記憶無き依頼人
最後に三つ目、これは最早、ミステリー好きには鉄板のトリックというべきか、王道と呼ばれるものである事に違いないのだろうけれど、よもや現実でそんな状況が出来ていた事件が起こり、それに関わる事になるなんて想像すらしていなかった——密室である。
今回の殺人事件は外部から人が出入りする事が完全に不可能な状態の中で起こったものだったのだ。
密室殺人——なるほど。どうやら彼女、今回の依頼人がどうしてそこまで執拗に疑われているのか……、僕もやっとそれに得心出来たのは“現場が密室だった”というこの話を聞いた時である。
それでも、被害者一家の唯一の生き残りとして、ましてや、この事件をきっかけに記憶を失ってしまったという彼女が疑われる事に得心は出来ても、妥当な判断とはどうしても思えない。僕の気持ちは少し複雑なライン上を行き来してるかのようだった。
ともあれ、この“密室空間での殺人”こそが今回の事件の最大の謎であり、依頼人の彼女を容疑者たらしめている大きな原因と言って過言ではない筈だ。
つまり、密室の謎さえ解ければ、或いは彼女を容疑者から外す事はそう難しくないのではなかろうか? ——と、僕がそんな感じの事を叶愛さんの目の前で言った時、叶愛さんは「うーん……」と、左手に冷めたポテトを持ったまま天井を見上げ、珍しく考え込むような素振りを見せた。
「——確かに今回の事件、この密室状態が鍵を握っているのは確かですが、私が注目しているのはもっと別の所なんです」
「別の所……と言いますと?」
「消えた凶器の場所です」
ファーストフード店の天井を見つめたまま、その答えは即答だった。
そして、僕の頭上には当然ながらいくつもの疑問符が浮かび上がり、眉をしかめる——言っている事が意味不明だったからだ。
「え、いや、待ってください叶愛さん、それはさっき現場に行けば簡単に見つかるって言ってませんでした?」
僕の切り返しに、叶愛さんの視線がゆっくりと降りてくる。
天井から僕に、ゆっくりした動作で頭と一緒に視線が動いている。もしかして、眠たくなってきているのでは?
何せこの時、既に時刻は深夜一時を回っていたのだから、叶愛さんに睡魔が襲いかかっていたとしても不思議ではない。本人には言わなかったけれど。
「えっとですね……確かに、凶器のある場所は大体見当がついてるんです。現場に行けば分かると思います。問題は凶器のある場所が家の外か中か、の違いなんです」
「どういう事ですか? 」
「頭の中が空洞ですっからかんの尚弥にも分かりやすく説明するなら、凶器がもし外にあった場合犯人が現場を密室にした意味がないんです。中に優里さん——あ、依頼人ですが、優里さんを残し、密室を作って折角彼女を犯人に仕立てあげたのに、肝心の凶器が外で見つかってしまっては元も子もないという話です。むしろ、凶器が消えていて簡単に見つからないという現状自体がおかしな話なんですけれど」
ここまで一貫して依頼人の名前を伏せていたにも関わらず、ポロっと言ってしまうとは叶愛さんらしくないミスである。
やはり眠たいのだろうか?
いや、簡単に明かしてしまう辺り、やはりいつもの叶愛さんらしいと言えば叶愛さんらしいが。
「つまり、犯人が本当に依頼人のその優里ちゃんって子じゃなかった場合、凶器は尚更事件現場になければ密室殺人という状況を作り出すメリットが真犯人にないって事ですよね?」
「何気安く私以外の異性の事を名前で呼んでるんですか、舌ちょんぎりますよ」
笑えないブラックジョークである。この際、嫉妬をしてくれる分にはもう全然構わないけれど、付き合いたてのカップルとしてもう少し砂糖を多めに含んだジョークにして欲しい。じゃないと飲み込めない。
そもそも、そんな事を言い出せば僕は既に叶愛さんの本当の助手に当たる桜井結の事をとうの昔に名前で呼んでいるではないか。
と、口に出して言い返しはしないけども……。
「——ではそろそろお話をまとめます」言い返さない僕を横目に叶愛さんはそう言いながら大きな欠伸を一つ挟む。
あ、やっぱり眠たかったんですね、はい。
「簡潔明瞭にまとめますと、依頼人、遠藤優里さんの御家族、母、父、弟が殺され、事件の第一発見者は事件現場で記憶を無くした状態で目を覚ました優里さん。
事件発覚時の事件現場は出入口と言える場所全てに鍵がかかっており、外部からは出入りする事が不可能な密室状態。おまけに現場からは凶器が消えていて、まだ見つかっていません」
「で、僕が叶愛さんに頼まれたお願い事が遠藤優里に家族を殺す動機があったのか、ですね? 特に父親に対して」




