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防衛戦

それは、音のない崩れ方だった。


結羽の身体は、さらに軽くなっていた。


抱きしめても重さがない。


温度もない。


存在の密度が薄れている。


結音は離れない。


ベッドの上で、結羽を抱いている。


泣き続けている。


「いなくならないで」


結羽は答えようとする。


でも声が遠い。


「……いるよ」


返事をするのもやっとだった。


境界では。


核の表層が崩れていた。


澱が侵入する。


光を濁らせる。


糸が解ける。


結束線が揺れる。


そして今。


澱は形を持ち始めていた。


影。


濁り。


歪み。


それが結羽の背後で膨らむ。


結音の願いに引かれて。


核を求めて。


らいかは立っている。


部屋の中央。


境界視を完全に開く。


澱顕現率:上昇。

核侵食率:臨界接近。


判断が下る。


観測終了。


介入段階。


らいかは一歩前へ出る。


結音の前。


結羽の前。


そして言う。


「来る」


結音が顔を上げる。


その瞬間。


空気が沈む。


温度が落ちる。


部屋の光が歪む。


壁と床の境界が揺らぐ。


結羽の背後の影が、持ち上がる。


そして、立ち上がる。


形を持たない影。


人のようで人でない輪郭。


穴のような中心。


澱。


完全顕現。


結音の胸が凍る。


視界が揺れる。


影が結音を見る。


そして理解する。


主。


願い源。


核適合性:極高。


影が伸びる。


結音へ。


結羽が動く。


崩れかけた身体で。


結音の前へ出る。


「だめ」


声は弱い。


でも意志はある。


影が結羽を見る。


既存核。


侵食済。


崩壊直前。


価値:低。


主へ優先。


影が結羽をすり抜けようとする。


その瞬間。


「――固定」


らいかの声が境界に響く。


両手が広がる。


足元から光の線が走る。


部屋の四隅へ。


壁へ。


床へ。


空間構造が固定される。


影の動きが鈍る。


境界固定術・広域展開。


通常は禁忌に近い規模。


らいかの額に汗が浮かぶ。


「……侵入させない」


影が揺れる。


だが止まらない。


澱は核を求める。


主を。


願いを。


結音を。


結音は結羽を抱こうとする。


でも結羽は前に立つ。


揺れる身体で。


「結音、うしろ」


結音は動けない。


恐怖で。


理解不能の存在で。


そのとき。


窓の外で、気配が裂ける。


空間が開く。


灰色の影が落ちる。


床に着地する。


音はない。


灰色の猫。


金の瞳。


ファル。


だが今、その輪郭の奥に別のものが見える。


巨大。


境界獣の一部。


位階の高い存在層。


部屋の空気がさらに沈む。


澱が反応する。


天敵。


裁断者。


ファルが影を見る。


金の瞳が細まる。


「澱」


低い声。


世界の外から響くような声。


影が歪む。


だが退かない。


核を求める。


主を求める。


ファルが前へ出る。


尾がゆらりと揺れる。


その尾の軌跡に、境界の刃が走る。


「境を裁つ」


言葉と同時に、空間が裂ける。


澱の一部が切断される。


影が震える。


だが本体はまだ結羽と結音の間にある。


結羽は崩れながら立つ。


身体の輪郭が薄い。


糸がほどけかけている。


核が濁る。


それでも。


結音の前に立つ。


影が伸びる。


結音へ。


結羽が腕を広げる。


遮る。


影が結羽を貫く。


痛みが走る。


存在の芯に。


結羽は声を漏らす。


「……あ」


でも退かない。


影が押す。


結羽の身体がさらに崩れる。


糸がほどける。


結束線が揺れる。


結音が叫ぶ。


「結羽!」


結羽は振り返る。


結音を見る。


笑おうとする。


崩れかけた顔で。


「ぼく」


声が震える。


「ともだち」


影がさらに押す。


核が軋む。


存在が裂ける。


それでも結羽は立つ。


結音の前に。


そして言う。


「ぼくはともだちだから」


その言葉。


定義。


存在理由。


核の中心。


その瞬間。


結束線が強く光る。


結音の胸から光が溢れる。


願いが応答する。


澱が一瞬退く。


ファルの瞳が光る。


らいかが叫ぶ。


「今だ!」


固定術が強まる。


ファルの尾が振り下ろされる。


境界の刃が澱を裂く。


影が悲鳴のない悲鳴を上げる。


裂ける。


崩れる。


消える。


澱は裁断される。


部屋の空気が戻る。


光が戻る。


温度が戻る。


結羽は崩れ落ちる。


結音が抱きとめる。


軽い。


あまりにも軽い。


「結羽!」


結羽は目を開ける。


薄い。


でも笑う。


「……守れた」


結音の涙が落ちる。


結羽の頬を通り抜ける。


存在密度が薄い。


らいかは静かに見る。


ファルは影の消えた場所を見る。


らいかは理解している。


澱は消えた。


だが。


結羽の核侵食は戻らない。


臨界は過ぎている。


防衛線は守られた。


だが代償は確定している。


結羽は結音を見る。


そして、かすかに言う。


「結音」


「うん」


「……よかった」


その声は、ほどける光のようだった。

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