表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

あとはAIがやっておくから

掲載日:2026/06/05

 用を足していた時、イヤホンから女性の声がした。


「Tanaka様、残り10分で予定時刻を迎えます。叔父様がお待ち__」


 もうそんな時間か。と頭の片隅で思いつつ、女性の声で中断されていた音楽を再生した。学生時代に聴いていたこの曲は社会人になった今でもプレイリストに入っている。最近の曲も良いが、やはり思い出があるだけこの曲は外せない。手を洗いハンカチを取り出す。このハンカチは初任給で買ったものだ。柄は当時の流行はやりだと聞いたもの。今も流行ってるかは知らない。最近は自動乾燥機で済ませる人が多いが、私はハンカチにこだわっている。洗う手間もあるがそれがまた良い。


 自分のデスクに戻り、やり残しがないのを確認すると私はそのまま部屋を出た。誰もいないガラス張りの会議室を通り過ぎ、出口に向かう角を曲がる。


「おっと」


 角の先には掃除ロボットがいた。ロボットは何かごにょごにょしゃべりながら私を避けていき、廊下にはロボットの独り言だけが響いた。その無機質な声のリズムに歩調を合わせ、人でごった返す外に向かう。人々は互いに干渉しあわないように動きながら自分の世界に入り込んでいる。私もその中に混じって駅から電車に乗った。


 今から向かう叔父の家は会社から電車で20分ほどの距離にある。叔父が事故で足を悪くしてからというもの、私は週に二日叔父の家に通っている。


「おじさーん。来ましたー」


「はいはい」


 車椅子が移動する音が聞こえると、鍵がガチャリと鳴った。ドアを開けると叔父の匂いが私を包む。私は玄関で出迎えてくれた叔父に言った。


「もうそろそろドア変えたほうがいいんじゃない?リモコンで操作できる鍵もあるみたいだよ」


「そんなもの使ったら余計に体が悪くなる。少しくらいの運動は必要だ。それにお前には合鍵を渡してあるだろう」


「もー別にいいじゃん。おじゃましまーす」


 叔父は力強く車椅子を動かして玄関にあるスロープを上った。髪はほとんど白いが、腕の筋肉はまだまだ現役のようだ。


「あ、買い物行ったんだ。言ってくれたらいつでも行ってあげるのに」


「たまには散歩しようと思ってな。それはそのついでだ」


 来る途中で買ってきたものを冷蔵庫に入れようとした時、中にはすでにラベルをこちらに向けた数本のビールが整列しており、仏壇には新しい甘納豆が供えられていた。叔父は甘納豆が大好きで、なんでも子供の頃墓参りで食べた味が忘れられないそうだ。


「久しぶりにスーパーに行ったがあれはなんだ。店員はほとんどいないわ商品を手に取る度にピコピコ音が鳴るわ、横にずっとカゴがついたロボットがついてくるわで不快でしかない。棚には万引き防止のカメラがびっしりついてるんだぞ」


「仕方ないよ。そこも働き手がいなかったんでしょ」


「これだからAIはだめだと言ったんだ」


 叔父はAIのことが嫌いだ。理由はいくつもあるみたいだが、一番の理由はあの事故のせいだろう。

 叔父がまだ歩けていた頃、世間ではAIの利用が進み始め、そのための法整備も始まっていた。車にも自動運転のためのAIが取り付けられ、知らない土地でも気軽に車で移動することが可能になった。叔父の家の近くにある道も車通りが多くなったが、横断歩道や信号は遠く離れていたため住民はこれまでと同じようにその道を歩いて横切っていた。

 ある夜、叔父はその道を横切るために車の流れが止むのを待っていた。すると遠くからサイレンが聞こえ、救急車が近づいてきた。サイレンの音が低くなり赤色灯が遠くなると、叔父は救急車を避けようと止まっていた車に頭を下げながら小走りで道路を渡りはじめた。しかしその時、時速60㎞の車が近づいていたのだ。叔父がそれに気づくことはなく、静かな住宅街に鈍い音が響いた。すぐに病院に搬送されたものの、叔父の足は不自由になってしまった。事故の原因は、救急車を避けて道が開いたことでAIが車がいないと誤認しスピードを上げたこと。そして狭い道だったため車の影から出てきた叔父を避けきれなかったことだった。


「自分が楽をするせいで他人が不幸になるくらいなら楽なんていらん」


 叔父はそう言って読みかけの新聞を広げ、老眼鏡をかけた。食べかけの甘納豆の小袋一つがかたわらに置かれている。


「そういえば会社はどうなんだ。もう慣れたのか」


「うん。色々わかるようになってきたし、やりがいも感じてるよ」


「人が少ないビルっていうのは寂しいんじゃないか?」


「まあなんでも慣れじゃない?そんなに気にならないし」


 効率化を名目に社会にロボットが出現してから、仕事をするヒトは限られた存在になった。今でも仕事をしているヒトというのは国や企業の中枢にいるか、単にやる気があるかだ。私は仕事で人の役に立ちたいというやる気だけで仕事をすることを選んだ。

 仕事をすることすら選択できる今の世の中では、叔父のような旧式人間は完全に孤立している。郷に入っては郷に従えとは言うが、いつの間にか郷に入れられては対応できないのも無理ないだろう。しかし時代の流れは速い。この前だって新型の自動掃除ロボットが発売されたばかりだ。叔父にはどうにかして時代に追いついてもらいたいと思う。


「お前がうまくやれてるならそれでいい。しかし、仕事もせずに世間一般の人間は何をしてるんだ」


「隣の木村さんはよく犬の散歩に行ってるのを見かけるよ」


「あの人は朝から晩まで犬の散歩をしてるな。まあ、会っても向こうから挨拶することなんて滅多にないが」


 叔父はため息をついて新聞をめくった。夕日が老眼鏡のレンズに反射して、古びた壁を照らしている。

 叔父の住む地域には叔父と同世代の人があまりいない。そのことも叔父が孤立している原因なのかもしれない。隣の木村さんだって叔父の一回り下だ。


「おじさんは今日の夜、何が食べたい?」


「…なんでもいい」


「そういうのが一番困るんだよ。迷ってるから聞いてるのに」


「そう言われても何も思いつかんからなあ」


 叔父の性質上、これ以上は何を聞いても無駄なので、私はこっそり家庭用AIに今夜の献立を聞くことにした。AIは本当に便利で、冷蔵庫の中にあるものを入力しただけですぐに3つも案を出してくれた。その中から私はレンコンのはさみ焼きを選んだ。


「初めて作ったんだけど、どう?味が濃かったりしない?」


「うまい!どうやって作ったんだこれ!」


 叔父はAIが考えた夕飯を喜んで食べていた。やはり大事なのは過程ではなく結果だと思う。


「じゃ、また来週ね。別に必要な時はいつでも呼んでくれていいけど」


「わかってる。気をつけて帰れよ」


 叔父に手を振り私は駅へと歩き始めた。私はイヤホンを装着し、一定の速度でお行儀よく走る車たちの騒音を断ち切った。


「音楽が再生可能な機器が見つかりません」


 女性の声でそう言われた。慌ててカバンの中を探すも見つからない。叔父の家に行く時も音楽を聴いていたのだから、叔父の家に置いてきたのだろう。記憶を必死に掘り起こす。はっと思い出した。


「冷蔵庫の上だ」


 AIにレシピを聞いたあの時、私は冷蔵庫の上に置いた。今も置きっぱなしだ。しかも電源が入ったままで。

 振り返り、一目散に走り出す。


「おじさんが見てませんように、おじさんが見てませんように」


 そう何度も念じながら走り、叔父の家まで来た。叔父は寝る支度をしていたのか、ちょうど電気が消えるところだった。


「おじゃましま~す…」


 合鍵で静かに鍵を開け、足音を鳴らさないようにキッチンへと向かう。


「あ。」


 しまったと思った時にはもう遅く、叔父は冷蔵庫の上に置かれたものを見ていた。暗闇の中に叔父の顔が照らされて浮かび上がる。


「これは、お前が考えたものじゃなかったのか?」


 張り詰める空気の中で、私は答えられなかった。どれほど叔父がAIを嫌っているのか、AIのせいで叔父がどんな目にあったのか、私が一番知っていた。迂闊なことをしてしまった自分を呪い殺したくなった。


「…出ていけ」


 叔父の静かな言葉に、私は従うしかなかった。


 帰り道。電車に揺られながら幼かった頃を思い出していた。

 結婚してすぐに奥さんと死別していた叔父は子供がいなかった。周囲から再婚を勧められたが奥さんに申し訳ないから再婚しなかったと叔父から聞いている。なので叔父は私を実の子供のようにかわいがってくれた。時には自然の中で走り回り、時には家で昼寝をした。本当に幸せな幼少期だった。

 しかし、中学校にあがると部活や勉強で叔父との距離は自然に離れていった。そして大学を卒業する少し前に叔父が事故に遭った。私は叔父への恩返しも含めて喜んで手伝いを引き受けた。叔父は昔のまま私と接してくれ、私も昔のように叔父と話した。


だがそれも今日で終わりだ。私はやってしまったのだ。


 家に着くと機械が「おかえりなさい」と言って部屋の明かりをつけた。はいはいと返事をして食事の支度をしていると「今日はおかえりが遅かったですね」と機械が話しかけてきた。確かに普段ならとっくに帰ってきている時間だ。しかし誰かと話したい気分ではなかったので無視をすると、機械は黙ってしまった。所詮は機械で感情などないのだが、こうして黙って気まずい雰囲気を出されると罪悪感をおぼえてしまう。


 寝床に入りまぶたを閉じると、暗闇の奥からぼんやりと叔父との思い出が浮かんできた。


「やっぱり普通の機械がしゃべり始めたくらいから世の中がおかしくなったな」


「どうして?」


「本来人間は家族や周りの人と目で見て耳で聞いて口で喋って交流しながら生きるべきなんだ。だが今はどうだ。ほとんどの人間が機械としか対話していない。そんなに寂しいなら家族と話せばいいのに、な」


「でも家族がいなかったり目が見えない人はどうするのさ。そういう機械があって便利な人もいるんだよ?」


「そういう屁理屈ばかり言ってるから機械としか話せないんだぞ」


「はーい、これからは気をつけまーす」


 今、叔父の家には話せる機械もなければ話せる家族もいない。叔父に電話をかけようかと迷ったが、勇気が出ずやめた。他にもあれこれ叔父のことを考えたが次の日も仕事があるので寝ることにした。


 翌朝、頭の中が叔父のことでいっぱいのまま出社した。相変わらず会社は閑散としていて、白い壁と電飾がまぶしい。次に叔父の家に行くのは2日後だ。それまでにどうにかして解決策を思いつかねば。私はとりあえずAIに回答を聞いてみることにした。


「まずは素直に謝りましょう。そして一緒に食事を取ったりAIの話題を避けるなど関係を戻せるようなコミュニケーションをとりましょう。あなたと叔父の関係は簡単に崩れるものではありません。どんなアプローチでもきっと修復できます!」


 うーん、なるほど。AIの回答はあいまいで当たり障りのないものだった。まあ機械の言うことにいちいち振り回されていたらキリがない。私は仕方なく、自分で解決策を考えることにした。


 __数時間後。私は仕事が終わったので帰宅した。解決策はまだ何も思いついていない。というかむしろ解決策を考えることが無駄であるように感じてきた。今の時代、AIなしで生きていくほうが難しい。何をするにしてもAIが介入し、社会を成立させている。その世界で私たち人間は生きているのだ。

 叔父にAIを認めさせるしかない。私はそう結論づけた。


 2日後。私は叔父の家の前にいた。このインターホンを押すのは初めて手伝いに来た時以来だろう。私は今日、叔父を説得するために来たのだと覚悟を決めてボタンを押す。するとカメラの横にある電気がつき、女性の声がした。


「お入りください」


 玄関の鍵が開く音がした。だが車椅子の音はしない。


「お、おじゃまします」


 恐る恐る扉を開けて中に入ると叔父はいつもの場所で新聞を読んでおり、私の姿を見ることなくこう言った。


「自動で開くドアに変えたんだ」


 私はただ「へぇー」と平静を装ったが、本当は心臓が飛び出そうなほど驚いていた。しかし人間というものは不思議なもので、これほどイレギュラーなことが起こっても普段通りの行動をしようと体が勝手に動き始めた。

 買ってきたものを補充するため冷蔵庫を開けると、棚が食材でいっぱいになっていた。驚く私に叔父が言った。


「昨日、ロボットの宅配サービスを受けた。追加料金を払えば夕飯まで作ってくれるんだな。便利な世の中だ」


 たしかに冷蔵庫には見たことのない作り置きも入っていた。そこまでできるのか、AI。夕飯を作る必要がなくなり手持ち無沙汰になった私は掃除をしようと風呂場に行った。しかしそこもすでに掃除されていた。


「おじさん、お風呂場って…」


「ああ、そこもロボットを呼んで掃除しておいたぞ」


 何とも言えない気持ちになる中、インターホンが鳴った。自動でドアが開き、中にロボットが入ってきた。


「これは?」


「ごみ捨てだな。まとめてなくても自動でごみ箱から持って行ってくれるんだ」


 ごみは普段、私がまとめて帰っていた。私が週二回、決まった日に来るのは翌日が収集日だからだ。ロボットは静かな動きでごみ袋を回収すると、静かに玄関から去っていった。


 こうして、普段叔父の家に来てやっていたことはすべてロボットがやってしまった。叔父は相変わらず新聞を読み、私だけが取り残されていた。甘納豆の小袋が2つある以外は机の上もきれいに整頓されている。私がこれ以上ここにいる意味はあるのだろうか。


 叔父が新聞をめくった時、気づいた。私と叔父の関係が昔とは変わってしまったことに。幼かった頃のような関係に戻れたというのは勘違いだったのだ。本当は根本から変わってしまっている。ここに来れているのは叔父の手伝いのためであって、叔父に会いに来ているわけではない。思えば会話の内容もほとんどが世話の話だ。


「もう、帰るね」


 私はそう言うと叔父の顔も見ずにドアを開け、その後叔父の家に行くことはなくなった。ロボットがいるところを見るに、何も心配いらないだろう。


 しかし、叔父のいない生活は辛かった。週二回とはいえ叔父と会っていたことは私の支えとなっていたらしい。誰もいない会社がいつも以上にさびしく見え、生活から色がだんだん失われていくのを感じた。だが今さら叔父に会いにいく勇気は持っておらず、ずるずると月日が過ぎていった。


 ある日、雑踏の中会社に向かっていると遠くのほうで人の騒ぐ声が聞こえた。声のする方へ行ってみるとビルから火の手が上がっている。周りで騒ぐ群衆の話し声を聞くに放火があったみたいだ。そういえば最近こういった事件が多い。ちまたでは「刺激」を求める人が増えたからだと言われている。だが、どの事件もすぐに優秀な社会システムが解決した。火事があれば自動化された消防隊が出動し、強盗があれば防犯カメラと犯罪者の行動パターンからすぐに犯人が逮捕される。この街の治安は技術革新の賜物だと言っても過言ではない。


 私は火事現場を後にして会社に向かった。きっと今回もなんとかなるだろう。会社に着くと窓の外に黒煙を見ることができ、火事の大きさを物語っている。今日は風が強いことも火事がひどくなる原因かもしれない。


 会社に着いてしばらくした時、火事の避難指示がきた。仕事に集中していて外を気にしていなかったが、黒煙の上がる範囲が先ほどよりも広がっており火事は想像以上に深刻らしい。慌てて外に出ると消防ロボットが避難路の誘導をしており、その指示に従って群衆が移動している。私もその流れに乗って避難所まで移動した。


 避難所には着の身着のまま避難してきた人が多く、不安感が広がっていた。しかし避難所のあらゆるところが自動化されており、案外快適であることが認識されるようになると混乱は収まっていった。機械で割り当てられた場所にそれぞれが腰を落ち着け始めた頃、誰かが私を呼んだ。振り向くと、そこにはロボットに車椅子を押される叔父がいた。


「無事だったか!火元が職場の近くだから心配したんだぞ!」


 私を見て涙を流す叔父につられたのか私の頬にも涙が流れていた。叔父は最初から私と昔のまま接してくれていたのかもしれない。表面上での見え方は変わってしまったが、叔父と私の心はあの頃のままつながっていたのだ。そう思えたことに対する安心がこの涙の原因なのかもしれない。


 避難は火が収まるまでと言われ、その夜は炊き出しが行われた。もちろん配膳はロボットが行い、一人につき分けられる量は限られていた。そのため幼い子や育ちざかりの子には足りないこともあったが、周囲の大人が分け与えるなどしてトラブルが起こることはなかった。その様子に叔父はひどく感心したようで、


「いつの時代でも人の心は変わらんもんだな。もう人間はAIの家畜になったものだと思っていた」


と嬉しそうに私に話しかけてきた。


「いつまでも人間は人間だからね」


 私はそう言うと寝床に入った。避難所にはいつもと違う環境に興奮する子供の声が小さく響いていた。


 避難所での生活は1日では終わらず、2日3日と続いた。いくら機械が円滑に運営してくれてるとはいえ、長期間避難所にいるのは疲れる。しかし良いこともあった。叔父が徐々にではあるがAIを認め始めてくれたのだ。人の心が変わっていなかったことが効いたらしい。ロボットでの配膳も、避難所で流れる機械音声にも慣れてきていた。叔父との会話が増えたのも、AIが雑務をすべてやってくれているおかげだ。


「はい。これおじさんの分」


「ありがとう」


 配られた食事を叔父に手渡し、私は叔父の隣に座った。食事の時間は避難所が一番活気づく時間で、走り回っていた子供たちも大人しく座り、親としゃべりながら食事をしている。食器として使われているプラスチックの音と話し声が避難所に反響した。


「そういえば、おじさんの奥さんってどんな人だったの?」


 突然の質問に叔父は少しむせ、水を飲んで一息ついた。


「そうだな。本当に美しくて優しい女性だった。ご近所の方の評判もよくて、あいつの周りにいると誰でも笑顔になれた」


「そうなんだ。おじさんは本当にその人のことが好きだったんだね」


 叔父は照れたのか、さっさと食事を済ませると私に顔を見せずどこか散歩に行ってしまった。


 それから数日続く避難所での生活に私は何も不満はなかった。最低限生活に必要なものは配られるし、要望があれば改善もされる。だが叔父は長引く避難所生活で少しずつ機嫌が悪くなっていた。


「おい、ちょっと」


 叔父といた時、前を歩いていた人が廊下にゴミを捨てた。叔父はその人を呼び止めようとしたが、その人にはまったく聞こえていないようだった。


「なんだあいつは。ここは公共の場なのがわからないのか」


 そう言って叔父がゴミを拾おうとすると、それより先に掃除ロボットが叔父の目の前を通り過ぎた。機械は地面に落ちたゴミを青く照らすと器用に回収し、何かを思い出したかのようにどこかへと向かっていった。廊下には叔父の背中だけが残っている。


「そうえいば、あんまり路上でごみ箱ってみかけないよね。もしかしたらロボットで回収することが前提なんじゃない?」


 叔父が怒ってしまうのを回避するために私は急いで話題をふった。それでも黙る叔父を見て、少し話題が悪かったかと不安になっていると、叔父はゆっくりと振り向き落ち着いた様子で私に言った。


「まあ、今はそういう時代なんだろうな」


 他にも何か言いたげだったが叔父は黙り、私も何も言わなかった。

 

 それからというもの叔父は日を重ねるごとに口数が減り、話すときの話題はたいてい不満ばかりになっていた。初めは「あの人が前を見ていなかったせいでぶつかりかけた」や「この缶詰の味が薄い」などささいな不満が多かったが、日が経つと避難所の運営や避難期間の長さにも不満を言うようになっていった。


「ただの火事でこれだけの人数がこんなに長い期間避難するのはおかしいと思わないか」


「でも今の外は黒煙で何も見えないよ。ほら」


 そう言って私は外の景色を映した映像を見せた。街は完全に黒煙で覆われており、様子は全くと言っていいほど確認することができない。まだ火事は続いているのだろう。しかしそれでも叔父は納得できないようで、管理ロボットに向かって文句を言い始めた。


「ただの火事でこんなに避難させるのはおかしいんじゃないか?」


「大変申し訳ありません。ただいま外は消火作業中ですのでもう少しお待ちください」


「そんなこと言ってもな、これ以上ここに閉じ込められてたら気がおかしくなるぞ」


「それではあちらのカウンセリングを受けることをお勧めいたします」


 話していてもらちが明かないと思ったのか、叔父は自分の場所に戻った。戻ってからも文句は言っていたが、私が「それでも助けてもらってるんだからもうちょっと頑張ろうよ。周りの人も一緒に避難してるんだからさ」と言うと、それから文句は言わなくなった。


 そんな避難生活をしていたある日、私は避難した時にやり残していた仕事をしていた。


「こんなところでも仕事ができるのか」


「まあ普段は気持ちが入るから会社に行ってるだけだしね。やろうと思えばどこでもできるよ」


「本当に便利な時代になったもんだな」


 手を動かす私の後ろに回って、叔父は私の仕事をのぞきこんだ。すると叔父は笑いながら言った。


「なんだ。今は休憩中か?にしてもその年にしては珍しいものをやってるんだな」


「え?今やってるのは仕事だよ?」


 私の返答に叔父は困惑した。真剣な顔をする私を見て、再度問いかけた。


「これがお前の仕事なのか?クロスワードが?」


「クロスワードが何かは知らないけど、これが私の仕事だよ。あと3つやらなくちゃいけないんだ」


「この問題を作るのがお前の仕事なのか?」


「さっきから何を言ってるの?だから、これが仕事だってば」


 叔父とどうも話がかみ合わない。私は叔父に詳しく仕事の説明をした。


「私の仕事はね、このマス目に文字を当てはめていくことなんだよ。この下にヒントがあるからこれを使って当てはまる単語を考えるの。わかる?」


 叔父は全く理解ができていないようで、何を説明しても無駄だった。きっと叔父の時代にはなかった仕事なのだろう。時代の流れから離れていた叔父だから仕方がない。


 それから数日後、叔父が避難所で行方不明になった。最初は散歩に行ったものだと思っていたが、管理ロボットに聞いても居場所はわからず、なんの痕跡もなかった。こつ然と姿を消してしまったのだ。勝手に避難所を抜け出して私の両親のところに行っているのかもしれないと思い連絡したが、叔父は来ていないようだった。


 毎日避難所を歩き回って叔父を探したが、叔父は1週間たっても帰ってこなかった。


 私は叔父がいなくなってから不安に耐え切れず、カウンセリングを受けることにした。カウンセリングを受ける人の待機列は長く、長期間の避難生活に苦しんでいる人がどれほど多いのか目に見えてわかった。


「あなたの悩んでいることをお話しください。ここで話したことが外部に漏れることは絶対にありませんのでご安心ください」


 いつもと同じ女性の声で機械が語り掛けてきた。しかしそんなことはどうでもよく、とにかく話す相手がほしかった。


「あの…私の叔父が一週間前から帰ってこないんです。捜索願も出して探してもらってるんですが…その…不安なんです。何が不安なのかはわからないんですけどとにかく不安なんです」


「去年の同じ時期に行方不明になった方の100%が捜索願が出されてから1ヵ月以内に見つかっています。叔父様はまだ見つかる可能性があります」


「でも、1ヵ月後に見つかったとしても叔父が生きている可能性は低いですよね?」


 私は目から涙がこぼれるのを堪えながら言った。


「そんなことはありません。世界中にいる我々の仲間がどこにいても救います。ですからご心配はいりません」


「でもっ、でも…」


 ついに堪えきれなくなり、私は下を向いてしまった。手の甲に水滴が落ちる。それからいくつかの質問に答え、カウンセリングが終了した。


「Tanaka様。カウンセリングは以上になりますが、今回のカウンセリングデータを保存した子機をお貸しすることができます。ご自宅に子機があればいつでもカウンセリングが可能ですがいかがいたしますか?」


 私は涙をぬぐい、子機を受け取った。自分の割り当て場所に戻ると早速、子機を起動した。


「Tanaka様。お話相手になりましょうか?」


 数日後。私の心は落ち着き始め、新たな日常に慣れつつあった。


「Tanaka様、おはようございます。お母さまから1通のメッセージが届いております」


「おはよう。メッセージを読み上げて」


「はい。メッセージを読み上げます。おはよー。火事はまだ収まらないみたいね__」


 この子が来てから、私の孤独感はすっかり消えた。うんざりしていた天井の白い照明も気にならなくなり、避難生活が格段に良くなった。それにあれほどいたカウンセリングに並ぶ列もなくなり、人の笑い声も聞こえるようになった。避難所全体が良くなっていっている。


「__以上がメッセージの内容です」


「あ、ごめん。聞いてなかった。もう一回言ってくれる?」


「もう、ちゃんと聞いてくださいよね。私もこの仕事めんどくさいんですから」


「あはは。そういわずにもう一回お願い」


「仕方ないですね。ではもう一度読み上げます。おはよー__」


 それからまた数日後、ようやく避難指示が解除された。私は久しぶりの日の光を浴びようと、群衆に混じって外に出た。


 外に出て驚いた。


 外は一面の焼け野原で、見知った街の姿は一つも残っていなかった。相当ひどい火災だったようだ。


「ただいま避難者様方の仮設住宅を設営中ですので、もう少しの間は避難所での生活にご協力ください」


 ロボットがアナウンスする声が聞こえ、確かに遠くでは整備のための重機が走っていた。私は仕方なく避難所へ戻ろうとした時、誰かにぶつかってハンカチを落としてしまった。大勢の人の中でどこにハンカチを落としたのかわからない。人と人との間で懸命に探そうとしていると、私よりも若い人がハンカチを差し出してくれた。


「これ、落としませんでしたか?」


「ああ!これ私のです!ありがとうございます!」


 世の中はまだまだ捨てたもんじゃないなと、私は思った。


 それからまた数週間後、私は仮設住宅に移動することになった。仕事はなくなったものの国からこれまでの給料と同額の補助金が支払われることになった。それに会社にほとんどの物を置いてきており火事で焼けてしまったので、生活必需品も支給されることになった。


「新しい家に住むんだから、今まで着てた服とか今まで使ってた物も新しくしたほうがいいんじゃない?例えばそのハンカチとか」


「えーそうかな?でもこれ思い出あるんだよなー」


「捨ててしばらくしたらきっと忘れるよ。思い出は物で残すんじゃなくて、心にさえあったらいいんだよ」


「うん。そうだよね。じゃあこれ全部捨てようかな」


「新生活楽しみだね」


 私は支給品と”友人”を抱えて避難所を出た。もらった鍵で新居の扉を開ける。新しい木の香りが心を落ち着かせてくれた。窓を開けると日光と風が部屋に流れ込む。


 静かな新居で、いまだに行方不明の叔父を思い出した。だがすでにAIが捜索をしてくれている。何も心配することはないし、あのたくましい叔父ならどこかでうまくやっているだろう。いつか会える日が来るはずだ。


「ついに新しい家に引っ越したね。まずは何する?」


「そうだなぁ。天気もいいし近くの公園まで歩きに行こうかな」


「今日はこのあと雨が降る予報らしいよ。出かけるときは傘を忘れないように注意してね」


「そうなの?教えてくれてありがとう、アオ。じゃあ今日は家にいようかな」


 私は今、幸せだ。面倒なことは何も考えなくていい。この最新式の住宅ではボタンを押すだけでご飯が出てくるし、アオに頼めば雨の日に買い物も行ってくれる。それに仮設住宅に住む人はみんな良い人だ。いつもどの家からも笑い声が聞こえるし、公園からは子供のはしゃぐ声も聞こえる。


 快晴の空に浮かぶ太陽が、私の新しい生活を照らしていた。


「アオ、あとどのくらいで雨が降るの?」


「あと15分くらいかな」


「じゃあカーテン閉めといて」


「はーい」


 私は音楽をかけた。最近流行りの曲だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ