休日は書き入れ時
『移植待ちの娘は最後まで苦痛に顔を歪めていた。娘が待っていた臓器を横取りされたのだっ!この私からっ!これが許されていいのかっ!?違うだろうっ!?』
請負人は依頼者の荒ぶる語気に動じることなく、淡々と契約書を作成していくのであった。
課外活動は宿泊も含まれており、下山後にはコテージへと男女分かれての宿泊となった。
そして家へと帰ると、休日を課外活動で潰した分の振替休日が待っていた。
「目標地点へと到達。指示を待つ」
予定されている休みの日。
そういった日は、遠く離れた場所での依頼を消化する日々でもあった。
今日もそんな多々ある日の内の、一日となる。
現在翔が居る場所は有名な橋の上。
といっても、歴史的な場所でも観光名所でもなく、人通りが多いことで有名な、日本の第二都市と呼ばれる街の繁華街から程近い場所にある、ごく普通の橋の上。
その橋には常時人だかりが出来ており、誰も彼もが一個人を気に留めることはない。
例え、明らかな未成年である翔が、23時前にその場にいたとして。
そんないつも通りの翔の元へと近づいてくる人物が。
その人物は指示書に書かれていた特徴と合致していた。
「おっと、済まない」
そう言いつつ、翔へとぶつかる男。
翔であれば自然と避けられたはずだが、敢えてそれを受け入れていた。
男の言葉に軽い会釈で答える。
周りからはいつもの光景に映ったことだろう。
人混みを歩くことに特化している都会人。
その都会人でさえ、他人とぶつかることが間々あるのがこの橋。
『大きな人。その人が見ている先に、宝物があると良いね』
手紙だ。
男はぶつかった拍子に、翔の胸ポケットへとその手紙を潜らせていた。
またしても暗号。しかも幼稚な。
暗号は複雑な物からシンプルな物まで多岐に渡る。
いつどこでどれが使用されても、組織の人間であればそれを解読するのは働く上での最低条件。
それでも、人の生き死にが掛かった場面で普通の精神ではこれを選ばないだろう。
普通の人であればその様な感想を抱くものの、翔に至っては何も感じない。
強いて言えば『組織の考え』というくらい。
それさえも頭の片隅なのだろうが。
橋の上の翔が見上げる先には、大きな人が描かれている物が。
その絵の目からは特殊な光線が出されていた。
それは誰にも見ることが出来ない代物。
しかし、特殊なコンタクトレンズを着用している翔の眼には、しっかりと映っていた。
その光が指し示しているモノ。
光は移動している。つまり、対象も。
翔はゆっくりと歩き出し、ソレをつけて行く。
やがて監視カメラの死角となる場所まで辿り着くと、ソレに近寄り、臀部へ向けて指を刺した。
如何に翔と言えど、物理的に指を突き刺すようなことは出来ない。
いや、本気であれば出来なくもないのかも知れないが、ここでは触れるかどうかという程度。
実際に刺したのは指先から出した暗器の一つ。毒針である。
それには遅効性の毒が塗ってあり、その遅効は翔が姿をくらますだけの時間的余裕を十二分に確保させた。
「いっ!?ん?」
チクッ
蚊に刺されるよりハッキリと、しかし注射よりも格段に劣る痛み。
「気の…せいか?」
ターゲットは気付かない。
何よりも、大衆の面前でズボンを下ろして確認するような選択は、常識があれば取れようもない。
翔の様な特殊な訓練を受けたエージェントであれば、即座に危険を察知して毒を絞り出しているのだろうが、このターゲットはその様な人種ではなかった。
あくまでも狩られる側。掃除される悪でしかないのだ。
このターゲットの男は、臓器密売の闇ブローカーの元締め。
依頼者はその行為により自身の娘の移植が間に合わなくなり、怒りを募らせた内の一人。
偶々依頼者の地位が高く、臓器密売を頼めるだけの財力は有れど、闇ブローカーを頼れば地位が脅かされてしまうから出来なかっただけの、そんなつまらない人物。
地位が高いから、闇ブローカーを頼れなかった。
地位が高く財力もあるから、組織へ復讐を依頼することが出来た。
ただそれだけ。
翔がこの依頼の内情を知った時、どう思ったのかは別として、ただそれだけのことだった。
組織の存在理念は『必要悪』。
『ゴミ掃除』だから、その依頼を受けたに過ぎないのであった。
別の休日。
翔の姿は田舎の山間部で見つけられた。
ここは翔が住んでいる街から公共交通機関で五時間の距離。
いつもと変わらない何処にでもいる少年の姿ではあるが、依頼内容は少し変わっていた。
その日の標的は人ではなかったのだ。
『翔へ。今度の休日は、景観の良い田舎町へ旅をしよう。
人との触れ合いも良いけれど、偶には自然と向き合うことも大切だよ』
この様な手紙が数日前に届いていた。
離れて暮らす親子が交わす手紙。しかし、翔に親はいない。
普通の人であれば、生みの親…もしくは、育ての親がいるものである。
そうでなければ人は育たない。
そういう意味であれば、翔にもその様な人が居たのかもしれない。
いや、それでも・・・
「反対っ!伊井哭き村から出ていけ!」
田舎町。
そこからさらに山間部へ向かうと、小さな集落がある。
普段静かな集落であったが、最近では嫌な方向で賑やかになっていた。
「ダム建設、反対っ!ワシらの村を壊すな!」
プラカードを掲げ、数十人の村人が抗議活動に精を出していた。
抗議の内容は、この伊井哭き村へ建設予定されているダムに対して。
元々は住民も反対はしていなかった。
寂れて、近いうちに消えてなくなる村。
村人達は皆、自分達が死ねばその時が村の終わりだと想像していた。
ダムの建設により村の近くに人が増えることは、近いうちに消えてなくなる伊井哭き村にとっての供養にもなる喜ばしいこと。
そう思い、賛成することはなくとも、工事で出る騒音くらいは目を瞑ろうと、大手を振ってまでの反対意見は出ていなかった。
しかし、事態は急転した。
ダム建設の効率。
そこを正確に計算すると、この伊井哭き村が邪魔になるのだ。
村に道を通し、一部の土地をダムの中へと沈める。
行政は、村人の説得へと奔走した。
しかし、村人は誰一人として首を縦には振らなかったのである。
『自然に消滅したのなら、ここを開墾したご先祖様にも顔向けはできる。しかし、他人の都合によって無くなるということは、どうにも我慢ならん』
勿論、愛着もあるだろう。
今は出て行ってしまった子や孫達。
彼等彼女達が気軽に帰って来られる実家でもあるのだ。
時代の流れで受け継がせることが難しくとも、そこを守ることが、残された村人達にとっての宿命なのだ。
『そうは言いますが…ここは不便な土地です。ご主人がご病気されて、困るのはご子息達なのでは?』
行政はあの手この手を使う。
非道な行いと思うなかれ、彼等も上から指示されているだけの人間。
長い物に巻かれているのが大多数の人間なのだ。
そして、行政も少なからずの民意を反映しているわけで。
端的に言えば、少数派に権利はないということ。
多くの人々の暮らしが良くなるから、良い立地にダムを建設する。
ただこれだけであれば、立ち退きを余儀なくされる住民は、意思に反したとしても多額の補償金を受け取り、それで全て終わりの話。
被害者はいたとて、特定出来る加害者はいないのだ。
だが。
ここに悪が一枚絡んでいた。
ダム建設にあたり、簡単な条件を幾つか紹介しよう。
基礎知識として、ダムには大きく二通りの使い道がある。
一つは、乾季における水不足対策。
もう一つは、放水による水力発電。
他の使い道として、河川の氾濫を防ぐ為の水量調整を担っているダムもあるが、ここでは関係ないので割愛する。
閑話休題。
ダムは大量の水を貯蓄する建造物である。
そして、それらは定期的に放水される。
つまり氾濫予防の観点から、大きな河川から程遠くない位置が望ましいとされる。
ダムは水をずっと貯められるものではなく、限界が来ると周りの状況関係なく放水を始めるのがダムなので、やはり下流に住んでいる人達に不安は残る。
当然ながら、水は高所から低所へと流れる性質を持つ。
ダムに溜まった水を安全に流す為には、海から程遠く、高い場所となるのだ。
そうした条件に合ったのが、五つの場所。
そして、選ばれたのが伊井哭き村。
誰が、どうして、選んだのか?
ここにおいて、誰が?は調べればわかること。
どうして選んだか。これが、組織が依頼を受けた理由だった。
選んだ理由は、政治家と地元企業の癒着。
政治家には幾許かの金銭と選挙時の票。
地元企業には莫大な利益が見込まれる公共事業への参加。
ここに明確な悪がいた。
しかし、この者たちを消したところで、現実は変わらない。
故に依頼者は、殺人ではなく未来を見据えた依頼をお願いしたのだ。
『工事を中止に追い込んで欲しい』
工事が止まり再開の目処が立たなくなれば、全ては振り出しへと戻り、伊井哭き村は次回の候補地から除外されるだろう。
翔が目指すところは工事の中断。
これまでは人を掃除することが多かった。だけれど、今回も変わらないと言わんばかりに、翔に変化は見られない。
ただ、掃除する対象が大きくなっただけ。
そんな事すら考えていないのかもしれないけれど。
「崩れるぞ!」
今日もダム建設予定地は騒がしかった。
「またか……やはり、調査が甘かったのだろう、な」
現場監督はいつ労災案件へ発展したとしても不思議ではない現場に、嫌気がさしてきた。
現場監督だけではない。
工事は未だ本格的に始まってもいない状況。
そんな下請けの数が少ないにも関わらず、既に数社がこの工事から手を引いていた。
それもそうだろう。誰しも自分の身は可愛いのだ。
毎日…いや、多い時では日に三回も、土砂が崩れてくるのだ。
ダムが造られる多くの場所は山に囲まれたところ。
今回のダム建設場所も例に漏れず山に囲まれており、まずはその山の斜面に対して、所謂法面工事が行われていた。
崩れることを防止する為の工事。
その工事で毎日斜面が崩れる。
それもかなりの高所から崩れてくるもので、工事は進むどころか後退の一途を辿っていた。
「気は進まないが、そうも言ってられん。上に掛け合ってくる」
「それが良いっすよ。命あっての仕事っすから」
翔は既に帰っている。
学園も、他の仕事もあるからだ。
では、一体どうやって?
2014/7/26にて、あらすじを一部変更しました。
読まなくても問題はありませんが、読むと物語の理解が深まります。