14話 黒鱗の翼竜
※前回までのあらすじ
翼竜が現れた!
俺とアリシアは突如、上空に現れた翼竜に驚愕していた。
翼竜の多くは魔力が滞留し易い山奥に生息し、他のモンスターを捕食して生きている。
本来、人里近くに現れるような生き物ではないのだ。
それが何故、こんな所に?
しかも、あんな黒い鱗の翼竜は見たことが無い。
そもそも、過去に翼竜を目にした記憶は一度しかないので、比較対照にはならないのだが……。
ギルドで歴戦の冒険者達が残してくれたモンスターデータを閲覧した限りでは、黒い鱗を持った翼竜の存在は無かったように思う。
そんな黒鱗の翼竜は既に俺達のことを獲物として捉えているようだった。
奴はこちらを目掛けて、両翼合わせ十メフラン(約十メートル)はあろうかという翼を羽ばたかせた。
途端、嵐のような突風が周囲に巻き起こる。
「ぐっ……!」
「うっ……」
俺達は吹き飛ばされないように足を踏ん張り、なんとか堪える。
翼竜はドラゴンに類する存在。
ドラゴンよりも小型ではあるが、その力は他のモンスター中でも抜きに出ている。
Aランクの冒険者でも手こずるような相手だ。
とても今の俺達が立ち向かえるようなものではない。
だが……どうする?
俺は焦りながらも思考する。
逃げる他に選択肢は無いのだが、問題は……実際に逃げられるのか? ということだ。
相手は翼を持っている。
その機動力を以てしたら、人間の足でどこへ逃げようとも、いとも簡単に追いつかれてしまうだろう。
こうしている間にも翼竜は急降下をかましてくる。
足の先にある鋭い爪で俺達を掴み上げようというのだ。
「……!」
俺とアリシアは咄嗟に左右へ飛び退いた。
刃物のような爪が背中の上をギリギリにかすめる。
駄目だ……こんなことを繰り返していたら、いつかはやられてしまう。
何か方法を考えないと……。
翼竜は再び滞空し、次の攻撃機会を窺っている。
「そうか……」
俺はある作戦を思い付いた。
奴が飛べることで俺達が逃げられないのなら、飛べなくしてしまえばいい。
翼竜が再び急降下を始め、襲ってきた時がチャンスだ。
すかさず魔法の糸を奴の翼に絡め、その動きを封じてしまえばいい。
ただ問題はある。
一つは糸の強度の問題だ。翼竜ほどの巨体を押さえ付けられる力が今の俺にあるのかどうかが分からない。
もう一つは視覚の問題だ。
翼竜を含め、竜族は皆、目が良いと聞く。
影縫いのスキルはあれど、アリシアのように糸が見えてしまうようでは押さえ付ける前に相手にバレてしまう。
それらが懸念としてあった。
だが、この状況を脱するには、今はそれくらいしか思い付かない。
考えている暇は無いのだ。
「アリシア、翼竜が次に襲ってきた時に、俺が糸で奴の動きを封じる。その隙に逃げるんだ」
「はい、ですが……ルーク様は……?」
「俺も奴を縛り上げたらすぐに逃げる。だが、どれぐらい糸が持つかは分からない。だから、とにかく全力で走るんだ」
「分かりました!」
そんなやり取りをしている内に滞空していた翼竜は、翼を鋭角に伸ばし、急降下の態勢に入っていた。
「来るぞ!」
「はいっ!」
俺は両手を前に伸ばし魔法の糸を放出する。
それに対し、正面から向かってくる翼竜の動きに変化は無かった。
奴には俺の糸が見えていないようだ。
どうやら影縫いの効果はちゃんと発揮されているらしい。
それなら……っ!
俺は素早い糸捌きで急降下してくる翼竜の体を包み込むと、爪に食い破られる寸前の所で横に飛ぶ。
すると、翼竜の巨体は再び空には舞い上がらず、ズシンという重い音と共に草原の上に墜落した。
「よし……やったぞ……」
上手く行ったことへの喜びと緊張からか、全身から汗が吹き出たような気分になる。
翼竜の体に魔法の糸が絡まり、地面に張り付けられた状態になっている。
翼も上手く広げられず身動きが取れないようだ。
だが、この状態がいつまで維持出来るかは分からない。
今の内にこの場を離れないと。
そう思った直後だった。
「シャギャァァァッ」
激しい咆哮と共に翼竜が全身を震わせる。
途端、奴を捕縛していた魔法の糸が引き千切られた。
「なっ……」
まさか、数秒も持たないとは……。
驚く間も無く、翼竜は首をもたげ怒りを露わにする。
俺のことを噛み殺そうと、鋭い牙のある大口を開け、迫る。
食われる……!
そう思った刹那――、
パチンと音がして魔法の光が翼竜の横っ面で弾けた。
それはさっき見たから分かる。
碧風の刃の魔法だ。
俺はアリシアの方を見遣った。
彼女は魔法を放った体勢のまま固まっていた。
硬い鱗の前では初級魔法は虚しく霧散するだけで、なんのダメージも与えられていない。
その結果に一瞬、唖然としてしまったのだろう。
だが彼女もそれでなんとかなるとは思っていないはずだ。
アリシアは片翼を羽ばたかせて走り始めた。
端から自分の方へ翼竜の気を逸らすのが目的だったのだ。
実際、彼女の思惑通り、横っ面を叩かれた翼竜はターゲットをアリシアに変えた。
巨大な黒翼を煽り、彼女を追う。
「おい、無茶だ!」
思わず、俺は叫んでいた。
アリシアは自分が囮になろうと目一杯羽ばたき、飛んだ。
だが、片翼では地面すれすれの低空を飛ぶことしか出来ない。
人間が走るよりは遙かに早いが、機動力では翼竜には遠く及ばない。
それに片翼では上手くバランスが取れないのか、飛び方がフラついている。
そんな彼女のもとへ余裕で追いついた翼竜は、その黒翼でアリシアの小さな体を羽虫のように叩き落とす。
「……ゃっ!?」
声にならない悲鳴が上がって、彼女の体が地面に転がる。
「アリシア!」
「うぅ……」
草むらの中から呻き声が聞こえる。
幸い、まだ息があるようだ。
翼竜は、そんな彼女の側に降り立つと、ゆっくりと舌舐めずりする。
どうやら翼竜には、獲物をわざと嬲って狩りを楽しむような習性があるらしい。
だがそれも終わりを告げようとしていた。
動きを止めたアリシアが遊び相手にならなくなったと悟ったのか、大口を開けて食らい付こうとしていたのだ。
くそっ……間に合え!
俺は走った。
抑制の箍が外れて足が壊れてしまいそうなくらいに。
そして――滑り込むようにしてアリシアの前に立つ。
「ぐうっ……!」
「ルーク様っ……!?」
アリシアは息を呑んだ。
思ってもみなかったのだろう。
俺の行動に彼女は悲痛の声を漏らした。
「畜生……いってえ……なあ……」
青々とした雑草の上にボタボタと滴り落ちる真っ赤な鮮血。
俺は自らの右腕で翼竜の牙を受け止めていた。




