代償無くして、成功無し
「…………せめて、せめて私の懺悔を、最後に聞いてくれませんか……ヒナタリ様。どうか、どうか…………」
多少は落ち着いたのだろうか、古郡は貸してもらっていた肩から離れて、白い着物の裾が汚れることも構わず地面に正座をしながらそう言った。
その目の光は弱々しいが、真っ直ぐと仮面越しの俺の目を見据えている。
これが演技なら大したものだが、そんなことを言い出せばキリがない。
多分これから語られるのは、どうして『ヒナタリ様』に生贄の足を捧げてきたのかという話だろう。
それは気になる。ものすごく気になる。
どれどれ、迷える子羊……というか見た目はもう川に流された羊のように惨めだが懺悔を聞き届けてやろうではないか。
格好的にはあと座布団と扇子さえあれば懺悔ではなく落語で一席設けそうではあるが。
「……なんだか怪談でも始めそうな勢いだけれど」
急に耳元で声がしたので飛び上がりそうになった。
なんだ朱音か、いたのか。そうか。
影どころか実像すらなくて分からなかったぜ。
「一つ言っておくけど、何もこの人の懺悔も怪談も聞く必要は別にないのよ?私達の茶番は古郡さん含めてかなり効き目あったみたいだし。あとは最後に釘を刺しとけば充分過ぎるほどだと思うわ。むしろ長居は無用、貴方の合図さえあれば今すぐにでもここから空に離脱出来ることを忘れないで」
「ふむ…………」
朱音への返事と古郡に対して考え込んでいるように見せかけることを兼ねて相槌を打つ。
確かに、ここで古郡を適当にあしらい撤退することが最善手だろう。
あまり甘さを見せるのも得策ではない、ここで古郡の話を聞くことは儀式を断ち切る為の作戦に何らメリットもない。
ない、けどもだよ……。
冥土の土産じゃないけど、行き掛けの駄賃に聞いていってもいいんじゃないかなぁ……。
今後二度とここには来ない訳だし、どうせ帰るなら謎の答えを知ってからでもいいだろ。
と、朱音に伝える手段もないので、代わりに
「よかろう……聞いてやる。ただし、手短にだ。あまり我にも時間はないのだ……」
と古郡に伝えることで応じた。
朱音の呆れたような溜め息が聞こえた気がした、というかはっきり聞こえた。
いいんじゃないか、手短にって釘は刺しておいたし。
「あ、ありがとうございます……。私達の祖先が、150年前にこの村を襲った病魔と大飢饉に対して、無垢な少女の足を捧げ始めたのは……。ほ、他でもありません。『ヒナタリ様』の……あなた様の……神話に基づいたつもりの愚行だったのです……」
神話……、俺の後ろに控えている朱音がさっぱり分からんと匙を投げた話か。
村長ともなれば、そこまで把握していて当たり前だろう。
周りの反応を聞いても……
「…………神話?聞いたことあるか……?」
「……いや、そういうのがあるってことだけは知ってたけど……」
「……足をヒナタリ様が欲しているからって説明、してたわよね……」
おい、最後の声は俺の後ろからしたぞ。しかもえらい近くだ。
今になって思い出してんじゃねぇよこのポンコツは、こっそり言えばバレないみたいな考えがあったんだろうが。
にわかに騒がしくなりつつあった村人をぐるりと睨めつけるフリをして朱音がいるであろう方向を特に睨んでおく。
う、という声が聞こえた。やはり真後ろで。
「……その神話といいますのも……覚えておいででしょうか……。遥か昔のそのまた昔に、この村にある鬼が襲ってきたのです……。名を『きさらぎ』という、巨大かつ狂暴で、破壊と暴虐の限りを尽くしにこの村にやってきたのです」
「…………!?」
危なかった、今度こそ驚きの声が漏れ出てしまうかと思った……。
『きさらぎ』……という、鬼?
その名前は、鬼でもなんでもなく、あのトンネルの先にある無人駅の名前で。
なんだ、この偶然の一致というにはあまりに作為が感じられる、この薄気味悪い感覚は。
なんだか、俺は既に取り返しのつかない所まで来ているのではないのかと思わせるような戦慄。
恐らく、朱音も同じものを感じているかもしれない。これでケロリとしてたらマジで神経がどうかしている。
「あっという間に村は破滅に陥り、全てが終わろうかというその時、貴方様は、この村を今と変わらず囲んでいた山から、僧の格好をしてやってきたのでございます……。そして、悪しき鬼を退治するため、命を懸けて摩訶不思議な力でもって村のために戦って下さり……、そしてついに鬼を村から追い出したのです。御自分の、片足をもぎとられ失いながらも……」
手短に、何て言うんじゃなかった。
展開が目まぐるしくてあっという間に落ちまで落ちてしまった。
とりあえずあれだな?坊さんというかお偉いさんの僧が片足なくしてまで鬼退治したってことでいいんだな?
で、その勇猛果敢で慈悲に満ちた僧がヒナタリ様だと。
鬼を退治するほどだから、ムッキムキのプロレスラーみたいなお坊さんかもしれない。
そんな互いの汗が混ざり会うようなくんずほぐれつの肉弾戦を繰り広げた訳でもないのかもしれないが。
もっとファンタジー溢れる戦闘であったのだろう、摩訶不思議な力使ってるみたいだし。
アドベンチャーかな?
「奪われた脚の傷口から身体が腐っていき、ついに息も絶えようかというときに、貴方様は、自分がこの村を守ってきた比奈山の山神の使いであることを村人に告白しなさった……。そして、自分の亡骸は、自らの主である山に埋めてほしいという最後の願いを伝え、この世を去られたました……」
つまり、気が遠くなるほどの過去においても、今と同じように山から『ヒナタリ様』の使いが来た、と。
その時は村を救うため、今は村を断罪するため。
そうか、古郡がここまであっさり俺を信じたのは……神話との共通点がいくつかあったからでもあったのか。
山から突然来たこと、人の形をしていること。
そして、摩訶不思議な力を使っていること。
俺よりも深く『ヒナタリ様』について知っているからこそ、逆に信憑性が増してしまった。
まだ無知蒙昧であった方が救いがあったとは、皮肉というスパイスが効きすぎている。
舌どころか、頭を痺れさせてしまうほどに強烈だ。
「……貴方様は、あのときの『ヒナタリ様』の使いなのでしょうか?それとも、『ヒナタリ様』そのものなのでしょうか……?」
古郡がまるで無垢な子供のように無邪気な声で疑問を投げかけてきた。
手短にって言ったのになんで質問してくるかな……。
しかも俺と朱音が書いた脚本に答えがない質問だし、これはまずいぞ。
えぇっと、俺の今までの言葉からして後者ってことにしといた方が辻褄が合うからいいのかな?いや、でも前者も前者で俺が人の形をしていることについての理由にもなるし……。
あ、でもいいのかこの場合二者択一でなくとも。
「――両方だ。我らはヒナタリであり、またヒナタリも我ら。おぬしらのような人の子には、分からんだろうがな……」
いらん質問しやがってこのやろうという静かな怒りを込めて返す。
宗教的というか、哲学的というか。
両方選ぶには煙に巻くような言い方しか出来なかったが、古郡だって答えてほしい明確な答えがあったわけではないのだろうし、これで構わないのだろう。
狐につままれたような顔をした古郡も、やがて俺が込めた怒気に気付いたのか佇まいを正して。
「……申し訳ありません、話が逸れてしまいました……。その神話が基にヒナタリ様の信仰が始まり、やがて時は今から150年前にまで流れたのでございます……。そして、村が飢餓と病に支配された時に私古郡の家系の人間が、『これはヒナタリ様の怒りではないのか。治めるには捧げ物としてヒナタリ様が遥か昔に失ったとされる片足を山に納めるのがよいのではないか』……と、申したそうであります」
「それから、儀式は始まった、と?」
「その通りでございます……。農作物の不作や病の流行の度に、最初は穢れのない処女の足を、足りなくなれば成人前の男の足を、やがては村人だけでは補えなくなったときに……。たまたま迷いこんだ外の人間の足を、血迷い、愚かにも奪い捧げてきたのです……」
「…………それは赦されざる蛮行であり、罪なのだ。それを今更になって分かったか」
「……………………」
古郡は、再び沈黙した。
150年分の代々積み上げてきた罪悪を一身に受けているような気持ちなのだろう。
だけど、悪いのは彼だけではない。
150年前に、あまりに酷い状況だったとはいえ、妄言を吐いた上で村人の、それも幼い女の子の足と命を奪った古郡の祖先しかり。
それを今まで止めてこなかった村の大人たち全員が、同罪だ。
みんな人殺しで、みんなれっきとした犯罪者だ。
片っ端から片っ端まで救いようのない人間で埋め尽くされている。
同情の余地は、無い。
もういいや、なんか聞けば聞くほど気分が暗くなってくる。
そろそろボロを出してしまわないとも限らないし……茶番の幕を閉じてしまおう。
「……もうよい。我とて鬼ではない。この村をヒナタリの名の元に守護するのを辞めはせん……。おぬしらが金輪際この愚か極まりない儀式をしないのであれば、だが」
「…………!そ、それでは」
「ただし!」
古郡の言葉を一層大きな声で遮り、すくみあがる古郡および村に対して最後通牒を告げるかのように重々しい声で。
「我は一切おぬしらに裁きを下さぬ、罰を与えぬ。もはやその価値もない……。願えど祈れど供物や生贄を捧げようと、我は決して断罪はせぬ……。勝手に償い、決して戻らぬ命に贖罪を捧げるがよい」
罪に対して罰を与えないという罰。
これを幸いととらえるようでは、人間として終わりだろう。
……あれ?俺案外ラッキーって思っちゃうかもしれん。
無罪放免という訳でも、執行猶予を与えた訳でもないんだけど。
そんな安直な人間味溢れる甘さではなく、むしろ機械的な冷たさをもって彼らを見捨てた――のだが。
果たして、これを見捨てたと認識してくれる人はどれほどいるだろう。
一度か二度見捨てられる経験が無いと分からんかもしれんな……。
が、古郡の顔を見た瞬間にその不安は吹っ飛んだ。
さっきの信仰を失った時の落胆した顔とはまた違う……、絶望しきった顔だ。
死刑宣告を受け、迫り来る執行日を恐れ、狂い、その先にある虚無を味わったかのような。
やがて、うなだれて顔は見えなくなったが……それでも二度目の豹変に思わず演技も忘れ絶句してしまった。
油断、してしまった。
「……うぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
――右?
割れんばかりの大声が聞こえた方に咄嗟
に視線を移……せな、かった。
もうその時には、目の前に誰かが走り寄っていて。
次の瞬間、右頬から何かにぶっ飛ばされた。
火花が散った……、同時に、視界が一気に広がった。
背中から地面に叩きつけられた、受け身なんてとれない。
突然の衝撃に咳き込みそうになった時に右頬に激痛と熱さを感じた。
口の中が鉄の味がする熱い液体でどくどくと侵されていく。
痛い、熱い、気持ち悪い、苦しい、明るい、痛い、熱い。
脳みそが温かく重い膜で覆われたかのようで、上手く回らない。
痛い、流れていく、血が、意識が、脳みそがどろどろどろどろと。
あぁ……そっか。
俺、ぶん殴られたんだ……ストレートかフックか知らんけど。
紐がぶちぎれて仮面までどこかに行ったようだ……横になった視界には、見当たらない。
その代わり、ぼやっとしていた五感が徐々に俺のものになってきた。
あぁ、脳みそも揺らされたのか……。通りで寝起きみたいになった訳だ。
「――白谷君っ!?大丈夫!?」
えらい近くで必死に抑えた悲鳴のような声が聞こえる……朱音か。
お前、俺の名前教えてから初めて呼んだな……、ずっと『貴方』なんだもんな。
夫婦じゃないんだから……まぁ俺も朱音とそうなることもやぶさかではないけど。
「――馬鹿者ォッ!!貴様、何をしたと思っているッ!」
この声、は……古郡か。
さっきとは打って変わって威勢のいい声だな……。それだけに、なんだか心臓をつかまれたような思いだ。
誰だ?俺を殴りやがったのは……。
首を動かすのすら億劫だったが、どうにか頭を起こして騒ぎの起きている辺りを見た。
何人かの村人が、一人の暴れている男を必死で押さえつけている……。
あれは……、誘拐犯(確定)……?
俺を生贄としてこの村に連れてこようとした今回の『案内役』の男だ。
明らかに、尋常ではない言動をしているが……、逃げたんじゃなかったのか?
「違、違う!違ぁぁうぅぅ!!そいつは『ヒナタリ様』じゃ、じゃないぃ!生贄
なんだ、違うっ!そい、そいつには、あの女の『怨霊』がとり憑いて、いるんだぁぁっ!やめろぉぉぉ……離せぇッ!ぐうぅぅ、ぁぁぁぁああッ!!」
「たわけたことを言うな!!抑えろ、全員で抑えよっ!」
古郡が必死で指示をだし、喚く男に群がる人数が多くなっていく。
あれは……もはや狂信者じゃない。
狂人だ。
だけれど、そんな狂人の妄言が、真相に近いことを俺は知っている。
あの時は、みっともなく逃げ出した癖に……くそ、なんで今更。
「ぐ、う……」
そこで首が限界を迎えたのか、もう一度後頭部が地面につき、星空を見上げてしまった。
口から溢れた血が、頬にべとべとまとわりついて不快だ。
これ、歯とか折れたりしてないよな……?
「し、白谷君っ!?しっかりして、死なないでぇっ!!」
朱音は最早あたり構わず叫びだしてしまった。
多分この騒動に紛れて聞こえないだろうけども……。
というか誰が死ぬか、ボクサーのパンチでもないのに顔面殴られただけであっけなく人間が死ぬわけなかろうよ。
当たり所が悪ければ知らん、秘孔突かれてたら俺はもう死んでいる。
色々言いたいが、口の中が切れているので痛くて上手く喋れない。
なんとか、朱音に撤退する旨を伝えなければ……。
もうこうなったらおしまいだ、茶番は思わぬ登場人物によって滅茶苦茶になってしまい、Badendとなってしまったかもしれない。
せめて全てが露見する前に逃げなければ、殺されてしまう。
だが、しかし。
どうせ負けるなら……立つ鳥跡を濁しまくってやろう。
前言撤回、罪には罰を与えてこそ神を名乗る資格がある。拝められ、奉られる存在となりうる。
こんな状態じゃあ俺が手を下せる訳がない、だから。
「……あ、あかね…………」
「白谷君!……良かったぁ……、生きてた……」
「…………ば、つを……あいつ、に。そん、で……逃げ、る」
遺言のように弱々しい声色になってしまったが、伝わっただろうか?
もう一度、言うのは辛いぞ……。
「罰……そうよね。分かった、正直私も殺されたってのに人一人持ち上げて落としただけじゃ物足りなかったのよ……」
「あ、かね……?」
「――10秒、待ってて」
そう言うと、朱音の声が聞こえなくなった。
元々気配が無いのでどこに行ったか分からない。
とりあえず、10秒あれば立てるだろう。撤退するときも来たときと同じように飛んで帰るのだから、寝たままでは朱音も俺を抱えて飛びづらかろう。
身体に渾身の力を込めて立ってみる……あれ、案外すんなりいけたな。
そりゃそうか、異常があるのは殴られた右頬と口の中だけだもんな。
揺らされた脳のダメージもいくばくか回復してきたのだろう。
完全に立ち上がれた、その時。
「――ぃぎぁぁぁぁぁああ――っ!!」
身の毛がよだつほどの咆哮。
が、後ろから聞こえた。
朱音のやつ、あの狂人に何をどこまでしたんだ……?
振り返ろうとした時に、まさにその後ろからタックルばりの勢いで背中にひんやりしたモノがしがみついてきた。
この感触、朱音か。
「飛ぶわよ!」
俺が返事をする前に、俺の身体は来たときとは比べ物にならないスピードで空へ上昇した。
唐突な浮遊感に腰を抜かしそうになる、いや支えてもらってるから分からないけど抜かしてるかもしれない。
怖い、いや怖いってこの速さは。
マジでカタパルトから射出される戦闘機さながらだったぞ。
頬の痛みを忘れるほどのスリルだったが、一定の高さまで上がりきると減速して上方向でなく前に、山の中目指してのフライトに切り替わった。
やはり行きに比べてやや速い、俺がぐったりしていなければむしろ出せないであろう速度だ。
「――大丈夫、もう安全よ」
朱音の声も、緊迫していたそれから少し緩んだそれになっていた。
「……なぁ、あかね――」
「喋らないで。貴方の着替えを置いた所からすぐに水が湧いている所がある。そこの水は綺麗だから、口の中を洗って。痛みが引いたら、色々話しましょう」
「…………」
無言で頷く。
もう、戦いは終わった、終わってしまった。
俺らの負けか、それともあまりに無様な勝利か。
どちらにせよ、こうして俺が生きている以上、最悪な失敗ではなかった。
怪我の功名としては、まぁ安く済んだほうだろう。
……そもそも、朱音の言う通りあそこで古郡の話を聞いていなければ完全勝利だったのに。
さっきから朱音が静かなのって、俺が喋れないからじゃなくて、かなり怒ってるからだとしたら……。
色々話すって説教かもしれないなぁ……。やだなぁ、なんでこんなところまで来て親の説教で始まり幽霊の説教で終わらきゃいけないんだ。
最後の最後まで締まらないお芝居だったな、果たして観客はこんな劇を見て楽しんでくれるだろうか。
どんどん遠くなっていく村から、一際大きい絶叫が聞こえた。
「――ぁぁぁあっ!!目が、目を潰されたぁぁぁぁ!!」
……ムスカかあいつは。
こんなんじゃラストの決め台詞もこんなんしかないな。
「――そして残るは騒動のみ」
「喋らないでって言ったでしょ」
「はい、すんません」