記憶なき依頼人
では、話を元に戻そう。
兎に角、ここで僕が叶愛さんに返した反応は言うまでもないが、愛情を表現された側としての対応ではなく、毒舌を受けた側としての対応である。
「——って、待ってください叶愛さん、褒めて上げてから突き落として下げるの早すぎませんか? っていうか、僕結構まともな事言ってると思うんですけど……、無実の証明なら探偵より弁護士に頼むべきでしょう」
「だから馬鹿なんですよ、尚弥は。
頭に脳みそ入ってます? もしかして固まった焼きそばでも代わりに入ってるんじゃないですか?」
「その例えはやめてください、焼きそばが今後食べにくくなります!」
「それはそれとして——」
と、また勝手に話に区切りを挟み込む叶愛さん。
「尚弥の考え方は一理あります。どころか、そんな事は誰でも思い当たる真っ当な答です。普通に暮らしていて身につくレベルの知識で考えるならば、無実という潔白を自ら話せるなら、警察で話すなり弁護士に頼るなりするのは至極当然の流れでしょう。でも彼女……今回の依頼人にはそれが不可能なんですよ。だから探偵である私を頼ったんです」
「不可能? えっと、それってどういう事ですか? いや、いくら女子高生って言っても18歳ならそれ位の知識くらい普通に……」
「だから……」
ここにきて叶愛さんは心底呆れたような溜息を吐きだす。
なんなら、言葉と溜息が同時に口から外に出てきたような感じすらあり、酷く落胆してる様にも見える。いや、まぁ、この場合、落胆させているのは僕という事になるんだけれど——。
しかし、どうして僕がここまで落胆され、あまつさえ、溜息まで吐かれているのか僕自身には見当すらつかない。
僕は聞いた情報だけを整理し、僕の中に備わっている常識という知識から導き出せる当然の答を返しているだけに過ぎないのだから。
それとも何か、今時の女子高生——言う所の十代の若者と言うのは“そんな常識すら身についていない”と捉えるべきで、間違っているのはそんな常識、と言うか知識位は備わっているだろうと考える僕の方なのだろうか?
いやいや、それは流石に大袈裟だろう。と言うか、最近の若者を馬鹿にし過ぎである。
無実ながら殺人の汚名を着せられている、そんな状況で“民事に過ぎない探偵に頼るよりも、弁護士に頼る方がよほど確実だ”という事はやはり目に見えている。
それに、ここまで気付かなかった自分がほとほと情けないが、容疑をかけられているのは“女子高生”なのだ。
言い方を変えれば“成人してない一人の少女”である。
だとするなら、親が居るはずだ。
百歩譲って、その依頼人の女子高生が探偵である叶愛さんに“無実を証明して欲しい”と依頼した事を飲み込んでも、娘が今正に殺人犯にされようとしている時に、“探偵を雇う”などと、それこそ常識外れ、見当違いと言わざるを得ない選択をするものだろうか?
——と、ここまで考えたのであれば、この時の僕はもう一歩踏み込んで考えるべきだった。
少なからず、そうしていれば、簡単に辿り着けたはずの答にここまで長々と時間を費やす事もなかったし、叶愛さんのあの毒舌も聞かずに済んだ筈である。
依頼人が何故、女子高生だったのか。
そこにまず、注目するべきだったのだ。
そして、叶愛さんはちゃんと、こう言ってたではないか。
“無実という潔白を自ら話せるなら警察で話すなり、弁護士に頼るなりするのは至極当然——でも彼女……今回の依頼人にはそれが不可能なんですよ”と。
そう。
“しない”のではなく、“出来ない”理由がある。
だからこそ彼女、白夜叶愛は“不可能”という言葉を選んだのだ。
とは言っても、そこまで思考が行き着かないのが僕の非常に残念な所でもあり、叶愛さんは呆れながら、そんな僕に言った。
いつも通りと言えばいつも通りに、僕の思考回路を先回りして。
「尚弥の事だから、そもそも親が探偵より弁護士を雇うべきだという結論に至らないのか、とか言い出しそうですから先に答えておきますけど、今回の殺人事件では依頼人の家族が殺されているんです」
「え……?」
「被害者が依頼人の家族であり、その殺人事件の容疑者がたった一人の生き残りである依頼人という事なんです。つまり、両親共に既に亡くなっているんですよ」
「そんな……、ちょっと待ってください、叶愛さん! どうしてそんな事件の容疑が唯一生き残ったその女子高生に向けられているんですか、18歳の女子高生が自分以外の家族を殺害したなんて、どんな状況になればそんな疑いが——」
「事件現場に居たんですよ、彼女」
思わず感情的になり、半ば食い気味に問いただし始めていた僕とは対照的に、叶愛さんは落ち着き払った声で、あくまで冷静な口調で、被せるようにして僕の言葉を返してきた。