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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ハイスピード会長B8

作者: 竜夜

 午前7時半、日本のとある町の商店街に少年が一人歩いていた。


 前髪が少し目にかかる男にしては少し長めの黒髪と黒水晶のようにすんだ瞳。紺を基調とした学生服を着込んだその姿は黒ずくめといった様相だが、肌の色は対照的に病的なまでの白色。身長は高いわけでも低いわけでもなくそれほどがたいがいいようにも見えないのに背中に鉄心でも通ってるのではと思うほどの姿勢の良い立ち居振舞いと堂々とした所作はある種の気品と力強さを感じさせる。極めて整った容貌も相まって非常に人目を引く容姿だ。


 早朝ということもあり未だ閉まっている店も多く昼間ほど活気に溢れているわけではないがすれ違う人は例外なく視線を吸い寄せられ人によっては感嘆の溜め息を洩らしていた。


 少年の名前は春火瑛斗(はるびえいと)。私立黒上高校に通う高校三年生だ。


 瑛斗は暫し歩いた後、『こまちお弁当屋さん』という弁当屋の前で足を止めた。


「おはよう、瑛斗くん。今日は何にする?今は春の彩り弁当がお薦めだけど。」


 瑛斗が何か言う前に店主の神崎小町が声をかけてきた。この『こまちお弁当屋さん』は彼女が二十歳の頃に開店し、以来五年間営業されてる弁当屋だ。登校する学生のために早朝から店を開けており、弁当の見た目と味のクオリティーもさることながら小町の可愛らしい顔立ちと日だまりのような笑顔も魅力の一つであり、それ目当てに通う顧客も多いとか。


 瑛斗は人当たりの良い爽やかな笑顔を浮かべて応対する。


「おはようございます、小町さん。唐揚げ弁当を一つお願いします。」

「もう、瑛斗くんってばいつもそれなんだから。たまには違うものも食べれば良いのに。」

「俺はこれが好きなんです。」


 小町は頬を膨らませて軽く文句を言ってるが、いつものことなので手際よく唐揚げ弁当を準備する。二人はそこそこ気心の知れた仲なのでその間も幾らか言葉を交わしていた。


「瑛斗くんは今日も格好良いね。」

「そう言う小町さんこそ、相変わらず綺麗です。」

「もう、そんなお世辞は言わなくていいってば。」

「お世辞ではありませんよ。俺がいつも小町さんの日だまりのような笑顔に癒されてるのは事実です。」


 一見恋人同士のようなやり取りだが、瑛斗に下心はない。女性はこういう直接的な賛辞に喜ぶと無意識のうちに理解してるがゆえの社交辞令のようなものだ。一方の小町は赤らめた頬に手を当てて腰をくねくねさせていた。明らかに特別な感情がうかがえる反応だが瑛斗は気づいていなかった。


「あのね、今度の日曜日のお昼に良ければ一緒に食事でもどうかなって・・・」


 少し上目遣いになって小町がお願いする。身長が低い彼女は頼み事をする際には必然的に上目遣いになってしまうのだ。それには一部の例外を除いて男なら他の何を差し置いてでも彼女の頼みを聞き入れてしまう位の破壊力があるが、残念ながらと言うべきか瑛斗はその一部の例外に入っていた。


「すみません。日曜日の昼は臨時でバイトのシフトが入っているので行けません。」

「そっか。まあ、しょうがないか、瑛斗くんは忙しいんだし。」


 しょぼん、という擬音が聞こえてきそうなくらい小町は沈んだ表情になる。


「代わりと言ってはなんですが、土曜日は午後から空いてますのでその日にするのはどうですか?」


 見かねた瑛斗が代案を示すと、小町は先程とはうってかわってバアッという擬音が聞こえてきそうなくらい明るい表情になった。


「本当に!?絶対!約束だよ‼」

「え、ええ。もちろんです。」


 と、思ったら今度は引くくらい確認をとって来た。


(感情の起伏が激しい人だな。)


 そんな小町に瑛斗は内心苦笑する。年齢的には瑛斗の方が下なのに彼の方がよっぽど大人だった。


 やがて小町が唐揚げ弁当の準備を終え瑛斗が代金を払ってそれを受けとる。内容は違えど小町と少し会話をしつつ昼食を購入するのは瑛斗の日課だ。


 なんの代わり映えもないいつも通りの朝。と、思ったら今朝は少しだけ違うことが起きた。


「きゃあぁーー!」


 突如後方から悲鳴が聞こえた。振り向くとそこには目深にフードを被った少年が女性に向かってナイフを振り上げていた。


 誰もが目を覆い直後に起こるであろう凄惨な光景を幻視した。ただ一人を除いては。


 そのただ一人、瑛斗は少年に向かって走り瞬く間に距離を詰めたかと思ったら振り下ろす直前の少年の手首をつかみ投げ飛ばした。握力が緩んだ隙にナイフを取り上げるのも忘れない。


「愚かなものだな。社会に一石投じたいのであればもっと他の方法もあるだろうに。」


 瑛斗は少年に心底軽蔑した視線を向け、あきれ果てたかのような台詞を吐いた。


 少年にも何らかの辛い事情があるのだろう。だが、それを暴力で訴えるのはただの悪だ。なので瑛斗も躊躇いなくその力を振るう。


 少年は尚も諦めず瑛斗に向かってパンチを繰り出す。瑛斗は両手をクロスにして受け後方飛ぶことでその威力を流した。受け止めることはできなかった。少年はそこまで筋肉質という訳ではないしパンチには腰が入ってなかったにも関わらず。


 これには瑛斗も一瞬思案するそぶりを見せた。


「なるほど、薬物で身体を強化してるのか。だとしたら通常の攻撃で無力化するのは難しいな。」


 瑛斗は独り言のように呟いた後、奇妙な構えをとった。


 右拳を左手で覆いそのまま押し潰すかのように圧力をかける。圧力に耐えかねたように右腕からギチギチと異音が鳴るが瑛斗は構わずその構えをとり続ける。


 一方、少年はすでに冷静な思考力を失ってるらしく瑛斗の構えを警戒すらせずに突っ込んでくる。瑛斗は充分に少年を引き付けた後、左手を離した。


閃槍(ランス)!」


 圧力から解放された右腕が神速で閃き揃えられた中指と人差し指が少年の膝を貫いた。


 閃槍(ランス)。左手で右手を押さえ込みそれに抵抗するように右手では押し出す力をこめ力の拮抗が臨界点に達したときに解放する技だ。指を揃えて抜き手のように打つことで指先に力が集中しその威力はライフル弾に匹敵する。だが、体にかかる負担が大きいので使用できるのは一日二回までという制約がある。


 その直撃をくらった少年は膝を抑えて呻いていた。膝間接の腱を断ち切られたので常人なら激痛で意識を失うだろうが薬物で強化された少年にはそれすら許されない。


 やがて駆けつけた警官に少年の身柄を引き渡し、瑛斗はいつも通り登校するのであった。


 



 瑛斗が通う私立黒上高校。校則が極端に緩いせいで不良生徒が集まりやすくそれを揶揄する意味も含めて黒高と呼ばれていた。


 とはいえそれも過去の話だ。現生徒会長である瑛斗の手によって今ではどこにでもあるような普通の学校になっている。


 入学した当時の瑛斗はこの学校のあまりの荒れように驚愕し、自分の手でどうにかすると心に決めた。そして、勉学に励み常に上位の成績を維持し続け圧倒的支持率で生徒会長に就任し、暴力に屈しない為に武道を学んで独自の必殺技も編みだし、不良生徒と時には本気で喧嘩したりもして全力で向き合って一人一人更生させ、雑すぎる体制を抜本的に見直し・・・とにかくいろいろ頑張った。


 未だ素行の悪い生徒は何人かいるが、それでも校舎内を当たり前のようにバイクが走っていた時に比べれば随分とましだ。瑛斗の存在は巷では「黒高の救世主」と呼ばれそこそこ有名だったりする。


「「あ、B8(ビーエイト)会長。おはようございます。」」


 校門前に着いた瑛斗に二人の男子生徒が見事にシンクロして挨拶をした。


 片方は重森亮介。高校生にしては身長が低く、159cm。オールバックにした黒髪が妙に決まってる。


 もう片方の金髪の男子は加藤レイヤ。母親がフランス人らしく、金髪は地毛だ。


 二人ともかつて瑛斗が更生させた不良生徒だ。勿論瑛斗も挨拶を返す。


「おはよう二人とも。そのB8というのだが・・・」

「あ、そうそう会長に渡しときたいものがあったんですよ。」


 瑛斗がなにか言おうとしたが、それを遮るかのように口を開いた加藤から缶バッジのようなものを渡される。やむ無く瑛斗は自分の要件を後回しにした。


「なんだこれは?」

「通信機っす。裏の黄色いボタンを押すとバッジどうしで通信出来るんです。俺たちが作ったんすよ。」

「ほう、それはすごいな。」


 すごい。確かにすごいのだが。


「いつ使うんだ?」

「ウッ!ほら、そういう秘密道具って格好いいじゃないですか。」


 瑛斗の疑問に重森がしどろもどろになって答える。今時は携帯電話があるし瑛斗と彼らは連絡先を交換してるので連絡したいならそれを使えばいい。それでも突き返すのは忍びなかったので瑛斗は「記念にもらっておくよ。」と言ってそれをポケットにしまった。


「それで、B8・・・」

「よう、B8。相変わらず慕われてんな。」


 瑛斗の声はまたもや遮られた。今度は大柄な男子生徒に肩を組まれたことによって。


 彼の名は京極庄谷。190cm近くある体格とワイルドな風貌からは一見柄が悪そうに見えるが、実は現生徒会副会長であり高1のときから瑛斗となにかとペアを組むことが多くそれなりに気心の知れた中だ。粗野な見た目とは裏腹に誰とでも屈託なく接するので瑛斗ほどではないにせよ学校でも慕われている。


「おはよう、庄谷。いい加減そのB8というのはやめてくれ。」


 三度目の正直でようやく瑛斗は抗議ができた。


 先程から出てくるB8というのは学校での瑛斗の呼び名で、名字の語尾と名前の音だけを適当にくっつけて庄谷がつけたものだ。瑛斗は好きじゃないんだが止める前に学校中に広まってしまったので最早公認の呼び名になっている。


「いいじゃねぇか。黒高の救世主B8。格好いいじゃん。」

「やめてくれ。」


 庄谷がにんまりと笑い、瑛斗が頭を抱えてうずくまった。ここまで過剰反応する理由はその肩書きが実際に学校のパンフレットに載せられたためだったりする。


「おっはよう、瑛くーん。」


 朝からやけに元気な声が聞こえたかと思うと落ち込む瑛斗に一人の女子生徒が抱きついてきた。


「おはよう、瑠奈。公共の場で抱きつくのはやめてくれといつも言ってるだろう。」

「もう、瑛君ってば照れ屋さんなんだから。」


 瑛斗は律儀に挨拶しつつも注意しながら押し退けようとするが、女子生徒はのらりくらりとかわしてなかなか離れてくれない。


 彼女は千藤瑠奈。瑛斗の幼馴染みで、腰まで伸びた黒髪とすらりと長い手足にどこか神秘的な顔立ちだがその性格はふわふわしていて間抜けなところがある。そして、瑛斗に会うたびに過剰なスキンシップをとろうとするのだ。


「ショウヤンもおはよう。」

「よう、瑠奈。相変わらずお前らはラブラブだな。」

「えへへ、そうかな?」

「やめてくれ!!」

「あ、待ってよ瑛くん。」


 庄谷の茶々に瑛斗は羞恥に堪えられなくなり瑠奈を振り切って駆け出した。その後を瑠奈がのんびりと追いかけ笑いながら庄谷も続く。


 こうして今日も変わらない日常が始まった。

 

 


 放課後。瑛斗は生徒会の仕事を終え庄谷と共に自身が所属するオカルト研究部に赴いた。オカルト研究部とはいっても顧問の上田建は殆ど部活に顔を出さないし、時々それっぽいことはするが大抵は部員が何人か集まってトランプとかをして時間を潰してるだけだ。毎日部活をするのは面倒だが友達をつくるために何かの部には所属しておきたいといった連中が集まる半ば帰宅部のようなものだ。


「瑛くん。みてみて。」


 部室の扉を開けると瑠奈がいきなり翡翠色の宝石のようなものを向けてきた。尚、この部には瑛斗達以外に男子が一人と女子が一人所属しているのだが今日は顔を出していなかった。


「この前造ってた魔宝石がついに完成したの。」

「ああ、例の結晶化実験か。」

「違うよー。魔宝石の錬成実験だよ。」


 庄谷の夢のない発言に瑠奈はひとしきり抗議したあと、その宝石を瑛斗に差し出してきた。


「え、俺に?」

「うん。」

「でもいいのか?こんなに上手く出来てるのに。」

「いいよ。元々瑛くんにあげるために造ったんだし。」


 そう言われれば断る理由はないので瑛斗はありがたくその宝石を受けとる。


「瑛くん、嬉しい?」

「勿論だ。ありがとう。」


 そう言いながら瑛斗が頭を撫でると瑠奈は一際上機嫌になり部室内をスキップした。だが、そのせいで棚の上の花瓶を落としてしまう。直後にぱりんっと音をたてて花瓶が割れた。


「あ、ごめんね。・・・イタッ。」 


 瑠奈が謝りつつ花瓶の破片を拾おうとするとその破片で指を傷つけてしまった。


「瑠奈!」


 瑛斗は慌てて瑠奈のもとに駆け寄ると手をとって指の傷を確認する。


「あはは、大袈裟だよ。ちょっと切っただけだよ。」

「そうも言ってられるか。直ぐに手当てしないと。」


 そう言うや否や瑛斗は瑠奈の指に口をつけた。


「ひゃうっ!!」


 唾液が傷口に染みる痛みとくすぐったさから瑠奈は珍妙な声をあげる。瑛斗は構わず舌で傷口を洗い常備している絆創膏で傷を塞ぐ。


「これでよし。痛みはないか瑠奈?」

「う、うん。」


 瑛斗の問いに頷くも瑠奈は顔を赤くしてうつむいていた。その様子を怪訝に思った瑛斗だが、


「ひゅー、ひゅー、見せつけてくれるじゃねぇか。」


 庄谷のからかうかのような声に自分が仕出かしてしまったことに気づいた。幼馴染みとはいえ女の子の指を口に含みその血を舐めとったという事実に。


「わ、悪い。俺は傷の手当てをしようと必死で。別に他意がある訳じゃないんだ。」

「う、うん。分かってるよ。ちょっとビックリしただけだから。」


 そう言って瑠奈は微笑んで見せるが、その笑みは少し強ばっていた。


「と、とにかく、この花瓶は俺が片付けるから。瑠奈はトランプでも出してきてくれるか?」

「わ、わかった。じゃあ、花瓶はよろしくね。」


 気まずさに耐えかねて瑛斗が強引に話題転換を試みる。幸い瑠奈も同調してくれた。


 その後は三人で遊びながらワイワイやっていたが、二人の間に気まずい空気が流れることは否めなかった。




(はあ、我ながら過保護すぎるよな。)


 帰路の途中の横断歩道の信号待ちをしている間、瑛斗は深い溜め息を吐いた。


 今、彼は一人だ。三人の中で瑛斗の家が一番遠いので最後には瑛斗が必ず一人になる。


(いくらなんでも指を舐めるのはちょっとな。目撃者が庄谷だけだったからよかったものの。)


 脳裏を過るのは勿論部室での一件だ。さっきまで三人ではなしている間は忘れていられたが一人になるとまた記憶がぶり返してきた。


 昔から瑠奈が何かやらかして瑛斗がそれをフォローしているので、彼は無意識に瑠奈は自分が守らなければという思いに駆られていた。そのせいか瑠奈のことになると頭に血が上って冷静な判断ができなくなるのだ。


 今回の件はまだましだ。臨海学校のときなんかは溺れた瑠奈に人工呼吸を施してしまった。それで瑠奈が助かったのは事実だが別に瑛斗がやらなくても教員に任せればよかった。その後一ヶ月ほど庄谷を含めた男子生徒にそのネタでいじられた。


 やがて信号が青に変わり瑛斗は殆どオートで歩を進めた。


(瑠奈だってもう子供じゃないんだ。俺が面倒を見なくても大抵の事は一人でやれるのに・・・)


 自己嫌悪に浸っていた瑛斗だが不意に強い光で照らされてその光の方に目を向ける。すると赤信号にも関わらず車が減速する様子もなく突っ込んできていた。飲酒運転、或いは居眠りだろうか?そんな推察をしている間にも瑛斗は逃れるために前方へ駆け出していた。だが、自己嫌悪に浸っていたせいで反応が遅れたため間に合いそうにない。


(クソッ!)


 心の中で悪態をつきながら歯を食いしばって目をつむり衝撃に備える。


「・・・・・・あれ?」


 予想した衝撃がいつまでたっても来ないことに瑛斗は怪訝に思い、目を開けて周囲を見回す。瑛斗の体は既に反対側の歩道にあった。


(おかしいな?)


 瑛斗は横断歩道に入ってすぐ轢かれかけたので反対側の歩道まで五メートルはあったはずだ。どう考えても一足跳びに行ける距離じゃない。しかし現に瑛斗は反対側の歩道に立っていた。


(まあ、暗くなり始めてるし。距離を見誤ってたんだろう。)


 瑛斗はそのように結論付け再び帰路についた。




 翌日、金曜日の朝。この日はちょっとしたハプニングが起きた。


「しまった・・・。」


 デジタルの目覚まし時計を見て瑛斗は愕然としていた。何故ならその時計は七時五十分を表示していたからだ。早い日は既に学校に着いていてもおかしくない時間だ。というか急がなければ始業の八時二十分にすら間に合わない。


 瑛斗は即座にベッドから飛び出し制服に着替え前日に用意しておいた鞄を持ち、朝御飯は諦めて洗面台で歯を磨いて寝癖を整えて顔を洗う。ここまでで既に五分は経過していた。


 瑛斗はあせる気持ちを押さえて全速力で学校に向かう。途中『こまちお弁当屋さん』で唐揚げ弁当を買うのも忘れない。


 やっとの思いで瑛斗が学校に到着すると、まだ大勢の生徒が校門に向かって歩いてるところだった。


(よかった。間に合ったみたいだ。)


 その様子に瑛斗は安堵する。すると不意に大柄な男子生徒に肩を組まれた。


「よう、B8。今日も早いな。」


(早い?)


 肩を組んできたのは当然のごとく庄谷だ。瑛斗はその庄谷の言葉に疑問を覚えた。さっきまで遅刻になりそうで全力疾走していたのだ。ギリギリ間に合ったならともかく早いということは無いはずだ。そう思って瑛斗は腕時計を確認する。時刻は七時五十八分だった。


「嘘だろ・・・。」


 瑛斗は思わず声に出して呟いた。何しろ瑛斗が家を出たのは七時五十五分ごろだ。いくら全力疾走したといってもこれなら歩いて三十分の道のりを僅か三分で走破したことになる。


「瑛くーん。ショウヤンもおっはよう。」


 瑛斗の思考は瑠奈が抱きついてきたことで中断された。恐らく時間を見間違えたのだろうと納得し瑛斗はこの事を特に気にすることなくその日一日を過ごした。




「昨日のあれすごかったね。」


 翌日、土曜日。瑛斗は約束通り小町と少し洒落た雰囲気の店で食事をしていた。これは話題が一段落したところでふと思い出したように小町が発した言葉だ。


「昨日のあれとは?」


 当然、瑛斗は訳がわからず困惑する。


「瑛斗くんのことよ。物凄い速さでビューっと。」

「それって、どれくらいの速さでしたか?」

「どのくらいって言われてもなぁ・・・でも衝撃でアニメみたいに砂煙が舞い上がってたよ。」

「実はあのとき遅刻しそうになっていまして。それで火事場のバカ力的なものが働いたのかも知れませんね。」

「へーえ、瑛斗くんでも寝坊することってあるんだ。」

「お恥ずかしながら。」


 瑛斗は苦笑いで誤魔化し、さも今の話に興味がなさそうなそぶりを見せているが実はものすごく引っ掛かっていた。


 ちょっとやそっとの全力疾走では小町も気に止めなかっただろうし何より砂煙など起こらない。


(もしかして俺は超高速で移動する能力でも得たのではないか?)


 荒唐無稽な話ではあるがもしそうなら色々なことに辻褄があう。昨日、異常な速さで登校できたことや、その前に避けられないはずの車を避けられたことも。


 暫く瑛斗と小町は談笑しながら食事を楽しんだあと、今日はお開きという流れになった。


「送りますよ、小町さん。」

「え、いいよ別に。そこまで甘えるわけにはいかないわ。」

「俺は暇なので大丈夫ですよ。それに何かと物騒な世の中ですからレディを一人にするわけにはいきません。」

「もう、瑛斗くんったら。」


 紅くなった頬に手を当てた小町はいかにも上機嫌といった様子だ。瑛斗が「行きましょうか。」と促したことで二人は帰路についた。ならんで歩く二人の姿ははたからみればまるで恋人のようだ。


 そんな二人を後ろから見つめる人影があった。瑠奈だ。


 珍しく瑛斗を街中で見つけたので瑠奈はいつも通り抱きつこうとしたが、直後に小町が現れたことで様子を見ることにした。するとどうだろう。瑛斗は小町と仲睦まじくデートをし始めたではないか。


 暫くして恋人のように並んで歩く二人を見ていられず、瑠奈自身も家路についた。


「ぶうぅぅぅーーー。」


 その頬をリスのように膨らませながら。


 この瞬間、瑛斗の人間関係に亀裂が生じたことを瑛斗は知る由もない。




 翌日、日曜日の午後三時。二時半でシフトが終わったので瑛斗は今動きやすいジャージ姿で玄関前に立っていた。


 といっても彼にランニングや散歩といった趣味や習慣があるわけではない。今、外に出るのはちょっとした実験をするためだ。


 瑛斗は腕時計を自分の目が狂ってないか何度も擦って確かめたあと、現在時刻をしっかりと脳裏に焼き付けた。そして全速力で商店街に向かい到着し次第時計を確認する。歩けば十分ほどかかる道程なのだが瑛斗が時計を確認するとこのときは一分もたっていなかった。


 その後瑛斗はいろんな場所を駆け回った。そしてそのどれも普段の所要時間の十分の一以下の時間で移動でき、そして彼は確信する。


(やはり俺は超高速で移動している。)


 あり得ないことだが頭ごなしに否定することは状況が許さない。一度や二度ならともかくそう何度も瑛斗が時計を見間違えるはずがない。


 そしてもうひとつ気付いたことがある。感覚がやけに鮮明なのだ。この地域一帯をまとめて認識してると思うくらい。


 瑛斗はその鋭敏な感覚で数百メートル先で子供が泣いてるのを聞いた。超高速で駆け寄り話を聞くとどうやら木に風船が引っ掛かったらしい。瑛斗はこれまた超高速で風船を回収すると子供は小さくお礼を言って立ち去った。


 続いて瑛斗は遠くのコンビニで銃声がなるのを聞き超高速で向かう。窓ガラスから中をうかがうとどうやら強盗に入られたようだった。瑛斗は普通に自動ドアから入店したあと超高速で肉薄し犯人を一瞬で昏倒させた。人質達は暫し呆けていたがやがて瑛斗に助けられたのだと理解したようで口々にお礼をのべてくる。瑛斗は若干居心地が悪くなってその場を超高速で離脱した。


 その後一通り実験がてらの人助けを終えて瑛斗は近くの公園のベンチに腰をおろした。


「さすがに疲れたな。」


 瑛斗は背もたれに体を預け大きく息を吐く。だが、実験した甲斐はあってこの能力についてだいたいは把握できた。


 まず発動条件だが瑛斗の急ぐとか超高速で移動するという意思に呼応して発動する。そして速度は平時で時速六十キロ位で本気を出せば時速千キロまで加速できる。また体力の消耗は普通に走るときと変わらない。むしろ目的地までつくのが早いから消耗を押さえられてるくらいだ。


 実験で得られた情報はこんなものだろう。能力の詳細を把握したらついで気になるのはこの力を得た原因だ。


 瑛斗はポケットから翡翠色の宝石を取り出す。ここ数日で起きた変化の仲で最初に思い当たったのがそれだからだ。瑛斗は試しに宝石をベンチにおいて軽く走ってみた。だが、どんなに頑張っても超高速移動は使えない。


 その後ベンチに戻って宝石を手に取りまた走る。今度は問題なく使えた。原因がこの宝石であることはもはや疑う余地がない。


 てっきり瑠奈は錬成実験と銘打った結晶化実験をしていたと思っていたのだがどうやら本当に魔宝石を造り出してしまったらしい。


 一見地味な能力ではあるが日常生活においてはとてつもなく便利である。いつも勉強と生徒会の仕事で猫のても借りたいほど忙しい瑛斗にとってはこの上ないほど有用だ。


(瑠奈には感謝しないとな。)


 瑛斗は胸中で幼なじみに感謝しつつ、段々楽しくなってきたのでその日は暗くなるまで町中を超高速で走っていた。

 



 その日以来、瑛斗は日常生活の中で超高速移動の恩恵を惜しげもなく受けていた。


 登下校を含めた移動は全て超高速で行いその分時間に余裕が生まれる。空いた時間は鋭敏な感覚で察知した街中トラブルの解決に使ってるので実質時間は増えてないがそれでも人に感謝されることが増えるというのは瑛斗にとってなかなか気分が良いものだった。


 しかし彼は気づいていなかった。人助けに熱中するあまり自身の人間関係をおろそかにしていたことに。


 おろそかにされた一人、瑠奈はリスのように頬を膨らませていた。


「どうした?リスみたいな顔して。」

「最近、瑛君分が足りてないの。」

「なんだそりゃ。」


 瑠奈の奇妙な返しに庄谷が突っ込むが瑠奈は大真面目だ。


 学校ではこれまで通り構ってくれるのだがここ数日登下校で全く一緒できてないのだ。オマケに先日、小町とデートしていたことについても何も聞けてない。それらの事象が積み重なり瑠奈のフラストレーションは少しずつ溜まっていた。


「ねえ、ショウヤン。瑛君って私のことどう思ってるかな?」


 瑠奈は普段のふわふわした空気とは違いしおらしい雰囲気で庄谷に訪ねる。


(B8、俺は今猛烈にお前を殴りたい。)


 庄谷は胸中で目の前の美少女にこんな顔をさせる親友を罵る。


 庄谷としても二人の仲に亀裂が生じるのは面白くない。瑛斗に対し一途で瑠奈となんでもそつなくこなすくせに瑠奈の前でだけ不器用になる瑛斗。この二人の絡みを眺めるのが庄谷の密かな楽しみなのだ。


(しょうがない。柄じゃねぇけど、ちょっとアドバイスっぽいことしてみるかね。)


「そんなに不安なら直接聞けばいいじゃねぇか。」

「え?」

「だから、今度二人きりになったときにでもお前は私のことをどう思ってるんだって直球に言ってやれって言ってんだよ。」

「直接、聞く・・・」


 一度俯いて庄谷のアドバイスを反芻したあと、覚悟を決めたように顔を上げた。


「分かった。じゃあ今度瑛君と二人きりで話してみるよ。」

「おう、頑張れよ。」


(この分なら瑠奈は問題無さそうだな。)


 その瑠奈の様子に庄谷は満足げな表情を浮かべる。


(問題はB8が素直になれるかってとこか。)


 瑠奈への思いを自覚できずに不器用になってしまう親友を思い浮かべて渋面となる。


(まあ、頑張れよ。)


 結局最後に念じたのは心からの激励だった。




 そして時は流れ、数日後の金曜日。事件は起きた。


 この日は珍しくオカルト研究部の全員が揃っていた。しかしその顔は一様に緊張で強張っている。


 原因は六人が囲むテーブルの上にある一通の便箋だ。そこにはこう綴られていた。


『五日後、水曜日の夕刻。あなた方の魂を頂戴しに参上します。』


 その便箋は東という男子が部室に来たときには既にあったものらしい。差出人は不明。だが、新聞を切り貼りされたその文体は脅迫状を連想させる。


「敢えて悪い方に曲解するなら五日後に殺しに来るという意味だろうな。」


 東のその言葉に皆の顔が青ざめた。


「ただのいたずらじゃないのか?」


 瑛斗がもっとも現実的な可能性を挙げるがそれは庄谷によって否定された。


「そいつは楽観視が過ぎるかもな。何故かニュースや新聞で取り上げられないからあんまり有名じゃないが、ここ数日各校のオカルト研究部を狙った襲撃事件が頻発してるらしい。襲われたやつは外傷はないのに全員意識不明の重体だって話しだ。ま、Twitterの与太話だけどな。」


 庄谷の言に皆顔をうつむかせる。庄谷の情報の正否はともかくいたずらだと切って捨てるのは良くないだろう。


「だったら皆でショウヤンの家に集まって怪談話でもしようよ。」


 誰もが表情に不安の色を浮かべてるなか、唯一いつも通りの瑠奈があっけらかんと言った。


 その提案に全員が苦笑する。殺人鬼に襲われるかもしれない日に怪談話をするなどあまりにも剛胆すぎる。


「いいんじゃないか。ばらばらでいるよりも一所に集まってた方が安全だし。」


 だが、瑛斗は瑠奈の案に同調した。


「まあ、B8がそう言うなら。」

「会長の意向に従うわ。」

「よし、じゃあ水曜は学校終わり次第俺んち集合な。」


 それにより他のみんなも納得した。最後のは庄谷の言だ。


「もう、何で瑛くんと私とでは反応が違うのよ。」

「人徳だろ。」

「ひどーい!」


 みんなの反応の差にプンスカ怒る瑠奈に誰からともなく笑いだした。重苦しい雰囲気もいくらか払拭され、その後はいつも通り下校時刻まで遊んだ。




 それから二日後の日曜日。


 ピンポーン。


 瑛斗が昼食をとっている時、玄関から来客を報せる合図が聞こえてきた。


(誰だ?)


 瑛斗は怪訝に思いつつも一先ずは玄関に向かう。


 ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン・・・


 5秒も経たないうちに来訪者はインターフォンを連打し始めた。


(どんだけ急いでるんだよ。)


 苦笑しながらドアを開けた瞬間、視認すら難しい速度で人影が瑛斗に抱きついた。


 瑛斗はその人影をなんとか押し退けると、そこには制服姿の瑠奈がいた。


「瑠奈?どうしたんだいきなり?」

「瑛くんに会いに来たんだよー。」

「というか、何で制服?」

「だって明日は学校だよ。」

「今日は学校じゃないぞ。」


 話が噛み合わず瑛斗は困惑するが、そんな瑛斗に瑠奈はいつもの調子でとんでもないことを口にした。


「だから、今日は泊まっていくの。瑛くんのくせに察しが悪いなー、もう。」

「は?」


 衝撃的なことを言われて瑛斗はフリーズした。そんな瑛斗をよそに瑠奈は「お邪魔しまーす。」といって勝手に上がり込んだ。


「お、おい、待てよ。」


 フリーズから脱した瑛斗が慌てて瑠奈の後を追う。


「泊まるってどういうことだよ。」

「言葉通りの意味だよ。」

「頭おかしいだろ。」

「何で?昔はよく一緒に寝たじゃん。」

「子供の頃の話だろ。それにあのときは親も居たけど、俺達はもう高校生だし俺は一人暮らしだから二人きりで寝ることになるんだぞ。」

「私は大丈夫だよ。パパとママにもちゃんと許可もらってきたし。」


(俺が大丈夫じゃないんだよ!というか瑠奈の両親も許可するなよ。馬鹿なのか?)


 瑛斗の家はごく普通の六畳間のアパートだが、年頃の男女が一緒に寝るにはスペース的にも外聞的にも問題がある。瑛斗はなんとかして追い返す方法を思案するが、


「やっぱり、迷惑だった?」


 瑠奈に上目遣いでそんなことを言われて気勢を削がれた。自分の甘さに瑛斗は深く溜め息を吐きながら結局瑛斗は了承した。


「好きにしろ。今日だけだからな。」

「わーい、ありがとう瑛くん。」


 そして瑛斗は途中だった昼食を済ませた後、二人で課題を消化したりゲームで遊んだりして時間を潰した。幸い、二人は趣味嗜好が似ているので暇をもて余すことなく充実した一日を過ごすことができた。


 しかし、交代でお風呂に入りそろそろ寝ようかという運びになって問題が発生した。


 単純な話、布団が一つしかないのだ。瑛斗は一人暮らしなので当然と言えば当然なのだが。


「布団はお前が使え。俺は床で寝るから。」

「私が押し掛けたのにそれは悪いよ。一緒に寝よ。」

「は?」


 瑠奈の衝撃発言に瑛斗はまたもやフリーズした。内容もそうだが、その台詞が出るにしてもお互いに譲り合ってからしょうがないから一緒に寝るかという流れで出るはずだ。


「いやいやいや。それはなんか色々おかしいだろ!」

「でも、昔は・・・」

「それは子供の頃の話だって。」

「瑛くんは私と寝るのは嫌?」


(ずるいぞ、そんな言い方。)


 瑛斗は胸中でそう思いつつも結局は押しきられる形で了承してしまう。


 先に瑛斗が布団に入り、次いでその横に瑠奈が寝る・・・のではなく突然瑛斗のお腹を跨ぐようにして座った。そして瑛斗の顔の両側に手をつき覆い被さるような体勢になる。お風呂上がりで濡れそぼった髪や上気した肌、また同年代の女子のパジャマ姿というこれまで気にしていなかった要素が瑛斗には一気に色っぽく見えた。


「な、なにしてんだよ!」


 当然、瑛斗は狼狽する。しかし瑠奈は構わず瑛斗の左胸に手を当てた。


「瑛くん、ドキドキしてるね。」


 瑠奈はそう言った後、今度は瑛斗の手を取り自分の左胸に押し当てる。二次成長を迎えた乙女の膨らみが瑛斗の手に押し当てられて形を変える。瑛斗はその未知の感触に顔が火照り、体にも明確な反応が出てしまった。


「私もドキドキしてるよ。瑛くん、分かる?」

「分かったから質の悪い冗談はやめてくれ。」


 瑛斗は言いながら慌てて手を引っ込めた。


「冗談じゃないのに。瑛くんはまだそういうの興味ない?」

「無い訳じゃないが、異性と本格的にそういう関係になるのは大学に入ってからでいいと考えている。」

「じゃあ、何で小町さんとデートしてたの?」

「あれはデートじゃなくて、誘われたから一緒に食事をしただけだ。」


 状況に流されてか瑛斗の口調は自然と言い訳じみたものになる。それでも瑠奈は安堵した表情になり、突然パジャマをはだけさせ肩と胸元を露出させる。


「じゃあ瑛くん、抱いて。」

「何がじゃあなのかは一先ず置いておいて、意味わかって言ってるのか?」

「それくらいわかってるよ。瑛くん私のことを子供扱いしすぎ。」


 瑠奈は不満げに口を尖らせた後、瑛斗の顔を覗き込むように自分の顔を近づけた。普段とは違う大人びた表情と扇情的な格好に瑛斗は不覚にもドキッとしてしまう。


 前屈みになったことで自然とはだけていたパジャマがさらにずり落ち適度な膨らみの双丘がさらに露出しその先端のものまで見えそうになる。瑛斗はそれを視界におさめないよう顔を背けようとするが、両側から瑠奈の手に挟み込まれて叶わなかった。


「私、瑛くんのことが好き。子供の頃からずっと愛してる。」


 瑠奈は瑛斗の瞳をまっすぐ見つめながらずっと抱き続けていた想いを告げた。


「瑛くんの格好いいところが好き。優しいところが好き。強いところが好き。頭が良いところが好き。・・・・・・」


 瑠奈はまるで洗脳でもするかのようにひたすら好きを繰り返す。純粋でまっすぐな好意をぶつけられ瑛斗の顔が目に見えて赤く染まった。


 瑠奈はひとしきり瑛斗の好きなところを挙げた後、自身の唇を瑛斗のそれに重ねた。それだけに留まらず舌を入れて瑛斗の舌を絡めとる。瑛斗は逃れようと顔を背けるが存外強く押さえられてるので逃れられない。力ずくで突き飛ばすことはできるだろうが瑛斗は瑠奈に乱暴なことはしたくなかった。


 濃厚な接吻はたっぷり五分ほど続きようやく瑠奈は瑛斗を解放した。


「何するんだよ。」


 瑛斗は抗議するがその声には力がこもっていなかった。


「臨海学校の時は瑛くんからしてくれたじゃん。」

「あれは救命措置であって・・・」

「他意はない。でしょ?」


 言おうとした言葉を先取りされ瑛斗は言葉につまった。その隙に瑠奈はたたみかける。


「ねえ、本当に他意はないの?」


 瑠奈がずっと気になっていた問いを口にする。瑛斗は答えに窮し何も言えなかった。


「別に瑛くんがやらなくても良かったよね。」


 ごもっともな意見に反論できない。


「本当は瑛くんだって私のこと・・・」

「瑠奈!」


 瑠奈が決定的な言葉を口にする前に瑛斗は声を荒げた。


 瑠奈はビクッと肩を震わせた後、ベットに顔を押し付け長い髪を広げながら声をあげて泣いた。


 瑛斗ははだけたパジャマをなおしてやりつつ見かねて声をかける。


「瑠奈、お前は可愛いし明るいし、とても魅力的な女性だと思っている。」

「何でそんなに優しくするの?どうせふるんだったらもっと明確に拒絶してくれた方が諦めがつくのに。」

「違うんだ、瑠奈。まだ自分の気持ちが整理できてないんだ。好きなのかと言われればそうなのかもしれないし違うのかと言われれば違うのかもしれない。俺にもよく分からないんだよ。」


 瑛斗は呻くように言って、瑠奈の肩に手を置きまっすぐその瞳を見つめる。


「お前は俺の大事な幼馴染みだ。心の底から幸せになってほしいと願ってる。だからこそ、適当な返事はしたくないんだ。」


 瑛斗は慎重に言葉を紡ぎ真摯に誠実に自らの今の正直な気持ちを伝える。


「俺に三日間だけ時間をくれ。三日後、必ず答えを出すから。それまで待ってくれないか?」 

「うん、分かった。じゃあ三日後、いい返事を期待してるね。」


 瑠奈はうつむいて手で涙をぬぐい、再び顔を上げた時にはいつもと同じ瑠奈に戻っていた。


「今日はもう寝ようか。」

「うん。」


 瑠奈は頷いて、瑛斗の首に手を回して首筋に顔を埋めた。


「おい、瑠奈。」

「お願い。最後かもしれないから。今夜だけは幼馴染みの優しい瑛くんに甘えさせて。」


 どこか悲痛な声で瑠奈は懇願した。普段とは違う儚げな雰囲気の瑠奈の幼馴染みとしての頼みまで断れるはずもなく、瑛斗は片手で頭を撫でながら抱き寄せることで了承の意を伝えた。


「お休み、瑠奈。」

「お休み、瑛くん。」


 その言葉を最後に二人の幼馴染みとしての最後の日は終わりをつげた。




 三日後。


(いくら気が動転していたとはいえ、何もこんな日に約束しなくても・・・)


 瑛斗は生徒会の仕事で皆より一足遅く庄谷の家に向かっていた。超高速で行けばすぐなのだが今はゆっくり考え事がしたいので瑛斗は徒歩を選択していた。


 今日は例の手紙が予告した日であると同時に瑛斗が瑠奈に答えを出すと約束した日でもあった。あのときはとにかく考える時間が欲しかったので三日後と切りのいい数字を言ったがそれが殺人鬼に狙われるかもしれない日と重なっていたことに気づいていなかった。とはいえ殺人鬼の方はイタズラの可能性が高いので瑛斗はさして気にしていないのだが。


 あれ以来瑛斗と瑠奈は一切口をきいてない。今日も瑠奈は瑛斗に答えを催促することはなかった。それは瑛斗は必ず約束を守ると信頼してるがゆえでもある。なので瑛斗はその信頼に答えようと三日間自分の気持ちと向き合ったのだが未だに答えが出ていなかった。


 瑛斗が瑠奈を大切に思っているのは事実だ。問題はそれが恋愛感情なのかどうか。


(難儀なものだな。)


 そうやって考えてる間も瑛斗は着々と歩を進めやがて目的地に到着した。庄谷の家は二階建ての一軒家だ。みんなで集まるときは応対するのが面倒だからといつも鍵を開けているので瑛斗は「お邪魔します。」と言って勝手に上がり込む。


 玄関から一番近い庄谷の部屋に入ると、中はカーテンが閉めきられて照明も消しており明かりは部屋の中央の蝋燭一本となっていた。そして庄谷が今まさに怪談を始めるところだった。


「それじゃあ『青い血』っていう話をするぜ。」


 庄谷がいつもより低い声で言うと同時に場に緊張が走る。


「とある山奥で1人の男が遭難した。男はひたすら歩き回ったが結局帰り道を見つけられず、食料も底をつき途方に暮れた。

 そんなとき彼は一軒のラーメン屋を見つけた。こんな所にラーメン屋があるのを怪訝に思いつつも、空腹に負けて男は入店しカウンター席で無愛想な店主に味噌ラーメンを注文した。

 店には男の他に髪の長い女がいた。女は暫し無言でラーメンをすすっていたがやがて男に気づくと視線を向けてこう言った。このスープ、」


 そこで庄谷は一度言葉を切り、全員がゴクリと唾を飲む。


あーおいち(・・・・・)

「駄洒落かよ!」


 東の突っ込みと同時に一斉に笑いが起きた。曲がりなりにもオカルト研究部なので皆このネタは知っている。なので誰1人として怖がっていなかった。


「何でもう始めてるんだ?」


 瑛斗はたった今来たばかりだし赤坂という女子がまだ来てなかった。それなのにもう始めてる一同に瑛斗はジト目を向ける。


「よう、B8。今はネタ枠だから安心しろ。本番はちゃんと全員揃ってからな。」

「まあ、それならいいか。」

「よし、今度は俺が『恐怖の味噌汁』を・・・」


 東が二つ目のだじゃれ怪談を始めたので瑛斗は輪の中に腰を下ろす。ちょうど話のオチのところで携帯の着信音がなった。電話してきたのは未だに来ていない赤坂だった。


(何か事情があって来れなくなったのか?だったら女友達の瑠奈に連絡するはずだけど。)


 怪訝に思いつつ瑛斗は電話に出る。


「助けて、B8。」


 電話口からやけに切迫した赤坂の声が聞こえてきた。


「どうした?」

「追われてるの。ナイフを持った不気味な男に。お願い早く来て。このままじゃ私、殺されちゃう。」

「分かった。今何処にいる?」

「ショウヤンの家に向かう途中の噴水公園。イヤッ、来ないで!キャーッ!」


 その声を最後に赤坂の声は聞こえなくなり、代わりに何者かの足音が聞こえてきた。


「おい、赤坂?赤坂!」

「どうした、B8?」


 瑛斗の様子にただならぬ空気を感じた庄谷が訊ねる。他のみんなも一様に不安そうな顔をしていた。


「赤坂が、襲われた。」


 瑛斗の言葉に全員の表情が強張る。


「てことは、あの脅迫状はマジだったってことか?」


 恐怖に耐えかねて東を皮切りにパニックになった。瑛斗は生徒会長という責任感からかろうじて冷静さを保ち皆を宥める。


「一旦、落ち着くんだ。とにかく俺が一度様子を見てくる。」

「大丈夫か?」

「誰かが行かなくちゃならないんだ。それなら武術の心得がある俺が適任だろ。俺が外に出たら直ぐに鍵を閉めて絶対にここを動くな。もし、俺が10分たっても戻ってこなければ警察に連絡するんだ。」


 簡潔に指示を伝えた後、瑛斗は玄関に行って靴を履く。


「気を付けてね。」


 不安そうな瑠奈を安心させるように一度微笑み「行ってくる。」と言って瑛斗は慎重に玄関の扉を開けた。全力疾走しなければここから百メートル以上離れた場所にある噴水公園にさっきまでいた殺人鬼がここにいることは考えづらいのだが念のためだ。


 一歩外に出ると前の通りに一人の男が歩いていた。その男は余程老齢なのか顔には無数の皺があり杖をついて歩いている。簑笠をかぶり和風の装束を着ているという時代錯誤なかっこうではあるがそれだけならば瑛斗も然して気に止めなかっただろう。だが、その男が常人には視認できないほどの超高速で庄谷の家の敷地内に侵入しあまつさえ今瑛斗が出ようとしているドアから家にまで入ろうとしたことで瑛斗は認識を改めた。


 瑛斗は咄嗟に超高速で外に出てドアを閉める。紙一重で男の侵入を阻止することができた。まさか妨害されると思ってなかった男は一度目を見開き、敵意のこもった眼差しを瑛斗に向けた。

 

 それを確認した瑛斗はトップスピードで駆け出した。紛れもなく本気の加速に男は遅滞なく追随する。瑛斗はここ数日超高速移動を使い続けた成果を発揮しただ道を進むだけでなく電柱や看板などを足場に立体的な移動をしたり、ビルを一気に飛び越えたりして撹乱するが男は瑛斗と全く同じルートで追跡した。


(くっ、予想より敵の練度が高い。)


 この時瑛斗は男が殺人鬼だと直感していた。瑛斗と同じような能力を持っているなら赤坂の電話の直後に庄谷の家の前にいたことも説明がつく。だから可能ならば捕らえたいと考えていたのだが現状は逃げるだけでも精一杯だった。それに男にはまだ余裕があるように感じられる。今すぐ追い付けるわけではないだろうが瑛斗と全く同じルートを通り常に一定の距離を保ってるので実力差を見せつけてる節がある。

 

 助けを呼びたいところだがスマホの微妙に複雑な操作をしていたらどうしても減速してしまい追い付かれるかもしれない。 


(クソッ、何か無いのか?)


 瑛斗は自分の持ってる手札を慎重に検討し状況を打開できる一手を模索する。そしてポケットの中に起死回生の切り札を見つけた。瑛斗はそれを使いちょっとした罠をはる。


(見てろよ。練度ではそちらが上だが、こっちは数の利で勝負だ。)


 その後暫く二人の追いかけっこは続いた。しかし瑛斗は段々と体力を消耗し次第に追い付かれ始める。


(ここまでか。)


 瑛斗は自分で逃げる限界を感じて罠のあるポイントへ向かった。数秒後に瑛斗はコンビニの前を通過する。これまで通り男も同じルートを通るが横合いから金髪の高校生にスタンガンをつき出され男はやむを得ず横っ飛びに回避した。しかし避けた先にちょうどバイクが突っ込んできた為咄嗟に全力で跳躍したが空中で身動きがとれないところに金髪の高校生がスタンガンを投擲しその直撃を受けた男は地面に墜落して動かなくなった。


「助かった、二人とも。」


 瑛斗は通常の速度に戻り見事な連携で謎の男を仕留めた二人、重森と加藤に感謝を述べた。


「気にしないでください。」

「そうですよ。B8会長のピンチとなればいつでもどこでも駆けつけます。」

「それは心強いな。にしても、まさかこれが本当に役に立つとは。」


 瑛斗は二人にもらった缶バッジ型の通信機を取り出した。スイッチ一つで連絡がとれるこの機械は超高速移動中も問題なく使用できた。瑛斗はこれを使って二人に助けを求めたのだ。


 もちろん超高速で動く瑛斗たちの動きに二人はついてこれないだろうが男は瑛斗と全く同じルートを常に一定の距離で追走するというこだわりを見せていたので瑛斗がタイミングを指示することで策に嵌めることができた。


「それ、ずっと持っていてくれたんですね。」

「マジで嬉しいっす。」

「ははっ、まあな。」


 目をキラキラさせてる二人にまさか存在すら忘れてポケットの奥底に眠ってたとは言えず、瑛斗は曖昧に笑って目をそらした。


「いやはや、これは一杯食わされましたな。」


 突然、好好爺とした声が聞こえてバッと音がしそうな勢いで瑛斗が振り向く。見るとそこには先程の男が平然と立っていた。当然、瑛斗は警戒して臨戦態勢を取る。


「そんなに警戒なさらずともこちらに敵対する意思はございません。様子を見るにあなたは違うようですしね。」


 鋭い眼差しの瑛斗に男は両手を挙げて敵意がないことを示した。しかし瑛斗はまだ警戒をとかない。


「だったら何故赤坂を殺した!?」


 そう、この男には赤坂を殺したという容疑があるのだ。そこをちゃんと説明してもらわなければ男を信用することはできない。


「はて、なんのことでしょう?」

「とぼけるな!」


 飄々とした男の態度に瑛斗は声を荒げて憤りをあらわにする。しかし男は怯んだ様子もなく「話が噛み合いませんねぇ。」と呟き強引に自分の話を進めた。


「申し遅れました。私、心霊現象対策本部である公安(れい)課の神無月源蔵と申します。」

「公安だと?」


 警察手帳のようなもの見せながら放たれた男改め源蔵の言葉に瑛斗は疑問を覚える。


「何故公安がこんなところにいる?」

「先程申し上げました通り私の所属は心霊現象対策本部。オカルトな事件への対処を専らの職務とする部署です。」

「オカルトな事件?」


 源蔵の言葉に瑛斗はさらに不審を募らせる。心霊現象の類いをテレビ局等が調査するならともかく、公安警察が実際の職務として対策するなど荒唐無稽な話だ。しかし源蔵が嘘を言ってるようにも見えずに瑛斗は困惑する。そんな瑛斗に源蔵は変わらず好好爺とした声で説明する。


「一般にテレビなどで放送される心霊現象の大半は誰かの創作です。しかし中には本物も混じっているのですよ。そしてその本物の儀式等を行ったり霊的存在とコンタクトをとった場合超常の力或いは武具を手にしすることができます。しかし代わりに強烈な殺人衝動に駆られ無差別に人を襲うようになるのです。我々はこれを悪鬼(オーガ)と呼んでいます。」

「ちょっと待て。だったら俺やあんたはどうなる?」

「私の力はオカルトではなく最先端の科学武装でございます。例えばこの靴は脚力を極限まで高めて移動速度をとてつもなく速くしてくれますし、この装束は防弾、防刃はもちろん緩衝、耐熱、絶縁、対BC兵器の機能もついた優れものです。そしてあなたは極稀に居る強固な自我の持ち主のようですね。。」

「強固な自我?」

「揺るがぬ信念を持つものは霊的な存在から己の精神を守り衝動を押さえることが出来るのですよ。そして超常の力を意識的に操ることが出来るのです。」

「なるほど。」


 瑛斗はオカルト研究部といえどその手の専門的な知識があるわけではないのでよくわからなかったが自分なりに噛み砕いて解釈し一先ず頷いた。源蔵は「私の同僚にも何人かそのような者がいます。」と付け足して話を続けた。

 

「つい先日とある学校のオカルト研究部の一人が他の部員を生け贄に儀式を執り行い悪鬼となり果てました。其奴は我々公安0課の記録を紐解いてもまれにみる力の持ち主で一度取り逃がしてしまったのです。その悪鬼は全国のオカルト研究部の魂を求めてさまよいそして人を襲い続けました。そして今この町に来ているとの情報を受け調査に来た次第でございます。」

「それで、取り敢えずオカルト研究部である俺たちに話を聞こうとして来たら、俺が超常の力を行使したから悪鬼と思って追ったのか。」

「その通りでございます。」


 そう言って源蔵は説明を締め括った。彼の言葉を裏付ける証拠は何もないが、一先ず瑛斗はそれを信じることにした。理由は源蔵が嘘を言ってるように見えなかったというのもあるが何より今は疑ってる時間がない。もし、赤坂を襲ったのは源蔵ではないとすれば真犯人は別にいてそいつは今庄谷達のもとに向かってるはずなのだ。源蔵もその事に気付いたのだろう表情に緊張が走っていた。


「源蔵さん、多分そいつもう動いてるよ。」

「あなたの話を聞いた所、そのようですな。」


 短くやり取りした後、瑛斗は重森と加藤にもう一度感謝を伝え、源蔵と共に超高速で庄谷の家に向かった。




 最短距離を全力で疾走し二人は5秒とかからず庄谷の家についたが、玄関の扉は何か鋭利な刃物で真っ二つに切り裂かれ中は死屍累々といった様子だった。


(間に合わなかった。)


 光を失った瞳でピクリとも動かない庄谷達を目にして瑛斗は失意に膝をつく。


「瑛くん!」


 声を受けて瑛斗は顔をあげた。そこには唯一生き残っていた瑠奈と、そして瑠奈に向かって大型のナイフを振りかぶってる悪鬼の姿があった。


「瑠奈ぁっ!逃げろぉぉぉぉーーーー!!」


 瑛斗が絶叫するも間に合わず振り下ろされたナイフが瑠奈の体を捉え直後瑠奈は糸の切れた操り人形のように動かなくなった。


「嘘だろ。」


 目の前の現実が受け入れられずに瑛斗は呆然と呟いた。庄谷達の亡骸を見たときも当然ショックだったが、瑠奈のそれを見たときは一際絶望的だった。それは単に幼馴染みだからというだけでなく瑠奈を特別に思ってたからこその感情だと、瑛斗は初めて自分の瑠奈への想いを自覚した。


(まさか、瑠奈が死んでからその事に気づくなんて。)


 失って初めて気づくものがあるとはよく言うがそれを実感するのは遥かに辛いものだ。


「死ねぇっ!」


 瑛斗は彼自身驚くほどの憎しみのこもった叫びをあげて悪鬼に向かって渾身の閃槍(ランス)を放つ。ただでさえライフル弾並みの威力があるのに超高速移動で亜音速まで加速したことで対物ライフルをも凌ぐ威力になっていた。しかし瑛斗の必殺技は悪鬼の左手に握られたナイフで易々と止められ僅かに傷をつけるだけに留まる。


 大技を止められて身動きがとれない瑛斗に悪鬼は容赦なくナイフを振るう。それが瑛斗の体を捉える寸前源蔵の杖が割り込んでナイフを止めた。どうやら仕込み杖だったようで木製だと思ってたそれは見るからに鋭利な白刃に薄暗い部屋の僅かな光を反射させ不気味に光っていた。


 源蔵が悪鬼を止めてる間に動けるようになった瑛斗は一度その場を飛び退いた。しかしその瞳には溢れんばかりの殺意がたぎっており冷静な行動ができるような状態ではなかった。そんな瑛斗を続いて後方に下がった源蔵が宥める。


「気持ちは分かりますが落ち着いてください。彼らはあの魔剣に魂を食われただけで死んではいません。」

「どういうことだ?」

「詳しく説明してる暇はございませんがとにかくあのナイフを破壊して捕らわれた魂を解放すれば自然とご友人は回復するはずです。」


 深淵の闇に射した一筋の光明のごときその言葉に瑛斗がある程度冷静さを取り戻した。たが、源蔵は渋面をつくり「ですが、」と続けた。

 

「この仕込み杖は高周波ブレード、要は微細な振動で物質を分子レベルで切断する武器であり私の最大の攻撃力でもあります。それと切り結ぶとなるとこの場での破壊は難しいかと。」

「じゃあ、どうすれば?」

「悪鬼を殺してその後魔剣は専用の工具で破壊しましょう。」


 生まれて初めての殺し合いということもあり動揺している瑛斗に源蔵は素早く方針を固め指示を出す。改めて相対してみると悪鬼は見るからに異常な面貌だった。生気がなく表情のない土気色の顔。前髪が顔を覆い隠すほどの長髪と二メートルを越えそうな体格は元が人間だったとはとても思えない。いくら武術をたしなんでいたとしても瑛斗1人では恐怖にすくんで動けなかったかもしれない。瑛斗は実戦を経験した大人が味方に着いてくれることを頼もしく思いつつ作戦を実行に移した。


 源蔵が超高速の踏み込みと共に悪鬼の喉元を狙った刺突を放つ。無造作に振るわれたナイフによってあっさりと弾かれるが先程の瑛斗とは違い必殺を狙った大技ではないので源蔵は問題なく体勢を立て直して第二刃を放つ。これも受け止められるが更に三連続で刺突を放ち内二撃は悪鬼の肩を浅くだが裂いた。源蔵は続いて眼球を狙った刺突と見せかけて超高速で背後に回り込み袈裟斬りを放った。悪鬼は瞬時に体を右にずらして回避し振り返りざまの水平切り。しかし源蔵は無理せず離脱していたことで刃は空を切った。


(思ったより、瞬発力がありますねぇ。)


 戦いながらも源蔵は悪鬼を冷静に分析する。悪鬼は超高速移動についてこれてないがまったく反応できないない訳ではないらしい。源蔵が超高速移動をもって目まぐるしく立ち位置を変えながら攻撃するも悪鬼は最小限の動きで致命傷を避け反撃してくる。


 その後暫く一進一退の攻防が続いた。悪鬼は荒々しくナイフを振るった強引に間合いを詰めようとする。それに対し源蔵は刺突を中心とした連続技と超高速移動で撹乱しながら決して大技を狙わず堅実に戦う。一対一でこんな保守的な戦い方をしていたら勝てる勝負も勝てないがここにはもう一人仲間がいる。


 焦れた悪鬼の大振りの上段切りと迎えうつ源蔵の刺突が奇跡的に衝突しお互い数歩後退した。息の詰まるような攻防に生じた一瞬のブレイクタイムを逃さずこれまで虎視眈々と機会をうかがっていた瑛斗が悪鬼の後ろに回り込み背後から首にてを回してそのまま両手で締め上げる。裸絞めという技だ。神経がイカれてる悪鬼に当て身では効果が薄いと判断し絞め技や極め技に持ち込めるまで待機していたのだ。しかし人間相手なら必殺となるこの技も悪鬼が相手では一歩届かなかった。


 悪鬼は後方に飛び背中から壁に激突する。寸前で瑛斗は飛び退いのでダメージを受けなかったが、着地と同時に悪鬼はナイフを振るってきたので超高速で横に動く。直後、瑛斗をブラインドとして背後から迫っていた源蔵の刺突が悪鬼の心臓を貫いた。


 敵に致命傷を与えて思わず気を抜いてしまうが悪鬼の口角がつり上がりニヤリと笑ったことで源蔵は悪寒を感じてすぐさま後退する。一瞬前まで源蔵がいた位置を悪鬼のナイフが薙いだ。


 どうにか死を回避したのに源蔵の表情は固い。瑛斗も似たような顔だ。何しろ致命傷を与えても死ななかった上にこれまで源蔵が負わせてきた手傷も瞬時に治ってしまったのだから。


「回復能力まであるのですか。どうやら力の源である魔剣を破壊しなければどうしょうもないようです。」


 源蔵は冷静に現状分析をしているがその声に先程までの好好爺とした様子はない。瑛斗は最早声を発することも出来なかった。


 魔剣を破壊するすべを持たず、それをもつ悪鬼も魔剣の力で不死身。どれだけ策を練った所で何も出来ない。圧倒的な絶望がそこにあった。


 瑛斗達が絶望していても悪鬼はそれを慮ったりはしてくれない。荒々しくナイフをふるい近くにいた源蔵に襲いかかる。源蔵は流石の切り替えの早さでその刃を迎え撃つ。鍔競り合いになったところでどうにか持ち直した瑛斗が超高速の小内狩りで悪鬼を押し倒し左手に鍵固めをかけてナイフを奪おうとする。しかし悪鬼は人外の馬鹿力を発揮し片腕一本で瑛斗を持ち上げると、そのまま放り投げた。


 壁にぶつかった衝撃で肺の空気が強制的に排出され瑛斗は膝をついた。


(俺は瑠奈を、大切な人一人取り返すことも出来ないのか。)


 瑛斗は無力感に苛まれ諦めて現実を受け入れてしまおうとする。自分が負けてもいずれ誰かが魔剣を破壊するだろう。そんな考えが瑛斗の脳裏を過る。


(でも、それでいいのか?)


 瑛斗の脳裏にもう一つ情景が過った。それは三日前瑛斗の家で涙を流した瑠奈の姿だ。瑛斗のことを想いそのために涙を流した少女。瑛斗は彼女に約束した。今日までに必ず答えを出すと。


 丁度その時源蔵がバランスを崩して尻餅をついた。体力的な疲労もさることながら決め手がないという現実が無意識の内に精神を蝕んでいたのだろう。


 致命的な隙を晒した源蔵に悪鬼はナイフを振り上げる。このまま源蔵がやられれば万に一つも勝ち目はない。ここが瑛斗のターニングポイントだ。諦めるか否かの。


(いいわけないだろ!!)


 なんの策も無くただ意地に突き動かされて瑛斗は悪鬼に渾身のショルダータックルを当てた。普通なら体格的に意味のない攻撃のはずだが偶然いいところに入ったのか悪鬼は吹き飛ばされて壁に激突した。


 悪鬼はすぐに起き上がって瑛斗に狙いを定める。瑛斗は怯まず気丈に睨み返す。


 とはいえ、瑛斗に何か妙案があるわけでもない。あるのは大好きな女の子との約束を絶対に守るという男としてのプライドだけだ。だが、いやだからこそがむしゃらに突っ込むような真似はしない。瑛斗は脳細胞を総動員して自分にできることを考える。


(やはり糸口となるのは閃槍(ランス) だな。)


 最初の一撃で僅かとはいえ魔剣に傷をつけることが出来た。瑛斗達の攻撃で魔剣に唯一ダメージを与えられた技だ。しかし閃槍(ランス)は体にかかる負担が大きいので一日二発つまり後一発しかうてない。


(一応あれ(・・)を使えば速度を更に上げることは出来るが恐らく焼け石に水だ。いや、待て速度を上げるなら単純に一発の威力を高めるのではなく当たる回数(・・・・・)を増やせば…)


 考えた末に瑛斗は一つの策を思い付いた。だが、それはあまりにも無謀な上にチャンスは一回という半分賭けのような策だ。


(やれるのか?そんなこと。)


 瑛斗は自問する。しかし、考えたところでその答えが出るはずはない。


(やるしかないな。)


 瑛斗は覚悟を決めた。そして源蔵に声をかける。


「源蔵さん。一回でいいアイツを角に追い込んでくれないか?そしたら俺があの魔剣を破壊する。」

「それは出来なくもありませんがあの魔剣を破壊することなど本当に出来るのですか?」

「やる。」


 瑛斗の短くされど覚悟がこもった言葉に並々ならぬ自信を感じて源蔵も覚悟を決めた。


 そして戦いは再開する。まず瑛斗に向かって振るわれたナイフを源蔵が剣で受け止める。その後源蔵は一定の間合いを保って堅実な剣技を悪鬼は荒々しく高威力の斬撃を放つ。それはまさに剣客と剣豪の戦い。技の源蔵と力の悪鬼。両者一歩も譲らず一進一退の攻防を繰り広げやがて互いの剣が弾かれブレイクタイムができる。その瞬間源蔵は悪鬼に向かって剣を投げつけた。


 想定外の動きにほんの一瞬だけ視界を奪われた悪鬼は超高速で移動した源蔵にあっさり背後をとられ裸絞めを掛けられる。当然、悪鬼は苦しむこともなく源蔵ごと壁に跳ぶ。しかしこの動きは源蔵も予測済み。序盤で瑛斗が裸絞めをかけたときも同じ反応をしたからだ。そして岡目八目というやつで端から見ていた源蔵にはもう一つ悪鬼の隙を見出だしていた。それは壁に激突する際僅かに後傾姿勢になるため投げ技がかけやすくなるということだ。源蔵は超高速で悪鬼の懐に入り一本背負いで角に投げ飛ばす。


「注文は全て達成しました。後は頼みましたよ瑛斗殿。」

「上出来だ。」


 瑛斗は短く答えた後、角を背に立ち最高速度の閃槍(ランス)を放つ。


 亜音速の指貫手がナイフをとらえ、インパクトの瞬間に瑛斗は更に加速する。


限界突破(レッドゾーン)


 それは超高速移動の最高速度を一時的に大幅に引き上げる技だ。しかし体への負担が尋常ではなく一分しか持たない上に使用後はひどい倦怠感に襲われるので普段は間違っても使わない技だ。


 だが、今は目の前の敵を倒すため。大好きな幼なじみにその想いを伝えるためにその技を解放する。


 音すらも置き去りにして加速した瑛斗は垂直に交わる二つの壁を蹴り閃槍(ランス)の一撃を三連撃の連続技コンビネーションブローに昇華させる。


三連閃槍(トライデント)!」


 叫ぶと同時にインパクトを三方向から撃つ閃槍(ランス)が魔剣の寸分違わず同じ場所に炸裂する。


 一撃目、源蔵の剣によって幾つかつけられた掠り傷が目に見えるひび割れとなる。二撃目、そのひび割れが魔剣全体にひろがる。そして三撃目、ガラスの砕けるような音と共に魔剣が砕け散った。


 砕けた魔剣から膨大な闇が放出され瑛斗は壁に叩きつけられたが歯をくいしばって意識を保つ。やがて衝撃が収まったときそこには干からびた悪鬼の死体が転がっていた。


「やった、のか?」

「はい、貴方の勝利ですよ、瑛斗殿。」


 呆然と呟いた瑛斗に答えつつ源蔵は悪鬼の死体を担いだ。


「其では私はこれで失礼します。ご友人はじきに目を覚ますでしょう。ご協力、感謝いたします。」

「此方こそ、源蔵さんがいなかったらどうなってたことやら。ありがとうございました。」


 瑛斗が感謝を告げると源蔵はなにも言わず超高速で立ち去っていった。


「ん?俺は今まで何を…」


 暫くすると庄谷が目を覚ました。


「あれ、何やってんだ俺?」


 次いで東が目を覚ます。


「やだ、私もしかして寝てた?」


 そして最後に瑠奈が目を覚ました。それを見た瑛斗は胸から込み上げてくるものに堪えきれず涙を流して衝動のままに瑠奈を抱き締めた。


「え、瑛くんどうしたの?」

「良かった。良かった。・・・」

「ちょっと瑛くん、恥ずかしいよぉ。」

「悪い、でも、もう少しだけこうしていてくれ。」


 瑠奈がいる。ただそれだけの大きな幸せを二度と手放さないよう、瑛斗は強くいつまでも瑠奈を抱き締め続けた。




 翌日。瑛斗は大体いつも通りの時間に登校した。


「よう、B8。今日もいつも通りだな。」

「おはよう、庄谷。いい加減そのB8はやめてくれ。」


 瑛斗は抗議するが、いつも通り庄谷は笑って誤魔化すだけで呼び名を改めようとはしない。


 どうすればB8呼びを根絶できるかいや出来ないなと、瑛斗が溜め息をついたとき、朝からやけに元気な声が聞こえてきた。


「瑛くーん。おっはよう。」


 瑠奈はそのまま勢いよく瑛斗に近づくと軽くキスをした。


「おい、瑠奈。公衆の面前でキスは止めろ。」

「ええ、いいじゃん。もう恋人同士何だし。」

「恋人でもやっていいことと悪いことがあるだろ。」


 瑠奈のこちらもいつも通りふわふわした態度に瑛斗はげんなりする。彼女が言った通り今二人は交際している。あのあと、自分の気持ちを疑いようもなく自覚した瑛斗は瑠奈の想いを受け入れるという形で答えを出した。勿論その時の瑠奈の喜びようは凄かったのだがここでは割愛。


「行こう、瑛くん。」

「おい、引っ張るなよ。」

「ひゅーひゅー、今日も見せつけてくれるな。」


 瑠奈が瑛との手を引っ張り、瑛斗はそれに抗議するもどこか楽しそうで、そんな二人を庄谷は冷やかしながらついていく。


 こうして今日も変わらず彼らの日常は続いていく。



お読み下さりありがとうございました。

本作を読んで面白いと感じて下さった方は僕が書いてる連載小説のピアレスアドベンチャーにも目を通してください。また、本作は短編ですが好評でしたら設定を練り直して長編版を作ろうかなとも思ってるのでご意見、ご感想等気軽にどしどし送ってください。

つたない文章で読みづらかったかもしれませんが少しでも楽しんで下さったなら幸いです。

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