第四十五章 海を裂く者
カルディは、暗闇に沈んだ砂浜に立っていた。
月は雲に隠れ、海と空の境目すら判別できないほどの漆黒。
だが、視界は閉ざされていない。
コインを眷属にして以来、カルディは“彼らの目”を通して闇を見ることができる。
夜目――いや、もはやそれ以上の感覚だ。
(フェニキア領を抜けてしまえばいい)
そう判断した瞬間、進路は定まった。
「よし、行くか。陸の街灯を避けるなら……ここしかないな」
コインが不満げに舌打ちする。
「こんな時にさ、オレらの誰かがエジプトに渡ってりゃ転移できたのによ」 本気で悔しがっている声音だった。
「今は無理だ。自力で抜ける」
カルディは海へと歩み出る。
「収納」
瞬間、目の前の海水が“消えた”。
波があったはずの場所に、空洞が生まれる。
「収納排出」
次の瞬間、後方で海水が吐き出される。
それを、ひたすら繰り返す。
完全に道が割れるわけではない。
モーゼの奇跡には遠く及ばない。
それでも、海は押し退けられ、確かに“進める隙間”が生まれていく。
MPを消費する魔法であれば、こんな無茶は不可能だ。
だが、カルディの《収納》は例外だった。
消費ゼロ。制限なし。理不尽の極み。
(だからこそ、バレたら終わりだがな)
コインの一体を前方に出し、潜望鏡代わりに視界を共有する。
水深が深くなりすぎない場所、陸地に近い暗がり――
フェニキアの監視網を縫うように、慎重に進む。
その時、別のコインが文句を言い出した。
「なあ、ご主人。宝箱のママがさ」 「身体じゅう塩水まみれでベタベタなんだけど、一回外に出してくれないかって」
カルディは一瞬、無言になる。
(……この状況でそれを言うか)
だが、思考は即座に切り替わった。
「少しだけだ。砂浜に出たらな」 「今は我慢しろ」
「ケチー」
ぼやき声を背に、カルディは再び海を裂く。
闇の海に、人知れず一本の道が刻まれていった。




