私的な日記
構成も何も無いです
話をする時に強い言い方をするのは、兄がいたからだ。兄は、嫉妬であれ、私を軽んじていたように思える。挑発的な口調を止められないのは、喧嘩がやめられないのは、なぜか?喧嘩でいいことがあるからか?言いたいことが言えるからか?つまり、喧嘩でないと言えないことがあるのではないか?それを弟化と名づける。いわゆる、兄として面倒を見ているという行為をアイデンティティとしてると考えることだ。私が、人の面倒を見ることで自分が充足する様に、兄は弟の面倒を見ることで気分を良くしていたのだろう。では、弟と私は何が明確に違うのだろうか。答えは私が弟でもある、ということに尽きる。言葉のみでは納得ができない。ならば、その感情が嫉妬であれ、愛であれ、兄にとっての生命の危機に関わるとするならば、その答えを保留することにする。自分が、相手を兄として過大に見ていなかったとは断言できないためだ。主観的に考えるならば、私は見下されてきた。もちろん、そう考える時点で大分言葉は強く、同時に見上げていることも意識せねばならない。こうなると、兄や私の感情の根っこは、明確だ。自分と同じか、それ以上の人を認められないという劣等感である。家族であるために、鎬を削るライバルと言ってもいい。認められないが故に、対立する。周囲から似た評価をされているか、周囲への愛想の振る舞いが同じか。だが、強い緊張感を抱いていたのは間違いない。自分にとって特別なことはなんだったのか。自分だけの気づきは何か。そのようなものに執着していたのかもしれない。