ハンガーで首を吊れたら
死のうと思った。ハンガーで首を吊って。
理由なんてのは特段無く、ただ疲れていた。物干し竿にかけたハンガーにすっぽりと首を入れて、もうこれで終わりだと思った。
駄目だった。物干し竿は撓み、ハンガーは重さに耐えきれず崩壊した。床に体を引きつけられ、物干し竿が降ってきた。鈍い痛みが腰に走った。
危うく物干し竿に頭を殴打されて死ぬ所だった。そんな間抜けな死に方はごめんだ。
家では無理だと思ったから、山へと車を走らせた。
仕事は退職代行を使って辞めてやった。金があれば、あれほど辛かった仕事もすっかり手放せた。やはり世界は金だ金。
山は人が空気が澄んでいた。なぜ空気の汚い都会に人は蔓延って、空気の綺麗な山には行かないのだろう。汚い生き物が暮らせばそこは汚くなる。ならば人間という存在は地球で最も汚いんじゃないだろうか。
そして、その汚い生物のはぐれ物がこの俺というわけだ。案外、俺は綺麗な存在なのかも知れない。もしくは奴ら以上に汚れているのか。
山を登っているとなんだか良い気持ちになってきた。
こんな良いところで死ぬのはなんだか申し訳がないような気がする。しかし、そんなこと考えてしまえば、死ねるものも死ねまい。取り敢えずやってみようとそこらのかなり太い木の枝にハンガーを吊ってみる。なんだかミスマッチな気もするが、首を吊ってみた。
やはり駄目だった。木の枝が折れてしまい、またもや体を叩きつけられた。しかもハンガーは壊れていないため、土に顔を突っ伏しハンガーに首を通している奇妙で間抜けな男が出来上がっていた。
久々の土の匂いを嗅ぐと昔田植えの手伝いをした思い出が蘇ってきた。ノスタルジーと恥ずかしさはいつもセットでやってくる。恥ずかしさを思い出さなくなった時、ようやく年を取ったことを自覚するのだ。俺は勿論、恥ずかしさで一杯だ。俺はまだピッチピチのガキに違いない。
山で駄目なら次は海だ。俺は去り際に山々に向かってヤッホーと呼びかけた。山々は元気にヤッホーと返してきた。挨拶は社会人の基本だ。元気に挨拶をするとその分だけ元気に返ってくる挨拶は、これから社会に出る人間の模範となるだろう。しかし、なぜヤッホーというのか分からない。俺は脳裏にギャルが浮かんできた。山を擬人化すると案外ギャルになるのかもしれない。人にさんざん汚される同人誌とかどうだろうか。
日をまたぎ、海へとやって来た。来てから気づいたが首を吊る所なんて一切存在しない。
白い砂浜と打ち付ける波はなかなか良いがいかんせん人が多すぎる。ちょうど、海水浴シーズンに来てしまったため、思いっきり遊ぶことにした。たまには羽根を伸ばさなくては、死ぬに死ねなくなるからな。
ナイスバディの姉ちゃん達を横目に、ぷかぷかと浮かんでいると、風来坊という言葉が頭をよぎった。風来坊というと聞こえはいいが要はニートである。ニートと呼称されるのが嫌なら風来坊と名乗るのが良いと思う。日本軍も撤退するときに転進と呼称したのだから、80年の歴史を持つお国芸だ。俺も実のところは会社を辞めたのではなく、転進したのだ。まあ、転進する先なんてのはないんだが。
しかしどうにも海では死にたくなくなる。こんな深い所で死ぬのなんてまっぴらのように思う。海で死んできた人間がどれだけいるのか分からないが、何だか使い古された手法のようだし、何度煎じられたのかも想像がつかない。俺がこんな所に身を投げたとしても、壇ノ浦の戦いでの入水の劣化でしかないようだし、そんじょそこらの死に方をするほど俺は安くないのだ。
浮かんでいると、自分の腹が気になってくる。普段は寝るとき以外に横になったことが少なかったからあまり気にならなかったが、随分と太ったもんだと思う。腹が沈む。浮かぶ。まるで満潮と干潮に弄ばれる、小さな島だ。
俺は痩せようと決心した。ハンガーで首を吊るにはそれしかない。
ジムに通ってから数年経った。ジムに通うために新しい就職先を見つけ、だらしない体を是正するために食事制限をしている。丸々と太った腹は、板チョコなみにバッキバキ。脂肪の蓄え先だった下半身は、もはやドンタオ鶏にも引けを取るまい。
遂に念願の首つりだ。この日のためにどれだけの時間を費やしてきたのか。感無量の涙を流し、物干し台に吊ったハンガーに首をかける。
否かけようとした。俺は一瞬理解に苦しんだ。一体何が起こったというのか。そう、鍛えすぎた弊害で、ハンガーに首が通らないのだ。
なんたる失態か。俺は怒りに任せてハンガーを引きちぎり、途方に暮れた。努力は人を裏切らないと言うが、やり過ぎた努力は普通に人を裏切る。何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し。2500年前の人間に置き論破されてしまった。
どうやら俺は、死ぬのが下手らしい。何一つ上手くいかなかった人生だが、それだけは最後まで裏切らなかった。




