第四十一章 皇女エマの後退
エマは帝国から単身でやって来た。
執務室の扉を開けると、机に向かって書類を整理していたラナが顔を上げる。
エマ
「大臣を釈放してほしいの」
ラナは一瞬も慌てず、淡々と答えた。
ラナ
「すでに釈放されております、エマ様」
エマ
「……あなたは黙っていなさい」
杖が静かに持ち上がり、ラナへと向けられる。
「私をカルディに会わせなさい」
ラナは一歩も退かず、正直に告げた。
「カルディ様とご家族は、現在バーミヤンに滞在中です」 「そこで、大臣様とその部下の裁判が行われております」
エマ
「……裁判?」
ラナ
「はい。裁判員は、クラウディア家の方々です」 「兄君と、お母様が」
エマは眉をひそめた。
「大臣は、お母様の兄――私の叔父にあたる人よ」 「どうか、釈放してあげて」
ラナは、はっきりと首を振る。
「カルディ様は、その大臣様から刺客を送られました」 「クラウディア家は破産寸前まで追い込まれています」
一拍置き、続ける。
「それでも――無罪で釈放される“可能性”はあります」
エマ
「でも、クラウディア家は皇帝の後ろ盾を得て安泰になったって聞いたわ」
ラナ
「それは誤解です」
声は静かだが、言葉は鋭かった。
「お父上は『人質は私一人で十分』と仰り、皇帝と共に帝国へ戻られました」 「家族を守るために、です」
エマは唇を噛む。
「……あなたも知ってるでしょう」 「ラグナが、私の立場を脅かしているの」
「私が召喚した勇者たちも、今はあいつと行動してる」 「側近たちは、ラグナを“皇帝ならぬ黄帝”と呼んでいるわ」
ラナは、微笑んだ。
「私もそう呼んでおりますわ」 「ブロンドの髪が、とても美しいものですから」
エマ
「……殷という国を知ってる?」 「妲己という姫が、赤ワインを大量に作ってディオニュソス教
のお祭り酒池肉林を行った国」
「ラグナは、そこへ征伐に向かったの人の時代にする為に」 「私の勇者たちを連れて」
声が、わずかに揺れる。
「……大臣叔父様の力がなければ、勇者たちを取り戻せないのよ」
ラナは少し考え、頷いた。
「でしたら、バーミヤンまでお迎えに行かれた方がよろしいかと」
エマ
「そんなに遠いの?」
ラナ
「東帝国の最東端です」 「もし入国禁止になれば……一生、帰れないかもしれません」
一瞬の沈黙。
ラナは、あえて核心を突いた。
「お姉様、本当によろしいのですか?」 「大臣一家が没落すれば、次男との婚約は破談になります」
「そうなれば……お好きな方に嫁げるかもしれません」
さらに、静かに。
「刺客を送ったのも、婚約者様の差し金では?」
エマ
「……その通りね」
だが、すぐに顔を上げる。
「でも、私に“塩を送る”ような真似をして大丈夫?」 「妻の座を狙われるとは思わないの?」
ラナは、微笑みを崩さなかった。
「カルディ様は、皇帝です」 「何人の妻を娶るかなど、誰にも分かりません」
「嫉妬でお姉様に殺されるより――」 「仲良くしていた方が、ずっと安全ですわ」
そして、はっきりと言い切る。
「ですから、助けないでください」 「大臣一家は、すでに皇帝に見捨てられました」
長い沈黙の後。
エマ
「……考えさせて」
それだけを残し、エマは踵を返した。
帝国へ向かうその背中は、 まだ皇女でありながら―― すでに「選ばれる側」ではない者の影を帯びていた。




