべき称号だ。


誰も自分に届かない。誰も自分を止められない。誰も自分に刃向わない。そんな、孤独と孤高のまだ先、それ以上の高みをなくした、本当の自己の世界。それ以上も、それ以下もない。ただ、自分しかいない世界。

その景色を見れるものは、限りなく少ない。

その景色で何を見るのか、何を見せてもらえるのか、何を見たいのか、想うことすら恐れ多い。それは紛れもない、畏怖の最高潮。消えることのない、憧憬。


それなのに、どうしてセクタは、そんな悲しそうな顔をする?

ヒューマは、最強という言葉に惹かれる。それが健全な男児の精神なのか、それともダーカーとしての本質、本能なのかはわからないが、自分が最強という高みに至ったとき、そんな愉快なことはないと大笑いするはずだ。こんな、悲哀に彩られたひび割れた表情を、自分が容認するわけがない。


「どうして、君はそんなに、悲しそうな顔をするの?」


どうしても、聞きたかった。聞かずにはいられなかった。

笑うべきだ、誇るべきだ、威張るべきだ。もっと、その力を、誇示するべきだ。

どうして、どうして、どうして。どうして。

そんなヒューマの純粋な疑問に、セクタは自嘲気味な笑みを浮かべて語りだした。


「セクタのような矮小な人間が、……こんな醜い人間が、この地球の皆様の命を弄ぶことができる。それが、申し訳なくて仕方ないのです。そんな力を振るえることが、怖いのです。だから、セクタは…………悲しい。いっそ、死んでしまいたいほどに。」


彼女の語る内容に、ヒューマは一瞬たりとも共感できなかった。それが、強大な力を持ったセクタにしかわからない苦悩だというのは、分かっている。

しかし、見えない。

そこまでの力をもってしてなお自分を矮小と騙る彼女の驕りに、ヒューマは不可解の嗚咽すら予感した。


セクタは、そんな胸の内を吐露して、言いながら徐々に表情に募らせていた悲しみを振り落していった。最後には真っ新な笑顔になった少女。しかし、彼女がその悲しみを振り払ったのではなく、徐々に隠していったのだというのは、ヒューマにでもわかった。


「簡単なのです。こうして、包み込むだけでいい。」


セクタは、再燃し始める悲しみを消化するように、笑顔の仮面を笑みに昇華して、しなやかな両手を虚空いっぱいに広げた。

その腕の中に、何かが見えたわけではない。しかし、その腕が、とてつもなく大きなものを掴んでいるのが、抱えているのが分かった。彼女の抱擁が、人類すら包み込んでしまっても驚かないほどに。


「そうして、セクタは、セクタに包み込まれたみんなと同じになれる。この時だけは、セクタは、普通の女の子になれる。」


己の豊かな胸に手を添えて、頬を綻ばせたセクタはそのうたかたの温かさと、消え去ってしまう儚い『自分』を抱きしめて、本当に嬉しそうにヒューマに視線を向けた。


ぱっとその両手を下せば、先ほどまでの至高の表情は霧散し、貪った分の幸福が、虚無感となって自分に返ってくる。ふっと消失したのは、彼女の幸福感。

しかし、それだけとは思えなかった。世界から、何かが消えてしまったような感覚。

歪んだ世界から凹凸が消え、その現象が消える。


「セクタは、最強が嫌いなのです。だから、こうして一人で……」


ほろり。意図せずというべきか。拘束具の中で潤んでいたのだろうか。我慢の利かなくなった涙腺のダムが仕事を放棄。涙の質量に瞳のダムを決壊させる。拘束具の隙間を縫ってあふれ出してくる涙は、その端正な顔立ちを滑り落ち、暗い地面に雫を弾けさせる。


「ひぐ、んぐ、」と、人の良心を掻きむしって、倫理観にヒビを入れる悲しい嗚咽が、今となっては迂遠となったダーカーとしての宿命を否定する。否定して、否定しきれなくて、それはただの拒絶に留まり、セクタの自立していた活力を奪い去り、少女を地面にはり倒した。

冷たい床に膝を落とし、震える両手で涙を拭う。


「あなたはすごい。」


決して収まってはいない。しかし、もう大丈夫だという前提をヒューマたちに押しつけ、それ以上の言及は、この涙の存在は証明させないと、見えない瞳がじっとヒューマたちを睥睨する。そして、セクタはヒューマに小さく、一筋の羨望を滲ませた。


「そこまでの力を持っていらっしゃるのに、決して自分を忘れない。異能に、依存なさらない。」

「不気味だって、思う?」


セクタはきっと、なんの含みもなく、本当に感心してそう言った。しかし、ヒューマの中の自我が、彼女に称賛された自我が、それは本当の言葉か?なにかのブラフか?そんな言葉を投げかけてくる。囁いて、ヒューマという自己を形成する。


ヒューマのその問いかけに、まさか、と首を振るセクタ。そして、数瞬の空白を経て、セクタは云う。


「ゆー、のう。そう、思います。」


詰まった言葉。それは、涙によってぶれる声が、喉元を突いたからだろう。一度、言葉を蹴ってしまってもよかった。掠れた声で、ぶつ切りの声音で、しかし、それを中断することを、セクタ自身が許さなかった。それだけは、伝えないといけない。それだけは、知っておいてほしい。

にこり、と。言って、セクタは少しだけむせた後に立ち上がった。そうして、また闇に消えていく。

輪郭が闇に侵され、色彩が暗黒に犯され、少女は消えた。



「あんな場所があるって知らずに生活してたの?」


とは、フェルモアータのアジトから出て、いやに広く作られた自然公園で放たれた、ヒューマの当然の疑問だった。

フェルモアータのアジトと言われて赴いたものの、そこはヤバいダーカーを封じ込めていた封印施設で、そこをまるで自分の家のように改造して生活していたフェルモアータの図太さには、呆れすら出なかった。


「ん……お、怒っ、た……?」


すれば、ヒューマの態度が怒っているからだと勘違いしたフェルモアータが、不安そうに袖を掴んだ。

ベンチに隣り合う二人の間には、ほぼ距離がない。そんな至近距離で、まだ足りないと空間を詰める。そんな不安が、フェルモアータの声を詰まらせた。


いつものようにあざとく首を傾げないあたり、本当に不安だったのだろう。潤んだ瞳はすでに若干の放水を始めていて、掴まれた袖にある震えは、収まる様子がなかった。


「お、怒ってないよ。ただ、セクタが何者なのか、気になっただけ。」


そう、論点はヒューマの怒りにない。セクタだ。

人類を滅ぼすことができる最強のダーカーにして、最悪の罪人。あんな場所に囚われていて、あんな悲しい絶唱を聞いてしまえば、信じずにはいられない。彼女は、世界最恐のダーカーだ、と。


「もし本当に人類を滅ぼせるなら、僕の目的に差し支える。」

「処分……しないと?」

「できればしたくないけどね。あれが研究所側についたら、魔女陣営でも勝てない可能性が高い。」


人類を滅ぼせる。彼女のいう人類にダーカーが含まれているかは分からないが、もしダーカー含めて殺すことができるなら、彼女が人類を滅ぼすときヒューマまで巻きこんで殺すことになる。

それに、いくら最強と言っても、ダーカーたちにまで無理解の死を享受することができるというのは、些か出来すぎた異能だ。

その異能がダーカーに作用しない可能性は、ゼロではないだろう。


希望的観測と言われてしまえばその通りだが、可能性としてはあったとしても不思議ではない。

そうでなければ、魔女率いる天使、ヒューマ、淫魔の陣営は、その圧倒的な力に対抗できるとは思わない。


ヒューマの脳裏に、今のうちに始末した方が楽なのではという考えが閃く。しかし、同時に、人類の無益さに関しても、ヒューマは理解している。

人間が死に絶えたとして、これまで人間が管理していた施設も社会も、ヒューマは全てを完全に管理できると自負している。ここまで文明を築き上げてきたことに感心こそすれ、彼らの存命に大した関心を向けるほど、ヒューマは人類に執着がなかった。ただ、一人の少女を除いて。


「とりあえず、もう少しセクタのことが知りたいな。明日、もう一回行ってみる。君も、今日はホテルに泊まろう。あそこには、あんまり戻ってほしくない。」


ヒューマはフェルモアータをすっと抱き上げ、純粋な心配を口にした。

この田舎ですら馬鹿にされそうな秘境に、ホテルなどという大それたものはないだろう。何本か電車をまたぐことになるだろうが、あのアジトに戻るよりはましだ。

ヒューマはそのまま駅への道を歩き始める。

その夜、二人が嫌になるほど盛りあったのは、言うまでもない。



「あーあー、聞こえてる?」


暗闇。上半身裸の青年は、小さな声でイヤホンに内蔵されたマイクに問いかけた。

彼の前には、間接照明とパソコンがぎりぎり乗るくらいの小さな机。そこに鎮座するノートパソコンには、暗闇を切り裂く『sound only』の文字。

防音性能に優れているタイプのホテルだからと言って、普通通りの声を出すわけにはいかない。

なぜならば、青年の腰かけるベッドには、生まれたままの姿を扇情的に汚した淫魔の少女が眠っているからだ。

シャワーを浴びる元気もなく眠ってしまった少女に気を遣って、青年は小さな声で話さざるを得なかったのだった。


『聞こえているわ。ごめんなさいね、わざわざこんな方法で。魔女の名折れだわ。』

「こちらこそ、こんな時間にごめん。思った以上に盛り上がっちゃって……」

『やめなさいッ!』


呼吸の中に巧みに織り交ぜられた下ネタに声を荒げる魔女。ヒューマはそれに対して特になんの感情もなく微笑んだ。強いて言うとするならば、こんな時間に相談を持ちかけたことくらいだろうか。


『というか、こちらも、作戦会議で夜通し起きてたところよ。むしろイケメンの美声でリフレッシュできてよかったわ。ありがとう。』


魔女ですら軽口をこぼすほどに困窮した状況なのだろうか。

『デュカイオ・シュレー』に対しての知識をほとんど持ち合わせていないヒューマたちは、作戦の立案ができない。よって、この研究所襲撃の段取りは、魔女とレンゲルに任せきりになっている。


「僕の声でできるんだったら、十二分に回復してほしいな。愛でも囁こうか?」

『面白い冗談言うのね。でも、悪くないわ。ふふ……』


魔女の声からは、緊迫した空気が抜けて、本当に若干の息抜きになっているように思える。それに微かに表情を明るくしながら、ヒューマは彼女の音声の奥でなるそれを見逃さなかった。


タイピング音。魔女は、ヒューマとの談笑の間も、絶えることなく演算を重ねている。そうして、『デュカイオ・シュレー』の綻びを徐々に広げている。

元はと言えば彼女たちだけの計画。魔女たちだけで出来ない仕事量ではないのだろうが、それが随分と苛酷だというのは、魔女の特段低い声からでも充分読み取れた。


「だめ…………」


と、そんなことを憂うヒューマの丸出しの背中に、フェルモアータが甘えるように縋りついた。

それは、ヒューマが他の雌に尻尾を振ろうとする様を許さない、もはや嫁の如き嫉妬だった。あまりの可愛さにムラつくも、なんとかそれを理性で制し、イヤホンをいったん外してフェルモアータの身体を持ち上げる。手から零れ落ちそうなフワフワの感触。瑞々しい肉感。指が沈む。

そのままされるがままの愛らしい生物を己の膝に乗せ、再びイヤホンを付ける。


「それで、話なんだけど……」

『ええ、何かしら?』


現在進行形で交わされる丑三つ時の密談。それは、ヒューマからコンタクトを取って行われたものだった。

もちろん、議題はセクタ。世界最恐(さいきょう)のダーカーについて。


『最強の、ダーカー?自分で、そう名乗ったの?』

「うん。その力が怖いとも言ってた。」


一通りの事情を、時系列に沿って話せば、返ってきたのは困惑した魔女の質問だった。

フェルモアータのアジト事情について大して言及してこなかったのは、さすがダーカーというところか。

と、まあセクタに関しての報告を済ませたヒューマに、もう提供できる情報はない。セクタの微かな言動を簡潔に伝えて、ねぎらいの言葉をかけようとしたとき、魔女がポツリと呟いた。


『彼女……セクタは、拘束されていたの?』

「え?うん……確か、黒い目隠しみたいな……」


セクタは、拘束具を瞳につけていた。

白い髪と青白い肌に映えるモノクロの色彩美は、未だ鮮明にヒューマの脳内に刻まれていた。その目隠しの拘束具のデザインも含めて。


『やられたわね……』

「え?」


ぎり、と、くぐもった音で伝えられるのは、悔恨の、というより、苦渋の末絞り出された悪態。

爪をむしり取る勢いで指先に歯を立てる魔女。回線を通したヒューマにも聞こえるほどだ。それがどれほどの力だったのかは、それがどれほどの悔しさを、焦りを孕んだものだったかは、思考のプロセスすら必要ないほどダイレクトに伝わってきた。


その後、キーボードを激しく打ち鳴らす音が、眠そうなフェルモアータの上に待ち受けるヒューマに届く。

それは八つ当たりほど考えなしの打鍵ではない。慌てすぎた故の、稚拙なタイピング。それは、魔女の動揺を何よりも如実に表すものだった。


数十秒のキーボードとマウスのソリを堪能していると、ヒューマの眼前で場違いな光を発散するパソコンに何かのデータが送られてきた。

幾重にもかけられたセキュリティソフトがその内容を精査して、安全が証明された世界一安全なデータに、ヒューマは急かされるように目を通した。


「人口削減予想プロセス?」


タイトルに太字で示される文字を復唱すれば、それがどれほど荒唐無稽なことなのかすぐに理解が追いつく。しかし、さらにそれを乗り越えてくる懸念がヒューマの脳裏を塗りつぶす。そう、人口削減どころか、人類滅亡を可能とする異能を、ヒューマは知っているから。


『私が研究所にいたとき、新機種のスーパーコンピュータのデモで行われた、お遊びのような実験データよ。だけど、本当に人口を削減できるとしたら、人類を滅ぼせるとしたら、このデータは、絶対的なものになる。だってこれは、世界最高峰の頭脳と、銀河すら解き明かすスーパーコンピュータが導き出した、半ば事実のようなものだから。』


魔女が危惧するその実験データ。そこには、人口を削減することで起きる利益、不利益。そして、そこから派生する『デュカイオ・シュレー』の世界征服への道のり。

魔女が言った通り、それはお遊びのようなものだったのだろう。実現不可能な案が敷き詰められた産業廃棄物のデータ。それでも、セクタの要素が加わるだけで、そのデータがとてつもなく現実的な実験結果に見えてくる。


『それに、この実験、どうしてかやけにしっかりと行われたの。遊びだとは思えないくらいに。』


世界最高峰の研究所だという点を差し引いても、そのデモンストレーションの実験は不自然なくらいに完璧に行われた。演算予測を約七億回繰り返し、そこに微かな変化を付けた実験をさらに数億回。それを同時に行えるスペックはあるが、やけに時間がかかったことを、魔女は覚えていた。


『あいつら、もしかして……』


導き出される結論。

魔女が研究所を見限って、(ふう) 隣杯(りんはい)の両腕を土産としてフリーとなったのが、研究所がヒューマの異能回収に躍起になりだした頃。ほぼ同時期に、魔女が行った『デュカイオ・シュレー』での最後の実験。それが、人口削減予想プロセス。

一際優秀だった魔女に任された時点で、ただのデモンストレーションではないのでは、と邪推されていたが、それ以上のとんでもない何かを孕んでいた。

なぜなら、研究所はその時、既にダーカーの存在に触れていた。


「その段階で、セクタを完成させていた?」


死者の想いを集める中で、強力な原初の想いを消失した研究所側は、ヒューマの原初の異能を集める裏で、密かに異能開発を行っていた。世界最恐のダーカー、セクタの異能開発。

少しでも早く演算結果を知りたかった研究所は、デモンストレーションとして、セクタ運用の計画を立てた。それがたとえ予備、伝家の宝刀的な計画になったとしても、強大な力に変わりはない。

セクタを運用して、その後に世界がどうなるのか、自分たちがどれほど動くことができるのか、実験によって導き出した。

そして、その計画の実行の時まで、セクタを幽閉した。それこそ、現在のフェルモアータのアジト。


『セクタは、研究所側の人間よ……』


それは、いっそ清々しいまでに無慈悲な言葉だった。

セクタの運用計画をそこまで綺麗に詰められれば、信じざるを得ない。目を通せば通すほど、その演算の条件がセクタに当てはまる。

人口が削減される原因が、突然の人間の消失であったり、人口が減り、最終的に人類が滅亡するという結果が出た後に、なぜか研究者の動きが演算されていたり、その結果から、ダーカーの匂いしかしない。


「研究所は、人類の命を握っている……ッ!?そうだ、魔女さん、この計画って」

『そう、希望はあるみたいね。』


絶望の淵、沈みかけた魔女陣営を掴み、持ち上げたのは、皮肉にもその実験結果の報告書だった。

そんなマッチポンプな報告書、ヒューマが指差すパソコンの画面。そして、魔女の視線が差す報告書の記載。それは、全く同じところを示している。


約八億人ずつ削減されていく実験結果。これは、実験結果を見た者に、できるだけセクタを悟らせないためのブラフだろう。事実、それを突然の人類滅亡に置き換えても矛盾は発生しない。そのため、セクタの即時人類滅亡に値する能力は本物。


しかし、ヒューマたちが目を付けたのはそのあとだ。

人類が完全に滅亡した世界で、『デュカイオ・シュレー』が世界唯一の国となる計画。

その国民は、図解通りに数えるなら十人。


魔女、レンゲル、ヒューマ、フェルモアータ、リゲル、隣杯(りんはい)。現在可能性のある六人と、残りの四人が研究所側にいてもおかしくはない。つまり、研究所は、人類を滅ぼしてダーカーだけの国を作る。そして、国の支配下に置くことで、ヒューマの異能を蒐集するという計画にシフトした、というわけだ。


「だから、セクタの異能は、ダーカーには効かない。」

『もしセクタが使われても、なんとかなるにはなる。けど、』

「うん。僕の目的が遂げられなくなる。だから、できるだけその可能性は無くしたい。」


魔女も、ヒューマも、それぞれの目的でもって人類の滅亡に一縷の待ったをかける。その目的を、互いに明かすことも、明かされることもない。だからこそ、運命は合致した。目的は合致した。思想も合致した。


「ごめんね、……セクタ。」


無感情で、無表情で、無感動で、ヒューマはフェルモアータを撫でながら、届くはずのない謝罪を述べた。

果たして、届いたとしても、届かせない方がいい部類のものだということに、変わりはなかったのだが。



セクタの装着する拘束具は、(ふう) 隣杯(りんはい)の開発した異能抑制装置だ。

ダーカーの異能発動には、多少なりエネルギーを必要とする。それがどんな形を取っていても問題はないが、何処から徴収されるのかは、非常に重要な問題になる。

ダーカーが異能を発動するとき、その異能発動に用いられるエネルギーはダーカー自身の身体から徴収されるのだ。


だから、異能を使い続ければ身体は衰弱していくし、身体にエネルギーをできるだけ溜めていた方が異能戦では有利になれる。ただそれだけでいいというわけではないが、異能を長時間、超火力で運用できるならば、それは核兵器にも到達しうる人間兵器だ。もはや人間と呼ぶことすらおぞましい化け物となる。


そんなダーカーたちの異能事情に、(ふう) 隣杯(りんはい)は目を付けた。

高エネルギーを放出するダーカーが、自分の身体のエネルギーだけでそれを発動することができるのか?

魔女の魔法も、レンゲルの物質変換も、そこには多大なエネルギーがかかっているはずだ。

魔女に関しては、あの超火力を連射するという爆撃機並みの力がある。それをたった一人の身体から賄うというのは、些か現実的ではなかった。


つまり、ダーカーは自分以外の所からエネルギーを徴収して異能の力を振るっている。

そこで、ダーカーの身体的特徴について着目すると、その目に不可解なものが見えてくる。ダーカーの瞳には、光というものが宿らない。

それは、反射するはずの光を眼球に混入した脳髄が拒んでいる、という原因が一つ。

もうひとつは、瞳の奥で吸収されているのだ。

では、どうして光を吸収しようとする?それこそ、ダーカーのエネルギー運用の要であり、彼らを異能たらしめているものに他ならない。


そう、ダーカーは、瞳から光エネルギーを吸収し、異能を扱っているのだ。

ダーカーが闇を本能的に好むのは、絶対的に異能という恐怖から逃れられるという点が大きいのだろう。誰かの異能からも、自分の異能からも。


光を取り込んで、闇の世界を生きる。そんな矛盾した生き方を、ダーカーという生命体は選んだのだ。

そのため、(ふう) 隣杯(りんはい)の開発した拘束具は実にシンプルだ。

完全に光を遮断する遮光繊維、そしてそれ自体をセクタの頭に固定する絶対的な安全装置。機能的に言えばそれしかない。


一度の異能発動が強力なセクタは、自分の身体の中のエネルギーだけでは何もできない。だからこそ、セクタはあの場所で一切の異能の発動を制限される。

世界最恐だからこそ、一度のエネルギー消費の多い最強にだからこそ通用する異能遮断。

それは、通常のダーカーにだったら体内エネルギーの使用で異能発動を促され、いともたやすく壊されてしまう不完全な拘束。そんな皮肉で非力な、拘束具。


「こんなデータが……」

「流石の情報屋のハッキングでも、ここまでの情報しかわからないわよね。」


翌朝。電車を乗り継いで魔女たちのアジトである地下水道に来たヒューマたちは再びセクタについての議論を重ねていた。

落胆、とまではいかないが、微かな心労に眉間を揉む魔女が、隈のついた目でフェルモアータを見た。


情報屋のハッキング。現在、魔女陣営の中で一番のプロテクト突破力を持っているのは情報屋であるフェルモアータだ。

しかし、そんなフェルモアータですら、情報はここまでしか掠め取れず、『デュカイオ・シュレー』の完全なる攻略には届かない。


魔女に迂遠ながら称賛されたハッキング能力。

それは、彼女の言うほど大したものではなく、フェルモアータはマウスを数回クリックしてハッキングソフトを立ち上げ、ヒューマと大人の遊びをしていただけなのだが、それを口に出すような手間を許容する彼女ではない。

特に何も言わずヒューマの膝に座り、精力剤を飲んでいる。

ヒューマとの後は決まってそうなるのだが、今となっては見慣れた光景だ。


「でも、研究所側がその異能をなんとか制御してるってことが分かっただけで僥倖だわ。セクタの一存で人類が突然消え去るってこともないってことだし。」


研究所側が人類の存続権を握っているというのはぞっとしない話だが、逆に考えれば研究所側がその気にならなければ人類滅亡は成し得ないわけだ。ただの少女であるセクタに管理されるより、組織ぐるみである研究所が管理していた方が、まだ安心というものだ。


「まあ、確かに。でも、結局セクタの能力はなんなんだろう?人類を消し去るって言っても、物理的に?それともなにかもっとふわっとした感じで?」

「……そう、ね。……」


セクタの異能の根源は【愛する人】。では、その異能というのがどんな能力なのか、ヒューマ達には皆目見当もつかなかった。

それもそうだ。彼らに示された能力のヒントは『人類を滅ぼせる』という一点のみ。どのような過程でもってそんな大厄災を引き出せるのか、そのプロセス、能力、方法には全く心当たりがなかった。


もしあるとすれば、魔女のような超火力を、同時に地球全土にふりまくことのできる絨毯爆撃。

しかし、これはダーカーにも効果のある物だろう。研究所側のデータと食い違うため、考えにくい。

それ以外の方法と言えば、細菌兵器や精神操作での戦争の誘発なども考えられるが、確実的ではないパンデミックも、確定的ではない殺戮も、あそこまでの確固とした言葉をセクタに言わせるには弱い。

だとするのなら、セクタの能力は概念的に作用するもの。

もはやダーカーの異能すら超越する、想像もつかない能力である可能性が高い。


「あレは、多分私とおンなじタイプの異能だ。」


と、そう発言したのは、椅子に膝を立てパソコンを打つレンゲルだった。意外なところからの言及に唖然とするヒューマを置き去りにして、荒っぽい口調でレンゲルは続ける。


「そのド糞変態みたイに、あり得る事象を引き起こシたり、この世界に元々あルものを弄ったりスるモンじゃねェ。」


耳にかけたマスクをぐいぐいと引っ張って、レンゲルはたどたどしいながらも自分の見解を述べる。

魔女の異能。それは、魔法の行使だ。魔女が扱える魔法は、系統だとか名前だとかのカテゴライズはないが、そのほとんどが彼女のイメージから形作られる。

燃やそうと考えれば火を、窒息させようとすれば水を、破壊をイメージすれば正体不明のエネルギーを。しかし、そのどれもが、この世界を使って起こされる、あり得なくはない、間違いなくそこに存在する攻撃手段だ。

それは、レンゲルの物質変換とは異なる。


「私の能力は、その物質にアる善だとか悪だトか、そレを概念で捉エて弄る。そいつみてェに、物理的なモンじゃねェ。」


魔女の異能が世界に存在するものに干渉する力だとしたら、天使の異能は世界自体を弄る力。それこそ、目に見えない概念を弄る力。

どちらが強力か、という議論は、その個々の能力が千差万別すぎて判断できないが、人類というくくりを概念として捉えるとしたら、その議論の唯一のルールはなくなる。何の憂慮なく、概念操作の圧勝だ。


「しかし、例えば概念を掌握するとして、彼女はその概念をどんなふうに弄るんだろう?」


結局、議論は最初の議題に戻ってくる。セクタは、どのような方法で人類という概念を縛っているのか。作用しようとするのか。人類を、滅ぼすのか。


終わりの出ない議論を悟った魔女は、気を遣って、それを悟らせないように手を叩いた。

もちろん、最初から頼みたかったということは確かなのだろうが、そのタイミングの良さには感心させられる。そう、魔女は思案するヒューマに、電子通貨のカードを差し出したのだ。


「味方がほしい。ありったけのダーカーを、って言っても、あと二人だけど。」

「もしかして!」

「ええ。仲間にしてきて。趣味悪の魔法少女と、」


魔女は嬉しそうなヒューマとは対照的に、あまり気の進まない顔で云う。宿敵の、憎き粛清の、かつての敵の名を。


「くそったれのナイト・リゲルを。」


ヒューマとそれを救った少女、ナイトの、再開の芽吹きであった。


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