[02]
たった一週間で弱り切ってしまった私に、白騎士さんも侍女さんも、気付いてるんだか気付いてないんだかと言った風で、特に何も言ってこない。得意の愛想笑いでごまかされてくれているのか、それとも取るに足らないことだと思われているのかは分からない。
最初のうちは白の離宮を散策したりしていたが、もう動く体力もなく、今日も部屋のテラスでぼんやりと外を眺めて過ごした。白騎士さんの親の敵でも見るうに睨みつけてくる視線が痛くて、昼寝もできやしない。明るく暖かで朗らかな、鳥のさえずりや虫の音が聞こえる時間帯なら、眠れる気がするのに。
そして暗闇と静寂で包まれる夜、もう何十回目か分からない寝返りを打って、私は唐突にキレた。眠れるわけねぇだろボケ。
キレた私はなぜか力に満ちていた。やる気も満々だった。何度も転びそうになりながら、壁に手をついて暗闇の中を進み、部屋から出る。そして廊下にぽつぽつと灯る、火ではない正体不明の明かりを頼りに、中庭に出た。
今私は一人だ。その開放感に、思わずよっしゃあ!と声を上げそうになった。私のこのストレスの原因は睡眠不足と栄養不足以外にもあったようだ。そりゃそうだ。トイレ以外のプライベートもあったもんじゃない監視されているような状態の生活だ。しかも約一名は悪い意味で熱視線を送ってきている。その視線から開放されただけでも、心が軽くなるようだ。
なんとか中庭のベンチまでたどり着き、盛大な溜息とともに腰を下ろす。空を見あげれば、ぽつりぽつりと空に浮かぶ小さな星が見える。今にも暗闇に飲み込まれそうで、でも飲み込まれない小さな星。それとも暗闇に飲み込まれそうなのは、星じゃなくて私だろうか。
この暗い空に光が散りばめられた所を見てみたい。東京の濁った空ではなく、この純粋な黒に光を散りばめたい。出来れば音も欲しい。ここは静かすぎるから。
「そう例えば、」例えば花火とか。そう呟いて空に手を伸ばすと、唐突にその手を取られた。「ぎゃあ!」
驚いて手を引き抜こうとするが、ガッチリ掴まれたそれはびくともしない。ひどく動揺しながらもその手の主を見るために更に顎を上げて頭を仰け反らせると、そこにはいつになく不機嫌そうに眉間にしわを寄せる白騎士さん。
しかし全く白騎士という言葉が似合わない人だ。黒髪に藤色の瞳。愛想のあの字すらない仏頂面。整ってはいるがどこか厳つさを感じさせる顔立ち。白騎士と言うよりは黒騎士のが合っているのではないだろうか。まあ白の離宮に白騎士。女神には白と相場が決まっているのだろう。
なんて、手を引き抜くのが面倒になり、藤色の瞳をぼんやりと見つめながら考えていると、白騎士さんの瞳に困惑の色が宿った。と思ったらぺいっと投げるように手を離され、続いてマントが降ってきた。無駄に上等な生地で重いそれに溺れそうになりながら、なんとか顔を出すと、白騎士さんが消えていた。なんだ、幻覚か。
「なぜ、」唐突に前から声が聞こえて、私は仰け反らせたままの顎をがくんと引いた。
目の前には、眼光鋭い白騎士さん。白騎士さんとは数えるほどしか会話をしたことがないが、いつも思っていた。この人は絶対的に言葉が足りない。なぜって聞かれても、何に対して聞かれてるのかすら分からない。それでいて、さっさと答えろと言わんばかりに睨みつけてくる。理不尽だ。とてつもなく。面倒だ。途方もなく。
少し考えて、私は答える。「眠れないので」それはもう、ずっと。
せっかく答えたというのにそれに対する反応はなく、私は白騎士さんの視線から逃げるためにもう一度視線を空へと向けた。こんなに真っ暗なのに白騎士さんの顔が見えるということは、私が思っているよりこの小さな星たちの力は大きいということだろうか。よく分からん。そう思ってため息をつくと、唐突にマントに包むようにして抱き上げられた。白騎士さんに。
急なことに思わず声を上げると、白騎士さんが息を呑んで動きを止めた。おいおいなんだなんだ。降ろせ離せ。
体を捩ってそのたくましい腕から抜けだそうとするが、逆に力強く抱かれ、一瞬の間を置いて白騎士さんが歩き出す。向かっているのは恐らく私の部屋で、何勝手に抜けだしてんだこのすっとこどっこいってことなんだと思う。
予想通りに部屋についた私は、奥の寝室ではなく手前の部屋のソファにそっと降ろされた。いつの間にか部屋に明かりが灯っていて、ほんのりと明るい。
仕方ないから寝室に戻って朝を待とう。そう思って立ち上がろうとすると、白騎士さんが動くな、と制するように私の肩を押さえた。何なんだよもう、と白騎士さんを睨みつければ、「少し、」と白騎士さん。何が?何が少しなの!?わけが分からず苛立ちを感じる私に、なぜか一つ頷いて、白騎士さんが踵を返す。
何なんだあの人。寡黙とかそういう生易しいもんじゃねぇぞ。
ぽかんと白騎士さんが消えた扉を見つめること数分。白騎士さんは湯気の立つジョッキと見まごう大きなマグカップを片手に戻ってきた。それをずずいと差し出され、否応なしに持たされる。中には恐らくミルクであろう白濁の液体が入っており、マグカップはじんわりと暖かい。
なんですかこれは。無言の白騎士さんに視線で訴えると、顎をしゃくって飲むように促される。
毒でも入ってんじゃないだろうな……。思わず白騎士さんに疑いの目を向けると、鋭く睨み返された。まあいいやここで毒で死んで夢から覚める可能性があるなら、このまま餓死もしくは胃に穴が開いて死ぬのを待つよりはずっといい。そう思ってホットミルク(だと思われるもの)を口に含むと、ミルクのほのかな甘味とハーブのような香りが口内に広がる。うん、やはりこれは何かが入ってる。
正直固形物は飲み込める自信がなかったけど、これならなんとか行けそう。白騎士さんの視線に耐えながら、時間をかけてそれを飲み干し、マグカップを白騎士さんに返す。その途端に強烈な眠気に襲われた。私の壮絶な夢はここで終了か。目が覚めたら仕事を再開せねば。
おやすみなさい。
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おはようございます。朝です。いえ、昼です。残念ながら、まだ夢の中です。
どうやらホットミルクの中に入っていたのは毒ではなかったようで、私は一週間ぶりにたっぷり睡眠を取り、爽快感と共に目を覚ました。もしかしたら、睡眠薬か何かだったのかもしれない。
眠れないと言った私のために持ってきてくれたのか、それとも勝手に深夜に部屋を抜けだされたら困るから無理矢理でも寝かしつけようとしたのか、あの鉄仮面から思惑を見ぬくことは出来なかったが、おかげでよく眠れた。
それからというもの、白騎士さんは毎晩異物入りミルクを持ってくる。よく眠れるので大変ありがたいが、飲み終わるとソファで眠ってしまう私を毎晩毎晩ベッドまで運んでいるであろう白騎士さんに、少々寒気がする。何か変なことをされているなどとは思わないが、自分を嫌っている人に恩を売るのは面倒を呼びそうなので避けたいところだ。
かと言って病人でもないのに寝室での飲食は正直はばかられる。ああ、もう、色々と面倒だ。さっさとこんな悪夢覚めたらいいのに。そう胸中で唾棄しながら、今日も今日とてミルクを飲み干し、眠りに落ちる。