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NO TITLE  作者: 六花
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[04]

随分久しぶりに間近で感じる人のぬくもり。私を抱きしめる力強い腕。ほんの数滴流れるだけのはずの涙が、その道筋をたどるように次々と溢れる。白騎士さんはもう何も言わなかった。何も言わない代わりに、大きな手がゆるやかなリズムで私の背を優しく叩く。まるで子供でもあやすように。


子供扱いには腹がたったが、それでも心地良かった。白騎士さんは本当に訳の分からない人だ。私のことが嫌いなはずなのに、ここぞって時に優しい。視線は相変わらず睨みつけるように鋭いが、それも気にならないほどに。


心地よいリズムに、瞼が重くなる。しかし私は眠りに落ちることはなかった。なぜなら、そんな眠気も吹っ飛ぶことが起きたからだ。


女神、と低い声が間近で聞こえて、背筋がぞくぞくした。その直後、白騎士さんの唇が私の瞼から頬を滑り、私の涙をすくい上げた。驚愕、愕然、衝撃。それらが私の全身を駆け巡り、身体がビクリと硬直する。そんな私に構いもせずに、白騎士さんは私の涙の跡を唇でなぞる。そして、そのまま――……「んむ、」


なんで、どうして、やめろ、離して、乙女の唇になんてことを、乙女なんて歳じゃないけど、でもとにかく離して!


そんな胸中の叫び声とは裏腹に、私の身体は一切の抵抗をしていない。動けないわけじゃない。逃げられないわけじゃない。私をソファの背に縫い付けていた手は私の後頭部にそっと添えられているし、その抱擁に先ほどまでの力強さはない。


抗おうと思えばいくらでも出来るはずなのに、私の身体は硬直したままだ。私の閉じられたままの唇を何度か音を立てて吸い上げて、白騎士さんの温もりが遠のいた。と思ったら抱き上げられて、寝室のベッドに放られた。実際はそっと降ろされただけだけど、先ほどの熱烈なくちづけとの温度差に、私には放られたように感じた。何だんだよ、もう。


色々とあったはずなのに、その日はなぜか、いつもに増してよく眠れた。そして、目覚めた朝は清々しく、心がほんの少しだけ軽かった。




-




この白騎士さんは、仏頂面の下にでっかい下心を隠したむっつりスケベなんじゃないかと思う。


あの夜から白騎士さんは毎晩毎晩私の唇に吸い付いてくる。私が抵抗しないのをいいことに、最近では舌まで絡めてくる始末だ。まったくもって腹立たしい。ほんと、なんで、どうして私は抵抗しないのだろう。名前も知らない男にこんなに簡単に唇を許すなんて、何をやってるんだ私。おかしいだろ、股間でも蹴りあげて逃げ出せよ私。


でもこの藤色の瞳に射貫かれて、その形の整った唇が私の唇に触れると、ああ、ほら、もうだめだ。抵抗できない。脳内では必死に抵抗するのに、身体がついて行かない。それで、結局、こうやって、「んん……っ!は、……ん、……っ」


私が息苦しさに身体の力が抜けてぐったりとしたところで、一旦終わる。そして寝室に運ばれて、顔中に啄むようなくちづけを落とされ、そこでやっと開放される。唇は。くちづけの間に繋がれた左手をそのままに、私は眠りにつく。眠りにつけてしまうあたり、どうかしてる。頭おかしい。


この世界に来たばっかりの頃の眠れぬ私はどこへ行った。それ以前に、地球にいた頃の割りとお固めな貞操観念を持っていた私はどこへ行った。いや、別に身体を許したわけではないけど、もし迫られたら全く抵抗できる気がしない。あの堅物が迫ってくるところをいまいち想像できないが。


けれど現在の私はまさに『身体は正直』状態なので、いつ間違いが起きてもおかしくない。むしろそれが間違いなのかどうか分からない。もう訳がわからなすぎて、どうにでもなれとさえ思う。身体は正直。それでいい。でも私の心は、どこへ向かっているのだろう。




-




そんな不安定な状態のまま、更に数カ月が過ぎた。カレンダーさえないこの部屋で、時間の経過を数えるのは怠惰な私には中々に難しく、この数カ月というのは体感でのものだ。この国は常春で、気候の変化も乏しく体感さえも曖昧だ。実際はもっと短いかもしれないし、長いかもしれない。知らぬ間に年単位過ごした可能性もある。


誰かに聞けば私が来てからどのくらいになるかなんて分かるだろうが、静かすぎて聞くに聞けない。この白の離宮では基本的に会話らしい会話はなく、恐ろしく静かだ。誰も彼も口を開こうとしない。もちろん、私も含めて。


口を開くのは食事の時か、夜のくちづけの時くらいだ。この熱くねぶるようなくちづけにも随分慣れた。慣れすぎて、ないと不安になるくらい。この数カ月の間に、私はこの白騎士さんのくちづけに心も身体もどろどろに溶かされた。白騎士さんのことなんてほとんど知らないし、ほとんど会話をしたこともないのに、溶かされて、絆された。抵抗しようなんて気持ちは少しも湧いてこない。むしろ、もっともっととねだり、彼の熱い舌を追いかける。


愛とか恋とか正直分からない。面倒なものという認識しかない。けれど縋るものも逃げる先さえないこの世界で、白騎士さんのくれる温もりだけが全てだった。


もしも白騎士になったのが彼以外でも私は同じ感情を抱くのだろうか。そう考えるが、あまりに無意味な仮定だ。だって私に触れる腕や唇、私を射抜く藤色の瞳、なめらかな黒髪は、他でもない彼のものなのだから。


しかしどれだけくちづけを繰り返しても、白騎士さんは決して一線を越えては来なかった。私の心は完全に溶けてしまったのだから、拒みはしないのに。白騎士さんにはそういった『他意したごころ』はないのだろうか。それとも、ガリガリに痩せこけて鶏ガラ同然の女を抱く気にならないのだろうか。


私はこんなにも、欲情、しているというのに。




-




夢を見た。私がこの世界に来た日の夢だ。寒がる私の方にマントをかけてくれた身体の大きな男が、『皇帝陛下』に呼ばれて私の前に膝をつく。どうやら彼が今後私の護衛をしてくれるらしい。たくましいく鍛えあげられた身体が服の上からでも分かる。心強い。


「シング・ベルセリウス申します」その言葉とともに、藤色の瞳が私を貫いた。


とてつもなく大きな感情をぶつけるような視線に、全身の毛穴が開き、汗がじわりと湧き出る。喉がカラカラになって、私は思わず唾液を嚥下した。そして、その時私は思ったんだ。きっとこの人は、私のことが嫌いなんだろうと。その視線の鋭さが、その時の私には怨みや嫌悪感から来るものに思えた。


そこで目を覚ました。短い夢だった。けれどとうに太陽は登っていた。夢のお陰で彼の名前を思い出したが、夢に見るということは本当は忘れてはおらず、頭の隅に残っていたのだろう。カーテンの隙間から差し込む朝日を眺めて、ほとんど声に出さず呟いた。「シング、さん」

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