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境目の番

放課後の光は、少しやわらかい。


校門を出ると、空気がゆるむ。

靴音も、会話も、少しだけ軽くなる。


結音は結羽と並んで歩いていた。


ランドセルが揺れる。

影がふたつ、道に伸びる。


「きょうね」


結羽が言う。


「算数、できた」


「ほんと?」


「うん。結音と同じ」


うれしそうに言う。

でもその「うれしい」は、まだ少し学び途中だ。


結音は笑う。


「すごいね」


結羽は少し考えてから笑う。

結音の笑い方に近づけるように。


帰り道はいつも同じ。


住宅街の細い道。

曲がり角。

空き地。

古いブロック塀。


その塀の上に、猫がいた。


灰色の毛。

やせた体。

右耳が少し欠けている。


野良猫。


名前はファル。


誰が呼び始めたのかは知らないけれど、

そう呼ばれていた。


このあたりで見かけることはある。


でも今日は、違った。


猫は動かない。


こちらを見ている。


金色の瞳。


夕方の光を受けているのに、

それとは別の光があるみたいに。


結音は少し足を止める。


「……猫」


結羽も止まる。


猫を見る。


その瞬間。


空気が変わる。


音が薄くなる。


遠くの車の音が、少し遠のく。


風が止まる。


境界が、わずかにずれる。


結羽の中の糸が、微細に震える。


核が反応する。


結羽はわからない。


でも、本能のようなものが告げる。


これは、違う。


ただの猫ではない。


猫はゆっくり瞬きをした。


それから、結羽を見る。


まっすぐ。


深く。


そして。


「ぬいの子よ」


声がした。


口は動かない。


でも確かに聞こえる。


耳の奥に響くような。


結音は息をのむ。


結羽は固まる。


猫は続ける。


「いずれ還期は来る」


結羽の核がわずかに揺れる。


意味はわからない。


でも重い言葉だと感じる。


「それでも共にあり続けるか」


結羽は理解できない。


思わず結音を見る。


結音は青ざめている。


理由はわからない。


でも怖いと感じているのがわかる。


結羽は答えようとする。


「ぼくは——」


言葉が止まる。


猫の瞳の奥に、深い時間がある。


長い長い存在の時間。


結羽は初めて感じる。


自分は新しい。


とても。


まだ知らないことが多い。


それでも。


結羽は言う。


「ぼくは、結音といるよ」


迷いはない。


それが結羽の存在理由だから。


猫はしばらく結羽を見る。


核。

糸。

結束線。


そして結音。


星の娘。


願いの源。


猫の瞳がわずかに細くなる。


「……そうか」


その一言に、判断が含まれる。


境界の側の判断。


干渉不要。


見届け不要。


猫は塀から降りる。


音がしない。


着地の衝撃もない。


存在層が違う。


結音は後ずさる。


結羽は動かない。


猫は二人の間を横切る。


すれ違う瞬間、結羽の糸が強く震える。


核が共鳴する。


高位存在接近反応。


猫は結音を見る。


金の瞳。


結音の胸が締めつけられる。


理由はわからない。


でも感じる。


この存在は、自分を知っている。


猫は言う。


「星の娘」


結音の呼吸が止まる。


名前ではない呼び方。


でも自分だとわかる。


猫はそれ以上何も言わない。


ただ見る。


結音の中の光。


願いの密度。


結束の強度。


未来の分岐。


すべてを測るように。


やがて猫は視線を外す。


そして歩き出す。


夕方の路地の奥へ。


数歩。


次の瞬間、いない。


音もなく。


気配もなく。


境界を滑るように消える。


風が戻る。


車の音が近づく。


世界が戻る。


結音はその場に立ち尽くす。


結羽がそっと言う。


「結音」


結音は結羽を見る。


結羽は変わらない顔。


でも、ほんのわずかに不安がある。


「還期ってなに?」


結音の胸がぎゅっと縮む。


答えられない。


知らない。


でも。


怖い。


言葉の意味がわからなくても。


その響きが怖い。


結音は首を振る。


「……わかんない」


結羽はうなずく。


「そっか」


それ以上聞かない。


でも結羽は思う。


さっきの存在は、自分のことを知っていた。


ぬいの子。


その通り。


でも。


還期。


言葉が胸に残る。


理解できないのに、重い。


二人はまた歩き出す。


でも少しだけ距離が近い。


無意識に。


影が重なる。


***


その少し後ろ。


電柱の影の中に、もう一人いた。


志那らいか。


彼は最初からそこにいた。


境界視を開いたまま。


すべてを見ていた。


灰色の猫。


人の層に属さない存在密度。


位階:高。


干渉権限:境界。


識別は瞬時だった。


(……境目の番)


らいかの背に冷たい緊張が走る。


番は滅多に現れない。


現れるのは、


還期接近存在

境界不安定領域

高強度願い源近傍


いずれか。


あるいはすべて。


らいかは結羽を見る。


核は安定している。


しかし。


時間。


願いによって生まれた存在には必ず来る。


還期。


らいかの胸の奥で、観測者の倫理が揺れる。


干渉は禁止。


だが。


星乃結音。


高強度願い源。


綿貫結羽。


核清浄存在。


そして。


番が問いを投げた。


らいかは理解する。


これは警告だ。


未来の確定事項。


避けられない層。


らいかは静かに目を閉じる。


観測者としてではなく。


ただ一人の人間として。


(……還期)


言葉が胸に沈む。


***


夕方の道を、結音と結羽は並んで歩く。


まだ知らない。


でも、もう触れている。


終わりの予兆に。

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