第2話 小林鉄二
家を出てから最初の十字路を右に進み、緑の原っぱにその左右を挟まれた道に沿って歩く。近くに流れている川を渡るための割と大き目な橋の下をくぐり、さらに足を進めること15分。僕たちの通う中学校はそこにある。
僕と同じように登校してきた生徒達が次々と校門を通り、おはようと声を掛け合っていく。その今までに何回と見た光景が、今日もまた1日が始まることを僕に感じさせる。
あぁ、平和だ。そんなことを考えながら教室に入った。クラスメイトは、昨日放送された人気バラエティ番組の話に夢中だ。他には今日発売予定の国民的アイドルのニューシングルについて熱く語っている奴なんかもいる。隣のクラスの谷口が、昨日万引きで捕まったらしい。新作のマスカラが、リップが、ワックスが。
あぁ、平和だ。
そんな平和で楽しそうな会話でも、僕はあまり参加しない。話しかけられたら一応それなりの反応はするけど、それ以上は無い。
もともと個性というものが僕には無く、成績は中の下、身長も高くもなければ低くも無い。どちらかに分けたら低いほうかもしれないけど。それに飛びぬけて顔立ちが整っているわけでもなく、抜群の運動神経を持ち合わせているわけでもない。
それでも例えばピアノコンクールで全国優勝の経験なんかがあれば、もっと僕という人間を特徴付けられるかもしれないが、残念ながら楽譜を読むことすらままならない有様だ。
生活態度も真面目にしてるつもりだし、要するに「フツー」の人間。もし僕が誰かに告白しても「悪くないんだけど、なんかねぇ……」って言われそうな人間。もし僕が将来大きな犯罪を犯して、そのリポートをしているアナウンサーに質問された同級生が「ごく普通の良い奴でしたよ。あ、はい。どこにでもいるような感じの」って答えそうな人間。それが僕だ。
結局のところ、誰からも相手にされていないのだ。みんな僕に興味が無いのだ。イジメられている奴とはちょっと違う。俗にいうイジメられっ子っていうのは、イジメっ子という相手がいて初めて成り立つ存在だから。僕は、本当の意味で誰からも相手にされていない。イジメっ子にすら相手にされていない。
誰からも忘れられたような存在。いうなれば空気だ。いてもいなくても一緒。攻撃されることも、助けてもらうことも、きっと僕にはしてもらえない。だって誰も僕を見ていないから。
そう僕はきっと、これから先もこうやってぬるく生きていくのだろう。適度に頑張って、何となく高校へ通って、大した友達も作れないまま、無難な会社に就職して、お見合いなんかで知り合った相手と結婚して。子供産んで、歳取って。そんな誰にでも送れるようなぬるい人生。
「おい、小林。小林鉄二」
「え。あ、はい」
思考が別の場所へ飛んでいた僕は、担任教師に自分の名前を呼ばれていることに気が付かなかった。
1時間目の授業がそろそろ始まる。3年生になってもうすぐ1ヶ月が経とうとしている。そろそろこの教室の風景にも慣れてきた。この3年C組の風景に。
鞄から筆記具を取り出していた手が止まる。
3年C組。そうだここは、あの3年C組の教室だったんだと、平和ボケしていた頭の中でハッキリと意識した。
3ヶ月前、矢崎遥が最後を迎えた、あの3年C組だ。
矢崎遥。彼女を説明する上で深く関わってくる我が国の制度がある。
スクールゲームという制度だ。対象となるのは全国の中学校に通う生徒。その全生徒の中から一人「プレイヤー」と呼ばれる、言うなれば学校の代表者を選び、あるゲームに参加してもらう。それは、他校のプレイヤーと1対1での殺し合い。ステージとなるのはどちらかの学校で、制限時間は50分。
ゲームは定期的に行われ、プレイヤーは高熱があろうが怪我をしてようが、親の葬式があろうが必ず参加しなければならない。
プレイヤーが勝利すると、その所属校はポイントが与えられ、ポイントがいくつか貯まると学校のグレードが上がるのだ。
グレードの高い学校のプレイヤーを倒すほど、高いポイントが与えられる。
学校のグレードが高ければ高いほど、校内設備・進学・勤務している教員の給与と様々な方面で良い影響が出てくる。
つまりプレイヤーとは、通っている学校に関係のある人間全ての期待を背負って戦う存在だ。
そういう言い方をすると聞こえは良いが実際は、もっと快適な暮らしがしたいという人間のエゴのために人を殺す、という方が近いかもしれない。
そんな過酷な役割を、矢崎遥は1年近く背負っていた。たった1人で。
矢崎は強かった。1年もの間、矢崎はただの一度も負けたことは無く(というのも負ける事というのは死を意味するので、当たり前といえば当たり前だが)全国でもちょっとした有名人だった。
その矢崎が死んで、もう3ヶ月が経とうとしていた。
僕の頭は完全に平和ボケしていて、いやきっと僕だけじゃ無く、他の沢山の生徒もボケていたに違いない。スクールゲームなんていう人殺しゲームが存在している事なんて忘れかけていた。
そんなたったの3ヶ月でその存在を忘れられてしまう矢崎の存在って、何だったのだろうと少し考えた。いつのまにか「我が校のヒーロー」という、ひどく勝手な呼び方をされ、期待や希望という名のエゴを勝手にその華奢な背中に背負わされ、死んだらもう忘れられてしまった彼女の存在って。
いや、もしかすると僕は忘れたいだけかも知れない。信じたくないのかも知れない。矢崎遥が、死んだなんて。
そんな考えが頭の中を駆け巡っているうちに、その日の授業が全て終わった。
夕日が差し込む教室の中で、担任教師が連絡事項を伝え生徒を解散させた。
僕も皆に続いて教室を出ようとすると担任教師に呼び止められた。
「何でしょうか?」
「ちょっと話があるから、職員室に来るように」
「ここでは駄目でしょうか?」
僕は生活態度も真面目なはずだし、わざわざ職員室に呼び出されるほど成績が悪いわけでも無い。というか、何より職員室まで行くのは面倒くさい。
「職員室に、来るように」
念を押すような言い方をした担任教師の表情は、心なしか緊張しているようにも見えた。
時間が惜しかったせいもあり、職員室へ戻る担任教師の背中にピタリと張り付く形で後を追った。グラウンドでは野球部が早くも練習の準備を始めており、ピッチングマシーンを中央へ運んでいた。あの機械も、矢崎遥の勝利の賜物だ。
「ファイトー、ゼッオゼッオゼッオ」
という野球部員の掛け声が聞こえ始めた頃、僕は職員室の入り口に着いていた。
担任教師はその間、一度も口を開く事は無かった。
中へ入る担任教師に続き僕も室内へ入ると、「こっちだ」と手招きされ、その方向へと向かった。
ん。え、いやちょっと待ってくれ。職員室と扉ひとつで仕切られているその先は校長室だ。僕が校長に何の用だ。いや、間違えた。校長が僕に何の用だ。
混乱した頭のまま校長室へと入ると、すでに中に数名待機しているようだった。
学年主任、進路指導主任、生活指導主任、教頭、校長、それに今一緒にここへ入った担任教師。
何だこの大袈裟なメンツは。生徒1人に対してこの人数は卑怯だろう、と僕は完全にこれから起こる何かにビビッていた。別に何も悪い事はしてないけれど。
僕が彼らに警戒する中、校長が口を開いた。
「小林ぃ、鉄二くんだねぇ?」
「はい、そうです」
「ええと君はぁ、矢崎遥をぉ、知っているかいぃ?」
顔と同じで、ねっとりとした喋り方が気持ちが悪い、これが僕の校長に向けられた感想だった。全校集会の時もこの調子で喋るのだから、勘弁して欲しい。
「知っていますが、それが何か?」
そう言った途端、全身が凍るような感覚に襲われた。
校長が上着の内ポケットから取り出した、真っ赤な封筒が目に入ったからだ。
噂に聞いていた、あの封筒だ。でもまさか。何で僕に。
混乱している僕をよそに、校長は答えた。
「矢崎遥はぁ、我が校の優秀なプレイヤーでしたぁ。うん、とっても優秀でしたぁ。でもね、彼女、死んじゃったぁ。それでね、今日その後任が決まったと上の方から連絡があってねぇ。」
まるで蛙のような校長が、薄気味悪い笑みを浮かべ、こう続けた。
「おめでとう。君がプレイヤーですぅ」
そして蛙のような手で、僕に例の赤い封筒を差し出した。
室内に野球部員の掛け声が、やけに響いた。




