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澱の気配

朝の教室は、いつもと同じ形をしている。


机。

椅子。

窓。

黒板。


人の層は変わらない。


だが志那らいかには、別の層が見えている。


境界層。


光の糸。

存在の核。

残響の濁り。


そして今朝。


違和感があった。


らいかは席に座ったまま、視線を動かさない。


だが境界視は広がっている。


教室の空間を薄く覆うように、霞のようなものが漂っている。


色はない。

形も曖昧。

だが濃淡がある。


それは(おり)だった。


願いになれなかった想いの残骸。


断念。

執着。

未完。

喪失。


それらが境界に沈殿したもの。


通常は、もっと薄い。


もっと散っている。


だが今は。


(集束している)


らいかの視線がわずかに動く。


結音。


窓側の席。


結羽と並んでいる。


澱の流れがある。


教室のあちこちから。


廊下から。


校庭から。


薄い霞の糸のように、結音へ向かっている。


集まっている。


吸われるように。


らいかの胸の奥で警戒が強まる。


(高強度願い源)


星乃結音。


主。


結束の核を生んだ存在。


願いの密度が高い。


その光は、境界から見れば灯火だ。


そして灯火には、虫が集まる。


澱も同じ。


らいかは結羽を見る。


結羽はノートを見ている。


「ここ、こう?」


「うん、そう」


結音が答える。


結羽は笑う。


まだ少しぎこちない。


でも自然に近づいている。


境界視で見ると、結羽の構造は変わらない。


糸は安定。

核は清浄。

結束線は太い。


だがその周囲。


薄い影が漂っている。


まだ触れてはいない。


だが近い。


らいかの内部で判断が下る。


(澱集積段階:初期)


原因は明白。


主。


願いが強すぎる。


そして。


存在核が近い。


澱は核を求める。


形を得るために。


らいかの視界の端で、澱がゆらぐ。


結音の背後。


空気の層がわずかに濁る。


普通の人には見えない。


感じもしない。


だが境界視では明確だ。


結音は何も知らない顔で話している。


「結羽、今日もいっしょに帰ろ」


「うん」


笑う。


澱がわずかに濃くなる。


感情反応。


らいかは静かに理解する。


(主の情動に同期している)


願いの強度が高いほど、澱は寄る。


そして核があるほど、定着する。


結羽は標的になりうる。


だが――


結羽はまだ知らない。


自分が狙われる構造であることを。


授業が始まる。


教師の声。


チョークの音。


ページをめくる音。


人の層は平穏。


だが境界層はゆっくり濁っていく。


らいかは目を閉じる。


一瞬だけ。


境界視を深める。


層が一段降りる。


教室の形が歪む。


人の輪郭が淡くなる。


願いの光が浮かぶ。


そして。


澱が見える。


結音の周囲に、薄い霧のように漂っている。


まだ弱い。


だが方向性がある。


中心。


結羽。


核。


らいかは目を開ける。


現実層へ戻る。


呼吸は乱れていない。


だが内部では警戒が最大に近い。


休み時間。


結音が席を立つ。


「飲み物買ってくる」


「いってらっしゃい」


結羽が言う。


結音が教室を出る。


その瞬間。


澱の流れも動く。


結音を追う。


尾を引くように。


らいかは立つ。


静かに。


誰にも気づかれないように。


廊下へ出る。


結音の背中が見える。


その周囲に、淡い濁り。


まだ人に影響はない。


だが長く続けば。


核へ向かう。


らいかは数歩距離を保って歩く。


観測者として。


干渉はしない。


だが状況は把握する。


結音が自販機の前で止まる。


コインを入れる。


ボタンを押す。


その背後で、澱がゆらぐ。


濃度がわずかに上がる。


結音が振り返る。


「あ、らいかくん」


自然に言う。


らいかは止まる。


視線を合わせる。


結音の背後に澱。


だが結音は気づかない。


「どうしたの?」


らいかは少し迷う。


観測倫理。


干渉禁止。


だが危険予測はある。


最小情報提示は許容範囲。


らいかは言う。


「……星乃」


「うん?」


「結羽は」


言葉を選ぶ。


「大切か」


結音は少し驚く。


でもすぐに笑う。


「うん」


迷いなく。


澱がわずかに濃くなる。


らいかは続ける。


「どのくらい」


結音は考えない。


「ずっといっしょにいたいくらい」


その瞬間。


澱がはっきり反応する。


密度上昇。


方向性固定。


らいかは確信する。


理由は明白。


強すぎる願い。


らいかは静かに言う。


「……主が強いほど」


結音は首をかしげる。


「え?」


らいかは結音を見る。


そして言う。


「核は狙われる」


結音は意味がわからない。


「かく?」


らいかはそれ以上言わない。


境界の語は届かない。


まだ。


結音は笑う。


「らいかくんって、むずかしいこと言うね」


らいかは答えない。


ただ澱を見る。


結音の背後で揺れる濁り。


まだ小さい。


だが確実に増えている。


結音はジュースを持って戻る。


教室へ。


澱も一緒に戻る。


席に着く。


「はい、結羽」


「ありがとう」


結羽が受け取る。


指が触れる。


笑う。


その瞬間。


澱が結羽の周囲へわずかに寄る。


核方向。


まだ触れていない。


だが軌道は定まった。


らいかは静かに理解する。


(標的確定)


結羽はまだ知らない。


自分が狙われる存在であることを。


ただ結音と笑っている。


その背後で、境界はゆっくり濁り始めていた。

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