記憶無き依頼人
〜〜4
現実の世の中に置いて起こる殺人事件に“トリック”などという概念はまず存在しない。
同様に、推理小説なんかでよく見かける名探偵に有りがちな、事件の謎が分かっていながら「今は話せない」「明日話します」などと事件解決を語る事をもったいぶる輩も現実にはまずいない。現実で起こる事件というのは実に生々しく、目の当たりにすれば悲劇そのものとしか言えないものばかりだ。
そんな人の不幸を目にしながら、図らずしも関わってしまった者の身としては、そんな発言はとてもじゃないが出来ないのだ。
犯人が分かればすぐに言うべきだし、現実的な話をするなら、怪しいと思った人物がいるだけで、別に証拠や動機が分からなくても僕達は普通にその情報を提示する事を惜しまない。
叶愛さんがどれほどの名探偵であれ、推理小説の中のような名探偵になり得る訳がないのだし、これがドラマの中の舞台でない以上、警察の仕事は警察に任せるべきだ。
証拠や動機は警察が見つけてくれる。犯人も。
それを全て解決してしまおうなんて、それこそ、民間人の差し出がましい行為と言うべきだろう。
ゴールデンウィークが終わり、この事件の解決を見た後日に僕はこの小説を執筆している訳だけれど、その時に隣にいた叶愛さんにこの文面を見られ「まぁ冤罪ってそういう何でもかんでも人任せにしてしまう民間人の思考が発端となって作られていくんですけれどね、民意って怖いですねー」と言われた。(この文面を後で付け足した事に置いては勿論秘密であるし、発売時にはこの部分は間違いなく全面カットしてもらう仕様だけれど)。
——閑話休題。さてゴールデンウィークの初日に戻ろう。記憶の追体験に。
今回の事件について聞けば聞くほど、僕の頭の中はこんがらがり、同時に、この事件の難解さと奇妙さを思い知らされる事になった。
それを今から順を追って説明していこうと思う。
いや、勿論、叶愛さんとの会話の続きを綴れば良い話なのかもしれないけれど、それをしていれば小説一冊分などあっという間に彼女の毒舌語録として出来上がってしまうので、少しだけ割愛する事にする。
あくまでこれは僕、新橋尚弥が執筆する、探偵として活躍する白夜叶愛の物語であり、その記録なのだから——。
では、話を元に戻そう。
この事件を難解にしている奇妙な点というものを順をおって話していこうと思う。
まずは一つ目。これは既に叶愛さんとの会話にも出た事だが、そう、この事件の依頼人が記憶喪失だという事である。
しかも依頼人はこの事件の第一発見者でもあり、一家殺害という悲惨で凄惨な事件現場に唯一、一人で無傷で生存していたという。
故に、彼女は第一発見者であり、生存者であり、警察からはこの事件の容疑者としても疑われている。
叶愛さんは警察のこの見解に対し「現状ではそれが妥当の判断だと思います」とも付け足すように言っていた。
僕には何が“妥当の判断”なのかは全くもって分からないのだけれど。
次に二つ目、遺体の刺傷と凶器。
これに関しては叶愛さんに話を聞かされた時、生々しい光景が頭の中に浮かび、僕としては表情を歪めざるを得なかった。
まず、殺された人物は依頼人の父親と母親、そして依頼人の弟の三名だったらしいのだけれど、母親と弟は正面から腹部に刺された痕があり、何故か父親だけ、背中から何十箇所にわたり滅多刺しにされていたというのだ。
母親と弟とは違い、父親だけが念入りに、息の根が止まるまで凶器を刺された事になる、当然そうなってくると殺害に及んだ強い動機がある、と、そう考えるのは極自然の流れだろう。
その動機が、生き残った娘(つまり今回の依頼人)にあったのか……、これは僕が叶愛さんから調べて欲しいと頼まれた一つ目のお願い事でもある。
そして凶器だ。
刺傷というからには勿論、ナイフや包丁と言った類のものが凶器に使われたと推察される所なのだが、聞いた所、今回の事件現場では凶器がまだ見つかっていないのである。
凶器なき殺人事件……、いや、実際に凶器なくしては刺傷をつけた殺人など不可能としか言えないのだから、どこかに必ず、“それ”はあるはずなのだが、それが未だに見つかっていないのだ。
一体、この事件に使われた凶器はどこに消えたのだろうか? 頭を悩ませる僕に、叶愛さんは「これに関しては現場に行けば恐らく簡単に分かると思います」などと澄ました顔で言っていたが、何故、話を聞いただけの段階という点では同じ状況下の筈の叶愛さんにそこまで言いきれるのか、僕からすればそこからして不思議でならない。




