記憶なき依頼人
「話を元に戻して、依頼内容なんですが、殺人事件の無実の証明をして欲しいという事なんですよ」
「殺人……ですか」
なんとなくだけれど、そんな予感がしていなかった訳じゃない。
いや、普通に考えれば一介の探偵が殺人事件の調査の依頼を受けるなど、あり得る話ではない——そもそも叶愛さんが探偵として行うその探偵業の範囲が異常なだけで、本来なら探偵は民事の枠を越える刑事事件に関与が出来るはずないのだ。
そして、僕も善良なる一般市民の一人に過ぎない以上は殺人事件というキーワードを聞いて得心したかのような態度をとるのもおかしい話である。この話を持ってきたのが叶愛さんでなければ、僕も普通に驚いていたと思う。
彼女なら、殺人事件などという探偵にとってどんなに稀有な依頼でも、とって来そうだと思ってしまうのだ。得心してしまう。
「あら、驚かないんですね」
叶愛さんは僕の反応を窺い、関心したような、そんな調子を声に混ぜて、目を見開いていた。
お得意のまん丸い目だ。
自分の芸にでもしようとしているのかは知らないが、大きく見開いたこの丸目が本人にとってはお気に入りのようで、今日会ってから既に何回も見ている表情だ。
そこに関しては、これはこれで可愛いので、僕も余計なツッコミ、もとい口出しはしない。
「えぇ、まぁ——あり得なくはないと思ってたので……」
「流石、尚弥。流石は私の恋人です」
恋人は関係ないけど……、まぁ、言われて悪い気はしないので、照れ隠しの意味も込めてここは軽く流しながら話を続ける。
「それで? “無実の証明”って言ってましたけど、それってどういう事なんですか? もしかしてその依頼人の女子高生が犯人として疑われている……とか、そういう事ですか?」
「おぉ……! 今日は冴えてますね。尚弥の頭の回転が早くて私も嬉しいです、やはり貴方に協力を求めてよかったです! 尚弥が私の恋人で本当に良かった」
「いやでも待ってください叶愛さん、それなら探偵である叶愛さんに依頼するんじゃなく、弁護士とかに相談した方が良いんじゃないでしょうか? 確か、叶愛さんって双子の姉妹がいましたよね? 妹さんが弁護士をしてるって話を前に結ちゃんから聞きました。今回の事件の概要はまだよく分かりませんけど、叶愛さんが妹さんをその依頼人に紹介し、ちゃんと無実である事を訴える事が出来れば……」
「はぁ……」と、叶愛さんの溜息が聞こえて来て、僕は自分の口を閉じた。
これ見よがしに左肘を机上に置き、額に左手の拳を当て、参ったな……、みたいな態度を目の前でとられては黙るしかないではないか。
「いやぁ……どうも尚弥の頭の中は今日も曇天で霧だらけみたいですね。頭の回転が悪い事この上ない。やはり協力を求めたのは失敗だったかもしれませんね……、まぁ、恋人で良かった事に変わりはありませんが」
さっきと言ってる事が真逆である。最後以外。
と言うか、ここまで来ると流石の僕も看過出来なくなって来るのだが——そもそも、看過などという言い方が正しいのかも疑問ではあるのだけれど、この人……、つまり、白夜叶愛についてだけれど、この人は僕に容赦無い毒舌を語る反面、どうも僕の事が好き過ぎる傾向がある(こんな事を自分で言うのもおこがましい限りで恐縮だが)。それも“人として”ではなく、あくまで“恋人として”僕の事を好き過ぎている。分かりやすい表現を使うなら“愛しすぎてる”と言っても過言にはなるまい。
だからと言って、別に問題はないのだけれど。
話が本格的に展開を見せようとしてる今に限って持ち出すべき話でもないし、むしろ、こんな誰もが憧れ、誰もが羨むような清純派美女に心の底から愛されるだなんて、全世界の(とまでは言い過ぎだとしても)男性の夢と言ったって良いはずである。そこに文句はない。
ただ、そろそろ触れて置こうと思っただけだ。
元々、常軌を逸した異常な探偵ではあるけれど、節々に垣間見えるその異常な愛情にも、語り部ならぬ恋人として、触れて置こうと思っただけである。