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Mr.DARKER STRANGE  作者: 事故口帝
Mr.Darker Strange
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Mr.DARKER STRANGE プロローグ『ダーカー』


曇天の最中(さなか)。微かに上がった火の手が、その暗闇に明かりを宿した。しかし、それは人々の希望足り得ない。それは、またひとつ、この世界を形作る何かが、壊されてしまったことを示しているから。

爆炎、粉塵、黒煙。空を覆い尽くすそれらが、互いに互いを手繰り寄せ、互いに混ざり合い、互いに壊し合う。街を取り巻いて行われる災害のじゃれ合いは、些か大きすぎる犠牲を伴って、地獄絵図の様相を呈していた。


「ヒューマ!」


そんな阿鼻叫喚の中を、少年が一人。乾ききった血液に頬を汚し、油と煤を纏ったその少年は、己の名を呼ぶ声に小さく駆けだす。

黒髪、黒瞳。周囲の人間の容姿から見ると珍しい少年の容姿は、きっと周りから美少年と称される類のものだった。もちろん、まだ一桁年ほどしか生きていない子供ではあるのだが、成長した時どれほどの美貌になっているのか楽しみになるほどには、彼には魔性の魅力が備わっていた。


ボロボロの靴を脱ぎ捨て、布きれとなった服で煙を切り、右往左往する人ごみの中を器用に駆ける。

煉瓦の敷き詰められた大通りは、既にクレーターに侵食されており、まだ無傷の箇所を探す方が難しい。


「アリィ!」


少年の声が、明るく木霊する。そうして辿り着いた先、少年を心配そうに見つめる双眸が優しく手を伸ばす。

これまた整った顔立ちと、闇の中でも煌々と存在を主張する金髪。少年とあまり年は変わらないほどの体格だが、その表情や仕草から、精神面での成熟は普通より早いことが伺える。

短く切りそろえた髪に、男勝りな豪快な笑い方。けれど女性的な美しい手。性別の判定がつかない。しかし、少年にとっては確固とした拠り所であり、この薄暗い闇の中での一縷の希望だった。


「もう、この都市は終わりだ。孤児院も焼けたし、隣杯(りんはい)先生も……」

「そんな……」


絶望に(ひた)された街の中、幼い子供たちに降りかかる不安は、恐怖は、悲哀は、計り知れないほど大きいものだろう。現に今、二人の子供が、その純粋無垢な瞳を絶望で陰らせている。

再び、少し離れた場所のビルが吹き飛ぶ。繊細な石細工によって形作られていた美しい装飾の数々は、今や人々の命を刈り取る無慈悲な瓦礫に成り果て、醜い亡骸を量産する。

降り注ぐ瓦礫に晒され続けるわけにもいかず、今だけはその絶望を振り払って、心に残っている絞りかすのようなエネルギーをなんとか足に回す。

きっと、皆その選択をしたのだろう。立ちすくんでいた人々のほとんどが、同じ方向へと走り始めた。おそらく、向かう先はフレンダー聖教会。荘厳な見た目に見合わず、使える限りの科学技術によって完全武装した広大な超施設だ。それがどれほど安全なのかは、常日頃からの避難予測や、かつての災害が教えてくれる。人々の足がそこに向かうのは、必然であった。


もちろんそれは、その少年たちにも当てはまる。人波に逆らわず、決して絶望に身を落さないように、足を動かすという作業に全神経を注ぎ込む。

そんな人波の頭上で、展開した光環が瞬いた。視界が強烈なフラッシュによって途絶え、耳鳴りを伴った空白の時間が訪れる。周囲の人々も、そんな状況では迂闊に動けない。停滞する人ごみの中、立ち込めるのは安心や安堵。こうして立ち止まっている間は、このどうしようもない時間は、何も考える必要がない。逃げなければならないことも、これからのことも、自分たちの無力さも。だから、誰しもがその空白にほっと息をついた。


鮮烈。迸る閃光が空間を食らい尽くし、焼き切れる世界に傷跡を深く刻みこむ。ビルの上部を広範囲において蒸発させた破壊力の権化。再び、残骸の爆撃が始まる。


「ヒューマ、走るぞ!」


そして、二人の子供は走り出す。手を繋ぎ、共に支え合う。

焼け焦げた匂いはその苛烈さを増し、ほんの一瞬で流転する街並みに対する甘い思考に刃を差し込む。


どうして?そんな言葉さえ浮かんでこない。ただひたすらに、生まれた言葉は脳髄からすり抜けて、口から漏れるのは嗚咽と小さな息遣い。弱音すら、口にできない。

そんな街並みで少年たちは逃走を止められない。子供といえど、二人、手を引いた状態で走り抜けられるほど、人ごみというものは薄くない。もちろん、フィジカルに任せて突き進めば走れないことはないが、子供がそれをすれば逆に押しのけられることが必至。

では、何故彼らは走れている?どうして、疾走という贅沢を堪能している?


簡単だ。人ごみは、もう既に人ごみでは無かった。


まばらになったそれは、人の多い所、というレベルまで密度を薄めており、子供二人が走ることなど容易いものへと変貌してしまっていた。


「ねえアリィ……どうしてあの人たちは逃げないの?」


そんな不可解な現象に、少年は問いかける。

そう、逃げることを放棄した、甘い思想を放棄できなかった、人ごみだったものに、問いかける。どうして、彼らは逃げないのか、と。


「っ……知らなくていい。お前は、死んじゃいけないんだ。お前だけは……」


金髪の裏に暗い瞳を隠し、引いた手を固く握りしめる。

少年に告げるにしては、残酷すぎたのだろう。少女は、歩みを止めた人ごみから目をそらし、頑なに口を閉ざした。彼らは、何かの意思在りとして立ち止まったのではない。


放棄したのだ。


生きることを、これからの未来を、守るべきものを、戦う意思を、挙げるべき声を、甘い考え以外の、全てを。自分の、命さえも。


黒く隔たれた空から、刹那何かが飛来した。ビルの境界線の路地裏に飛び込んだそれは、小さく地面を隆起させる。それも束の間。隆起した地面がひび割れ、眩い輝きとともに破壊力が拡散される。

炸裂した地面から水が噴き出し、爆風にちぎり飛ばされた死骸の血液を希釈させる。生きた証さえ、死んだ事実さえ、すべて押し流そうと。

崩壊したビル群の中腹。炸裂の勢いは止まらない。瓦礫を散々量産したのに飽きたらず、二次災害的に周囲のビルにも猛威を振りまいていく。

そして、頭上を煽いでいた愚かな群衆に、瓦礫の数々が容赦なく降り注ぐのだ。生を諦めた人ゴミに、天誅として突き刺さる。

背後で巻き起こる大虐殺から目を背け、しかし今は教会へと突き進む。


たった一度の砲撃で、多くの人々が絶望に呑まれた。

たった一度の衝撃で、多くの人々が瓦礫に呑まれた。

たった一度の潰撃で、多くの人々の希望が呑まれた。


次の攻撃で、何人の希望が叩き割られるのだろう。

次の衝撃で、何人が生を放棄するのだろう。

何回目の爆裂で、自分たちは歩みを止めるのだろう。

未だ自分から流れ出す、ほんの少しの希望をどうにか抱えて、子供たちの逃避行は続く。


「もう少しだから。あと、少しだから。だから、逃げ切ってやる。な?ヒュー、マ」


存外、自分の拠り所もその少年だったのだろう。

少女は、少年にとっての拠り所であり、少年も、少女にとっての、拠り所であった。


千切れてすでに青くなり始めた少年の腕に、先のなくなった無残な片腕に、情報の渋滞で回らなくなった脳に、金髪の子供は絶句した。


「え……ぁ……あ…………?」


握った掌の熱はとうに無くなり、肘から先に見た肢体はとうに無くなり、希望の光すらとうに無くなり。

希望の壊れる音がした。

何かを放棄した時、それは生を諦めたことと同義だ。

自分の命を放棄する。生きるための意思を放棄する。

その子供は小さく体を震わせて、それでも足りない余分な感情の分をぶつ切りにして嗚咽を漏らした。

では、この時なにが放棄されたのか。

命?意思?

なにも、捨てられなかった。たったひとつですら、捨てられなかった。

立ち止まって、息を吸って。

頭上に落ちたビルの陰に、やけに眩しく笑った。

崩落する影は大質量の破壊力で、下敷きになれば一瞬の感慨もなく絶命することは必至だ。

しかし、その子供の表情は曇らない。

ひしゃげて、潰れて、千切れて、へし折れて、砕けて、零れ落ちて、流れ出して。

それでいて、その子供の表情は明るく彩られている。

瞳の光は、既に消えていた。



人類史六千七百十五年。

東洋帝国の壊滅、滅亡により、世界人口は5%減少。

人類にとって多大なる損失となった大厄災、通称『フレンダーの審判』。それは、人類の5%をも対象とした女神フレンダーの導きによって起こったとされる大虐殺だ。それは、教会に辿り着いたほとんどの人間が生き残ったことに起因して、『フレンダーの審判』などと大仰な名前で呼ばれている。

しかし、その実それはただの結果論での命名でしかない。

なぜなら、教会にいた人々が生き残ったのは教会の防御性能のおかげであり、神の介入など疑う余地もなかったのだから。

しかし、神の介入、人類の審判。それを疑わなければならないほど、その大厄災は異常だったのだ。

犯行集団の存在も、破壊兵器の存在も、痕跡すら残っていない。どのようにして彼らは虐殺されたのか。何故、殺される必要があったのか。それは、今は亡き5%の人類も、それに怯える95%の人類も、知ることはできない。


「というのが、あなたが巻き込まれた事件の概要です。ご理解いただけましたか?」

「規模がでかすぎて何を言ってるのかわからなかった。」

「そうですか。あなたはイレギュラー、もっと特異な人なのかと思っていましたが、そんなことはないのですね。」


消毒液の匂いの立ち込める医務室。お世辞にも医療的な設備が整っているとは思えない簡素な部屋だが、壁に光る無機質な明るさは最大限まで露出を削ぎ落した延命装置だ。ここはおそらく、国立病院の緊急治療室すら退けるほどの医療技術が結集している。

それはもちろん、医者も例外ではない。

ベッドに横たわる青年に淡々と語る少女は、十字架を掲げた細長い帽子をかぶり、長い茶髪を修道服に匿って小さな髪の歪みをうなじで揺らしていた。

無気力な垂れ目からはどこかおっとりした空気を感じるが、そんなことはなく、むしろこちらの理解を置き去りにして文字列を並べて満足するタイプ。真の意味でのマイペースを貫く少女だと、このほんの一瞬の会話で理解することができた。

そんな派手な少女に目を奪われてしまいそうになるが、ベッドで半身を起こして修道女と対峙する青年の容姿も、端正なものだった。

切れ長の瞳とスッと通る鼻筋。首元に覗く鎖骨から出る色気は弱冠十数歳が出していいものではない。そのうえ、長い四肢に黄金比かと見紛うほどのバランスのとれたスタイル。女性の理想の男性像をすべて詰め込んだら彼ができるのではないかと思うような、完璧すぎる青年だった。



「まあいいでしょう。それで、人類最初のダーカー様は、どのような能力に目覚めているのですか?」


そんな青年は、再び並べられる修道女のマシンガントークに首を傾げた。


「だー、かー……?」

「私をからかっているのですか?残念ながら、私にはそこまで時間がありません。あの事件から十年も眠り続けていたあなたとは違って、私にはすべきことがありますから。」


一切の容赦なく、可憐な少女の苛烈な罵倒が美青年の口を塞ぐ。しかし、それに大した特に反応も示さずに、青年は思考の渦に己を叩き落とした。

約数秒。青年は少女に笑みをこぼした。


「名前、聞いてもいい?」

「……ナイト・リゲルと申します。すみません私としたことが挨拶が遅れ、」

「いやいやそうじゃなくて、僕の名前」


にこっと自分を指さして笑う青年は、してやったりという愛嬌のある表情で笑みをはにかみへと変化させた。

それに対して、質問の意図を誤った単身の医療団長ナイト・リゲルは、少し顔を赤くしながらふてくされたように片手の甲で顔を隠した。

十年の昏睡の代償は大きい。混濁した記憶は脳髄を掻き乱し、自分の名前すら置き去りにした。

残っていたのは、微かな金髪の残滓のみ。


「キョウシュウ・ヒューマ。東洋帝国の隣杯(りんはい)孤児院にて成長、『フレンダーの審判』でダーカーに覚醒。10年の眠りから覚めて、医療団長を羞恥心で赤面させる。これで満足ですか?」


羞恥と憤りとそれを吹き飛ばすための早口、ほんの少し毒を混ぜたそれを叩きつけ、少女は不機嫌そうにタブレットを起動した。

微かな光の点滅を示すほどだった病室の壁面がカッと瞬いて、その白を一瞬で情報量の塊へと変化させた。

白い部屋は一瞬でプラネタリウムもびっくりの包囲映像空間へとジョブチェンジ。青年を未知の世界に誘った。


「これは?」

「一般常識の教育ビデオです。あなたが眠りについたときは、まだただの少年だったのですから、しっかりと一般常識を学んでもらいます。」

「うっへえ……それ、どんくらいかかるかな?」

「あなたのやる気次第で、最長十年間ですかね。最短でしたらきっと一瞬と掛からないでしょうけど。」

「知ってんのかよ。」


思わず苦笑してしまう青年は、初めて感情らしい感情をナイト・リゲルへと向けた。乾いた笑いに底知れない憂いを滲ませて、青年は冷や汗を垂らす。

それに、してやったりと微かな笑みを返して、ナイトは映像をブツリと消す。

人類最初のダーカー。偉業を為した異形、キョウシュウ・ヒューマの何度目かの起床だった。



「先生……Mr.ヒューマが覚醒したそうです。」


培養器でゴポゴポと音を立てる水泡が、内部に匿っている何かを覆い隠す。

清々しいほどに広がる高い高い天井。車が何台か止まっても余りそうなほどに広い空間。真っ白に塗られた壁には、荘厳な扉が一つ。それ以外には正真正銘何もない。

当然だ。壁には壁の役割がある。絶対にこの空間に何物も立ち入らせない。そんな役割が。


『そうなの~?うぅ……ヒューマくん、私のこと覚えててくれるかな~?』


機械音だろうか。一昔前に確立して、今となっては日常生活の一部となった疑似声帯アンドロイドに似た声だった。しかし、それは機械の音にしては人間らしく、今にも泣きだしそうな声は明らかな感情だった。

声に感情を乗せることは、機械でもできるだろう。しかし、感情を声にするというのは、今ですら忌避されている猟奇的な事だ。不可能と言っていい。では、それはなんなのか。もちろん、人間だといってしまえばいい。それなら簡単だ。一瞬で答えが出るだろう。

しかし、それを人と定義するには、人類はまだシンカが足りなかった。


高い天井にそびえる高い高い円柱。内部に内蔵された液体は、絶えることなく水泡を弾けさせ、ゴポゴポという音をたてて禍々しさを増大させる。

そして、それを圧倒的なまでの不審物に昇華させているそれの正体。水泡に巻かれて脈動するそれは、脳だった。幾本ものコードにめったざしにされて、幾本もの電極を生やして、人の等身大の脳が、ぽつりと浮いていた。


『それで~、あの子の異能はなんなの~?』


依然変わらぬ涙声で、脳から吐き出される奇妙な声は問いを紡ぐ。

巨大な円柱水槽の前に立つ白衣の女性は、眼鏡をきっちりと直して再び歪な主人を煽いだ。


「それが、情報屋ですら掴めないらしく……」

『リオンちゃんでも無理ぃ~?』

「さすがに、私も情報を専門としているわけではないので、はっきりとは。しかし……」


白衣を翻した女性、リオンと呼ばれた彼女は、巨大水槽に背を向けて、わずかな時間で再び脳へと向き直る。


「異能は呼吸のようなもの。彼は、まだ異能を目覚めさせていないのかもしれません。」


先ほどまでは持っていなかった電子ペンでタブレットにラインを走らせ、最後に達筆なサインを描いて電子の手紙を送信した。

満足げにそれらを手元から消し、眼鏡の位置を正す。脳と会話をするという意味のわからない状況でも、既に慣れてしまったのかなんの変化もなくこなすリオンは、動かざる主からの指示を待つ。

いつものように最敬礼で命令を待つ部下に感激し、声に含まれる水分量を大幅に増やした脳髄がおぼつかない言葉で告げる。


『れ、レベリリオン・サブレリアちゃん!怖い魔女をどうにかする兵器を、作ってください!!』

「はい!了解いたしました。」


恍惚とした表情で命令を反芻し、その喜びに浸る少女。

歪な主従の逢瀬は、今日もいつも通り過ぎていく。



薄暗い地下道。ヒタヒタと滴り落ちる雫の音が反響し、見えない暗がりへの恐怖をひたすらに底上げする。

トンネル状に掘られた地下道には、大量の水が流れており、人が歩けるような足場は横幅1mもない。そんな莫大な水流と隣り合わせの足場で、なにかが蠢いた。

背丈は160cmほど。肩幅も狭く、小さくて華奢な印象を受ける。それを後押しするように、纏ったローブは顔を覆い隠しており、微かに漏れる前髪から、女性の息吹がふんわりと感じられる。

黒髪、黒瞳。地下の闇に溶ける少女は、その小さな体で、その狭い地下道の足場を進んでいく。

なんの恐れもなく、なんの躊躇もなく、なんの不安もなく。

ただ、前に突き進む。いつ足を踏み外して溺死にもまれてもおかしくはない。しかし、少女の足取りは恐ろしいほどに堂々としており、どこか不気味な安心感を感じさせる。


「別に、正面から乗り込んでもいいだけどね。」


自嘲気味につぶやいた声は、眼前の闇で反響して思いのほか大きく響き渡る。それに若干驚きつつ、それがおかしくて噴き出した。

今更、何に怯える必要がある。怯える者、怯えられる者。もし人類を二分して、この世界の生命体を二分して、自分をあてはめたなら、自分は正真正銘怯えられる側だ。

見た目こそ可憐な少女であるのだろう。しかし、残念ながらその内に秘めた闇のせいで、容姿という武器を彼女は活かせない。誰もがそれに恐怖し、見た目の美しさなんて忘れてしまう。

そんな闇を背負うことこそ、自分たちの押しつけられた使命。宿命だ。


「……これは…………?」


と、そんな寂寥にも似た何かに久々の動悸を感じていると、少女の片手がかすかに震えだした。

最初は気のせいかと思うほどに小さかった震えは、気づいたころには痙攣かと見紛うほどにまで高まり、思わず垂れた冷や汗が頬を伝った。

再び、広角がぐにゃりと歪んだ。それは、決して武者震いだったわけではない。心の底からの恐怖による震えだった。しかし、その少女からすれば、それはとてつもなく新鮮な感覚だった。

自分が、今、この瞬間、怯える側の人間に立たせてもらえたのだ。片手の指で数え足りるほど、それほどに、この感覚は彼女にとって希少な経験であった。

そして、その経験則上、その震えには自分ですら予測できない事件が伴ってくる。

いつしか、震えは痙攣すら通り越していた。もはやオーガズムと言ってもいいほどに妖艶な雰囲気で笑みを零す少女は、これから起こるなにかへの期待と、好奇心、幸福感に身体中を蹂躙された。

そうして、やがてそれを押しとどめて、笑みだけを残してローブを脱いだ。


「あぁ、もう。早く終わらせて、行かなきゃ……!」


ショートボブの黒髪が、ふわりと舞う。脱ぎ捨てたローブが水路にびちゃりと落ちて、沈みながら流れていった。

華奢に見えた少女の体格は、身長や肩幅などは可愛らしいものであったが、その胸囲には目を見張るものがあった。雑念なしには見られないほど成熟した体つきは、ローブを羽織っていては気づくことができなかったろう。パーカーの下に着ているTシャツのプリントは、その大きさに窮屈そうに形を変えていた。

前髪を切りそろえた幼い雰囲気を感じさせる顔に対し、首から下の大人びた雰囲気は、いうなれば魔性。ブカブカのズボンすら、どこか色っぽく見えた。


「待っててよ、ヒューマ。」


艶やかな声色で呟いた表情。何よりも幸福そうに、誰よりも自分は幸せだと、何物にもこの感情は邪魔させないと、確固として不動の意思で、少女は云った。

魔女は、言った。



「ったく、人使いがあレェんだよ、ド糞変態女。」


一振りの刀。東洋帝国の特産品であった色刀(しきとう)と呼ばれる彼女の半身ほどもある武器だ。

彼女の刀はピンク色であり、微かに刻まれた桜の柄が、情緒ある刀の品性を崩しつつ、歪みながらも可愛らしさを体現した不思議なデザインになっていた。ただ、それも行き過ぎれば冒涜。持ち手に揺れるキーホルダーはその美しさの均衡を大きく崩しており、繊細な装飾刀という面持ちだった色刀を、まるで子供騙しのおもちゃのようなチープさにまで貶めていた。

そんな可愛らしい武器を腰に横一閃に担ぐ少女は、それに見合わぬ汚い言葉遣いでここにはいない誰かを罵倒した。


「チッ」


舌打ちをした口元、ぷっくりと健康的な下唇には黄色い刺繍の螺旋。傷口を縫いとめるように縫合されているそれは、痛々しさを感じずにはいられない。そのうえ、左頬には噛み締めた牙の物騒なタトゥー。それに対しての偏見は、もはや過去のものとして形骸化しており、ほぼ唱える者はいないのだが、顔面に、しかもここまで大きく彫られると、心配の芽がひょっこりと現れてしまいそうだ。


しかし、そんな不穏な特徴も、片耳に引掛けたマスクで覆い隠せばないも同然だ。癖になっているのだろうか、片耳にだけかけたマスクをぐいぐいと引っ張って、手持無沙汰の手を誤魔化す。


問題は、眼であった。左目付近に覗く微かな傷跡。そして何より、左右が違う瞳の色。所謂オッドアイ。

右目のどす黒い石油のような泥濘の色に比べて、左目の美しさは信じられないほどに儚い。

まるで流れ落ちる清流のような透き通った白い美しい色だ。瞳孔も水晶体も網膜も、何もかも透けて見えてしまうのではないか?そんな錯覚すら抱きそうなほどに、彼女の瞳は精錬された宝石のような瞳であった。


そんな、明らかに一般人ではない風貌の少女は、これまた一般人ではない場所で眼下を見下ろしていた。

遠く天を衝く鉄塔からは、周囲にけん制するように輝きのラインがふりまかれ、夜の闇すら切り裂かれる。黒い輪郭でしか把握できなかったその街並みが、かつて崩壊した東洋帝国のものだと、その時だけは理解することができた。

穴だらけになった廃ビルに、円形に蒸発した無残なビル群。命の流動であった川も、血液から瓦礫まで、油と煤と骸の乱舞にその表情をどす黒く染め上げる。ぼこぼこになった地面と、そこから流れ、煉瓦細工の溝に色彩を描くなにかは、とてつもない異臭でもってその異常さをアピールする。かつての暴虐の跡は、いまだ鮮烈に。いや、ともすればその形を大きく、残虐に変えて刻み付けられている。

と、そんな地獄のような様相を呈す東洋帝国の中心地で、少女は黄色と黒に余白を明け渡したジャンバーに腕を通した。

開けたファスナーから覗くTシャツには、「DEAD」の文字。些か偏差値の低い文字チョイスだとは思いつつも、あながち間違った選択ではないのかもしれない。


隣杯(りんはい)孤児院ってとこに行けばいいんダよな……」


そうして彼女なりの正装へと着替えた少女は、その凶悪な美貌を下品に曲げてビル群を見渡した。

街を、国を、人類を蹂躙しつくした大事件。

昨今の科学技術の発展には、目を見張るものがある。しかし、国レベルの獲物を短期間で滅ぼしつくせるほどの兵器は、きっと今にも後にも開発されることなどない。では、どうやってこの国は滅ぼされたのか。誰が、なんのために、どのようにして。

絶対的なタブーとなったその議論は、東洋帝国跡地への立入禁止の強化によって幕を閉じた。

少し考えればわかる。それがどれほど異常なのか。人々の思想をたったそれだけで押さえつけた見えない勢力はとてつもない大きさで、それでいて、よくない関わり方で、その『フレンダーの審判』に携わっていたのだろう。

そんな異常性に気付けない馬鹿な群衆に悪態をくすぶられつつ、白髪の滑らかな髪を夜風に揺らしながら少女がしゃがむ。


眼前には、闇。一歩進めば、そこは空と言っていい。もし足を踏み出したら、数秒の浮遊感ののち内臓から脳髄までをまき散らして地面を食んで絶命するだろう。壮観な街並みを見渡せるほどである。そこは、相当な高さのビルであった。

そして、少女の体が徐々に前へと、闇へと落ちる。靴底がゆっくりとビルから離れ、


『ピピピピピピピピピピピピピピピピ』

「んぁ?」


羽織ったジャンバーのポケットから、甲高い音が鳴り響いた。

暗い街並みに木霊する着信音。少女は、崩れていたバランスを人間離れした挙動で立て直し、けだるげに携帯へと悪態をついた。


「ンだよ、誰の頼みでこんな寒い中で動いてヤってんのか忘れやガったのかぁ?糞変態。」


下唇を縫い付けた刺繍で、おぼつかない発音で、口汚く電子を通して罵詈雑言を飛ばす。

そんな開口一番の挨拶に、大して気分を悪くした風でもなく、むしろ上機嫌の相手が上擦った声で新たに依頼を告げる。

その興奮具合に若干引きつつ、その不可解な依頼に首を傾げて通話を切る。きっと、聞いたところで教えてはくれまい。結局、今日頼まれていた隣杯(りんはい)孤児院の捜索も、どうして東洋帝国という危険地に赴いてまでそんなことをしなければならないのか、依頼が撤回された今ですら知らされていない。


「まあ、やルか……」


考えてもしょうがない。どこか諦めにも似た感情で刀に手を置き、暗い闇に視線をなぞらせる。


「レンゲル・ライレイ。コードネーム【天使】、ゲートを展開する。周囲汚染警戒レベル4。」


天使が、破ばたいた。



「フェルモアータ。一応ダーカー、けど、戦う力、ない。」


目麗しくも淫靡な雰囲気を纏っている少女は、そうして名乗った。

フェルモアータ。黒髪のセミロング、きっちりとしたYシャツにネクタイを垂らし、白と黒の色合いが美しい女だった。そして何より目を引くのがそのボディーライン。

目鼻立ちの整った美貌、そこから視線を落せば、細く艶やかな首筋が眩しい。さらに下っていくと、Yシャツをパツパツに張らせる巨大な乳房。下着をつけていないのか、随分生々しい肉感と突起を感じることのできる肢体だ。かと思えば、ウエストはきゅっと引き締まり、うっすら筋肉すら浮きそうなほどに形作られている。そして、もちろん変わらず美しい肉付きの尻が、プリーツスカートの輪郭を驚くほどいやらしく歪めていた。

可愛らしさだとか美しさとか、そんな綺麗なものじゃない。彼女の、フェルモアータのその体は、ただ人々の快感を、快楽を、淫蕩を、貪りつくして、しゃぶりつくして、枯れ果てるまで食い尽くす。そんな、捕食のための、純粋なるエロさだった。


「うわ……本当にエロ……綺麗な身体なのね……」


そんな、見ているだけで心の奥の「性」の純然たる脈動が疼きだしそうな色欲の塊の前で、これまた美貌がひとつ。

フェルモアータの美しさになにかよくないものでも感じたのか、己の秘部を抑えながら苦しそうに取り繕う少女は、その淫靡な少女とは対極。非常に可愛らしい容姿をしていた。

クリーム色のショートカットと大きさより美しさに重きを置いた肉付き。言い方は悪いが品のないフェルモアータの肢体と違い、その少女の体つきは美しさというほうが近かった。


が、しかし、何を思ったのか少女が纏っているのは所謂魔法少女というものだろうか。フリルとリボンの過剰装飾によってほんわりとした仕上がりとなっているコスチューム。これでも充分首を傾げてしまうような恰好なのだが、拍車をかけるように不審点が湧き上がってくる。


少女は、スカートをはいていなかった。

おそらく、可愛いミニスカートを纏っているべき腰元は、水色と白の縞パンツしか装着されておらず、違和感と背徳感を増幅させた。


「あなたも、綺麗。」


じろじろとフェルモアータを観察するパンツ丸出し少女に、当の観察対象であるフェルモアータは大した感情も示さずに素直な言葉を述べた。

確かに、恰好こそ変態の所業だが、素材が一級品であることに変わりはない。フェルモアータの感想も、不自然なものではないだろう。

が、そこで普通の反応を返せる人間は、パンツを丸出しで現れることなどできまい。


「そうでしょう?もちろん、あなたも綺麗だけど、私の品性のある美しさには勝てないわよね。わかるわ……」

「……???」


一人でニヤニヤしながら自画自賛を始めた変態は、その煌びやかなコスチュームを振り回しながら己のきめ細かな肌に頬擦りした。


「って、そうじゃなかったわ。私は、情報屋としてのあなたに用があってきたの、フェルモアータ。」


うっとりとした表情で自画自賛にせいを出していた変質者は、トリップから抜け出してフェルモアータに向き直った。

情報屋。対価をもらって情報を提供する人間、又は組織。その規模や相場はピンキリだが、東洋帝国関連、ダーカー関連に関しての情報を手に入れるなら、フェルモアータはどんな情報屋も相手にならないほど、隔絶している。


彼女の威光は、裏の世界では聞き慣れたものだった。

が、しかし、彼女に依頼した者は、対価として何を要求されたのか頑なに明かそうとしない。彼らは、金銭的に余裕がなくなったようにも思えず、かといって精神的に困窮した様子があるのかと言われれば、そういうわけでもない。

ただ、依頼してから数日の間、姿を消す。男性なら約三日。女性なら長くて十日。

そんな不気味な情報屋へと、彼女はカチコミに来たのだ。


「私は、あなたの全貌を暴くために、わざわざ来てあげたの。あなたに依頼をしたら、何を要求されるのか、教えなさい!」


びっと指をさして、変態少女はフェルモアータに鋭く詰問する。

すれば、フェルモアータの片手がパンツ丸出し女の指を艶めかしくなぞる。


「ちょ、なによ!?」


驚き半分、期待半分、変態としての本能を充分すぎるほどに発揮しながら、少女はびくりと体を震わせる。漏れ出した弱々しい声は、クールな雰囲気の外見とのギャップに苦しむほどに違和感がある。

一方、少女の手をなぞるフェルモアータは、値踏みするように淫靡な双眸を煌めかせ、その深層心理に迫ろうと指をふるう。

ビクビクと跳ねる少女の手を、優しく、しかし決して離さないように、そっと握りしめる。


「ふふっ」

「え?……え!?」


おっかなびっくりフェルモアータの挙動を傍観する少女は、突然聞こえた笑い声に怯えを隠せずに及び腰になる。先ほどまでの態度はどこへやら、毒舌なクールキャラだった少女は、今や変態系残念娘へとランクダウン。悲しいかな、後者の方が違和感がないところを見るに、弄ばれる才能はあったという気もしてくる。


フェルモアータは、少女の無様なビビり具合など目にも留めず、己の指先で拘束した少女の手へと視線を巡らせる。

細く、しなやか。滑らかで、穢れを知らない。傷という概念に出会ったことすらないのではなかろうか。きめ細かな肌とその美しい造形は、神の所業と言っても過言ではない。

そんな手に、フェルモアータの視線は釘づけだった。一般的な距離感であった先ほどまでとは違い、その艶やかな表情は少女の手のすぐそこまで近づいていた。


しかし、だからといってフェルモアータの接近が止まったわけではない。少女の手とフェルモアータとの僅かな隙間を、未だに削り取りながら、上気した頬で唇を歪ませる。

そして、ぺろり、と。フェルモアータの普通より長い舌が、少女の指を舐め上げた。


「ひゃん!?な、なにしてっ!」

「名前……」

「ちょっと!聞きなさ……やっ!?」


動揺して泳ぎまくる視線。視覚からの情報を断念して、少女は口頭で随分と可愛らしい尋問をする。しかし、フェルモアータの舐め技に翻弄され、ビクビクと痙攣する中でまともに喋れるはずがない。艶っぽい声を滲ませながら、上目遣いで視線を合わせるフェルモアータを睨みつけた。

すれば、過激になった水音が、さらなる嬌声の開花を知らせる。


「ちょっと……ん……ホントに…………それ以上は…………あ」

「名前……」


何か危ない方向に進みそうな少女に、フェルモアータが指針を投げかけた。


「アヌビス!アヌビス・メーデン!!」


じゅるり、ちゅぱ……と淫靡な音をたてて、フェルモアータの舌がちゅるりと口内に収納される。それにすら顔を真っ赤にして、変態改めアヌビスはそっと己の両手を見た。


「あなたも、依頼……してみる?」


先ほどまで見せびらかしていた下着を両手で覆い隠して、アヌビスは涙目で拒絶した。



無機質な部屋だった。

真っ白の壁、真っさらな床、真っ赤な血液。

ただ一つ歪な、残虐な跡を除いては、その部屋には人という存在を気配すら感じることが出来なかった。


しかし、未だ乾かない血液の海の中を、ひとつの肉片が泳いでいた。

眩しいくらいの白に、鮮烈すぎる赤。芸術作品かと錯覚してしまうほどに罰当たりな美しさで、その部屋は完結している。


「強度レベル4……さすがに、爆弾で木っ端微塵にしたら、再生なんてできるわけないか。」


と、その部屋を覗く影が一人。もちろん、部屋の中で美しさを阻害しているわけではない。彼女と部屋の中を隔てる光学ミラーが、その境界線を明確なものとし、同時に彼女の生命の安全も保障していた。

飾り気のない事務机に同居したタブレットに触れ、いつもの癖をそのままにキーボードを打った。


[再生可能。被験体に負荷をプラス。]


しかし、慌てて気付く。今回の実験。FF爆弾を四肢と頭部、心臓部に括り付けて行った強度テスト。

レベル4に分類される実験で、今まで不動の再生率を誇っていた被験体aはぐちゃぐちゃに砕け散り、再生の余地なく赤い血液の海に成り果てたのだ。


「認証コード、【アルケミスト】。レベリリオン・サブレリア。」


声帯の振動をミリ単位で感知してそのセキュリティーを管理する音声システムは、その声を確実に聞き分け、しっかりと彼女、レベリリオン専用のアカウントにログインした。

必要最低限のプログラムで組まれた実験解析ツール。もちろん、民間企業や、行政機関で使えば、その性能はプログラマー垂涎の高性能なものだろうが、この地球の技術力の結晶である研究施設では鬱陶しい文字列でしかない。


どうして自分がわざわざ入力しないといけないのかと、キーボードを打つ手に毒を滲ませて、エンターキーを無意味に痛めつけた。

タァン!という個気味良い音、それと対照的に苛立ちを隠さないレベリリオンは、幾度の確認項目の果ての被験体死亡報告に、『被験体a』と入力する。


ほぼ無傷の状態で始めたテストであったため、被験体の強度はそこが限界だったのだろう。

女性器に損傷があったことも、どうせ性欲を持て余した馬鹿な研究員によるものだ。あまり指摘できる立場にないため、見て見ぬふりをしてきたが、今度からは多少判断材料に加えなければなるまい。

とてつもない再生能力は、慰み者にされた時に損傷した処女膜すら回復させる。幾度もの破瓜で精神を病まれてしまっては、研究どころではなくなる。


「ふう……最終確認だ。被験体a、生きてるか?」


ガラス越しに、血だまりの肉片に問いかける。スピーカーによって増幅された声によって、部屋の中にもその声は行き届いているはずだ。といっても、いくら再生能力を強化した被験体であっても、ここまでの損傷に耐えられたらそれはすでに人間の域ではない。それこそ、ダーカーのような異能持ちの領分だ。ここで死ぬことこそが、その肉片にとっての最適解。

ダメ元というか、形だけの確認。マニュアルに遵守した勤勉なプロセスだ。


「処理をはじめ、る」


ドン!


実験室a内の消毒と死体処理機能の電源を入れたとき、何かがガラスに激突した。


「は……あ?」


でゅるり、と。血液の海から生えた片腕が、手に掴めるサイズの何かをガラスに放ったのだ。自分はまだ生きている。まだ、実験ができる。そう、声高に主張するように。

べっとりと血液に塗られたガラス越しに、レベリリオンは実験室に視線を上げる。


「け、ひ……ひひひ、マジかよ……こいつ」


ガラス窓に張り付いた眼球が、ぎょろりとレベリリオンの姿を捉えた。

光学ミラー。いわゆるマジックミラーの強化ガラス版。実験室側から、この研究室の方を視認することはできないはずだ。しかし、その眼球はたしかにこちらを覗きこんでいる。そして、伝えようとしている。言葉を持ち合わせない実験体が、声を上げる身体すら失った状態で、まだ自分を使ってくれと。

イかれている。正気ではない。しかし、それこそ、この実験の真髄。


「目覚めやがった……ダーカーに、成りやがった……」


依然懇願する瞳。そこに、光は一切差していなかった。



悲劇の少年、原初のダーカーの青年。


一人、幾多の命に手を差し伸べる修道女。


常軌を逸した研究に、倫理観だけでは飽き足らず、命すら差し出す研究者。


イかれた研究者に陶酔して、その手腕を黒く染める錬金術師。


変わらぬ道に魔をつがえ、死に鼓動を載せる魔女。


かつての全てに絶望し、自ら刃を構える天使。


淫靡な肢体で幾多の性をいじくりまわす淫魔。


可憐な衣装に血を塗って、その視線に己を見出す魔法少女。


ただ殺される研究に、温かさを求めてひたすら望む被験体。




『フレンダーの審判』によって誕生した特殊生命体、ダーカー。

それは、死に絶えた人々が最後に思い描いた思念が、互いに纏いあい、絡まり合い、繋がりあって一人の人間に宿ったもの。

教会に救いを抱いたなら、それは修道女の思念へ。最後に快楽を夢見たなら、それは淫魔の思念へ。

死ぬ瞬間。人間の欲望が一番色濃く、騙ることなく、繕うことなく現れる、最も正直な瞬間。その強力すぎる思念を、たった一人の人間が背負うことになる。だからこそ、彼らは染まる。その思念に。

もちろん、人格が変わるということではない。脳の構造自体が歪められるのだ。そうして、異能を発症する。

そんな異能患者を、ダーカーと呼ぶ。

誕生したダーカーは、10人。皆、歪められた脳の影響で、瞳に顕著な変化が現れる。

濁り、燻り、光をなくす。そうして、彼らの瞳は、闇に染まってしまうのだ。


されど、彼女の瞳は開かれず。


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