屋内枝育ち
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お前は子供が好きだろうか、それとも苦手だろうか?
俺はあまり好きじゃあないね。ひとりで考えていたい時の、「近寄るな」オーラ。察してくれずに、構って欲しい、構って欲しいとやってくるもんだからな。猛烈にストレスなわけよ。
主婦などは、俺が体験しているのの何倍、何十倍もの時間と自由を拘束されることを考えたら、育児ってすげえ偉大な仕事だと思うぜ。
だからこそ、その手塩にかけた子供が結婚するとなると、大きい騒ぎに発展することがあるんだろう。いくら図体がでかくなったからって、親から見たら、子供はずっと子供だからな。血のつながった一族であると共に、語弊があるかもしれんが、自分の生涯の時間を費やした傑作品だ。
その愛情のあり方もまた、個人を縛る枷になることもあるが……命として生まれた以上、自分の思うようにことを運びたいのは、親も子も変わらないはずだ。
その命のあり方について、ひとつ昔話をプレゼントしようか。
むかしむかし。
すでにいい年にもかかわらず、妻を持たずに過ごしているひとりの中年の貴族がいた。
彼とて女に興味がなかったわけじゃない。今よりも若い頃には、何度か手紙をやりとりした女がいるが、最終的には上手くいかずにもの別れとなった。
彼自身、誰よりも技能の習熟に力を注いできたし、実際に向上した技術で正面から蹴落とした相手、つかみとってきた功績がある。だが、その重なった成功体験が、いつしか彼に「努力してきたのだから、報われなければおかしい。自分の思い通りにならなければおかしい」という、おごりを植え付けることになった。
彼が求める女とは妻というより、唯々諾々と従う、「はしため」のごとき存在。それを交際する女へ押しつけるわけだから、女の方でも敏感に察する。距離を取られるようになれば、彼の方でもそれで納得してしまう。「自分の心を汲み取ってくれぬ女とは、そばにいられない」と。
――どこかですでに、学んだ女では駄目だ。真っ白な反物のように、純な繊維。そこから生まれる、純粋に自分を慕うもの。そうでなくては、私の妻たり得ない。それこそ、子供の時から、わししか知らぬような育て方をしなくては……。
幼妻を求める者は、他の貴族にもそれなりに見受けられたこと。中には30、40と歳が離れていて、成り立った夫婦さえ存在していた。彼もそれにならうことにしたんだ。
しかし、彼の悪評もすでに界隈に知れ渡っている。目をつけた家は、そもそも親が交際を許してはくれなかった。ひとつ、またひとつと選択肢が狭まっていく中、彼は使用人からある噂を聞く。
かつて自分の庭の手入れをしていた先代の老庭師が、多くの幼い女児の面倒を見ているのだという。おそらくは養い子であろうが、その数は十数人にも及ぶとのこと。
事の真偽を確かめるために、元庭師の家を訪れた貴族。そこにはゆりかごに囲まれ、そのうちのひとりずつを胸に抱く、元庭師夫妻の姿が見受けられたんだ。
かつての雇われ主の姿を認め、老夫妻は一瞬だけだが、驚いた顔をした。
貴族の彼としては面白くない。このような態度を取られては、なめられている気がしてならない。
「おい、今日わしがやってきた理由、分かっていような」
「は。我が子を引き取って、自分の妻にふさわしい女子に育てないと」
「我が子? 養い子の間違いであろう?」
貴族は意地悪く、庭師の妻を見た。髪はすでに真っ白で、肌のところどころにしわとしみが浮かんでおり、まさに枯れ木のごとき容貌だ。とても子を産むことができる歳とは思えなかった。
「いえ、紛れもなく妻の子から産まれた娘でございまする。ここに居るすべて」
――歳を食ってから見栄を張りたいとはな。
貴族は心底、あきれ顔ではあったが、ここに来たのは老人の妄想に付き合ってやるためじゃない。この幼子のひとりをもらい受けることだ。
自称親である夫妻は、ひとりひとり赤子を抱えては、貴族に向かい合わせていく。
その場の半分以上の赤子が、口もきけない歳にもかかわらず、貴族の顔を見ては指をくわえて首を振るものだから、じょじょに貴族も腹が立ってくる。
――こんな歳からえり好みをする女など、ろくな奴にならんに決まっている。
そう言い聞かせつつ迎えた、14人目。その子は対するや、すっと、大人の縦三本指に及ばぬ、細くて小さい腕を引っ張り上げ、貴族を指さしてきたんだ。
「どうやら、お気に召されてようですな」
「ふん、なかなか見る目があるではないか。わしも気に入ったぞ」
自分になびく者であれば、とたんに甘くなるのも、この貴族の性質だった。
教育と称して預かることを決める貴族だったが、夫妻は「できることならば、私どもも、もう一度そばに置いてくだされ」と願い出る。しかし却下。
――そうやって他の者が入れ知恵するから、汚いものが混じる。わしに生涯、仕える女になるのだから、わしだけ見て、わしだけ知っていればよい。
そう思う貴族だったが、さすがに仕事に出て、家を空ける時間だけは構うことができない。
彼はその間のみ、身も服も清め、香で消毒をした使用人に対して、特別に立ち入りと世話を許したが、それ以外は和歌を詠むのも、蹴鞠をするのも室内で。常に赤子のそばで行い続けると共に、育児へ力を入れたそうなんだ。
「この世で一番、わしがこやつに触れなくてはならないのだ」
その考えの元、育児の経験者からの助言は扉越しに受け続け、道具などの準備も扉の外で用意。貴族がわずかに戸を開けて、中へ引き込む。まるきり赤子にとっては監禁状態が続くことになる。
そんな無茶な育て方が、上手くいくはずがなかった。
わずか一年足らずで、赤子は病を受けたらしく、顔を真っ赤にして、しきりに咳き込むようになってしまう。
「快復を願う、祈祷師をお呼びになった方が」という使用人の提案を退ける貴族。
「わしの女になるべき赤子だ。こんなところで死に、我が意に沿わぬ者など、こちらから願い下げだ。妻となるべき者は、わしの墓の世話までこなせる者。妻となるべき者ならば、跳ね返して見せよ」
貴族はそういってはばからず、使用人たちも食い下がることはかなわず、彼女の命は天のはからいに委ねられることになる。
そして、彼女は応えることができなかった。数日後、赤子は眠るように息を引き取り、貴族が何度揺さぶっても、閉じたまぶたが開かれることはなかった。
更に、その身体はどんどん重くなり、肌が黒みを帯び始めている。
――赤子の死とは、このようなものなのか?
初めてのことに、内心で戸惑う貴族だったが、折しも屋敷の中が騒がしくなった。使用人たちが制止する声も聞かず、大きな足音を響かせながら、この部屋へ乗り込んできた二人がいたんだ。
件の老夫妻。その姿を見て貴族は、娘を死なせてしまったことより、「誰がこやつらにばらしおった?」と、疑惑の念の方を強く抱いたそうだ。
夫妻は、世話をしていた貴族のことをとがめず、もはや炭のように真っ黒になった我が子をかき抱いた。そしてかつての主を見据えて、尋ねる。「身体の具合は、問題ありませぬか」と。
――お前らが現れなければ、もっと清々していただろうがな。
性根は腐りかけても、さすがに失言くらいの判断はつく。口にはしなかった。
しかし、老夫妻はかつての主人をまじまじと見つめた後、「このままではいかんな……しばし、この場を借りるご容赦を」と夫がつぶやき、妻に目配せをする。
――本来なら、この場から叩き出しても構わんが……娘を失った身だ。別れを惜しむ時間くらいはくれてやる。
そう思う貴族の前で、夫妻は自分の娘の亡骸を脇に置き、夫の方が懐から細い木の枝を取り出す。それはちょうど、娘の亡骸とほぼ同じ、黒い色に染まっていた。
妻はというと、その場にぺたりと座り込み、天井を仰ぐようにして口を開く。そこへ夫は枝の先を持って行き、狙いを定めると、一気に妻の喉奥へ枝を押し込んだんだ。
枝はつっかえることなく、妻の身体の中へ隠れてしまったが、事態はそれだけにとどまらない。口を閉じ、鼻で息する妻のお腹が、たちまち子を孕んだ母のように大きくなっていくんだ。
さすがの貴族も、これから何が起きるのか検討がつく。「どういうつもりだ?」と夫に問い詰めると、元庭師はこう答えたという。
「樹木には、気の流れ、人の心を正し、落ち着かせ、清める力がございまする。私ども庭師が行う手入れは、美しさと共に、流れをただす役割があると、わしも聞いて育ちました。
ですが、もはや手に道具を持ち、満足な世話を焼くことはかなわなくなってまいりました。だからこそ妻の力を借り、こうして『枝の子』を作り、ゆくゆくは皆様の家の気を、整えようと考えておりまして」
「それが、わしとどのような関係がある?」
「久方ぶりに、直接、お顔を拝見し、確信したのです。あなた様は悪い気に取り付かれていると。でしたらそれを取り去るのも、我らの願うこと。
彼女らの中から、あなた様にもっとも合う子が、あなたを選んだのです。その子がこうして邪気を取り去らねば、あなた様はこの一年を生きてこられなかったでしょう。なので、今から新しい子をこうして……」
「いらん!」と貴族は強く、拒んだ
「枝の子だと? わしが欲するのが将来の妻として寄り添う者が、そのような物の怪でいいはずがあるか。わしが認めるのは、わしに心よりかしずく女のみだ。去ねい!」
「しかし、このままでは、あなた様の命は……」
「もう一度だけいう。ただちにここを去れ!」
貴族はすでに下腹部の服が濡れ始めた妻もろとも、夫を屋敷の外へ放り出してしまう。そして自分の部屋へ戻ると、先日まで養育を続けていた枝の子の亡骸を、何度も何度も踏みつけて粉々にしてしまう。
その身体が、灰と区別のつかないほど細かく砕いてしまってより、ほどなく。貴族は病に伏せるようになり、ひと月と経たず、この世を去ってしまったとのことだ。