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新月の夜にあなたと  作者: ぽてとこ
彼女の話
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5.レストランではなくリストランテ

顔の赤みが引いてから、お手洗いに寄って一応身なりを整えて仕事に戻る。鏡で見て初めて気が付いたが、ブラウスの一番上のボタンが外れていた。何かのはずみで取れたんだろうと、深く考えずに嵌め直す。

嵌め直して気付く。この異常事態のきっかけになった指の傷が見当たらない。

うまい具合にくっついたのだろうか。何の処置もしていないのに?


もう考えるだけ無駄な気がして、二課に戻った。

デスクに着くと、多佳子に心配そうに声を掛けられる。


「立ちくらみ起こしちゃったんだって?大丈夫だった?」


どうやら赤家は、書類を拾おうとしゃがんだ時にてるが立ちくらみを起こしたことにしたらしい。

医務室で小休止を取ったことになっていた。

横抱きにされたときに声を出さなかったことが幸いしたらしい。目はバッチリ開いていたのだが、課長の言うことに疑問をもつ人はいなかったのだろう。


「ご心配おかけしました。ちょっと寝不足気味だったのかもしれません。昨夜は寝苦しかったから」

「ああ、湿度高いとね。ちゃんとエアコン入れないと、意外とこの時期に熱中症になったりするから」

「はい、気をつけますね」


課長のデスクをそっとうかがうと、赤家がいつも通り黙々と仕事をこなしている。

やはり、先程の出来事はすべて夢だったのではないかと思ったが、休憩中に見たスマホには赤家からの新着メールが届いていた。


夢ではないらしい。




・~*~・~*~・~*~・




仕事が終わり、メールに書いてあった場所に向かう。

会社から数駅先にあったイタリアンレストランの前に着くと、相変わらずマスクマンな上司が店先で待っていた。

高級そうなお店だ。

店名には『リストランテ○○』と書いてある。レストランではないらしい。


「お待たせしました」

「いや、こちらこそ、わざわざすみません」

「あ、課長!」


てるは、心持ち硬い表情の赤家が店に入ろうとしたところを咄嗟に呼び止めた。


「なんですか?」

「あのー・・・面と向かっては言いにくいのですが・・・課長、あまり私と一緒にいたくはないんじゃないかなーと思いまして・・・」

「・・・どうしてですか?」


心なしか、赤家の声のトーンが下がった気がする。

こちらは、ここに来るまでにたくさん考えた末、上司のために言っているのに。


ええいまどろっこしい言い方じゃ伝わるものも伝わらぬ。


てるは肚を決めた。

仕事モードがオフになると、相手への気遣いやら心遣いといったものもすべてオフになるてるだった。


「だって課長、私のこと嫌いでしょう?」

「え?」

「仕事中だって絶対話しかけてこないし、避けてるし。だから、話があるならその辺の公園で聞きますから、ちゃっと済ませて解散した方がいいかなーと思ったんですよ」

「・・・それは」

「あ、でも別に気にしないでくださいね。私は課長と一緒にお仕事できるだけで満足なんで」

「あの」

「それに昼間のお詫びだって言うなら食事じゃなくても」

「いいから聞きなさい」

「・・・はい」


一人で話を進めていたら怒られた。


赤家は「確かに不自然だったけど・・・まさか嫌ってると思われてるなんて・・・」とぶつぶつ呟いているが、てるの耳にはほとんど届いていない。


「課長?」

「いろいろと誤解があるようですが・・・ひとつ言っておくと、私はあなたを嫌っていません。それだけは間違えないように」

「え?あ、そうなんですか?」

「そうです。だからここに入っても何の問題もありません。では入りますよ」


そう言うと、赤家はスタスタと入っていってしまった。てるも慌てて追いかける。


そこは完全に個室になるレストラン・・・いや、リストランテらしい。小部屋が並んでおり、それぞれにきちんとドアがついている。

いかにも値が張りそうな店内の様子に、てるは早くもビビり気味だ。

こんな立派なお店、入ったことがない。


「好きなもの頼んでください」

「・・・そう言われましても・・・」


何とか席に着いたてるがメニューを広げるも、メニュー名がおしゃれ過ぎて、いったいどんなものか想像もつかない。


どうして一つ一つのメニューに副題がついているのだろう。

しかも『~アドリア海の風を乗せて~』とか全く想像ができない。

風を乗せるって何だ?扇風機でも当てているのか?


「課長・・・よく分からないのでお任せしていいですか・・・?」

「ええ。嫌いな物や食べられない物は?」

「ありません。なんでも食べられます」

「分かりました。お酒は?」

「じゃあ、一杯だけ」


記憶をなくしたことはないが、飲むと感情の振り幅が大きくなることは自覚している。一杯だけならば、まあ許容範囲だろう。

赤家は流れるように呪文のような長くて外来語だらけのメニューを唱え、店員(きっともっとかっこいい言い方があるのだろうが、てるは知らない)は下がっていった。


密室空間に、2人きり。


「・・・」

「・・・」


何となく気まずい空気が流れる。

てるとしては、せっかく課長と二人きりになれたのだから、仕事についての赤家の考えや、今まで聞いてきた様々な武勇伝の詳細を本人に聞きたい所なのだが、今それをここで言いだしていいものか、さすがに悩む。

昼間のあの行動の意味も、気にならないわけではないけれど、それよりもこのチャンスに赤家に弟子入りできないか、そちらの方がてるの中では重要だった。


「佐藤さん」

「ひゃいっ!」


いきなり声を掛けられ、返事が変になってしまった。

しかも名前を呼ばれたのだ。初めてのことではないだろうか。名字だけだが。


「まずは、謝罪させてください。昼間は、本当にすみませんでした」

「あ、いえ、だ、大丈夫です」


頭を深々と下げた上司の姿にうろたえる。

そんな赤家の姿は、会社では見たことがない。


「ほら、首も、もう何ともないですし!つば付けとけば~なんて言ったけど、本当に治っちゃってびっくりです」


あの後、洗面所の鏡で首を確認したら、絶対に傷になっていると思っていたところが少しの内出血しか残っていなかった。

不思議だ。不思議の一言で流してしまうてるの思考回路もだいぶ不思議だが。


「ああ、痣になってしまいましたか・・・もう少し舐めておけば綺麗になお、」

「いやいやもういいです大丈夫ですあとは放っとけば治るんで」


さらっと言われた提案を首をぶんぶん振って却下する。


何それ、もう一回舐めるとかさすがに恥ずかしい。恥ずかしくて死ぬ。上司の考えがまるで分からない。


「・・・それで、ですね、佐藤さん。あらかた予測がついてるかもしれませんが・・・」

「はぁ」

「私は・・・吸血鬼です」

「・・・え?」

「・・・え?」

「えぇええええ!?」

「え、そこまで驚きます?首噛んだんですよ?血啜ったんですよ?」

「首は噛まれましたけど血を啜ったかどうかは分かりませんよ!」

「ん?そうですか・・・?」


そこでノックの音の後に店員が入ってきて、料理をいくつか置いていった。

シャンパンと、美味しそうなサラダと、美味しそうなパスタと、美味しそうなパンと、美味しそうな肉料理だ。

何が何だか分からないが、美味しそうなのでまずはいただくことにした。

仕事オフモードのてるは基本、目の前の物事を一番優先させる。この場合は食事だ。


「で、ですね。佐藤さん、」

「いっただっきまーす!・・・あ、このサラダ美味しい!ドレッシング最高!パスタもソースがいい!パンにも合う~!こっちのお肉は何かな?牛?豚?課長も食べましょうよ?」

「・・・それは小羊です」

「おお~羊ちゃん!美味しいです~!」


赤家は何度か話しかけたそうにしていたが、本当なら食膳に飲むのであろうシャンパンすら無視してパクパク食べるてるを見て、とりあえず諦めたらしい。

ナイフとフォークを持って食べるさまは、上品で優雅、なんとも様になっている。

適当テーブルマナーのてるとは大違いだ。


さては課長、金持ちだな。

そう言えばそんな噂もあったな。着ているスーツが上等だとか。


ブランドに興味のないてるには、違いがよく分からないのだが、見る人が見ればすぐに分かるのだろう。


やはり、自分とはどこまでも違う世界の人なのである。

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