全ての始まり
チュートリアル終了から一日、街の外へ出る事が解禁される日。
ナインはまず装備を整えるため、エデンの街を散策していた。
この《Garden》においても、従来のRPG同様、剣や槍などの近距離武器、弓矢や銃などの中遠距離武器などが存在している。最も、超能力や魔術と言った特殊能力が強過ぎて、少しばかり影が薄い存在となっていた。
それでも、何も持たずに冒険に出るような者はおらず、何かしらの武器や防具は皆が着けていた。そのため、エデンの街は異世界とでもいうような情景が広がっていたが。
ナインが見つけたその店は、商店などが立ち並ぶ大通りで、何故か人気の少ない店だった。軽く覗いてみると、すぐに声がかかった。
「兄ちゃん、冒険者か?」
「そうだが?」
「そうかそうか! じゃあぜひ、俺の店を贔屓にしてくれ」
エデンの街に数ある武器・防具屋で、ナインが覗いた店の店主は、ばしばしと肩を叩いてナインを歓迎した。
四十代前半くらいの男で、いかにも職人、と言った筋肉質な肉体している。
そして、厳つい顔で通りかかる人を睨んでいたため、ナインが初めての客だった。
本人は睨んでいるつもりは無かったようだが。
この《Garden》の大きな特徴は、従来のRPGならばコンピュータが操作していた、村人や店の主人、モブキャラが存在しない事だ。全てが操作キャラであり、そのためにこのテストの参加者は十万人にも及んでいる。
その内、冒険者と呼ばれる、《Garden》で実際に戦闘を行う者は一割。九割が店の店主や従業員などの、街のシステムを維持するのに必要な人数だ。
一ヶ月と言う長期間、それも年末の忙しい時期に拘束すると言うことで、この《Garden》のテスターには法外な金額が前払いされている。この《Garden》のテスターに選ばれるというのは、単純に考えれば宝くじに当たったようなものだ。参加人数分の金額と言う事で、健康であれば楽をして金を稼げると、家族で来ている者も少なからずいた。
この《Garden》のテストプレイヤーは、ゲームと言う事もあり二十代から十代の若者が多いが、年長者では五十代、若ければ五歳くらいの子供もいる。家族でのゲーム参加だ。
義務教育期間の子供も参加しているが、日本の未来を担う技術、と政府が宣伝したため、例外的に認められているのだ。そのため、エデンの街には少しばかりの教育機関もあった。
それを除けば、エデンの街はRPGによくある街と同じだろう。
宿屋があり、武器・道具屋、情報交換場所としての酒場など、ゲーム独特の施設が多く存在している。そして、住民の住居。勿論、無断で侵入することは禁止されている。
石畳の道に、住居は軒並み中世の建物をモデルとされており、RPGでよく見る光景だった。見栄えを良くするためか、ある程度の住居は建ち並んでいたが、大半の住民はそこには住んでおらず、地下に住んでいる。
閑話休題。
「しかし、この仮想現実って奴はすげぇよな! 現実と何も変わりゃしないんだぜ! それなのに、おい、男のロマンたる武器を持ち歩けるんだぜ!? すげぇよ!」
「そうだな。現実と区別がつかなくなるくらいだ」
やけにテンションの高い男だ、とナインは思っていたが、マイペースに男と会話する。
「実は俺、小さな頃の夢だったんだよ、刀鍛冶になるのが! 現実的に無理だろ? だから《Garden》様々だ!」
豪快に笑い肩を叩いてくる男に、ナインは苦笑いを浮かべた。
「あんたの趣味に付き合わされる家族が可哀想だな」
「馬鹿を言うな。妻も娘も大はしゃぎだったぞ。娘なんて生まれて初めて『お父さん、ありがとう!』って抱きついてくれたんだ!」
嬉しそうに語る男に、妻子が居る事に驚くナイン。
「ところで、娘さん何歳?」
「十六さ。道具屋で働いている。……やらんぞ」
ブランの真剣な言葉を無視して、その年まで娘に感謝されないなんて何やってたんだ? とナインは首を傾げた。
「でもさ、ある意味俺達は、実験体だよな」
「リスクを冒してでも手に入れたい物があるだろ、少年?」
「そうだな」
ニヤニヤと笑うブランに、ナインも笑みをこぼした。コンピュータが操作していれば、こんなに気さくな人物はいなかっただろうと。
「俺の名前は大崎——ごほん、ブランだ。よろしくな」
思わず実名を口に出しそうになり、苦笑いを浮かべるブラン。
「俺はナインだ。よろしく」
二人は握手を交わし、早速ナインは装備を整えるためにブランに見繕いを頼んだ。
《Garden》では、現実をあまりに意識しすぎた設定が多々ある。
その一つが、着衣だ。
ステータス画面で装備を変えるだけで服装が変わる、という事は無く、普通に着衣・脱衣しなければならないのだ。《Garden》の他の機能から考えれば、どう考えても不自然な設定だが、開発者がロマンを残した、という一言で納得させられていた。
女性のテスターも多いため、道具屋では覗き防止用アイテムなる物が売っており、本当にそうなのかもしれないとテスター達は思っていた。
ナインは皮鎧とそこそこの攻撃力の剣、軽めの盾を購入。さっそく装備してみせた。
全体的に、中世にいる即席の兵士、という感じに仕上がってしまった。
要するに、使い捨ての兵士、とてもじゃないが主人公格には見えなかった。
「おお、様になってるじゃねえか! 似合ってる似合ってる」
「別にかっこよさなんて求めてないんだが……」
「ナインだけにか? がはははは!」
客が居ない事から、丁寧に武器の説明をしてくれたブランに感謝しつつ、結局無難な装備にしたナインだった。
「そういやお前、仲間はいないのか?」
「……まあ、な」
ブランの質問に少し遠くを見るナイン。
哀愁漂う表情であった。
実は、少しばかりに問題があったのだ。
それは昨日、チュートリアル終了後、皆が明日の冒険のためにパーティー編成をしている時だった。
「魔法使い? いるかよ、そんな足手まとい。他を当たってくれ」
「悪いね、珍獣はパーティーに入れられないよ」
「え? 君は冒険者だったの? マスコットなら良いよ」
何事も諦めが肝心だ、と三組のチームでナインは悟り、早々に仲間をつくるのを諦めた。自分でも、魔法使いが足手まといになると十分に理解していたからだ。
ナインは必死に自分に言い聞かせていた。
魔法使いであるのがダメなのだと。
決して自分の容姿が原因ではないのだと。
《Garden》の戦闘システムは、従来のRPGとは違う点がある。
魔術師と超能力者だ。
両者はどちらも消費する物が無い、という利点を備えている。RPGにおいて、術技を使用するのに消費するポイントがないのだ。
超能力者は、特定の能力しか使えない代わりに、思考するだけでその能力を発動出来る。仮想現実を実装した《Garden》ならではのシステムだろう。
魔術師は、陣を印したり、呪文を唱える必要がある。その代わり、その術のバリエーションは、属性を思わせる攻撃魔術からサポート、回復と無限にあると言っても過言ではない。
超能力者が前衛、魔術師はサポートと後衛、というスタイルがほとんどのパーティでされていた。なにせ、いくら超能力や魔術を使用しても、使えなくなると言う事が無いからだ。
そして、ナインの魔法使い。
これは、ゲームに実際にログインしてみて初めて発覚したもので、その人数は少ない。要するに、検査時に変わった要望をした者がなったのである。
当初は珍しがられ、凄いと噂された物だが、そんな噂はすぐに反転した。
魔法使いは、従来のRPGを強く意識しすぎたのか、MPを消費しなければ力を具現化出来ない。それにも関わらず発動までのブランクがあるなど、事前に知らされてさえいれば、どう考えても地雷だったのだ。MPが無くなれば役立たず、という点を忠実に再現している。
更に、魔法使いはアイテムの召還、転送が可能で、物理的に不可能な個数の道具を所持出来ると言う利点があったのだが、『道具袋』というアイテム実現によりその利点が潰れた。ナインがタンスの中で見つけた袋がソレだ。
その袋に入る物であれば、いくらでも所持出来ると言うアイテム。
それにより、魔法使いを荷物持ちとして仲間にくわえる、という選択肢も消滅したのだった。
変わった要望、選択を適当にしたという理由から、彼らはこう呼ばれた。
『十三人の愚か者』と。
「愚か者、か。まったく、誰が言い出したんだが知らないが、まったくもってその通りだ。見るか、俺の魔法。MPを3消費して出来るのがライターレベルの炎だぜ?」
いや、それもMPが勿体無いと項垂れるナイン。そんなナインの肩にポンと手を置くブラン。
「……いや、俺もお前みたいな奴は初めて見たよ。馬鹿だろ」
「ちょっと待て。お前、俺が最初の客のくせに何を言ってるんだ」
「ははは! 変わり者同士仲良くしようや」
豪快に笑い飛ばすブラン。馬鹿にされた事が気に喰わないナインは必死に抵抗する。
「魔法使いだからって馬鹿にするなよ! 俺には秘策が——」
と、そんなナインの言葉を遮るように、大きな音がした。
「なんだ? 何かあったのか?」
店から顔を出し、その音が聞こえた方へと走る人に話しかけるナイン。
「ああ、なんでも大通りで冒険者同士の小競り合いみたいだ」
と、その言葉を証明するように、大きな爆発音が聞こえて来る。
「まだエデンから出てもいねぇってのに、どこの馬鹿だ?」
「俺達も行こう」
続けざまに起こる爆発音に、ナインとブランは野次馬根性丸出しで、その音の方向へと向かった。
「てめぇがぶつかって来たんだろうが! 謝れや!」
「馬鹿を言うな。お前が前を見ずにふらふらしていたからだろう。お前こそ謝れ」
大通りにある中央広場では、二人の男が対峙していた。
一人は短い金髪の男で、鎧を着て剣を構えている、いわゆる剣士だ。もう一人は弓を背負った、比較的軽めの服装の弓使いの男。
どうやら剣士の男が、初めての剣に浮かれてでもいたのか、前方不注意で弓使いの男とぶつかったようだが、それを謝れず口論、そして戦いへと発展したようだった。
ナインとブランが来た時には、辺りは門が開く前なのが影響してだろう、たくさんの冒険者達が観戦していた。
「見た所、両方とも超能力者みたいだな。剣士が身体能力特化系、弓使いが爆発系の能力者みたいだ」
「おおっ? なんで解るんだ?」
見ただけで相手の能力を判別するナインに、怪訝そうな顔を向けるブラン。二人ともナインの知り合い、という考えは浮かばなかったようだ。
「俺には見えるのさ」
「意味が分からん」
ニヤリと笑うナイン、頭を傾げるブラン。ナインの今の説明で解る事と言えば、この人痛い人だ、という情報だけだった。ブランはその情報に気付かなかったが、周囲でくすくす笑いが起こっていた。
「ま、魔法使いの能力だ」
「おお、凄いじゃないか、魔法使いも」
笑われたのが恥ずかしいのか、赤面して付け足すナイン。だがそれはもう遅く、笑った人達は皆もう聞いていなかった。
「まあな。いわゆるRPGの要素を無駄に大量に詰め込んだのが、この魔法使いだからな。便利と言えば便利だぞ」
「無駄を大量でないのが唯一の救いだな」
「……ん」
ブランの言葉に、しょぼん、とするナインだった。
「で、さっきの爆発は弓使いの男がやったのか。……けど、何も壊れてないし、剣士の男も無事だぞ?」
ブランの指摘した通り、剣士の男の鎧に傷は無く、また石畳にも傷は無い。
「剣士の男が無事なのは、HPだ。あらゆる攻撃を緩和してくれる。街が無事なのは、えっと、そういう仕様じゃないか? もしくは、街にもHPがあるのかも」
HP。
RPGにはかかせない、命を数値化したもの。この《Garden》においては、どんな攻撃をも防いでくれる盾の耐久度、といった感じである。
それがあるため安心し、弓使いの男は剣士の男の周辺で爆発を起こしていた。
剣士の男は爆風に押され、一歩も近づけない。
「しかし、羨ましいな。何も気にしないでばんばん能力を使えて」
「ああそっか、MPが無くなれば、お前は何も出来ないんだったか」
「何も出来なくはない! だからお前のところで剣とか盾を買ったんだろうが!」
「悪い悪い……って、おい! あいつ等すごい事になってるぞ」
頭を下げていたブランだが、再び剣士と弓使いの方へ顔を向けた。仕方が無く、ナインもそちらを見ようとして、
「……見えない」
いつの間にか剣士達を囲む人垣が高くなっており、ナインの高くはない(平均よりも低いが、特別低くはない)身長ではまったく見えなくなっていた。
「仕方がねぇな。ほれ、肩貸してやる」
「止めてくれ! それじゃまるで、俺が子供みたいだろ!」
と言ってしゃがむブランに、ナインは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「あぁん? 実際ガキだろうが!」
ひょいとナインを掴み、軽く肩車するブラン。ナインは羞恥に顔を真っ赤に染めた。
「……酷い、お婿に行けない」
と、せっかく肩車してもらいよく見えるようになったと言うのに、俯いてぶつぶつ言っていた。けれどそれも数秒、なんとか立ち直り、その喧騒を見るのに集中した。
「ふん、俺に喧嘩を売るからだ」
見れば、弓使いの男が膝をついた剣士を見下ろしていた。
「わ、悪かった。俺が悪かった」
「解れば良い。じゃあな」
そう言って踵を返す弓使い。
超能力を完璧に扱え、自信が満ちあふれていた。
それは、慢心とも言う。
「なんて言うと思ったか!」
剣士の男が、加速して弓使いの男に切り掛かった。
HPという万能の盾が有る限り、死にはしないのだ。
「止めろ!」
その声は、一体誰が叫んだのか。
悪ふざけが過ぎる、という意味で叫ばれたのか。
それとも、もっと深い意味があったのか。
それは解らない。
攻撃の手は、止まらなかった。
剣士の突き出した剣が振り返った弓使いを切り裂き、そして——。
「ぎゃっ!」
「えっ?」
切り裂かれた腹部から、大量の血が溢れ出た。
弓使いは腹を抑え、うつ伏せで地面に倒れる。
「きゃぁああああ!!!?」
遅れて、甲高い女性のものを思わせる悲鳴が発せられ、誰のものとも言えない無数の悲鳴が広場を埋め尽くした。
「ま、待ってくれ! 何かの冗談だ! こんな……あり得ない!」
弓使いの男を刺してしまった男は、狼狽し、懸命に身振り手振りを交えて悲鳴を止めようとする。その間にも、弓使いはピクピクと震え、血だまりを広げていた。
「お、おいナイン。あ、ありゃどういう……」
ブランの声で、やっとナインは正気に戻った。
「ブラン! さっさと俺を下ろしてくれ!」
「え? だけどよぉ」
言いよどむブランが見るのは、今の事態に混乱してどよめき、右往左往する冒険者達。皆、正気ではないようで、大声で怒鳴り合っている。周りが見えていないのだ。
「頼むブラン! 時間がない!」
周りざわめきに負けないように、ナインは叫んだ。
けれどナインは解っていた。もう、間に合わない事が。
「お、おう……」
ナインの必死な様相に、ブランがナインを下ろすのと、それは同時だった。
「頼むから、黙ってくれ!」
剣士の男の悲痛な叫びが静寂を呼んだのと、弓使いがピクリとも動かなくなったのは、奇しくも同時であった。
「…………」
誰もが黙り、剣士の男を見つめた。
人垣の中から、弓使いの仲間とおぼしき男が現れ、その脈を測る。
誰も何も喋らない。ただ、ナインだけは人垣をかき分け、彼らの元へと向かっていた。
広場を沈黙が支配していたため、その小さな声は驚く程よく響いた。
「し……死んでる」
誰もが声を失った。剣士を罵ったり、弓使いの死体に駆け寄る事も出来なかった。何が起こったのか、誰も理解出来ていなかった。
目の前に転がる男の死が、あまりにもリアル過ぎたから。
どれほど沈黙が経っただろう。
不意に頭痛が走った。そして、脳裏に声が響く。
『箱庭を生きる者達よ。これは現実である』
「っ!?」
不意に、男の声が脳に響き渡った。
『今、一人の男が死んだのは、現実だ。ゲームでもなんでもなく、その男は死んだ』
脳裏に響く声の言葉は否定したいものだ。
だが、その血だまりに倒れている弓使いを見て、誰も何も言えない。
これは現実なのだと、誰もが思った。
だが、一人の男だけはそれを認められない。
「こ、これはゲームだ! ログアウトすりゃ良いんじゃねーか!」
そう言って、手を血に染めた剣士が駆け出した。時折、これはゲームだ、現実じゃないんだと呟きながら、一目散に自分のボックスがある宿屋へと駆けていく。
「こ、こんな狂ったゲーム! やってられるかよ!」
一人の男が、剣士に釣られた。
瞬間、群衆は動き出した。我先にと、ボックスへと向かって走り出す。
まるでログアウトまで時間制限があるとでも錯覚しているのか、急いで。
だがナインは黙って考え込んでいた。何かが気になるのだ。
『…………』
その違和感は、男が何も言わないことだとナインは気付いた。
その沈黙に、何か嫌な予感がした。
その沈黙は、システムの抜け目を発見されて黙っているのではなく、愚かな行動を始めた人々を侮蔑したような、呆れているような沈黙。
まずい、と直感的にナインは感じ取った。一番早くにログアウト出来そうな剣士が気になった。
「お、おいナイン。これ、どうなって……」
「ブラン、付いてこい。やばいぞ!」
「お、おう?」
ブランの返事を聞かず、ナインは剣士の向かった方角へと走り出す。
「おいどうなってる! ボックスが開かねーぞ!」
辺りではそんな会話も聞こえる。だが、悲鳴がそれを遮った。くぐもった声で、既にボックスの中に入っている事が窺える。
「っ!」
何人もの人がその部屋の前におり、すぐに剣士の部屋だという事は解った。人を掻き分け、なんとかナインはその部屋の中を見た。
「た、助けてくれ!」
ボックスの蓋が内部を圧迫していた。近くにいた者が蓋を開けようとするが、びくともしない。それどころか、どんどんと蓋が沈み込んで行く。中にはナインのように武器を持つ者もいたが、攻撃していいものか判断に困っているようだった。
圧迫感に焦りと苦しみが重なった、男のくぐもった悲鳴が響く。
「苦しい、たす、助け——」
ぐしゃり。
肉がひしゃげる音が男の声を遮った。
もう、男の声はしない。
代わりに、ボックスから血が吹き出た。まるで、真空パックから空気を抜くように、ゆっくりと蓋が沈み込み、噴水のように血が溢れ出る。
誰もが、悲鳴すらも上げられなかった。
『これが私のプレゼント、棺だ。今回は特別サービス、この男だけにしか使えなくしておいたが、この通信が終わり次第、自分のボックスであればいつでも使えるように設定しよう。人生を止めたくなったのならば、入るといい』
男の声を聞きながら、《Garden》にいるおよそ十万人全てがこう思った。
ログアウト出来ない? いや、これではまるで——。
人生そのものの、ログアウトではないか。
ゲームであるはずなのに、あまりにもリアル過ぎて。
誰も喋れない。事態を認識出来ていなかった。
それこそが、男の目的だったのだろうか。エデンの街が罵声でもなければ悲鳴でもなく、沈黙で支配されたのを確認したように、男は再び話しだした。
『これは現実だ。生き残る術は与え、棺も用意した。安心しろ。外の世界はもっと酷い。この街は楽園だ』
絶望し切った人々が呆然とする中、最後の通信がされる。
『だがもし、この世界から出たいと言うのであれば、この《Garden》にある洞窟を攻略しろ。そうすれば、《Garden》から解放される。……では、残りの人生を楽しんでくれ』
最後の一言をまともに聞いていた者など、ほとんどいなかった。
ただ一人、ナインだけは、酷く冷静に男の言葉を解釈していたが。
しばらく沈黙が続いたが、遂に誰かが罵声を発し、それに釣られて辺りは騒然となった。
いや、エデン全域だ。
先ほどの通信は、この《Garden》に存在する全ての人類に向けて発せられたものだった。
「あ、あ、うわぁぁぁぁ!」「嫌だ、こんなの、嘘に決まってる!」「帰して! 家に帰して!」
エデンは喧騒に溢れ返った。何もかもがおしまいだと暴れ回る人、それを止めようとする人。呆然としへたり込む人。殴り合いが起こり、次第に大きな争いを生み出して行く。
そんな中、ナインは一人、エデンの街の門へと向かっていた。
「おい、ちょっと待てナイン! どこ行くんだ!」
そんなナインの肩をブランが掴んだ。振り返ったナインの目に映ったのは、明らかに混乱したブランの姿だった。その瞳には恐怖と困惑が刻まれている。
「街を出ようと思っていたんだが……どうした?」
「どうしたじゃねえだろ! お前、さっきの通信聞いてなかったのか!? 死んじまうぞ!」
狼狽してガクガクと肩を揺らしてくるブラン。その手を、落ち着いた様子でナインは掴む。
「馬鹿を言うな。俺が死ぬだって? 別にラスボスに挑む訳でもあるまいし、何を言ってるんだ。その程度の覚悟はとうに決めていたぞ」
「な、何言って——」
「お前こそ何を言ってるんだ、ブラン」
ナインはブランの手を振り払い、その目をじっと見て言う。
「俺は最初からこのゲームで死ぬつもりは無かった。死亡したら強制ログアウト、再ログイン不可能なんて、このβテストが始まる前から聞かされていただろ。死ねない理由が明確になっただけだ。それに、まだこの世界での死が、現実の死だと決まった訳でもない。……確かめる手段も無いが。けど、道具屋には蘇生アイテムだって売っているだろ」
「だ、だけど……」
不安げなブランにナインは笑ってみせる。
「皮肉な話だが、魔法使いは超能力者や魔術師と違って鍛錬が必要ないんだ。魔法って奴は、すでにプログラムされているんだ。MPさえあれば、すぐに強力な魔法が使える。それに今出れば、良いアイテムを取ってこれる。仲間もいないし、取り合いにもならない。俺みたいなソロには、今がチャンスなんだ。この機会を逃したら、他のプレイヤーにずっと馬鹿にされちまう。馬鹿にされたままでいられるほど、俺は温厚な奴じゃないんだ。ナインだけに」
ナインはわずかにプライドを見せ、リスクを冒してでも手に入れたい物があると言う。
続けて、少しばかり悲しげな笑顔でナインは言った。
「それに、このエデンの街——いや、《Garden》に、俺が死んで悲しんでくれる者はいない。だけど、お前にはいるんだろ? お前が愛して、お前を愛してくれる人が。お前が狼狽えてちゃ、その人達が可哀想だ。安心しろ、俺が洞窟は攻略してやる。それで元の世界に帰ろう」
「ナイン……」
ナインはそれだけ言って、再び門へと歩き出す。と、思い出したように言葉を付け加えた。
「俺がお前を安心させてやる。だから、お前は家族を安心させろ。これはゲームなんだから、楽しまなくちゃ損だ」
そう笑ったナインに、ブランは四十代の男に似合わない、涙でぐしゃぐしゃになった顔を見せた。けれど、ブランが浮かべていたのも笑顔だった。
「生きて返ってこいよ、ナイン! そん時は、俺の最高傑作を渡してやる!」
今渡せよ、と軽く愚痴りながら、ナインは騒がしいエデンの街に背を向け、巨大な門から外へ向かった。
エデンの街は巨大な壁に囲われており、同じく巨大な門を抜けなければ外へと出られない。今まではチュートリアル期間で、門は開けられていなかった。そのため、この外の世界は未だに語られていないのだ。
それゆえ冒険者達は、まだ見ぬ外の世界を色々想像していた。
見渡す限りの草原だとか、すぐ目の前に洞窟があり、その迷宮を探索させられるとか。
ブランの他にも何人かに止められたが、ナインは無視し、エデンの外へと出た。
ここからが、この《Garden》というゲームの始まりだ。
その先に広がっていたのは、木々が深く生い茂った森だった。どこに続くのか解らない道があるが、洞窟は影も形も無い。どうやら先は長そうである。
大地を踏みしめ、その感触が現実と全く変わらない事に、無理にでも意識が行く。
本当にここは現実と変わりないのだと、ここでの死が本当の死であっても可笑しくないと、誰もが思う程の完成された世界。
きっと、死ねば死ぬのだろう。
刺された弓使いのように、魔物に牙を突き立てられれば、人は死ぬのだろう。
そう思いながらも、ナインは不敵に笑う。
酷く楽しげに、ナインは笑ってみせた。
「見てろよ、俺を馬鹿にした野郎ども! 愚か者はどちらか、思い知らせてやる!」
勇ましく森へと入るナインの姿はまさに、愚か者だった。
彼はまだ気付いていなかった。
道があるのに森へと入る自分が、方向音痴だと言う事実に。
自分が、人間としてとてつもない欠陥を抱えている事に。
そして、真実に。
その頃街では、錯乱した何名かの冒険者が暴れ、十数名が命を落としていた。また、ボックスに入り命を落とした者も何十名もいた。
ただ、それが残った冒険者達の結束を生み、エデンの街に平穏を生み出したのは皮肉な話であった。
冒険者達は気の合う仲間でチームを作り、《Garden》からの解放条件である洞窟攻略へと励んだ。
ただしそれは、魔術や超能力が戦えるレベルになってから、という理由から、早いチームでもこの事件から一週間経ってからの事だった。
そして、その日を境に、冒険者達の三割が挫折した。
彼らは知らなかった。
いや、認識していなかった。
この世界の事を。
感想を頂けると嬉しいです。
応募原稿の過去話、という形で書いておりますので、指摘などもありがたいです。