6.契約しましょうそうしましょう
あらかた食べ終わると、ようやく赤家の話は本題に入った。
というより、あらかた食べ終わるまでてるが料理に夢中だったせいでまじめな話が全くできなかったからだが。
赤家の話を要約するとこうである。
赤家は吸血鬼の子孫だ。
しかし、何度も人間との混血を繰り返したおかげで、何千年とあった寿命は一般人並みになり、弱点だった十字架やニンニクも効かなくなった。
人間を吸血することで仲間にするということも、できない。
そして食べ物から栄養を摂取することが可能になったため、吸血行為は必須ではなくなった。
そう、ほぼ人間と同じなのだ。
しかし、吸血衝動だけは残っているのだという。
「量は必要ないですが、時期が来ると、無性に吸いたくなるんです。それこそ、我慢できないくらいに」
「時期と言うのは?」
「新月ですね。月が欠けてくると、どんどん衝動が抑えがたくなる」
「へぇ。狼男の反対みたいですね。何故新月なんでしょう?」
「先祖は新月の夜、闇に乗じて吸血していたから、その名残じゃないかと言われています」
「ああ、なるほど」
確か、今宵がちょうど新月だ。
「そんなときに、私が指切って血の匂いなんかぷんぷんさせてたから、我慢できなくなっちゃったんですね」
「・・・申し訳ないです」
「結構痛かったですよ、首」
「すみません。言い訳をさせてもらうと、本当にあの時理性が吹っ飛んでて、本当なら痛くない状態で吸うことができるのに、ついがぶっと・・・本当にごめんなさい」
段々項垂れる上司を見て、てるは少し楽しくなってきた。
何故か、自分よりずっと大きい上司が、可愛く見える。
噴き出すのをこらえるのが大変だ。
「いいですよ、もう」
「え?」
「過ぎたことですし。まあ痛かったですけど、もう治ってるし。こんなに美味しいご飯食べられたし」
「・・・ですが・・・」
赤家はまだ何か言いたそうだが、てるとしてはもうこの話は終わりでいい。
気になるのはそれよりも。
「これからどうするんですか?」
「これからって?」
「だって、新月の度に課長は我慢してるんでしょう?大丈夫ですか?」
「いや・・・私はもう、吸血する気はないんです」
「え?」
そう言った赤家は、俯いて顔を歪めていた。苦痛をこらえるようなその表情は、見ている方が辛くなるくらい悲壮だ。膝の上で握りこまれた両手は、強く握り込まれているのが見て分かる。
「私は、吸血行為を一生する気はなかった。今日は、その、偶然が重なって吸ってしまったんですが・・・これから先も、吸う気はないです」
言い切る赤家の顔は、とても、決意して吹っ切った表情、とは言えず。
「どうして・・・?」
「どうして?当たり前だろ?血を吸うなんて気持ち悪い・・・俺は、一生吸わなくていい。吸いたくない」
言いながらもどんどん気持ちが昂ってきたのだろう、いつもの言葉遣いが崩れていく。
「我慢、できるんですか?」
「今までできたんだ。これからだって、できる」
「でも、」
「いいんだ!それで、死ぬわけじゃあるまいし」
そう言い切る割に、赤家の顔は冴えない。
どう考えても無理をしているのが分かる。
てるは考えた。
もしまた同じようなことがあったら。
赤家が吸血衝動を抑え込んでいるときに、今日のような偶然で、血の匂いを嗅いでしまったら。
目の前の人物を、襲わずにはいられないのではないか。
そうなったら、赤家は犯罪者だ。
今まで築いてきた社会的地位も、実績も、すべて失うことになる。
「たかが吸血で・・・」
「え?」
「たかが吸血で、赤家課長を失うわけにはいきません!課長!吸血慣れしましょう!」
「何を言ってるんだ!?たった今、もう吸わないって言ったぞ俺は!」
「そんなこと言ったって、また吸いたくなって襲っちゃうかもしれないでしょ?だったら吸血することと折り合いをつけた方がいいですよ!」
「いやだ!そんな蛭みたいなことできない!」
「蚊じゃなくて蛭が来るってことは、課長、蛭に吸われたことがあるんですね!」
てるの鋭い指摘に、赤家は分かりやすく肩をびくっと震わせた。
「・・・小学生の時に、家族でハイキングに行って・・・山を登ってたら、あちこちからわいてきた。あいつら、上からも降って来るんだ。動きは気持ち悪いし、払っても払っても近付いてくるし、吸われたところは血が止まらないしで、しばらくトラウマになった・・・」
「ああ・・・」
実家が山に近かったてるも経験がある。確かにあれは、結構怖い体験だった。
「まだその時は自分が吸血鬼だって知らなくて。やっとトラウマが落ち着いたころ、初めて吸血衝動が起きて・・・絶望した」
「でも、課長は蛭と同じなんかじゃないですよ?ちゃんと血を止めてくれたし」
「同じだよ。何も変わらない・・・」
うなだれる赤家に、掛ける言葉が見つからない。
まさかトラウマになるほど嫌悪していた生物と自分が同じだなんて知ったら、確かにショックかもしれない。
だが、ここでそれを認めてしまうと、赤家はまた吸血自体を遠ざけるだろう。何の解決にもならない。
てるは一生懸命考えた。
何かないのだろうか。
赤家が嫌悪感を覚えない、吸血する生き物。
吸血、血液、血・・・。
そういえば、最近、誰かとそんな話をした。
『てるちゃん知ってる?これって、血液からできてるんだって』
そういったのは確か・・・。
「美保義姉さんっ!そうだ、おっぱいだ!」
「は!?」
「課長知ってます?おっぱいって血液からできるんですよ?」
「おっ・・・!な、何を言い出すんだ!」
「おっぱいですよおっぱい!だからほら、赤ちゃんって、つまりちっちゃい吸血鬼みたいなものですよ!血液由来のおっぱいを、日に何度も飲んでるんですよ!しかも赤ちゃんになら、お母さんたちみんなすすんであげますよ?」
「あ、そっちの意味か・・・」
いい考えだと思い、言い募るてるは気付いていない。
義姉と話すときと同じように、課長の前で『おっぱい』と連呼していることに。そして赤家の顔が真っ赤になっていることに。
『おっぱい』と連呼され過ぎて頭がついていかない赤家を置いて、てるの暴走理論は続く。
「ん?その理論だと牛乳は牛の血液からできてるのかな?じゃあ私も牛限定で吸血鬼です!課長、仲間ですね!私の毎朝は一杯の牛乳から始まるんで!」
「は?」
「あ、ヤギのチーズも食べたことあるから、牛限定って言うのは取り消しで!ほら、ちょっと血を吸うくらい、何てことないじゃないですか。みんな、毎日のように牛さんの血をもらってるんですよ?・・・うーん、そう考えると結構スプラッタな気分になりますねー」
てるはホラーもスプラッタも全然怖くない人だが、兄がいたらギャーギャー叫びそうだ。
よし今度会った時に、このネタでいじってみよう。
てるはこっそり決意した。
「・・・・・・ははっ、何だその考え方は。滅茶苦茶にもほどがある」
「えー、そうですか?」
吸血へのコンプレックスを無くす、いい考えだと思ったのだが。
「ああ。でも・・・長年悩んでいたのが馬鹿らしくなってきたよ」
そう言って赤家は笑った。
初めて、てるの前で。
この課長のためならば。
てるは決意した。
「課長!私、課長に献血しますよ」
「え?」
「だってほら、新月近付くと吸いたくなるんでしょう?月に一回なら、体に影響もなさそうだし。あげます、私の血!で、吸血することに慣れましょう。ね、吸血は全然怖いことでも、悪いことでもないですよ」
「いや、でも、」
「気になるんなら、ご飯でもおごってください!あ、こういう高いところじゃなくていいですよ。会社の近くに、おすすめのラーメン屋さんがあるんです。安くて速くて美味しいですよ!」
「しかし、」
「ね?我慢は体に良くないですよ?」
何とか赤家に是と言わせたくて、赤家の顔をじっと見る。
身長差から図らずも上目遣いで見つめるような構図になっているのだが、てるは気付いていない。
「あ、ああ・・・・・・・・・分かった。そこまで言うなら、頼んでもいいだろうか」
「はい!課長のお役に立てるならうれしいです!」
赤家が、吸血を否定しなかった。これは第一歩だ。
それが分かり、てるは満面の笑みを浮かべる。
「ああでも、課長も災難でしたね。どうせ血を吸うなら、地味な私なんかより一課の佐藤さんみたいに可愛い人の方が良かったですよね?」
「・・・え?」
「すみません、あんなタイミングで怪我しちゃって。まあでも、課長なら選ぼうと思ったら選り取り見取りなわけですし、そのうち、吸血に理解のある美人さんが現れると思いますから、それまで私で我慢してくださいね!あ、今日の分って足りてます?もっと要ります?」
「・・・」
「失礼いたします。食後のドルチェをお持ちいたしました」
「うわ~!私、ティラミスって大好物です!課長、頼んでくださったんですね!ありがとうございます!」
何故か絶句してしまった赤家をさておき、ノックと共に店員が持ってきた美味しいドルチェに舌鼓を打つてるであった。