第三十一章 勝利と帳簿は静かに狂う
崩れ落ちた正門の向こうから、
一団が姿を現した。
敵の女王は、拘束されることもなく、
毅然と背筋を伸ばして歩いている。
その先頭に立つのは――エマだった。
背後には、数名の勇者たち。
誰も剣を向けていない。
兵士たちはざわめいた。
「……投降、か?」
「捕虜じゃないのか?」
女王の表情は穏やかだった。
抵抗の色はなく、
まるで最初から結末を知っていたかのように静かだ。
いつの間に、門の内側へ入ったのか。
城が崩壊する混乱の中、
エマはすでに“話をつけて”戻ってきていた。
エマは一歩前に出る。
手にした書状を高く掲げた。
エマ
「降伏状、受理したわ」
その声は、戦場を完全に“過去”にする強さを持っていた。
エマ
「――勝ったわ」
一拍置き、口元に疲れを隠した笑みを浮かべる。
エマ
「今日は城下町で祝勝会よ。
全軍、略奪は禁止。
秩序を守って、堂々と飲みなさい」
兵士たちから、どっと歓声が上がる。
女王はその様子を見て、
ほんのわずかに目を伏せた。
その表情が、
敗北を受け入れたものなのか、
それとも別の覚悟なのか――
まだ誰にも分からなかった。
ユリアナとカルディは、戦後とは思えぬ忙しさに追われていた。
本業――冒険者稼業へ戻りたいという兵が、想像以上に多かったからだ。
二人は即席のカウンターに並び、報奨金を手渡していく。
銀貨の触れ合う音が、絶え間なく続く。
ユリアナが小声で呟いた。
「……足りなくなりそう。どうしよ」
カルディは一瞬、手を止めてから言った。
「貸しましょうか」
ほんの間を置き、付け足す。
「――十一で」
次の瞬間、彼の首に腕が回った。
「利子なしで貸しなさい」
ぎり、と締まる力。
数秒後、ユリアナは何事もなかったかのように腕を解き、兵士名簿へ視線を落とした。
「冗談よ。……でも、借りるなら条件ははっきりさせないとね。
戦のあとで金の揉め事ほど、士気を下げるものはないわ」
「同意です」
カルディは咳払いをし、散らばった銀貨を几帳面に並べ直す。
「だからこそ、“十一”なんて言いました。冗談半分、本気半分で」
「本気半分が多すぎるのよ」
ユリアナは肩をすくめる。
だが、その口元はわずかに緩んでいた。
「今回は不足分を私の裁量で帳簿に回すわ。
離脱者が出ても、ここで恨みを残すわけにはいかないもの」
外では、報奨を受け取った兵士たちのざわめきが広がっていく。
疲労の底に沈んでいた顔に、安堵と誇りが戻っていくのが見て取れた。
宝箱ママが、また囁く。
「ほらね。甘いけど、王族のやり方だ」
カルディは小さく笑った。
「甘さがなきゃ、誰もついてきませんから」
ユリアナは一瞬だけ彼を見て、静かに頷く。
「……そうね。だから、あなたも離脱禁止よ」
「それ、契約書に書いてありますか?」
「今、口頭で決まりました」
短い沈黙。
戦後には珍しい、穏やかな空気が二人の間を流れた。
そこへ、カウンターの前にケンタが立った。
「おまえも、ここで離脱かよ」
カルディが言う。
「この国が改宗される前に、巫女さまに会わなきゃならない。使命なんだ」
「わかったわかった。さっさと行け」
ケンタは軽く手を振り、人波に消えた。
「……私たちも、どっか行く?」
ユリアナが言う。
「私たちは駄目よ」
エマが即座に首を振る。
「早速、おとうさまに降伏状を見せに行かなきゃならないんだから」
少し間を置いて、カルディを見る。
「――カルディくん、お願いできる?」
次の瞬間。
帝都城門前に転移していた。
門兵たちは一斉に身構えたが、姫だと分かると剣の柄から手を離した。
カルディは応接間で、長い時間待たされた。
理由は想像がつく。
戦地の垢を落とし、ドレスアップして、帝に謁見しているのだろう。
やがて扉が開く。
「お姉ちゃん、遅いんだもん」
そんな声とともに、ユリアナとエマ、そして衣装箱を抱えたメイドが入ってきた。
「私も同行します」
メイドが言う。
「帰りもよろしくね」
エマが軽く手を振った。
カルディは呆然とする。
「……嘘でしょ。宴会、終わっちゃったの?」
「お姉ちゃんが遅いから」
ユリアナが即答する。
「大丈夫よ」
エマが続けた。
「ユリアナと私の部屋は城に確保してあるから」
一拍置いて、にっこり笑う。
「カルディは自分で探して」
「あ、そうそう」
振り返りざまに付け足す。
「明日九時、ここに来て。凱旋帰国よ」
応接間に残されたカルディは、ゆっくりと息を吐いた。
「……扱い雑だな、功労者」
そう呟きながらも、口元はどこか楽しげだった。




