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諭吉300  作者: たぐまに
2/4

1日目

「ありがとうございましたぁ、またのお越しをお待ちしておりまぁす」


 ぺこりと頭を下げる店員さん(えりちゃん)の笑顔が眩しいぜ。なぜか若干引き攣ったふうに見えるというのもポイントが高い。

 朝からモーニングセットにデザートまで付けるという暴挙に出てしまったのだ、見送りにも笑顔が咲き乱れるのも無理はあるまい。


 あのあと防波堤から自分の部屋に帰るまで、運良く誰にも見咎められることはなかった。

 職質を受けるのには慣れっこなので、警察の巡回時刻も把握済みだ。話し相手が欲しい日には敢えてそういう時間帯にブラついたりするくらいだし、最近じゃまたお前かみたいな顔をするお巡りさんはおろか、あからさまに俺を無視して通り過ぎていくお巡りさんまでいる始末。耳に輪ゴムで木の枝止めててもスルーするのはさすがにひどくないかと思ったもんだ。

 昨日に限っては、その逆をやればいい。つまり、耳に棒も付けず、彼らがいない時間を見計らってスキップしながら手早く帰れば良かった。すまねぇなお巡りたち。俺がいなくて昨日はさぞ寂しかったろう。ここから何日かは寂しい思いをさせるが辛抱してくれ。


 部屋で再確認してみても、ケースの中身は変わらない。ちーちゃんが見せてきたような、電気屋のテレビで見たドラマでしか見たことがないような、紙で止められた札束が出てきた。思ったよりもギュって縛ってある。諭吉が若干苦しそうだった。

 その束が、ケースいっぱいに、ぎっちりぎっちぎちに詰められて。ちょっといくらなんでも多くない? と思って数えてみたら、紙でくくられた束がきっかり200個ちょいあった。いや、300個ほどか?

 数えてた途中で積んでた諭吉が崩れてきたのが悪い。まったく堪え性のない福沢だぜ。


 ボロアパートの一室に堪え性のない福沢たちを残してくるのはあんまりよくない気がしたので、今日は朝から福沢と一緒INジュラルミンケース(鍵付き)だ。かなり重い。300万円で30キログラムあるのだ。それが100個くらいあるのだから、これは3000キログラム、つまり30トンはくだるまい。あれ、どっかで計算間違えたか? それとも俺、ものすごくマッチョになっちゃったか? まあいいや。

 会計のときに取り出されるのを嫌った一部の福沢が床に脱走するという一幕もあったが、店員さん(えりちゃん)の助けもあって事なきを得た。モーニングセットにデザートを付けた人徳が成せる(ワザ)かもしれない。


「ただまあ、さすがに不便だ」


 普段使いの財布には、束になった福沢を収容するだけのスペースはない。

 朝食のお釣りの樋口ちゃんたちには、こちらに居てもらっている。

 福沢を束ねている紙の輪っかはどうするのかと思っていたら、えりちゃん(店員さん)は普通に切った。ハサミでぶちっと切った。あれ切っていいんだね。

 解き放たれた福沢たちは、えりちゃんの手の中では大人しかった。俺の前では堪え性のなさを発揮していたのに、やはり奴も男ということなんだろう。それはたとえ札束になっても変わらない。


 とりあえずは、一束解き放たれた福沢たちの居場所の確保が急務だ。

 いちおう、ジュラルミンケースに元のように入ってもらっているが、いつまた堪え性のなさを発揮されるともしれない。


「大人しくしてろよ」


 ぽんぽん、とケースを撫で付けると、ひんやりした手触りが返ってくる。


 まずは、買い物だ。必要なものを買うのだ。今日の大学はサボられることが決定した瞬間である。ごめんな、俺がいなくて寂しいよな。しばらく我慢してくれ。


 最初に買ったのは鞄だ。

 ウェストポーチってやつらしい。ウェストは東だ。

 東っぽさはあんまりないけど、簡単に福沢が取り出せるというのはいい、すこぶるいい。

 しかもこれが元値1,980円、レジでさらに1割引ときた。お値打ちだ。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。

 レジのマドモワゼルにタグを切ってもらい、その場で装備すると、マドモワゼルは満足気な頷きを返した。装備品は装備しないと意味がない、その基本を弁えている俺の所作が気に入ったのだろう。

 俺は小さい頃から両親からも『やればできる子なのに』と言われて育ったのだ、それくらいは朝飯前である。モーニングセット食べた後だけど。


 これにより、福沢の本拠地はジュラルミンケース、出張所がウェストポーチという住み分けが完成した。

 樋口ちゃんたちは尻ポケットの財布に居てもらう。ごめんな樋口ちゃん。尻も毎日洗ってるから勘弁してくれな。


 この後どうするかを考えるために腰を落ち着けたかった俺があたりを見渡すと幸運にも、公園と、シャレオツなテラス席のあるカフェーを見つけた。

 普段なら公園のベンチに直行である。しかし待ってほしい。今の俺には力がある。福沢という頼もしい味方に、樋口ちゃんという懐刀。シャレオツなカフェーが相手でも負ける気がしない。むしろ勝利を収める姿さえありありと思い浮かぶ。


 ああいったキラキラした場所は俺には一生縁がないと思っていただけに、興味がないと言えば嘘になる。

 嘘は良くないよな、嘘は。俺はいままでの人生で嘘をついたことがないのを誇りにしている。嘘だ。今考えた。


「いらっしゃいませー」


 にこやかな笑みと共に通された二人掛けの席に、どっかりと腰を下ろす。しかもソファ側だ。

 向かいの席は、福沢に譲った。30トンの福沢は重いんだよ、さすがにさぁ。おまえそこんとこわかってる?


「ふんふん、小洒落たいいとこじゃねーの」


 どの程度に良いカフェーなのかは、普段からこういった場所には縁遠いために、実はよくわからない。

 しかしわかっているフリをする。今の俺には福沢がついてる。ひとりじゃないって素晴らしい。


 しかし、ここで困ったことが起きた。

 メニューに目を通しても、よくわからない。なんだこの詠唱は。

 福沢は黙して語らない。困ったやつだ。


「まきゃ……ぺるぺちーの?」


 カタカナで書いてあるはずのメニューがなぜか読めない。さすがの俺でも、カタカナはあまり間違えない。

 でも読めないものは仕方がなかったので、これください、と指差してオーダーを終える。


 なんだろう。シャレオツなカフェーは魔術師御用達なのかもしれない。壁を突っ切ればどこかの大根横丁に通じていたりするのかもしれない。

 いや、わかってる。わかってるさ福沢。俺はお前を残して魔法学校に通ったりなんかしないさ。もう大学生だしな。現在進行形で大学サボっているけれど。


 しかし、福沢が重いのは本格的に問題なのだ。

 すでに腰が痛い。手にもマメができている。しかもこのマメは食えない。困ったやつだ。

 女の子に重いというのは駄目だが、福沢は男だ。たとえ福沢相手でも、俺は言うときは言う男。びしっと言ってやる。重い。


 まずは諭吉を小分けにして保管する場所や、移動手段が必要だ。

 バイクや車に憧れはある。そのための金だってある。しかし、俺には免許がなかった。

 いままで財布に札などないような生活を続けていたのだ。免許を取るお金の余裕なぞ、あるわけがなかった。というかどうやったら取れるのかも知らない。


 運転手付きの車を用意するということも、いまの世の中ではできるのだろうか。じいやみたいな。

 しかし、金の出どころをつっこまれると答えに困る。さすがに『殺された慰謝料に痴女にもらいました』と言っても信じない人がいるかもしれない。

 現代人は人を信じる心というのを無くしてしまった。昔は良かった。縄で模様を付けた土器とかが喜ばれたのだから。


「お待たせいたしました。ご注文は以上でお揃いでしょうか?」


 にこりと笑う店員さんの来訪により、考えを中断。

 注文したモノが何物だったのか、いま届いたものが何物なのか、俺にはわからない。わからないよ福沢。


 目の前には背の高い透明なグラスに注がれた黒い液体。その上には、白くふわふわとした生クリーム状の生クリームにチョコっぽいなにかが居座った、謎の物体が鎮座している。

 これが、過ぎたる力を行使しようとした男の末路。何物かわからないものを召喚してしまい、途方にくれる。


 ひとまず、俺がおずおずと頷くと、店員さんはにこりと微笑んで腰を折り、「ごゆっくりどうぞ」と言い残して去って行った。

 店内にはノスタルジィをくすぐるジャジィなミュージックがプレイされ、なんかあれだ。シャレオツ空間だ。

 そのシャレオツ空間のなか、俺の目の前には、白黒のグラスが鎮座して、存在感を主張している。ジュラルミンケースに封じられた無数の福沢たちは、俺を助けてはくれない。

 隣に置かれたただの水がやけに眩しい。氷がカランと涼しげな音を奏でた。


 ええと、直前に何を考えていたんだったか。

 そうだ、重いんだ福沢は。重い男なのに多くの人から愛されるなんて、世の中結局金なのだなと悲しくなる。


 福沢は重い。しかし、あのボロアパートの中に置いておくのも憚られる。たまに大家さんとこの息子が侵入して俺の素麺(そうめん)勝手に食ってたりする。

 そういうこともあってアパートの住人に女性はいないし、空き家だらけ、住んでいるのは訳ありか、俺のように金のない者だけなのだった。

 今は違う。俺には心強い力がある。金だ。福沢だ。100万円の束が200個以上あったのだから、なんかいっぱいの福沢が俺に力を貸してくれる。俺の力と化してくれる。


 安全に諭吉を匿える場所が必要だ。金庫を置くにしても、ボロアパートでは金庫ごと持っていかれるか、床が抜けるか、どちらかだろう。そもそも金庫を置くスペースもない。この間床に均等に並べた単四電池が邪魔なのだ。

 大金があるならば銀行に預けるというのが一番安全なのだろうが、口座残高が低空飛行か不時着かを繰り返している口座にいきなりたくさんのお金が預けられたら、たぶん、面白いことにはならない。

 そうと決まれば引っ越しだ。そのためには――家を探さねばならない。


「苦ッ!」


 喉を潤そうと手を伸ばした白黒のちるちるちんちーのは、とてもとても苦かった。



 ―◆◆◆◆◆◆



 平岡は、ずり落ちそうになる眼鏡の位置を直して、汗を拭った。

 入社4年目、数々の商談をまとめてきた中堅営業である。

 中には今回のように、不可思議な案件を執り持ったことも、ある。

 こういった手合いの大抵は冷やかしであり、いっそ営業妨害ではないかと思う。

 それでもごくごく少数ながら、実際に金持ちのボンボンのような者が紛れていたりするのだから、侮れない。

 そう。平岡はお客様を侮らない。

 それがたとえ、あからさまに胡散臭く、さらに服が若干魚臭く、金を持っていなさそうな若者が、重そうなジュラルミンケースとロボット掃除機の箱を両手で抱えて入店してきた場合でもだ。


野梅学院大学(やばいがくいんだいがく)に近いところで、できれば平べったい家がいいな。

 現金一括で、あ、そうだ学割効くとこない?」


「しょ、少々お待ちくださいませ」


 平べったい家? むしろ傾いた家に住みたい者がいるのだろうか?

 現金一括購入で学割。意味不明だ。


「いやー、俺、掃除が苦手でさぁ。

 ロボット掃除機(コイツ)に憧れっつうのかな。なんていうか、かっこよさ、みたいなものを感じてて」


「はぁ」


 楽しげに語る若者に、平岡は困惑する。

 物件情報を検索しつつも相槌を打つ平岡の目は、画面に表示される物件たちの上を滑る、滑る。


「コイツが活躍できるような家だと嬉しいな!」


「左様で」


 なぜ物件を決める前にロボット掃除機(それ)を買ったのか、真剣に問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。

 いや、引っ越し前に前の家を片付けるために買ったのだ。そうだ、そうに違いない。そうだと思いたい。

 野梅学院大学の平均的な学力を思い出し、それでも暗澹たる気分になりそうな自らの心を、平岡は叱咤する。彼はプロなのだ。


 現金一括。

 保証人なし。

 銀行との35年ローンを前提に組まれた売値。

 平岡の頭はぐるぐるとめまぐるしく回る。まるで出口のない迷路を彷徨うように、同じ場所をぐるぐる、ぐるぐる。


「あの――せめて保証人はつけられませんか。

 ご両親のどちらかだけでも……」


 できるだけ、取り扱ったことのある案件に近づけたい平岡。

 しかし若者は腕を組み、ぐむむ、と唸り声をあげ、虚空を見つめる。ついそちらを振り返ってしまう平岡。

 そこには社員のモチベーションをあげるためだとかいう、気持ちを逆撫でするようなポスターが貼られているのみである。


「両親は、いまはとおいところにいるんだ」


「それは……失礼いたししました」


 迂闊なことを尋ねてしまったか。


 いや、誰にでも聞くことだし……両親の生命保険で金が入った、という可能性もある。そうだ、きっとそれだ。

 平岡は己の心を奮い立たせる。

 桐常雅臣の両親は共に健在で、いまはカンボジアで半ば遊びつつ働いていることなど、当然のことながら平岡が知る由もない。


「では――下見のために車を回して来ますので」


 いつもはうるさい課長も、一緒に昼飯を食いにいく同僚も、受付の気になるあの子も、誰も平岡と目を合わせない。

 面倒な案件の火の粉が散るのは、誰だって御免被りたい。平岡だって、そうだ。

 しかし、平岡はプロだった。悲しいことに、彼はプロだったのだ――。



 一軒目を眺め、二軒目を巡り、三軒目を隅々まで確認する。

 駅からも大学からもほど近く、近くには公園もあり、閑静な住宅街。2階建で、6SLDK。

 ウォシュレット付きのトイレが各階ひとつ、徒歩圏内にスーパーが2軒。新築1年。

 こんな良物件が残っているということは、往往にして値段に折り合いがつかないのだが。


「よし! ここにしよう!」


 若者は、抱えたままだったジュラルミンケースをどかりと降ろす。

 フローリングに傷でもついたら、内覧時における損傷は監督責任になる。

 内心悲鳴を上げたいところだったが、平岡は必死でそれをのみ下す。平岡はプロなのだ。


「あの、お気に召しましたか」


「おう、いいね。実にいい。この家、いくら?」


「少々お待ちください」


 困惑したまま社に連絡を入れ、権利者に取り次いでもらう。

 ほどなくして、答えは返って来た。


「あの。6800万に、諸経費がかかります」


「ショケイヒ? 物騒だな……。死んだとこだぞ……。

 そうだ、学割使える?」


 再び、学割について尋ねられる。

 そんなもん、ねぇよ! と跳ね除けてしまいたかったが、平岡はプロなのだ。悲しいほどに、プロだったのだ――。

 クライアントの要望に従い、学割とか、あの、ないです、よね……? と問い合わせる。電話口の先からは呆れか哀れみが、ため息に乗って返って来た。



「学割ってことで、6720万と諸経費、ということにできるそうです」


 電話を切った平岡が応じると、若者は実に嬉しそうに鼻をこすった。

 実際は学割ではない。普通の交渉による値引きだ。しかし、学割ということにしても、誰に迷惑がかかろうこともない。平岡はプロなのだ。


「じゃ、この家売ってくれ。

 ラッピングはいらないよ。袋もいらない。シールでいい」


 バカっとジュラルミンケースを開いて笑う若者と、ケースの中から真顔かつ無数の福沢諭吉に見つめられ、平岡は今度こそ泡を吹いた。

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