[03]
夜眠れるようになった。たったそれだけで多少生活は改善されたものの、食事は相変わらずだ。スープ類はなんとか飲める。具は食べれないけど。果物類はなんとか食べれる。一口二口なら。朝果物、昼スープ、夜就寝前にミルク。あと合間合間にお茶。それだけ。
そんな生活を一ヶ月続けて、さすがに痩せた。夢の中だというのにガリッガリだ。元々痩せてるとは言えない普通体型+皮下脂肪だったが、今は肋骨がハッキリくっきり、頬が若干凹んで、明らかに不健康そうな痩せ方をしている。痩せたいとは思ってたけど、こんな痩せ方はだめだ。目が覚めたらきちんと健康的なダイエットをしようと心に誓う。
そう。目が、覚めたら。
正直に言うと、もう気付いている。これが夢でもなんでもないってことくらい。もっと言うなら、初日から気付いてた。だって、神殿は寒いし、白騎士さんがくれたマントは暖かいし、こっそりつねった頬は痛かった。でも夢だって思ってた方が楽だったし、夢であって欲しかったから、夢だって自分に言い聞かせている。
夢だって思わないと、やっていけない。夜眠れないのも食事が喉を通らないのも様々な要因があるが、一番はやはり、自分の生活から引き離されてしまったことだ。この世界と地球、いや日本はあまりにも違いすぎる。例えば、夜が極端に静かで真っ暗なこととか。生活基準でいうなら、夜眠る時やトイレ以外は常に誰かの視線にさらされていることとか。違いすぎることがストレスで、苛立つ。自分がこんなにも適応能力がないだなんて知らなかった。
どこへ行っても適当にへらへらして相変わらずのクズっぷりで、変わらず生活できる気でいた。でも実際はどうだ。憧れていたニート生活も苦痛なだけで、今すぐにでも、働きたくないとか帰りたいとか言いながら毎朝通勤する日常に戻りたい。手を抜いて仕事をして一日がすぎるのを待つ生活に戻りたい。一人ぼっちの1DKが恋しい。
そんなこんなで、今日も今日とてホットミルクを飲む私。と、それを睨む白騎士さん。この人は本当に、何だんだ。一ヶ月も経ったというのに飽きずに睨みつけてくる。そろそろ飽きて、無関心にでもなればいいのに。面倒な事この上ない。
中身を飲み干したマグカップをテーブルに置き、白騎士さんの視界から逃げるように寝室に入る。ホットミルクに入っている睡眠薬(のようなもの)にも随分身体が慣れたらしく、すぐに眠りに落ちることはなくなった。おかげで意識のない間に白騎士さんに運ばれるということもなくなり、夜は穏やかなものだ。夜だけだけど。
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ここでの私は、昼間一人っきりになる時間はほとんどない。それなのにひどく孤独だ。誰一人として私のことを呼ばない。呼ぶのは、私という形をした『女神』だ。私だって彼らの名前を一人だって覚えてないから、それを棚に上げるつもりはない。それでも、孤独なのだ。
三ヶ月が経った。心身共に限界だった。いつの間にか眠れぬ夜はなくなって、私は一日のほとんどをベッドの中で過ごしている。たまにふらふらと散歩に出てみたりはするが、すぐに体力がなくなり白騎士さんに部屋に連れ戻される。逃げ出したかった。全てから。逃げ出す体力も度胸も根性もないくせに。
そんなある日、まともに歩けもしないくせに懲りずにベッドと這い出て散歩に出かけようとする私の腰に、白騎士さんの指が食い込んだ。ぐいっと脇腹と骨盤の間あたりを掴まれ、ソファに叩きつけるように座らされる。思わずうめき声を上げるが、白騎士さんはそれを気にも留めずに私の鎖骨あたりを押さえ、ソファの背もたれに私を縫い付ける。
「あなたは……っ!」何かを耐えるような、かすれた声。
何を怒っているのだろう、この人は。歩けなくなった私を抱えて戻るのがそんなに嫌なのだろうか。これでもここに来た当初よりはかなり軽くなったと思うのだけれど。それに、そんなに怒り心頭を発するほど嫌ならば、私なんぞ廊下に捨て置けばいい。この白騎士の存在意義を疑うほどに、白の離宮は平和だ。
ああ、もう本当に、面倒。そんなに骨が軋むほど強く押さえなくたって、どうせ今の私には白騎士さんに抵抗する力などないと言うのに。
私はわざとらしくため息をついて、白騎士さんの藤色の瞳から目をそらす。この人が何を言いたいのか理解することは、もう随分前に諦めた。どうあがいても理解しようがない。心でも読めない限り。
「あなたは、」私が何よ。「なぜ、」だから何が。「何も……」ああもう!
「私には、あなたが何を言いたいのか、何を聞きたいのか、分からない。理解できない。そんな少ない言葉で意思疎通出来るほど、私はあなたのこと知らないし、器用でもない」だから離して。
そう言って視線を藤色の瞳に戻すと、白騎士さんはいつもの無表情を崩してどこか苦しそうな表情をしていた。どうしてこんな顔をするのだろう。存在するだけがここにいる理由の私のことなど、放っておけばいいのに。放っておいてくれればいいのに。
「なぜ、……なぜ、何も言わないのですか」なんだ、話せるんじゃないか。「辛いなら、苦しいなら泣けばいい」
何を言ってるんだ、この人は。辛い?苦しい?泣けばいい?勝手なこと言うな。勝手なこと。
「勝手なこと、言わないでよ。あなた達の都合で勝手に人をこんなところに呼んでおいて、勝手に軟禁して、勝手に監視して、勝手に人の人生ぶち壊して!何勝手なこと言ってるの!?存在すればいい?ふざけないでよ!私はただ存在するために生まれてきたんじゃない!私は『女神』と言う名の置物じゃない!あなた達は勝手だ!」
勝手なことを言ってるのは私だ。この国を救えと言われて頷いたのは私。今までの生活だって胸を張れる人生なんかじゃなかったくせに、自分が生きる理由なんて知らないくせに、偉そうなこと言って、暴言を吐いてる。声を荒上げただけで、息が切れた。苦しい。全てから逃げ出すにはどうしたらいいのだろう。久々に感情的になったせいか、悲しみからでも怒りからでもない、涙が零れた。
途端に感じる、温もり。何が起きたのかと目を白黒させると、自分のものではない鼓動を感じた。抱きしめられている。そう理解したと共に、背中に回された腕に力が篭る。苦しいわ、この馬鹿力が。