魔法使いの誕生
「あなたは何を望みますか?」
「……意外だな。そんな事がこのゲームに関係あるのか?」
診察衣に身を包んだ少年の素朴な疑問に、白衣の女性は首を振った。
神秘的な雰囲気を醸し出す女性で、その年齢はまるで窺えない。大人びた雰囲気があるが、顔立ちはとても幼げで、雪のように白い肌が妙に艶かしかった。
「ええ。まだシステムの方が完璧とはいかなくて、スキルの設定の方はこちらでさせてもらっているんです。出来るだけ要望に答えられるように配慮はしますので、ご了承ください」
「そうなのか。……何を望む、ね」
少年は少し考え込む。そこまで深く考えてここに来た訳ではないのかもしれなかった。
なにせ、所詮はゲームのβテストなのだ。
だが、この《Garden》をただのゲームと呼ぶ者はそうそういないだろう。
世界初の仮想現実、それを実装したのがこの《Garden》である。
ボックスと呼ばれるクローゼットのような専用端末内に入ることで、ゲーム世界を体感出来ると言う、世界の未来を左右するような先端技術。
人口増加に伴い、資源枯渇が見えて来た人類の新たな生活の場として期待されているのが、仮想世界であった。同時に、経済・産業とあらゆる面で遅れをとった日本の最後の砦とも言えた。
現実での活動を最小限に抑え、資源を有効活用しようと言う考えだ。
そのため、この《Garden》開発は、日本政府が島一つを買い取り、研究者一人の自由も許さないと言う、徹底された情報隠蔽が行われていた。
少年が受けている精密検査も、外部との連絡手段を持っていないかと言う検査も含まれていた。勿論、テスターの命を重んじての検査、と言う意味の方が大きいが。
「ゲームの設定に関わる重要な質問だよな、これ。剣士か魔法使い、どちらになる? って感じの」
「その通りです。この《Garden》に関して言うなら、《超能力者》か《魔術師》ですけど」
「俺が聞いておいてなんだが、そういうのは後々気付かせてほしいな……」
惜しげも無く情報を曝してくる女性に、少年は苦笑する。すみません、と女性は謝ったが、反省の色がまるで無い無表情であった。
超能力者、魔術師……それが《Garden》のもう一つの特徴だ。
一つの現象にのみ特化したのが超能力、様々な超常現象を操れるのが魔術。夢にまで見た者が多いだろう、魔法の力を体感出来るのが、《Garden》のもう一つのセールスポイントだった。
「ゲームが始まってからは変えられないので、じっくり考えてください」
「その割に、随分と抽象的な質問を……」
「何でも良いですよ。こういう夢があったとか、こうなりたかったとか。出来れば、これなら全力で取り組める、という願いを教えてくれると助かりますが。今後の仮想世界作りの参考にぜひ、教えてください」
少年は困ったように唸る。
何を望む、という質問は、主体性の無い少年には、少しばかり答えづらい質問だった。
「単純にどっちになりたい、って答えても良いんだよな?」
「ええ。その場合は、どんな力が使いたいかも教えてくれれば、その通りにします。気付いてからのお楽しみ、と適当に答えて、私に任せてもらっても構いませんが」
「いや……ここで適当な答えを言って後悔したくない。ちょっと待ってくれ」
少年はそう言って黙る。深く考えているようだった。
それはまるで、この答えが自らの人生を左右する、そんな重大な決断だとでも言うように。
そして少年は答えた。
自分の生き方を。
その答えが、彼の——否、世界の命運すらも変えた。
☆☆☆
圧迫感を孕んだ闇がそこに広がっていた。
「うっ……?」
その闇は不思議と息苦しくなく、むしろどこか過ごし易いと少年は感じていた。温かく、包容力があるとでも言うのだろうか。
だがそれとは別に、妙な違和感が頭にこびり付いており、それが頭痛を生んでいた。軽い痛みだが、気になるものは気になる。
頭を抑えようと少年が手を動かそうとすると、空気が抜けるような音と共に、徐々に光が差し込んで来た。突然の光に眩しさを覚えつつ、少年は前へと手を伸ばす。
何か硬い物に手が触れた。金属の板——と、そこで少年はやっと気付いた。
これが《Garden》専用端末、ボックスの内部だと。
《Garden》の世界と現実世界を繋ぐ装置、それがボックスだ。現実世界でも仮想世界でも、ボックスに入る事でゲームのログイン、ログアウトを行う。RPGでどこでもセーブ出来ないように、この《Garden》もまた、どこでもログアウトが出来ないのだ。
徐々にボックスの蓋が開かれ、そして、少年はその世界を初めて目にした。
木の香りがほのかに漂う小さな部屋だった。木が惜しげも無く曝されている、ロッジのような部屋だ。
匂いを感じる、という点に感動しながら、少年は少し歩いて、仮想現実の凄さを実感した。
身体を動かしているという感覚があり、まったく違和感が無い。
部屋にはベッドとタンスがあり、木でできた机、天井にはランプがぶら下がっており、いかにもなゲームの雰囲気を醸し出していた。
ただ一つ、黒塗りのボックスがその世界に不協和音を奏でており、ここが仮想現実なのだと感じさせてくれていた。
『初めまして、あなたのお名前は?』
「うおっ?」
不意に、少年の脳に女性の声が響いた。
思わず誰かが近くに居るのかと振り返り、辺りを見回した少年だが、そこには誰もいない。
『驚かせて済みません。それに、初めましてでもないですね』
「あ、ああ……あんたか」
聞き覚えのある声に、少年は安堵の溜息を吐いた。
それは、先ほどと言っていいかは怪しいが、彼の診察を受け持った女性の声だった。
『はい。ところで、どこか具合の悪い所はありませんか?』
「いや、軽い頭痛だけだ。全く違和感無く正常に身体も動くよ」
肩をまわしたり、軽いストレッチをしてみたり、正常をアピールする少年。
『良かった。目立った異常はありませんね?』
「ああ、問題ないよ。……で、何だったっけ? 名前?」
『はい。勿論、実名でも構いませんが、どうしますか?』
その質問に、少年は少しばかり顔をしかめた。
「……俺の名前は、無いんだ」
少年は、言いづらそうにそう言った。聞こえようによっては、恥じるように。
少しばかり特殊な育ちをしている少年は、その事をあまり快く思っていないようだった。
しかし。
『ナイン、ですね。では、これからはそうお呼びします』
「うえっ?」
『どうしました、ナイン様』
二人の間で、とんでもない勘違いが起こっていたが、相手の女性はまるで気付いていなかった。いや、名前を聞かれて、無いんだと答える少年が悪いと言えば悪かったが。
そもそも、名前が無い、という事自体が考えられない程に可笑しかったが。
「あ〜、いや、ナインであってるよ。あと、様付けはいらない」
少年は苦笑を浮かべ、それを肯定した。正直、名前などどうでも良かったと言うのもあった。
この十六年間、少年は名前を気にした事など無かったのだ。
少年——ナインは、そういえば、と尋ねる。
「で、俺はあんたの事をなんと呼べば良い?」
『そうですね……。では、ミーナとでもお呼び下さい。私は特殊能力のチュートリアル、世界の説明、その他注意事項をお伝えするために通信させていただいています』
「なんだ。俺の冒険を最後まで見ててくれる訳じゃないのか?」
ナビ的存在だと思っていた、と結構失礼な発現をするナインにミーナは、
『露出癖でもあるのですか?』
笑顔でも浮かべているのではないかと錯覚させる、にこやかな声で答えた。
「どうしてそうなるよ……。それにしてもあんた、随分と粗忽な態度じゃないか?」
『あなた程ではありませんよ』
年上に敬意を払った話し方ではない、とナイン自身も思っていたのか、唸るだけだった。
『忘れないうちにお伝えしておきますね。タンスの中身を調べてください』
「おっ、RPGっぽいな」
指示された通りにナインがタンスを開けると、そこにあったのは小さな袋だった。何だろうと中をまさぐると、一枚の羽が出て来た。
『それは《転移の羽》というアイテムです。洞窟内では使用出来なかったり、使い捨てだったりしますが、使用すれば一度行った事がある場所に移動出来るアイテムです』
「おお、定番だな。……で、なんでこのタイミングに?」
冒険に出る準備も何も、まだ街にも出ていないのだ。さすがに何かあるなと踏むナイン。
『実は、便利な設定にした結果、メモリ領域が増えすぎまして、一人一つの固有アイテムになってしまいました。すみません』
「おいおい、なのに使い捨てなのかよ」
『ですので、使用する際にはよく考えてください』
仕方ないな、と呟きながらナインはそれを袋にしまった。
『あと、この部屋以外ではタンスの中身を漁るなどは出来ませんので、悪しからず。それと、この部屋があなたの部屋ですので、ご自由にお使いください』
「ログアウトしなかった場合の話か」
この《Garden》の世界は、完璧な仮想現実と言っても過言ではない。睡眠などは、この世界で寝ても、現実で寝ても同じなのだ。
『では、部屋に引き籠っていても仕方がありません。外に出ましょう』
ミーナの声に促され、ナインはその部屋から出る。どうやらそこは宿屋の二階のようで、他にも七つ程部屋があった。
そして、ついでのようにミーナは、このテレパシーの機能を説明する。
『認証し合った相手でありかつ、百メートルの範囲内であればこのテレパシーは可能です。また、声を出す必要もありませんし、傍受される心配もありません』
「それ、先に言ってほしかった。宿屋だから良かったもの、街中だったら醜態曝してただろ」
端から見れば、何も無い空間に向かって少年が一人で話している、というシュールな光景が広がっていたが、テレパシーに似た行為に興奮していたナインは気付いていなかった。
『すみません。そういうのを見るのが一つの楽しみでして』
いい性格してるな、とナインは頬を引きつらせた。
階段を下りると受付が見え、その横の部屋ではどうやら食堂もやっているようだった。本当にゲームの世界なんだ、とナインは感心しながら宿の外へと出た。
そしてナインは目にする。《Garden》の最後の特徴を。
赤煉瓦の建物、石畳の幅広い道、一定の間隔を空けて生えている道を二分する緑豊かな大木。
中世ヨーロッパの街並みを彷彿させる光景が広がっていた。
『ここはエデン。始まりの街にして、このゲーム唯一の街です』
「うわっ……」
エデンの街でまず目に入ったのは、人。群衆と呼んでも過言ではない程の人の量だった。
目がいくのは、彼らの髪。《Garden》のテスターは日本人、にも関わらず街を行き交う人々の髪は、黒は勿論、金髪や茶髪、緑や青なども混ざっている。それらの色彩豊かな髪の色は、染めたような違和感がまるでないというのも、ナインを驚かせた。
『要望を受ければ、多少の容姿は変更出来ると言っていたのはこういう事か』
『ええ。どうですか? 仮想世界に来た、という実感が湧きましたか?』
街に出たと言う事で、さっそくテレパシーを使ってみるナイン。
『ああ。すごいな、これは。感覚は現実と同じだって言うのに』
『何でしたら、頬を突ついてみたらどうですか? 案外夢かもしれませんよ?』
言われた通りに頬を突つくナインを、通りすがりの人達がくすりと笑った。それでおちょくられたのだと気付き、不機嫌そうな顔をするナイン。
『すみません。まさか本当にするとは思いませんでした』
『……もういい。俺は勝手に学ぶ』
ぶすっとした態度でそう思ったナインに、ミーナは。
『解りました。短い間でしたが、ありがとうございました』
『冗談を本気するな!』
『ふふふ、良い反応です』
面白い玩具を見つけた、とでも言わんばかりに笑うのだった。
「やれやれ」
そんなミーナにナインは、自分が大人になる事で事なきを得ようとしていた。
★★★
圧迫感を孕んだ闇がそこに広がっていた。
「うっ……」
何か違和感を感じつつ、ナインは手を伸ばした。今回は、頭痛はなかった。
ボックスが開くと、そこはアパートの一室のようだった。
白を基調にした部屋で、どこか簡素な2DKの部屋だ。寝室には机やタンス、ベッドなど、生活に必要最低限なものしかない。
というのも《Garden》は、ゲーム内で食事や睡眠すらも取れる、完璧な仮想現実を実現しているためだ。食事は触感、味覚、嗅覚、満腹虫垂までもを刺激するので、体感的にはこちらとの食事と何ら変わりない。
ただ、栄養を摂取する事は不可能で、ボックスには点滴がついており、テスト期間である一ヶ月間、一度もログアウトせずとも生きられるようになっていた。テスターにはログアウトせずに一ヶ月間過ごす者もいるだろう、という措置だ。勿論、筋力は落ちてしまうだろうが。
そのため、この生活空間は、ログアウトしたテスターのために一応造った、という簡素な作りになっているのだ。
部屋に窓は無く、一種の牢獄のように思えなくもない。今は管理者側から、全員一度ログアウトしてほしい、と要請があったためナインはログアウトしたのだ。
「……しかし、なんていうか、あまり居心地が良くない部屋だな」
何が悪いと言う訳ではないのだが、出来れば長期間過ごしたくないような部屋だと、ナインは早々に思った。
窓が無いため外の様子が窺えず、ナインは玄関へと向かった。
ドアを開けると、広がっていたのは、研究所のような空間だった。
白で統一された無機質な通路で、円を描くようになっているのか、通路の先はよく見えなかったが、他にもいくつも部屋がある。見れば、同じようにドアから顔を出している人がいたが、気恥ずかしそうにすぐに顔を引っ込め、鍵がかかる音がした。
「箱庭島、なんて名前のくせに、中身はまるまる研究施設なのか」
立ち入り禁止の空間に入ってしまったような、妙な居心地の悪さを覚え、ナインも鍵を閉め部屋に戻る。探検なんてして、産業スパイと間違われたくはなかった。
ドームに囲まれ情報隔離された島、箱庭島。それがこの《Garden》の開発場所だ。
ネットや電話は繋がらず、人工衛星にも映らない、完全に外界と隔離されている島。この島に入るためには、二度に渡って身体検査、精密検査を受けなければならなかったほどだ。
『大変長らくお待たせしました。ただいまより、ログイン可能です。テスターの皆様、ログインしてください』
学校の放送のように入った声に、どうしてか安堵の笑みを浮かべてしまうナイン。
「なるべくこっちでは過ごしたくないな」
そう呟き、ナインは《Garden》へとログインした。
☆☆☆
ナインは体内を駆け巡る熱に似た何かを右手に集約し、さらにそれを人差し指へと集中させた。瞬間、人差し指に込めたソレが消え、
「おっ?」
刹那、ナインの人差し指に炎が灯った。
仮想現実を実現した《Garden》だからこそ出来る、感覚を用いた能力の使用。
『この感覚を忘れないでください。これが、あなただけの力ですから』
全ての冒険者が一週間、魔術や超能力などの、《Garden》の特殊能力のチュートリアルを受けていた。
というのも、魔術や超能力は感覚的で、大半の者が使用するのもままならず、戦闘に使えるレベルにするのに大分時間を費やしていた。
さらに、それらの訓練のために、訓練施設に一万人が殺到し混雑したと言う事情もあった。
だが何はともあれ、無事チュートリアルは終了した。
「今更だけど……俺は何か間違った答えをしてしまったのか?」
『どうしてですか?』
「……いや、やっぱりいい。とにかく、使えるようになって良かった。どんな屑でも、使えないよりは使えた方が良い」
『さりげなく酷い事言いますね』
酷いのは俺の能力だろう! と叫びたいのを我慢するナイン。
間違いなく、精神的には大人になっていた。
『以上でチュートリアル終了です。これで私との通信が終わりますが、最後に確認しますよ』
ミーナのその言葉に、ナインは少し寂しく思いながらも頷いた。
『この《Garden》では、死亡した場合、強制ログアウトされます。そして、ログインが不可能になります』
まだ開発段階ですから、とミーナは付け加える。
この注意点については、βテストの応募事項にすら書かれていたので、ナインはすぐに頷いてみせた。
「要するに、死ぬなってことだろ?」
『そういう事です』
「了解した。まあ、俺が死ぬような事なんて無いだろうがな」
ナインの大胆不敵な態度に、思わずミーナは微かに笑った。
『では、最後になりますが、何か質問はありますか?』
「一つ、聞いても良いか?」
『はい。私に答えられる質問であれば、お答えしますよ?』
それなら問題ない、とナインは尋ねる。
「俺は、いつかまたあんたと会えるか?」
『……どうしてですか?』
ナインのその問いに、ミーナは困惑したように質問で返した。
ドラマチックな演出でもしたいんですか? という冗談を付け加えて。
「なに、大した意味は無い。また会えたら良いな、と思っただけだ。この一週間、あんたには散々おちょくられたが、それはそれで楽しかったからな。口説こうとか思っちゃいない」
『それは良かった。私にはもう愛すべき人がいます。あなたと同じくらいの歳の娘もいますし、どうしたものか困る所でしたよ』
「だろうな。でもな、会えないからって俺をそいつ等の代わりにしないでくれよ」
ナインの言葉に、ミーナが息を飲んだようなわずかな沈黙が生まれた。
この一週間、ナインは随分とミーナに可愛がられた。と言うよりも、チュートリアルにしては随分と色々と話しかけられていたのだ。
『……意外と、鋭いんですね』
「一週間も話していれば気付くさ。で、質問の答えは?」
ミーナはしばし沈黙し、考えながら答える。
『……私もこの《Garden》の世界にいますから、いつかは会えると思いますよ。……いえ、きっとまた会う事になるでしょう』
ミーナのその返事にナインは満足そうに頷き、笑った。
「それじゃ、またいつか会おう」
『ええ。……テレパシーの時に喋る癖、直した方が良いですよ』
そして、ミーナとナインの通信は途切れた。
「俺は楽しみたい。ただ、それだけだ」
《魔法使い》の少年は、自分の望みを再び口にした。