真実
それは、ナインが真実を知るその前日。
その日、ナインは深夜にエデンへと戻って来た。
「……よお、ブラン」
「どうしたんだナイン。こんな夜更けに呼び出しやがって」
「悪い。今、帰って来たんだ」
「本当か!? どんだけ頑張ってるんだよ、お前。そんなに気にするなよ?」
テレパシーでブランを呼び出したナインは、驚きと同時に呆れて苦笑を浮かべる彼に、疲れた笑みを浮かべる。
「で、どうした? 何があったんだ?」
「……解るか。解っちまうか?」
疲れた顔のナインに、ブランは尋ねた。
そして、胸を張るようにして言う。
「お前の下手な演技なら、誰にでも解るぞ」
「……演技っていうか、隠してたんだけどな」
心配してくれるブランに心の中で感謝しつつ、ナインは小振りのナイフを取り出した。
ナインは自らの左手人差し指に刃を押し付け、横に引いた。指から血がぷくりと出る。
「なっ、何やってんだ!」
慌てて薬草を渡してくるブランに、ナインは静かに首を振る。
気が狂った訳じゃない、と。
「この傷は薬草じゃ治らない。ポーションでもな。そいつで回復するのは、あくまでHPだ」
溢れる血を舐め、ナインは顔をしかめる。
口の中に広がるのは、鉄の味。
「この鉄臭い血の味も痛みも、現実と何も変わらない」
「あっ、ああ……」
ナインは右手人差し指、左手小指に魔力を注ぎ、とある魔法を発動させた。
瞬間、ナインの傷口が蛍火に似た光を纏う。数秒程経つとその光は蛍のように散って行った。
ナインの左指の傷は、跡形も無く消えていた。
「俺は、魔法使いだ。お前にも秘密にしていたが、俺は[治癒魔法]が使える。こいつは、HPじゃなく、怪我を治す魔法だ」
それはナインが今までブランに見せていた、手品と似たような技ではなく、奇跡の業——魔法のよう。
「俺はこの世界を、完璧なヴァーチャルリアルのゲームだと思っていた。だけど最近、それは違うんじゃないかと思って来た」
「ナイン……」
ナインは焦ったように、困ったように、悩むように頭を掻きむしる。
「俺が今まで殺して来た魔物は、皆、確かに生きていた。刺せば血が流れ、殺される時に叫びを上げた。俺は生きるために仕方なく、奴らを殺して来たが、……俺はもう、この世界をゲームだとは思っていない」
「ならここは、異世界か?」
「……かもしれないな。俺も、似たような事は考えた」
俺はもっと酷い結末を考えたが、とナインは語らなかった。
「だがどちらにしろ、洞窟を攻略すれば、俺達は解放される。違うか? ここが仮想だろうと現実だろうと、異世界だろうとそれは変わらない。俺達は元の世界に帰る、そうだろ?」
「……ああ、そうだな」
ナインは笑みを浮かべ、頷いた。
だが、この事だけは、言っておきたかった。
「なあブラン。……もしも、だ」
ナインは神妙な面持ちで、その言葉を口にした。
「もしも、この世界で子供が生まれたら——」
そう口にしたナインだったが、けれど先が続かない。
子供が生まれた時、人はどうするのか。これがよく出来たゲームだと言って、無下に扱うのか。これを現実だと捉えて、だとすればどうするのか。
《Garden》から解放された時、その子は一体どうなるのか。
唇を噛み締め、ナインは必死に何かを考えているようであった。
「……悪い。今の話は、忘れてくれ。こんな時間に呼び出して悪かった。おやすみ」
結局、ナインは笑顔でその話を誤摩化し、踵を返す。
去り行くナインに、ブランは呟いた。
それくらい、わかっていると。
「わかってるぞ、ナイン。……そうなった時、俺達はこの世界をどう捉えるのか、それが問題だと言いたいんだな?」
ナインは返事も振り返りもせず、一切の解答を見せなかった。
ただ、ナインはさらに別の問題も抱えていたのを、ブランは気付けなかった。
☆☆☆
「マスター、どうしてですか? 私はあなたの召還獣、あなたの剣となり、盾となります。その私を庇うなど、何を考えているんです?」
それは、洞窟の深層攻略中の出来事だった。
体長三メートル程の赤いドラゴン、レッドドラゴンと戦う事になったナイン達。
レベルが上がり、特に苦戦する事も無く戦っていたのだが、逆に油断し、アイが尾の攻撃を受けそうになった。
その時だ。
ナインがその攻撃を代わりに受けた。アイはその隙にレッドドラゴンを倒したのだが、ナインは見事に吹っ飛ばされ、危うく死にかけた。
それをアイは批難していた。
淡々と、しかし明確に批難するアイに、ナインは頬をかきながら、照れくさそうに答える。
「いや、だって、攻撃ってくらうと痛いんだぞ?」
HPはあくまで緩衝剤。衝撃を完全に無くす事は出来ないのだ。
特に打撃系の攻撃で、武器を伝った衝撃は全く緩和されない。
「ですが、私はアンドロイド。傷など関係ありま——ひゃっ」
そういうアイに、うむとナインは考え込み、一瞬の早業でその耳たぶを掴んだ。
瞬間、小さく悲鳴を上げるアイ。
「なにが関係ないだ。大有りじゃないか」
「み、耳は反則です」
くくくと笑うナインに、アイは無言の抗議の視線を向けた。
完璧なアンドロイドかと、ナインは思った。
「まあ、気にすんな。俺だって死ぬつもりは無い。俺の自己満足さ。なんなら、俺の事をドMとでも思ってれば良いさ」
そう言って、ナインはアイより一足先に洞窟の奥へと進んだ。
その最中、ぽつりと呟く。
「……やっぱり、な」
ちらりとアイを一瞥したナインの目は、算出眼。
彼には、視えていた。
☆☆☆
「……どうしているんだ」
「……私の勝手です」
自分の部屋のベッドに横になったナインだが、慣れない感覚に遂に耐えきれなくなり、そう声を漏らした。
アイがベッドに腰を下ろし、じっとナインを見つめていた。
「お前は俺の召還……獣、なんだよな?」
「はい」
淡々と答えるアイ。ナインは起き上がり、アイを見つめた。
白い肌と対照的な漆黒のマントに身を包んだ、ほっそりとした少女。
自らをAI、完璧なアンドロイドだと語る少女。
一日に一度召還すれば、勝手気ままに居残り続けたり、消えたりする召還獣。
どこであろうと魔法を使えば、元々そこにいたかのように現れる、消えたと思えば消えていない、神出鬼没な一人の少女。
ナインはアイの黒い瞳を見つめながら、そっと近づいた。
「…………」
「……なん、ですか?」
肩と肩が触れ合う距離になる二人。
ナインが近づいた事で、表情には出さないが、アイの言葉にわずかな戸惑いが混じる。
ナインはその問いに、答えなかった。
言葉で答えず、そっと抱きかかえる事で答えた。
「…………」
「…………な、なん、ですか」
ぱちりと目を見開き、アイは少し振り返り、ナインの顔を覗き込んだ。
今度は言葉だけでなく、わずかだが表情にも戸惑いを見せるアイに、ナインは答えた。
「あったかいな、お前の肌。それに柔らかい」
「…………。私は、完璧なアンドロイドですから」
ふて腐れたように顔を戻すアイ。構わず、ナインは話す。
「俺はお前が温かい事が解る。お前は、俺の温かさを感じられるか?」
「……はい」
そっか、とナインは頷き、もう一度その温もりを確かめ合うように抱きしめた。
完璧な仮想現実、完璧なアンドロイドだからだろうか。
アイの髪からは甘い香りがし、その白い肌は熱を帯びている。
ナインの呼吸がくすぐったいのか、時折ぴくりと身体を震わせるアイ。
「俺には、この温もりが仮想だなんて思えない。俺に取って、この世界は現実なんだ」
「…………」
何も答えないアイをぎゅっと抱擁し、ナインは語る。
抱きしめられた事で、アイのボディーが更に熱を帯びて行くのに気付かず。
「俺に取っては、もうこの世界が仮想だろうが現実だろうが、異世界だろうとそんなのは関係ないんだ。ただ、皆が笑っていてくれれば、それでいい。……だけど、皆は違う。皆にとって、この世界は偽りに過ぎない。俺と違って、現実に大切な人がいるから、帰りたい場所があるからな」
ナインは笑う。
もしもナインが弱虫であれば、きっと彼は泣いていただろう。
それくらい、自嘲気味な笑みだった。
「俺は、皆をこの世界から解放してやりたい。それが最良だと思っている。だから、協力してくれ、アイ」
「……私は、あなたの召還獣です。マスターの命令には、逆らいません」
忠誠を誓うように頭を垂れるアイ。
ナインはきつく、だけど痛くないよう優しさを持って、その少女を抱きしめた。
とくとくと、二人は胸の辺りでお互いの鼓動を感じていた。
「ごめん、アイ。俺は、お前をアンドロイドとしても、召還獣としても見れない。……俺はダメなマスターだ」
ナインの目に映るのは、アイの銀髪と、算出眼によって見えるようになった情報。
[name] アイ
[level] 56
[HP] 6800/6800
[攻撃] 900
[防御] 760
[敏捷] 1200
[種族] 人間
自らをAI、完璧なアンドロイドと語る、一人の少女。
ナインは知らない。
その少女が頬をほんのわずかだが、しかし確実に朱に染め、恥ずかしげに俯いていた事に。
☆☆☆
何層からもなる洞窟、その最深部であった。
そこは分かれ道がたくさんあり、その先は小部屋程度の空間がある。ミーナがいたのは、その小部屋とは違い、小さな体育館程の空間、いかにも最深部、ラスボス戦がありそうな場所であった。
「一週間……ですか。驚きました。まさかこんなに早く、ここまで来る人がいるとは思いませんでした」
無表情に近い微笑を浮かべ、ミーナはナインの前に立っていた。
首筋まである蒼色の髪をなびかせて。
「……どうしてかな。こうなる気はしていた」
「でしょうね。私もです」
ほんの少しだけ恥ずかしげに頬をかくナイン。
雪のような白い肌に、幼さを残した大人の顔立ちは変わらないが、ミーナの印象は、テスト前に会った時と驚く程変わっている。
「この場合、俺は再会を喜べば良いのか? それとも、嘆けば良いのかな……」
ミーナの立ち位置はまるでラスボスだ、と呟くナイン。
それは嫌だな、という雰囲気が駄々漏れであった。
「私は嬉しいですよ。私の決断が合っていた事をあなたは証明してくれました」
どこかで見た事がある、黒いマントに身を包んだ、神秘的な雰囲気のミーナ。
ナインには何故だか、彼女にはこの異質な姿の方が似合って見えた。
「そっか。なら、久し振り、ミーナ」
にこりと笑ったナインに、ミーナも微笑みを返す。
そして。
「では、再会の挨拶に」
「っと!」
ミーナの言葉と共に、空を切り裂く音が聞こえた。
バックステップでミーナと距離を取ったナイン。瞬間、金属が激しくぶつかり合う音が響いた。ナインの前にアイが現れ、鎌を振るっていたのだ。
ぶつかり合ったのは、鎌。
ミーナの手に握られていたのは、巨大な鎌であった。
「マスター、彼女……は……」
一度ナインの安否を確認してからミーナの容姿を視界に捉え、アイは驚きを露にした。
常に無表情の彼女に珍しく、目を見開き、口がぽかりと開いた。鎌を強く握っていた手からも、力が抜けている。
今まで一度も見た事の無いアイの姿だが、それよりもナインが驚いたのは。
「あの男っ! まさか私まで!!」
アイの姿を見たミーナが、その鎌を落とし、驚愕と同時に嫌悪の表情を浮かべた事だった。
「み、ミーナ?」
「ど、どういう事ですか、マスター。何故、私は……」
アイの言葉は続かなかった。けれどナインは、アイの言いたい事を理解していた。
ミーナとアイは、あまりにも似すぎていた。
セミショートの髪の色は違えど、その長さは等しい。
アイは、ミーナの生まれ変わりと言っても過言ではないくらい、その顔立ちやら雰囲気、何もかもが酷似していた。
唯一の違いは、年齢とそれが纏う雰囲気だろう。
一度息を吐き、頭を下げるミーナ。
「……すみません。少し、取り乱しました。少し、彼女と二人で話させてくれませんか?」
ミーナの言葉に、ナインはアイを一瞥し、目だけで尋ねる。
ほとんど突然攻撃されたので、すこしばかり警戒してだ。
けれど。
「マスター。私からも、お願いしてもよろしいでしょうか?」
普段は常にナインの意思に従うアイが、これまた珍しく、自分の意志を見せた。
ナインは少し驚きつつも頷く。
「ああ。じゃ、俺は少しそこらをぶらついてくる」
「道に迷わないよう。あと、何かあれば大声で叫んでください。すぐにでも助けに行きます」
「子供扱いするなよ。俺だって結構強くなったんだ。そんな無様な真似はしない」
ふん、と鼻息を荒くし、ナインは少しばかり周りを探索しに行った。
探索を始めたナインが見つけたのは、洞窟とは思えない程、凹凸の無い壁の小部屋だった。アイロンでもかけられたかのように、綺麗に真四角となっている。小部屋にあったのは、見た事も無い計器類、そして大量のモニター。
電源が切られているのか、そのどれもが光を失っていた。
「……なんだここ?」
勝手に触っていいものかどうか迷うナインだが、ひとまず放置し、奥へと進む。
どうやらこの階層には魔物は存在しないようで、ナインは気楽な気持ちで探索を続けた。
ナインは知らない。
自分が確実に、真実へと近づいているのに。
一通り探索し、ナインはミーナと再会したフロアに戻って来た。そして、さらに先がある事に気付く。アイとミーナの姿が見えないので、ナインはその奥へと進んだ。
頭の隅では、これで洞窟が攻略されたのかと疑問に思いながら。
一度大きな曲がり角があり、そこを曲がると、明るい光が差し込んできていた。
「で、出口、なのか?」
ナインは驚いたが、すぐに光の方へと進んだ。
何も考えず、ただそこへ。
洞窟を攻略したと言う興奮に身を任せて。それを喜んでくれるであろう人の笑顔を思い浮かべて。
そして。
「……な、んだよ、これ」
それを見て浮かべられたのは、引きつった笑いのみ。
そこから見えた景色が、ナインに真実を語った。
「知りましたか。これが……真実です」
後ろからミーナの声がするが、けれどナインは振り返れない。
その真実が、あまりにも衝撃的で。
ナインは何も言えず、知ってしまった真実の重さに耐えきれず崩れ落ちた。
「……マスター」
アイがそっと手を差し出すが、けれどナインはその手を握れなかった。
特に、真実を知った今となっては、その手は簡単に握れない。
アイに対して、一つの疑念が生じていた。
「悪い……。ちょっと、一人にしてくれないか」
「……はい」
アイは逡巡したが、マスターであるナインの意思を尊重し、頷き姿を消した。
その場に残ったのは、項垂れたナインと静かに佇むミーナだけ。
一人にしてくれとは言ったが、けれどまだミーナとちゃんと話をしていないとナインは気付く。
そして、恐る恐る尋ねた。
「通信で、男は言った。『洞窟を攻略しろ。そうすれば、この《Garden》から解放される』と。……それは、こういう意味だったのか?」
「ええ。もっとも、彼はこの真実を自ら語るつもりは無かったようですが」
「…………」
しばし沈黙し、ナインは地の底から言葉を絞り出す。
「……あんたは、知っていたのか? この《Garden》の真実を、最初から」
「はい」
ミーナがそう答えた瞬間、ナインの身体が一瞬ぶるりと震えた。
それは、怒りに身を震わせているようで、拳が握られていた。
だが。
「……そっか。ありがとう」
ナインの口から出たのは、感謝の言葉。
その言葉に、ミーナは驚きを隠せずに思わず、神秘さを醸し出す水色の瞳を大きく見開き、口元を手で覆っていた。
「……驚きました。私はてっきり罵倒されるものだと。『知っていたのなら、どうして止めなかった』と。それは正論で、私は反論出来ませんから」
そういうミーナに、ナインは笑ってみせる。
「本当は止めたかったんだろ? だけど出来なかった。違うか?」
「……お見通し、ですか」
「だから俺に、魔法を与えた」
「……ええ」
最後に、ナインは尋ねた。
「ここは異世界か?」
ミーナは答えなかった。
答えられなかった。
ちょくちょくあらすじを変えてすみません。
これで一つの区切りでしょうか。次話は時系列が飛びます。
感想・指摘・批評などを頂けると嬉しいです。
忙しいため、次回更新予定12/3。