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諭吉300  作者: たぐまに
3/4

3日目

 風呂だ。しかも水ではない。お湯だ。

 それも、朝風呂だ。なんという、なんという贅沢だろう。


 澄み切ったお湯に、ぷかぷかと浮かぶ心地よさ。足を伸ばしても風呂の端にぎりぎり足が届くくらいの、この広さ。そして、少しでも湯がぬるくなろうものなら自動で温めてくれるという親切なやつ。

 いままでの風呂トイレが同じ部屋だった環境に比べると、天と天国の差がある。


 ボロアパートから運び出す荷物はほとんどなかったから、家を売ってくれた兄ちゃんの車に乗せてもらって、引っ越しも即効で終わっている。

 自分が死んだあの防波堤からは遠くなってしまったが、今度は駅が近い。なんとも快適な気分だった。


 それに、快適になった部分がもう一つ。

 軽くなったのだ。福沢の群れが消費されて、腕への負担がものすごく減ったのだ。


「処刑費ってのは、けっこう掛かるんだなぁ」


 それはさながら、福沢の群を処刑するための費用なのだろう。物騒な物言いも頷けるというものだ。

 担当してくれた兄ちゃんがばたばたと動き回ってくれたおかげで、シホウショシってヒトや土地権利がどうの、タッケンだ業者がどうした、なんてことが、2日かけて丸々終わっている。

 おかげで、いまは自動でお湯の温度を管理してくれる湯船にのんびりと浸かっていられる。

 今年や来年の税金のかかりっぷりがすごいことになるらしいが、そこらへんも担当の兄ちゃんに諭吉とともに丸投げしたら、白い顔して何度も頷いてくれた。ちなみに税金は学割が効かないらしい。残念だ。


 昨晩はファミリィなレストランで、ファミリィ連れでもないのに夕食を楽しんだ。

 しかも、サイコロステーキを食うなど豪遊してしまったし、それになんとワインまで付けた。

 残すと勿体無いのでグラスワインというのにしたけど、なんか酸っぱかった。そのうちまた行こう。


「あ。そういえば、ちーちゃんは分けて使ったほうがいい、とか言ってたっけ?」


 痴女のちーちゃんの言いつけのひとつを、なんとなく思い出す。

 使い残されたあの諭吉たちは、俺の寿命を奪っていくという。

 そして俺の手を離れたあとでも、寿命を吸い取る効果は持続している。だから、薄く広くバラまくほうがいい、だったか。


 税金がどうとかいうのを合わせて、もう8000人以上の福沢にはまとめて別れを告げてしまった後だが、その言いつけは完全に忘れていた。


「あの兄ちゃんの寿命が減っちゃうとしたら、それはなんか嫌だなぁ。

 でもあの中に、ちーちゃんに最初に見せられた300枚が入っていなければ問題はない。――のか?」


 モーニングセットを食い、ちるちるちんちーのを飲み、家を買って、サイコロステーキとワインで豪遊し、このあとは納豆ご飯にオクラまで入れてしまうつもりの俺だが、まだ半分以上の福沢がジュラルミンの中で目をぱちりと見開いている。

 たまには目を閉じているレア福沢がいてもいいと思うのだけれど、そういう遊び心はないらしい。

 あれを全部使い切らないといけないのか? それとも、最初の300枚だけでいいのか?


 尋ねようにも、痴女のちーちゃんはもういない。あの()はもう――いないんだ。


 そんなふうに風呂でのんびり独り言を楽しんでいると、手元のケータイが煌びやかな光と音を撒き散らした。


「おおぉ!? きたか! ついに来たか!?」


 ジャッジャーン……!


 光が収束して、可愛い女の子がポーズを決めて笑顔を振りまく。ダブった。

 いままで無課金戦士でせこせこちまちまと無料石を集めてはガチャガチャを回していたソーシャルなゲームは、いまや光り輝く錚々たる面子が揃い踏みしている。


「いやー、必殺技の威力が上がるからいいけどさぁー。

 福沢を60人投入して1枚も出ない君が欲しいんだよ俺は」


 出る。出る。回せば出る。出るまで回す。

 そう、俺がガチャガチャを回すんじゃない。俺自身がガチャガチャになることだったんだ――体はガチャガチャでできている。

 コンビニでレジ担当にドン引きされながらも山のように買って来た魔法のカードで、ガチャガチャはまだいくらでも回せる。


 ――朝からのんびり湯船でそんなことをやっていたら、のぼせた。

 そしてぐるぐる回る頭からは、どうやって残りの福沢を使い切るかなんてことは、綺麗さっぱり吹き飛んでいた。



 オクラ入り納豆ご飯で贅の限りを尽くした俺は、ロボット掃除機がもともと綺麗な床を這いずるのを眺めながら、ぼーっとしていた。

 ボロアパートで布団代わりに使っていたダンボールの上でのんびりと寛ぐのもいいが、せっかく諭吉がいっぱいいるのだ。もうちょっと柔らかい寝床がほしいと思うのは、自然な成り行きだろう。

 ロボット掃除機に留守番を頼むと、やつは返事もせずに背を向けた。しかし、しっかり仕事はこなす頼もしいやつ。かっこいい。


 家の周辺をぐるり〜っとまわって、うろうろとしているとホームセンターを見つけた。

 ホームは家で、センターは真ん中だ。つまり、家の真ん中だ。よくわからん。

 首を捻りながらも一歩足を踏み入れると、素晴らしい空間が俺を迎え入れた。


 まず目に飛び込んできたのは、山のように積み上げられたスリッパ。そして、ゴミ袋。

 奥に行くにつれ、髪に塗る何かとか、髪を洗う何かとか、樽とか、何に使うのかわからない紐だとかが盛りだくさんで、否応なくテンションをあげてくれる。


「ママー、あのひと、なんでにやにやしてるのー」


「見ちゃいけません! ほら、あっちに行くよ」


「えぇー」


 ママも少年も、この俺、マミーもにっこにこのホームセンター。

 ここには普段目にしない、わくわくするものがたくさんあった。


 ひとしきり遊んだあと、諭吉による筋肉痛が少し厳しい今の腕では、あまりに大荷物になると持ち帰りに不便だということに気付いてしまった俺は、泣く泣くチェーンソーやガムテープなんかを元の場所に戻して、座布団と、カーテンの上でシャーッてするやつを購入すると店を後にした。

 そうして言いつけ通りに留守を守っていたロボット掃除機にただいまを告げて、買ったばかりの座布団に座り、カーテンの上でシャーッてするやつを片手に構えて、一息。


「困った」


 そう。困った。

 もう、憧れのロボット掃除機もあるし、なんだかすごく広い家も手に入った。

 今日からはふかふかの座布団で寝られる。

 謎の手に馴染む感覚で手放せなかったカーテンの上でシャーッてするやつも買ってしまった。


 そして、未だジュラルミンの中からたくさんの目で見つめてくる諭吉を前に、途方に暮れた。


 これ以上、何にお金を使えばいいのか。

 正直に言って、行き詰まっていた。もともとあまりお金のない生活でここまで生きてきたのだ。

 毎月のケータイ代の支払いでいっぱいいっぱいだった俺の生活は、死んでからというもの激変を遂げていた。

 そして、変化が激し過ぎて、こうして途方に暮れている。


 ごろんと座布団に横たわり、ケータイ片手に検索することにした。お金 使い方、と。

 ぐるぐる先生は偉大だ。なんでも知っている。


「せレブとお近付きになる方法まとめ……うーん、セレブってなんか強そうだよな」


 あんまり強過ぎない感じのほうがいいんだけど……いいや、とりあえず、見てみよう。

 ふむふむ? 高級クラブに出入りする。海外の絶景を楽しむ。クルーザーを買う。ヘリをチャーターして夜景を楽しむ。スイートルームに宿泊する。ナイトプールに行く。どれもせレブの遊びとして、話題沸騰!


 クルーザーってなんだ? 船か。

 はー、スイートルームって高いんだなぁ。

 ヘリってわりと簡単にチャーターできるんだなぁ。

 そんなことをやるお金があるのに、せレブとお近付きになる必要はあるんだろうか。


 読み物としては楽しかったけれど、だいたいどれも、お金をかけて、経験を買うものだった。

 他ではできない、経験を。果たして、自分の首が落ちて胴体をそこから眺めた経験に勝るものが、あるのだろうか。


「腹減ったな。……近くのスーパーとやらに行くとしようか」


 広い家に、どこか心細そうな声が間抜けに響く。


 返事を返してくれる人はいない。誰もいない。

 ちーちゃんも、いない。

 ロボット掃除機は、自分の家に帰っていって、電気を貪っている。


 実はそれほどお腹が減っているわけでもない。

 オクラ納豆ご飯を食べてから、さほど時間が経っているわけでもないのだ。


 しかし、なんだかじっとしていられない。

 俺がいるこの場所は、諭吉に協力してもらって手に入れた新しい家。

 でも、ひどく場違いのような感覚が付き纏う。


「スーパー、行こうっと」


 再度、呟くとウェストなポーチだけを手に、俺は再び家をあとにする。

 ガチャリと閉じた茶色いドアが、自動で鍵を掛けた。



 明るくてざわざわと騒がしい店内は、どこか安心する空気が漂っている。

 自分ひとりで広い家にぽつんといるより、なぜだかずっと気分がいい。

 意味もなくネギとか持ってみたりする。両手で持ってみたりする。


 いままで、スーパーなんて見切り品の弁当や、捨てられるキャベツのはじっこを貰いに来るのがせいぜいだった。

 でもいざ諭吉というチカラを得て店内を見渡すと、実にいろいろなものが売っていることに気付かされる。猫の砂とか。

 これまで見てこなかっただけで、ホームセンターだけでなくスーパーにも不思議なものは溢れている。レジの横にある丸っこい電池なんて、誰が買うんだろう。


「ママー、あのひと……」


「見ちゃいけませんからねー」


 悪いね嬢ちゃん。

 構ってあげたいのはやまやまなんだが、俺には丸っこい電池が誰かに買われるまで見守るという崇高な使命があるのよ。


 そんな俺の目の前を、ふらっと横切る影があった。

 残念ながら丸っこい電池には用がないようで、小走りにレジに駆け込んでいったのは、どこかで見覚えがあるような黒髪ツインテールの女子高生。

 近所の高校のブレザーを纏った小さい女子は、まだ学校のやっている時間にも関わらず、なぜかスーパーにいる。

 手にはパンに風邪薬とうどん、あとは子供向けの食玩、だろうか。


 何の気なしに見ていただけなのだが、その女子高生は、レジでおばちゃんが商品をピッと読み取っていくにつれて「あれ?」と表情を曇らせて、合計金額が告げられるとその表情をサァッと青くした。


「あ、あのごめんなさい、これやっぱりやめておきます……」


 少し悩んだあと、その女子はすでにピッとされ終わったパンを指す。

 その拍子に、女子のお腹が抗議をあげるかのようにぐぅ〜と盛大な音を鳴らした。

 青くなっていた表情を今度は赤く染めて、女子はいっそ泣き出しそうなくらいだった。


 だから、なんとなく。

 おなかが減っているのは悲しいよな、なんて思ったから。

 そして、手元には諭吉がいたから。


「あのこれ、落ちましたよ」


 気付くと、自然と身体が動いていた。

 下から拾い上げるようにして諭吉を一枚取り出し女子高生に見せると、そのままレジのおばちゃんに渡す。


「え、あの、えっと、あの!?」


 赤くなった顔をさらに染め、女子高生は小さな体でわたわたと混乱を示した。


「はやく会計しちゃってくれないか、見たい番組があるんだ」


 無論、ない。というかウチにはテレビがない。

 そして俺はそもそも並んでない。


「え、えぅ……うぅ……」


 だめ押しのように再度声をあげた腹の虫が決定打だったようで、女子は何度も振り向いて、そのまま清算を終えたようだった。

 むふー。なんとなく、いいことをした気分。これは紳士を名乗れる。たぶん。


 なんて自分を褒め称えながら、レジのおばちゃんの「あんたは並んでなかったの?」みたいな視線を巧みに被弾しながらレジ前にまで戻って来た俺は、再び丸っこい電池をじっと見つめる作業に戻る。

 しまった、いまの合間に誰かが買って行ったかもしれないな……数を数えておけばよかった。


「あの……」


 丸っこい電池の数は減っているような気もするし、そうでないような気もする。

 というか俺はなんでこの丸っこい電池を監視していたんだったか。


「あの!」


「おぇぅ!?」


 変な声が出た。


 いつのまにか、レジを通り抜けていった女子が側に立っていた。

 はて? 何用かしらと首を傾げる俺に向けて、その女子は、もじもじしながら言う。


「あの……ありがとう、でも、困ります。返すお金、ないから……」


「なんのこと? あ、もしかしてナンパ?」


 ビクっとした女子にさわやか〜に笑い掛けると、一歩後ずさりされる。しょんぼりだよ。


「あの……」


「まだ何か?」


 さわやか〜。


 ビクッ……!


 しょんぼり。


「せ、せめて、お釣り……」


 財布の中身を全て引っ掴んで、女子はお金を俺に差し出す。若干涙目だ。

 半透明のレジ袋からのぞいているのは、やっぱり風邪薬、うどん、子供向けの食玩、そして2割引のシールが貼られたパン。


「せめてパンよりもうちょっといいものを食べるんだな。家族も大事だろうが、あんた自身もだ」


 誰か病気の家族でもいるのだろう。それと妹か弟も。風邪薬って思ったより高いもんな、値段を見間違えでもしたのか。

 盛大にお腹を鳴らしていたのに、この子が諦めようとしたのはパンだった。

 たぶん、自分で食べるものなら我慢できる、そんな優しい子なのだと思う。


 突然お説教されるとは思っても見なかったのだろう。

 女子高生は体をビクリと震わせて、息を飲み……一粒、ぼろりと大粒の涙を零した。


 すごく! 気まずい!!


「うぁ、ふぇ」


 ごしごしと袖で目を拭う女子をなるべく見ないように、そろりそろりと逃げようとする俺の背に、それでも声が浴びせられる。


「あのっ! せめてお名前を!」


「ただの通りすがりの紳士だよ! 愛称はマミーだ」


 振り向きざまにカッコよく答えると、すっげぇ胡散臭い顔された。


 偽善。たぶん、それだろう。

 でも、べつにいいのだ、それで俺はいい気持ちになった。そのためにお金を使った。

 それで腹が膨れる者がいるなら、なおいい。


 なんとなくいい気分だったので寿司でも食おうかと思ったけれど、一割引のアルミ鍋うどんが売っていたので、それを買って帰った。


 そんなマミーこと桐常(きりじょう)の帰路を素人同然の尾行者が後をつけていた。

 しかし被尾行者も素人だったので、全く何にも気づくことはなく。


 鼻歌交じりに家路をゆく男の姿を黒い二本の尻尾が追いかけるさまを、ご近所さんだけが目撃することとなる。

薬事法が一部改正されていて、スーパーの普通のレジでも医薬品が買える世界線とご理解ください。

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