記憶なき依頼人
「因みに、結は今別件で手が離せません。
そこで、かつて私の事務所の一員として働いてくれた尚君にと思いまして」
「あのですね、今さっきも言いましたけど、僕が探偵として捜査する以上は探偵業法に基づいてちゃんとした手続きをですね——」
「私にそんな法律は関係ありません——って、前にも言ったでしょ?」
「そう言えば言ってましたね……、いや、でも——」
「往生際が悪いですねぇ……、分かりました、ではこういう事でどうです? 貴方の彼女が貴方の目の前で困っています……、さぁ助けて頂けないんでしょうか?」
「いや待ってください! それ言い方を変えただけで結局のところ法律に——」
「へえぇ……、助けてくれないんだ」
ふぅん——と、わざとらしく何度か頷いて見せる叶愛さん。
その後に机の上に両肘をついて、両手の指を絡ませたその上に顎を乗せ、僕の方をじっと見てくる。
「そうですか、そうですか、尚君は私が困っていても助けてはくれないんですねぇ……、恋人が困っているのに助けてあげないなんて、尚君、中々のドSですね」
叶愛さんにだけはドSだとか言われたくない。
と言うか、その薄ら笑いはかなり怖いのでやめて欲しい——とは言っても、どんな表情を取っても綺麗な顔立ちなだけに様にはなっている……、実に絵になる。
だが、ここで僕が感じる“怖い”は“読み取れない叶愛さんの感情が”という意味であって、故にその表情をやめて欲しいのであって……、決してその薄ら笑いが変顔同然のおかしな顔になっているとか、そういう訳じゃない。
間違ってもそうじゃなく、むしろ、この人にそんな顔をさせる方が難しい。
「そっかぁ! 尚君は放置プレイがお好きなんですね?」
わざと大きな声でそう言って、周りの視線を集めようとする叶愛さん。
手口が悪どい。誰がドSだって? と、訊き返したい。
「分かりました! 分かりましたから、それ以上、大きな声で誤解を招くような発言は慎んでください!」
しまった。却って僕の方が大声を上げて、周りの視線を集めてしまった。
叶愛さんは目の前で得意の目を見開いたきょとん顔を決め込んでいるし、もう本当に勘弁して欲しい。
既に午後11時半を時計の針が示そうとしているとは言え、店内にはそこそこお客さんがいるもので、こういう時の方が満席で騒然としている時よりも逆に目立ってしまったりするのだ。
僕は一つだけ咳払いを入れて、周りの視線を気にしつつも、目の前の名探偵との会話に集中する——周りの視線を振り払うように。
「それで? 何なんですか? 頼み事って」
「あれ、ドSプレイはもういいんですか?」
「叶愛さん、お願いですから会話を元の軸に戻してください、僕にお願いしたい事があったんですよね?」
「えぇ、断られましたけど」
しつこい。
頑なと言うか、最初に断られた事を根に持っている。
どっちがドSだか……、ここで叶愛さんに意固地になられては話が一向に前に進まないのだ。
「別に意固地になんてなってませんから」
僕の心中を読み取ったのか……、または、一方的な以心伝心がまたもや行われたのかは定かではないけど、間違いなく声に出してない台詞にそんな答を頂いた所で、僕はため息を吐いた。
「だったら話してくださいよ、今度はちゃんと訊いてるんですから!」
「だったら先に言う事あるでしょう? 恋人に一度とは言え、お前が困って居ようがワシは助けてやらんぜよと啖呵を切ったのですから、何か私に言うべき事があるんじゃないです?」
そんなどこぞの癖あるキャラクターみたいな言い方なんかしていないし、そんなニュアンスの台詞すら言った覚えはない。
が、ここは黙って僕が折れるべきなのだろう。
彼女、白夜叶愛と言う名探偵の物語を、他ならぬ僕自身が語り部として語っている以上、せめてその物語の進行位は筒なく行いたいと思う。
ましてや僕がその進行を妨げるような事は本来あってはいけないのだ。
「すいませんでした……」
「はい?」
叶愛さんが耳に左手を添えながら聞こえませんでしたアピールを取る。
右手はいつの間にか机の下におりている。
「いや、だから……、すいませんでした」
「はい、まぁ愛する尚君がそこまで謝ってくれるなら許して差し上げる事も吝かではありません。ただ、差し出がましいようですが、謝る程度なら最初からすんなり話を聞いてくれれば良かったのでは? お陰様で貴方が心配していた消灯時間も私の体調もどんどん悪化してるじゃないですか」
「えぇ?! 体調、悪化してるんですか?!」
「それはさて置いて、本題に入りますが——」
物凄い遮り方をしてくれる。
ここで話を堰き止めたら話は再びループする事になるだろうから、迂闊に止めに入れない。
叶愛さんの体調は凄く気になるが、止むを得ずここは聞き手に徹する事にした。
彼女の性格を考慮した上で。
「まず尚君にお願いしたい内容を話す前に、全体的な事の経緯からお話したいと思います」
「つまりそれが僕への頼み事に関わってるって事ですね?」
「あなた馬鹿なんですか? ここで全く関係ない話をし始めたら私は名探偵どころか常識人として疑われなければならない人間になっちゃいますよ」
——いや、既に常識人としては疑われる範疇に十分と入っている気がするけれど。
馬鹿という単語だけでも初対面の頃からもう何度聞かされた事か……、挙句の果てには出来の悪い脳だのなんだの言いたい放題言われている僕である。
「ごめんなさい、続けてください」
思った事を言えず、いや、言わずに我慢してこうして彼女に合わせるのは最早お約束に近いパターンとして形になりつつある。
「言われなくてもそうします」
と、つんとした対応が返ってきた所で、それ位では僕も既に動じず黙って彼女の話を傾聴する。






