記憶無き依頼人
だとすると僕は探偵事務所に向かえばいいのか? という疑問も、より一層その疑問性を増す。
——とは言いながらも、実はその疑問に関してはそこまで悩む問題でもない。
簡単に解答を得る方法がある——というか単刀直入な解決法だ。
そう、僕の方から改めて叶愛さんに電話をすればいいのだ。
そして疑問の答えを聞いた後で、僕は行動に移ればいい。
「僕はどこに会いに行けばいいんですか?」と、訊けばいいのだ、それで万事解決だ。
ただ、もう一つ問題がある。
それを訊く前に、彼女に訊くわけにもいかない問題が。
それは、行けば電車の終電がなくなるという事。
仮に探偵事務所に行けばいいのだとしても、行きは行けても帰りの足がない——電車がない。
まさか、“会いに来いと言われて会いに来たのだから一晩泊めさせろ”なんて僕が言える訳もないんだし、そもそも言うつもりもない。
こう見えても女性との付き合いに関しては清く正しく誠実にをモットーにしている僕だ。
こんな事を言うとまた偽善者だなんだと批判を浴びる事になるかもしれない事は重々承知の上だが、出来る事なら、僕は僕として、一人の男性として、紳士でありたいと常に心がけている。
だから、本当は会いに来いと言われたからと言ってこんな夜分遅くに会いに行くというのは後ろ髪を引かれる思いなのだ。
ただ、相手が白夜叶愛でなければ。
後で浴びせられる恐れのある彼女の毒舌の事を考えると、やはり会いに行こうとする僕なんだけれど。
僕は財布の中身を開いて溜息をついた。
そこには僕の全財産、今月の生活費が入ってるのだが。
僕はその中身としばらく睨めっこした後、スマートフォン片手に立ち上がった。
——仕方ない。行くだけ行って、近くのビジネスホテル、もしくはインターネットカフェにでも泊まろうか。
——なんて半ば諦めながら、叶愛さんに電話をかけようとした時、僕のスマートフォンが再び振動した。
僕はすぐさま画面を見る。この短時間で3回目の着信であり、何処かで見ていたかのようなタイミングで、そこには“白夜叶愛”と表示されていた。
「もしもし? 白……叶愛さん?」
『……』
「あの……今度はな——」
『今また私の事を“白夜さん”って呼ぼうとしました?』
誤魔化す為にすぐ用件を訊こうとしたのだが、叶愛さんがそれを見逃してくれる筈もなく、すぐに言葉を被せられた。
「してません。一切してません」
無駄な抵抗——推理小説なんかで言うなれば犯人が犯罪を否定するかのように、僕は真実の隠蔽を試みた。
そんな事を叶愛さん相手にした所で、結果は見えているのだが。
『吐くならもう少しマシな嘘を吐いたらどうですか? バレると分かっていながら負けを認めないなんてそんな薄っぺらい意地だけを張った所でとてつもなくダサいだけですよ』
「はい、すいません……」
当然だが、このように、軍配は叶愛さんに上がる——探偵に上がる。
決して犯人には(って僕はそこまでの罪を犯した訳でもないけれど)軍配は上がらないように出来ている。
いわゆる、法則的な仕組みに近い。
現実的ではない、まるで、推理小説か何かのような法則。
「——所で、今度はどうしたんですか? まだ何か伝え忘れた事でも?」
『そろそろかなぁと思いまして』
「? 何がです?」
『何処に会いに行けばいいのか分からない事に気付いて、それを確認する為に今度は自分から私に電話をかけようとするタイミングが、ですよ。言わなきゃ分かりません?』
相変わらず馬鹿なんですね——と、最後に付け足す。
いやはや、彼女の毒舌は今日も絶好調だ。
あと数時間でその今日も終わるが、絶好調だ。
「あ、あぁ——そうですそうですとも! でもよく分かりましたね? 僕が正にそうしようとしてた事まで」
『彼女ですからね』
いやいやいや、どんな以心伝心だよ。
思わず内心で——って言うと、思わずなのに思ってる辺りあべこべだけど——ツッコミをいれたが、いやはや、ここは意思疎通というべきだろうか?
まぁどちらにせよ、疎通も伝心も僕の一方通行であり、僕にはおよそとして奇想天外な彼女の意思は伝わって来ていない。
以心もへったくれもない。
そんな非科学的な理由をさも当然のように口にされても、僕が反応に困るだけである。
「……」
『どうかされました?』
どうかされてるのは最早、僕ではない気がするが、叶愛さんは僕の沈黙が本当に不思議だという勢いで訊いてくる。
恋愛というのはここまで人をポンコツにするのだろうか?
『ポンコツなのは尚君の頭の中だから、私まで巻き込まないで』
「いや僕何も言ってませんよ?」
『言ってないだけ——思ってたんでしょ?』
「……」
『ほらね、図星』
変に色っぽく言う辺り、少し苛々したけれど、全部彼女の言う通りな辺りがまた悔しい。
そんな事より話が脱線し過ぎだろう。
もういい加減、話を戻そう。
戻して——進めよう。
「あ、えっと、それは置いといて——それで、僕は一体どこに行けばいいんですか?」
『置いとかないですよ? ねぇ、私の事、ポンコツって思ってた所は認めるんですよね? どこら辺がポンコツ?』
「いや、叶愛さん、話を戻しましょう、お願いですから」
『ポンコツなのは尚君の頭の中だから——』
「そこじゃないです! 戻らなさ過ぎです! どこに行けばいいのかという所まで戻してください! 」
食い気味にツッコミを入れた。
『……それはそうと、話を戻しますが』
いや、何がそれはそうなのかは全くもって分からないのだけれど——むしろ要求通りに戻すと言い始めたら、その日本語はおかしい事この上ないんだけれど、およそ僕のツッコミに彼女の気分がシラけたのだろうと推測する。
興醒めというやつだろう——彼女は僕のツッコミに対してかなりシビアな対応をするきらいがある——明らかにしれっとした口調になり、言葉の続きを口にする。
『病院です』
と、それだけ言って「え?!」と驚く僕の反応を、やはり待たずして通話は遮断されたのだった。