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男装して正体隠してたら、婚約者に溺愛されて面倒なことになりました~正体がバレた瞬間から、恋も胃痛も止まりません!~

甘い恋愛はギャグとともに──

あまり内容とかは気にしないで、雰囲気で楽しんでください。

足りないところは脳内補完──

 王宮の応接間。金糸の織り込まれたカーテン越しに、午後の陽光が淡く差し込んでいた。


「辺境伯令嬢としての責任は果たしていただくが、あなたを愛することは決してない」


 そう静かに言い放ったのは、王太子アルト・ルクレイシア。


 琥珀の瞳には情も優しさもなく、王族としての威厳と線引きだけがあった。


 対するリシェル・ユグドレスは、膝をつき、静かに頭を下げる。


「……承知いたしました」


 姿勢を崩さぬまま退室した彼女は、廊下に出た瞬間──小さく、口角を上げる。


(どうぞご自由に。だって、あなた──すでに私に惚れてるもの)


 馬車に乗り込み、向かうのは王都北部の丘陵地帯。


 そこにあるのが、王直属の騎士団《蒼の誓い》。


 ──その夜。


 石造りの訓練場に、銀の髪が月光を照り返す。


 黒の騎士服に身を包み、剣を振るうその青年の名は──リシュ。


「リシュ副長、おかえりなさいませ!」


「訓練日誌は? 新しい配備案も出していたはずだが」


「すでに整っております!」


 誰もが尊敬し、誰もが信頼する副長──しかし、その正体は、あの“冷遇されていた”王太子の婚約者リシェル。


 剣の腕も、統率力も申し分なく。だがそれ以上に、彼女は“王太子の隣”にいる理由を持っていた。


「リシュ。戻っていたか」


 夜の執務棟、黒の制服に金の飾緒をかけた団長──王太子アルトが現れる。


 彼はリシュを見ると、微かに目元を緩めた。


「お前がいないと、やはり騎士団は締まらない」


「それは光栄ですが……訓練記録の集計が、三日遅れていましたよ」


「……耳が痛い」


 リシュ──リシェルは、彼の視線を避けるように書類を差し出す。


(団長が自分の婚約者にどんな態度だったか、まるで覚えてないんでしょうね)


「それと……明日の王都視察、同行を頼めるか」


「それは民の声を聞くというやつですか?」


「そうだ。だが、これは命令ではなく──」


「“誘い”ですか?」


 アルトは珍しく言葉を詰まらせた。


「……ああ」


 リシュはため息をつく。


「仮にも騎士に色目を使うとは、さすが王族ですね」


「ち、違う。そういう意味じゃない。俺はただ──」


「了解しました。副長として、任に当たります」


 感情を乗せずに言い切るその態度に、アルトは少し口を開けたまま、言葉を飲み込んだ。

 ──だがそれでも、君が隣にいると、俺は妙に安心できるんだ。


 翌朝、視察の道すがら。


 市民の声を交わしつつ、アルトは歩調を合わせて言った。


「なあ、リシュ。お前、婚約者とか……どう思う?」


「なぜ私?」


「いや……なんというか。俺の婚約者、あまり気に入らなくてな...。嫌な態度されるし」


「それは団長が嫌われているからじゃ?」


「……そんなにズバッと言わんでも」


 リシュは小さく笑った。


 だがその笑みの裏で、心中では盛大にため息をついていた。


(ほんと、バカ王子……その婚約者、目の前にいますよ)





 《蒼の誓い》の朝は早い。太陽が城砦の塔を照らす頃には、訓練場から剣戟の音が響いていた。


「リシュ! 朝練の調整、変更だ。新人組と上級組を分けてくれ」


「了解。フィールドを分ける指示は私が出す」


 剣を背負い、端正な顔に仮面のような冷静さを張り付けた“リシュ”。


 その正体が“王太子の婚約者”であるなど、誰一人として想像していなかった。


 ──当の王子、アルトも例外ではない。


「……リシュ、疲れてるか? 最近の任務、やはり重いか?」


「いえ、団長のこそ休息したら?最近、視線が鋭くなっている気がすし...」


「それは……お前を見すぎてるからかもな」


「は?」


 思わず素で返すリシュ(=リシェル)。


 アルトは目を逸らしながら言い添えた。


「いや、その……お前といると、妙に気が楽になるんだ」


「……騎士として、身に余る光栄ですとも」


 リシュは一礼し、背を向けて立ち去った。


 その背中越し、彼女は噛みしめるように心で呟く。


(──やめて、これ以上惚れないで。本気で困るの、私なんだから。てか男だよ!設定は)




 その日の午後、執務室にて。


 リシュは提出された報告書に黙々と目を通していた。


「リシュ。午後の予定は調整済みだ。今日は……あの辺境の砦に同行してもらえないか?」


「了解。何か不穏な動きでも?」


「いや、ただの点検だ。……お前と過ごせる時間が減るのが惜しくてな」


 まったく悪びれる様子もない。


「……団長。いっそ、他の団員にも同じようにおっしゃったら?」


「他の誰でもない、“お前”がいいんだ」


 リシュの手が止まる。


(ああもう、やっぱり惚れてるじゃないバカ王子……!)


 だがそれでも、仮面は剥がさない。


「……副長として、任務に忠実でありたいだけです」


「それでも、俺はお前に惹かれている」


 昼の顔──冷たい王子は、いまや完全にリシュに傾いている。


 だがそれが“婚約者リシェル”には一切向けられていないのが、


(……この物語最大の悲劇であり、最大のコメディ)


 リシェルは、苦笑いを仮面の奥に封じ込めた。




 夕暮れ、騎士団の訓練場では最後の組が稽古を終えようとしていた。


 リシュは見回りの途中、近衛候補の新人たちに模擬戦を指導していたが、ひとりの新兵の足運びに目を留める。


「……もっと体の軸を意識しろ。腕だけで振るな」


 そう言って剣を抜き、自ら立ち位置に立った──そのときだった。


 不意に足場が崩れ、新兵が誤って全力でリシュの胸元へと突っ込んでしまう。


 ガンッ!


 衝撃音と共に、防具の留め具が緩み、リシュの胸当てがずれ落ち──


「……っ、あ……」


 汗に濡れたシャツが胸元まで捲れ、しなやかな輪郭が露わになった。



「リシュ、お前……女、なのか……?」


 訓練場の一角で、呆然と立ち尽くすアルトの声が響いた。


 沈黙。誰もがその意味を理解するまでに、数秒の時がかかった。


「この件は──別室で説明させていただきます」


 リシュは乱れた服を整え、低い声で告げた。


 誰にも言い訳の隙を与えず、冷静さを装って。


 ──そして、王太子執務室。



「……ずっと、男だと思っていた」


「その認識があるからこそ、私は安心して副長を務めてこれたのでしょう」


「俺は、お前に……リシュに惹かれていた。性別なんて、関係なかった」


「……困ります」


 リシュ──いや、リシェルは静かに立ち上がった。


「私はあなたの“副長”であり、そして……本当は“婚約者”です」


「……なっ……」


 アルトの目が見開かれる。


「“あの冴えない婚約者”として、あなたに冷遇されてきました。でも、私は副長としてあなたを支えてきた」


「リシェル……まさか、そんな……」


「そうです。まさに“そんな”です。──ようこそ、真実の地獄へ」


 リシェルは苦笑混じりにそう告げて、背を向けた。


 アルトは椅子の背もたれにもたれ、天井を仰ぐ。


「……本気で、惚れてたのか、俺は……婚約者に」


 そう呟いたその声は、どこか少しだけ、嬉しそうだった。


 翌朝、騎士団の朝礼が始まる直前。


 アルトは執務室で、既に制服の上着すら着ずに落ち着かない様子だった。


「……今日は、リシュと話すんだ」


 執事が「はあ」と苦笑しながら近づいてくる。


「殿下、ネクタイの結びが左右逆でございます」


「えっ」


「それと、シャツのボタンが一段ズレております」


「……マジか」


 ──溺れてるな。完全に。


 一方そのころ、リシェル──もといリシュは、宿舎で一人、着替えを終えたところだった。


(バレた。正体、ばれた。最悪のタイミングで、最悪の形で)


 仮面の内側に、どっと疲れが押し寄せる。


(けど、意外と冷静だったわねアルト……いや、今さら慌ててもどうしようもないけど)


 そして、朝礼開始──


「リシュ、隣、いいか?」


 聞いたこともない優しい声。


「……構いませんが」


 隣に立つ王子は、なぜか斜め後ろから角度をつけて見つめてきた。


「なぜ距離を取る?」


「近すぎると香りが移るかと思って……」


「え、香り?」


 ──アルト、何言ってんだ。


「昨日の件、驚いたけど……今なら言える。俺は、お前がリシュでも、リシェルでも、関係ない」


「……なら、“お前を愛することはない”と仰ったのは、どちらへ向けた言葉だったのでしょうか?」


 アルト、ぐうの音も出ない。


「それは……過去の俺が、愚かだったとしか……」


「今も充分、愚かだと思いますけど」


「……うむ、返す言葉もないな」


 団員たちがざわつく中、王子は真顔で言い放った。


「今日からはちゃんと“リシュ”と呼ばせてもらう」


「……好きにどうぞ」


 しかしその言い方が柔らかすぎて、団員が皆、ざわつく。


「え、あれ……団長の声、めちゃくちゃ甘くない?」「なんで“リシュ”って名前呼び!?」


「もしかして……まさか……」


 騎士団の中で、密かに始まる“リシュ=王子のお気に入り説”。


 だがその主役は、未だ全容を知らぬまま──仮面をかぶり、苦笑していた。




 訓練後、食堂にて。


 団員たちは日替わりの粗食に群がっていたが──その一角だけ、空気が違っていた。


「リシュ、今日は疲れただろ。これ、俺の分のデザートだけど、食べてくれ」


「え……いや、遠慮します」


「遠慮するな、俺は甘いの苦手なんだ」


「それ昨日は“癒しだ”って言って食べてましたよね?」


「……リシュが食べるなら、俺も癒される」


「???」


 周囲の団員、硬直。


(あれ……これって、完全にアレじゃないか?)


 ──王子の“副長溺愛”は、いまや誰の目にも明らかだった。


 さらに午後の訓練後──


「リシュ、今日は俺の執務室で報告を聞かせてくれ」


「書類提出で事足りる内容ですが……」


「いや、口頭で詳細を」


「同じ内容を一昨日にもご説明しましたが……」


「もう一度、聞きたい」


「……」


(これはもう“個人的に会いたい”ってことじゃないですか)


 リシェルは額に手を当てて天を仰ぐ。


(婚約者の私には素通りで、副長の私にだけ異常接近……王子、それ、矛盾の塊よ)


 そしてついに夜──


「リシュ。今日もありがとう。……眠れているか?」


「は?」


「いや、最近忙しかったから。お前が無理してないか、気になって」


「……団長。お言葉が優しすぎて、逆に不安です」


「そうか? 俺としては、正直な気持ちを伝えてるだけだが」


「──では一つだけ聞かせてください」


「なんでも」


「リシェル嬢については、どうお考えで?」


 その名を出された瞬間、アルトは微かに表情を固めた。


「……今思えば、何も見えていなかった。何を考えていたのか、なぜあんなに冷たくしてしまったのか……俺は後悔している」


「……そう、ですか」


(え、なんか都合の悪い過去消してない!?)


 胸の中で抗議しつつ、リシュ──リシェルは、今日もまた仮面を外せずにいた。


 翌朝、王宮より特使が訪れ、アルトは一時的に騎士団を離れることとなった。


「……すまない、リシュ。今日の夕刻までは戻れない」


「問題ありません。指揮系統は私が維持します」


「……うん、ありがとう。お前なら、何よりも信頼できる」


 言いながら、彼は名残惜しそうにその場を離れていった。


 ──そして、騎士団の執務室。


 リシュは机に積まれた報告書を淡々と処理しながら、ふとため息を漏らした。


(あの人、本当に分かってるのかしら……私が誰で、何を守ってきたのか)


 男装の仮面を被り続けるのは、簡単なことじゃない。


 それでも続けてきたのは、騎士として、そして“彼の隣にいられる唯一の場所”だったから──


「……はぁ」


 隣のナナ女官がそっと茶を置く。


「お疲れのようですね、リシェル様」


「ナナ、騎士団内ではリシュでお願いします」


「かしこまりました。……でも」


「でも?」


「もう、あのお方は“リシュ”を“ただの副長”とは見ていないように思えます」


「…………」


 言葉を返せなかった。


(それが、困るのよ)


 その日の夜。


 遅れて戻ってきたアルトは、騎士団詰所にリシュの姿を見つけるなり、真っ直ぐに歩み寄った。


「今日、何度もお前のことを考えていた。……不在の時間が、こんなに長く感じたのは初めてだ」


「……お疲れなのでは?」


「違う。お前が、俺の心を占めていたんだ」


 リシュは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに視線を伏せる。


「……それ以上は、口にしないでください」


「なぜだ。俺は、お前を──」


「それが、婚約者に向けるべき言葉なら、まだ救われたかもしれません」


 その一言に、アルトの足が止まる。


「俺は……」


「お休みなさいませ、団長」


 リシュはそう言って、背を向けた。


(あなたの言葉を信じてしまったら、婚約者の私が報われなくなる)


 夜風が、二人の背中を静かに冷やしていた。





 深夜の騎士団宿舎。


 静まり返った廊下を、王子のくせに全力疾走で駆け抜ける男がいた。


「リシュぅぅぅ!!!」


 ──誰だ、こんな夜中に騎士団でラブコールかけてんのは。


 ガバッと布団を跳ね除けたリシェルは、急ぎ仮面を装着。


(嫌な予感がする。これ絶対アレだ。恋患いのバカが来たパターン)


 ドンドンドンッ!


「リシュ! 開けてくれ、俺だ!!」


 ──知ってる。声で丸わかりだよ王太子。


「ただいま仮眠中です。重要な業務以外は後日に──」


「お前が、恋しい……」


 仮眠キャンセル。


「……どうぞ」


 扉を開けたその先で、もはや泣きそうな顔の王子が立っていた。


「リシュ……俺……気づいたんだ……お前が、俺の婚約者だったって……」


「今さら!? もうバレてから何日経ってます!?」


「でも、気づいた瞬間……頭からこう、スウーっと消えて、でも今──ちゃんと整理したんだ!そしてらすべてが輝いて見えてきて──」


「重症ですね」


「俺はお前に謝りたい! 土下座もする! 足でも舐め──」


「いいですいいです! 国の威厳、保ってください!」


 リシェルは頭を抱えるが、王子はどこ吹く風で胸に手を当てた。


「俺は、リシュも、リシェルも、どちらも……全身全霊で好きだ!!」


「わかりました、落ち着いてくださいバカ太子!!」


 最終的に、仮面をぶん投げ、王子の頭に命中。


「うわっ」


「それ、私の“人生の重み”です。ちゃんと受け止めてください」


 王子、平伏。


「ああ、受け止める。人生も正座して出直すさ」


 夜の騎士団に、ふたりの声とドタバタが響く。


 恋は、どうやら仮面よりもうるさくて、まっすぐらしい。


 翌朝、騎士団本部に衝撃が走った。


「団長が副長に夜中ラブ告白をした……らしい」


「副長はものを投げて応戦した……らしい」


「王子なのに深夜の廊下で“恋しい”とか叫んだ……らしい」


 “らしい”が積み重なって、もはや事実と認識されつつある情報が飛び交っていた。


 そして当のリシェル(=リシュ)は、というと──


「胃が……胃が死ぬ……」


 執務室の机に突っ伏していた。


「ナナ、胃薬を……今すぐ……」


「はい、昨夜の時点で準備しておきました」


「優秀すぎる……私が王子なら貴女と結婚してた……」


「お断りします」


 そのころ。


「団長殿、薔薇を三束、副長殿宛にお包みしますか?」


「いや、五束だ。昨夜は感情が溢れすぎた……反省と愛情を足して五束」


「副長の胃が五つあっても足りませんな」


 そして、花束を受け取ったリシュは、笑顔で言った。


「燃やしておいて」


「副長、無慈悲……」


 昼の訓練では──


「リシュ、あの件、本気で──」


「団長、訓練中に個人的な話をすると、全団員に“団長のポエム集”を配布します」


「……解った」


 ──黙らせる魔法のワード、それが“ポエム”。


 その夜。


「リシュ……今夜、時間あるか?」


「いえ。私の胃に休暇を与えます」


「俺の存在がストレスってことか……」


「はい」


「即答か!?」


 そんなこんなで、恋は続く。


 ……胃薬と共に。




「副長、今朝の“お届け物”です」


 リシュの机に届いたのは、豪華な箱入りの焼き菓子。


「これ……王宮御用達の……」


「おそらく団長殿からです。宛名に“リシュへ。朝が苦手なお前に甘い目覚めを”と」


「ナナ、燃やして」


「了解」


 ──恋の火種も、胃の炎も、日々燃え盛る。


 昼。訓練場。


「リシュ、肩に陽が当たってるな。少しこっちへ──」


「団長、私、植物ではありません」


「でもお前、陽に当たると輝いて──」


「団長の詩的発言、三回でアウトです」


「えっ、そういう制度があるのか!?」


 さらに執務中。


「リシュ、この文書だけど──」


「団長、距離。もう少し椅子を離して」


「いや、その……寄りかかってきたら嬉しいなって……」


「もう一回言ったら、仮面で額叩きます」


「……すまん」


 ──王子、しおれる。


 そんな日々の繰り返しのなか、ナナがぽつりと呟いた。


「リシェル様、婚約者としてのポジション、完全に副長に喰われてませんか?」


「ナナ、それ私です」


「ですよね」


 もはや自分の二重生活の存在意義がわからなくなる。


(副長として愛されて、婚約者として忘れられて、どっちの私が“私”なの?どっちも私なんだけど)


 その夜、王子の声が窓の外から届いた。


「リシュー! お前がいないと、俺の心が干からびるー!」


 ──干からびる前に、脳の保湿をお願いします。


 リシェルは、今夜も枕に顔をうずめて絶叫した。


「もぉぉぉおおお! なんでこんなにバカなののこの婚約者!!!」


 恋は苦しい。


 でもたぶん、それは本当に、甘くて苦いだけの副作用。




 ある日、社交界に爆弾が落ちた。


「王太子殿下、婚約者に冷たく、副長に夢中という噂が──」


「おまけに、婚約者は辺境伯の令嬢だとか……」


「副長が“あの令嬢と似ている”という声もあるらしいわよ」


 ──バレたら終わる、マジで終わる。


 その情報がリシュの元に届いたのは、ちょうど午前の訓練後だった。


「ナナ……ついに噂が婚約者の顔面まで到達したらしい」


「遅かったくらいです」


「いや、そこは慰めて?」


 そしてその日の午後。


「リシュ、今日は街へ出るぞ」


「公務でしょうか?」


「違う。お前と手を繋いで歩く練習だ」


「それ、公務より重いから!!」


 案の定、騎士団の全員が失神しかけた。


「団長、それは副長への求愛行動では──」


「リシュは俺の心の太陽」


「また詩的発言!!」


 リシュ、胃痛再発。


 その夜、作戦会議が開かれた。


「私が副長として生き残るか、婚約者として成仏するか、二択です」


「新しい選択肢:全部バラして爆発オチ」


「ナナ、それ冗談じゃなく一番現実的なのよ」


 ──そして迎えた、王太子主催の舞踏会。


 リシェルとして出席した彼女は、王子の腕を取った瞬間、周囲がざわめくのを感じた。


「……殿下。どうしても訊きます。副長と婚約者、どちらが……」


「同一人物だ。俺が惚れたのは、リシュであり、リシェルだ」


 その宣言に、社交界中が凍った。


「──な、なんと美味しいところを全部持って行く展開……っ!!」


 そして翌朝、新聞には大きくこう書かれていた。


 《王太子、男装令嬢と二重生活婚約中!?》


 胃痛と愛は、いつもセットらしい。



「リシュ、副長なのにドレス似合いすぎ問題」


「おい副長、式場での剣舞はありですか!? ありですよね!?」


「リシュ様、婚約者ドレスで出陣されるお覚悟は──」


「待って、みんな落ち着いて!? これは普通の結婚式じゃなくて!? 正体バレ済みなんですけど!?」


 ──式当日。


 副長として慣れ親しんだ騎士団の皆が、なぜか一丸となって盛り上げムードに突入していた。


 ナナ「祝福の嵐です、リシェル様」


 リシェル「胃痛の嵐なの!!」


 一方のアルトは──


「これが最後の独身朝食か……寂しい」


「殿下、すでにリシュ様とは同居同然です」


「そ、それとこれは別だ!!!」


 王宮の婚約式は格式重視。


 が、その格式を完全に破壊する副長ドレス入場により、空気は即座にエンタメ化。


「リシュ様ご入場──って副長が剣を抜いて!? フォーマルに!?」


「大丈夫です。これは“愛の証し”だそうです」


 ──結果。


 《王子、武闘派婚約者に正式降伏》《副長婚約者、剣を携えて入場》


 翌日の新聞見出しは、お祭り騒ぎだった。


 夜、式後の控室で。


「なあリシュ……いや、リシェル。幸せか?」


「胃薬のストックが切れそうです」


「それはつまり、幸せってことだな」


「どんな翻訳回路ですか」


 ──でもそのあと。


 彼がそっと指を絡めて囁いた。


「これからは、仮面なんてもういらない。俺は全部知ってて、全部愛してるから」


 その一言に、リシェルはようやく、心から笑えた。


「……じゃあ、ちゃんと覚悟してください。これから一生、胃薬代は貴方持ちよ」


「喜んで払ってやる!」


 剣より強い言葉と笑顔で、彼女はようやく真の“婚約者”になった。



 婚約式から数日後。


 騎士団の訓練場は、今日も変わらず剣戟の音に満ちていた。


 だが、そこに“副長”の仮面をつけた姿はない。


「リシェル様、今日の訓練内容はこちらで──」


「ありがとう。皆にもよろしく伝えて」


 銀髪を結い上げた“令嬢”としての姿で、リシェルは騎士団本部に姿を現す。


 周囲は最初こそ戸惑ったが、すぐに受け入れた。


 なにせ彼女は副長であり、騎士団の心臓であり、そして──王太子の婚約者なのだから。


 そしてその日。


「リシェル、見てくれ。今日の俺の訓練日誌、ついにミスゼロだ!」


「へえ、素晴らしいじゃない」


「褒めて。ご褒美ちょうだい」


「……ナナ、頭冷やす水を」


「全力で用意します」


 ──バカ王子の恋心は相変わらず空回り寸前。


 でも、


「アルト、私も、本当の顔で貴方と話せてよかった」


 そう言って笑う彼女を見たとき、彼は全てを肯定した。


「お前が“副長”でも“婚約者”でも関係ない。俺が好きなのは、“お前”そのものだ」


 ようやく、仮面も遠慮も誤解もすべて脱ぎ捨てて、ふたりはまっすぐ向き合った。


 恋は、すれ違って、もつれて、仮面を被って、ようやく辿り着いた真実。


「これからも、胃痛を分け合いながら生きていきましょう」


「任せてくれ、胃薬も愛も一生分ある」


 副長だった少女と、恋に不器用な王子の物語は、ここに完結した。


 ──次なる戦場は、新婚生活。胃痛覚悟で、いざ出陣!

最後まで読んでいただきありがとうございます


すこしでもクスっと笑えてもらえたら幸いです


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― 新着の感想 ―
 ギャグ調でしたが面白かったです。
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