狂わせた男
今日から新しい環境が始まる。
でも、僕のすることは何ら変わらない。
ガラガラガラ…
教室の扉を開くと、見知った風景に見知らぬ顔。
中学とは違い、教室は静かなものだった。
その中でも、異彩を放っているクラスメイトが一人いた。
「アイツが…」
僕を差し置いて首席入学を果たした男、五十嵐翔。
何処にでもいる平凡な容姿。
見たところ勉強が得意なようには見えない。
「君、五十嵐くんだよね?凄いね。首席なんだって?」
他のクラスメイトも静かなものだけど、その男は群を抜いて静かだった。
まるでそこに存在していないかのように。
「出席番号二番、三船遼河。首席は誰かがなる」
「っ!!」
これ見よがしに二番だって!?それに、そんなことは理解しているよっ!
順番がついている時点で誰かが一番になることくらいは!
馬鹿にするなっ!
そんな内心を噯気にも出すことはせず、僕は大人な対応を続ける。
「そうだね。でも、凄いのは本当だよ。あの才原学園で首席なのだからね」
「そう」
そう呟いたきり、五十嵐は黒板の方を向いてしまった。
あの才原学園なんだぞ?!ここはっ!
才原理事長は天才中の天才。
僕の目指すところは、あの人よりも優秀であると周囲に認められることなんだ。
僕の父はT大卒。日本最難関大学を卒業しているはずなのに、それを誇示することはなかった。
それは少し過度なくらいに。
あれは僕が小学校低学年の時。
友人に父の学歴を自慢したと、夕食時の会話の流れから伝えると……
『やめなさい。お父さんは自分なりに努力した方だと思うけど、それだけだ。T大は努力で行くことが出来るけど、そこには努力では決して到達し得ない所にいる人たちが多く存在している。
お父さんは恥ずかしいんだ。
T大に受かった時に周りに自慢したことが、今でも。
だから、お父さんは全然大した人じゃない』
『お父さんは凄いよ!』
『ありがとう。でもね。遼河も知れば分かるさ。私達凡人とは隔絶した存在がいるということを』
幼い僕は納得できなかった。
ううん。今も納得はしていない。だから勉強を頑張って、その頂を目指しているのだから。
お父さんはそう言っていたけれど、僕はまだ認めないよ。
この無関心な男にも、決して負けない。
絶対に、周りから認められる人物になってみせる。
それからの僕は変わらず勉学に励んだ。
ううん。今までよりもやり甲斐は増したから、異常なくらいかもしれない。
それでも・・・
「また…二位…」
何故?どうして?
確かに満点じゃなかったよ?でも、これ以上?
才原学園はその偏差値に負けない内容のテストが出される。
授業もハイレベルなのに、テストは更にその上をいく。
現に夏休み前の試験でも、大学入試レベルの問題が幾つも出されていた。応用なんてレベルではないほどに。
一位にはあの男の名前。
人のことを出席番号で呼ぶ、あの忌々しい男の。
「じゃ、じゃあ!任せたからね?」
そんな折、僕に好機が巡ってきた。
何故か、あの男が夏休みにイベントを提案してきたんだ。
それも、僕ら賢いだけの普通の高校生には手の届かないモノを。
ここで、あの男の株を落とせば、周囲の目はきっと変わる。
『五十嵐は勉強が出来るだけの変人で、自分達の代の才原学園の実質トップは三船遼河だよ』と。
お父さんは言っていた。
周りに認められて初めて言える、と。
自分の評価は自分で決めてはならない、と。
これなら戦える。いや。あの男は確かに勉強が出来るだけだ。
僕の方がトータルでは優秀なんだ!
全ての間違いに気付くのに、そう時間は掛からなかった。
暗い…
冷たい…
苦しい…
誰か…
あの時、僕の手を握ってくれたのは、間違いなく五十嵐くんだった。
暗く冷たい水底で、僕は自分の死を悟ってしまった。
完全に諦め、生きる事を辞めたその時。
見た目に反し力強い手に腕を握られて、その安心感からか僕の意識は消失した。
「誰に助けてもらったか覚えていない、と?」
プールサイドで目覚め後、軽い検査をしつつ警察の捜査に協力していた。
薄らと覚えているけれど、そこに彼は居なかった。
「はい。流されて、無我夢中でしたから」
「そうか。ありがとう。精密検査は本当に良いんだね?」
「はい。ご迷惑をおかけいたしました」
僕は馬鹿じゃない。
このプライドの高さは消えないけれど、それでも真実と事実を混同はしない。
事実、彼は居なかったんだから。
じゃあ、それを真実にすることが、僕の役目なんだろうね。きっと。
夏休み中、ずっと考えていた。
僕が見たものは幻だったのかと。
確かに辛く苦しい思いをした。
現実逃避してもおかしくはないくらいに。
「一通り、あの時の状況は掴めた」
考えてはいたけれど、何も一人きりでという訳ではない。
あの時のことは、断片的にしか思い出せないからね。
「みんなの行動と所在は完璧だね。でも・・・」
クラスメイトから集めた情報を精査すると、あの時の状況が露わになってきた。
誰がいつ何処にいたのか。それらは全て分かった。
たった一人。
五十嵐くんの情報だけは掴めなかったけれど。
「まさか、みんなの言うことが違うなんてね…お手上げだよ」
五十嵐くんはプールサイドに居た。
トイレに行く姿を見た。
一人、飲み物を飲んでいた。
挙げるとキリがない。
「君は一体…あの時、何をしていたんだい?」
僕の記憶の中では恩人。
みんなの記憶の中では、有事にも協調性の無い人。
「僕は踊らされない。ううん。僕だけは、踊らされてはならないんだ。
君が隠しているのなら、それを公にする気はない。でも、僕だけは事実ではなく、真実を見つめたいんだ」
君がどれだけ非難されようとも、僕は鵜呑みにしない。
君がどれだけ隠そうとも、僕が必ず見つけて見せる。
「だって。そうしないと、不公平だよね?」
僕は首席になることを諦めない。
でも、もう一つやることが増えたよ。
それは、この不思議なクラスメイトが確かに存在していることの証明。
それは、誰にも、何処にも発表しない、僕だけの研究。
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「この問題の解き方を教えてくれないかな?」
驚いた。教師になら兎も角、対等な立場の者に教えを乞うようなタイプだとは考えていなかったな。
掲示板の前。そこでテストの結果を眺めていると、三船から声を掛けられた。
俺のプロファイリングによると、三船はプライドが高く、先のようなことを聞くタイプではないと考えていた為、少し驚いてしまう。
「数学の教師に聞かないのか?」
「あそこに書いてあるじゃないか。君の成績は満点。じゃあ、わかっているってことだよね?」
「…わかった。席に戻ろう」
三船が聞いてきた問題とは、このテストで出た、恐らく最難問であろう数学の一問。
それを説明するのに立ち話では逆に手間を取る。
誰もいないであろう教室へと誘導すると、三船は大人しく従った。
「どうだ?理解出来たか?」
この問題は、数学オリンピック並みの難問。
教える俺ですら、幾つかの確認作業を必要とする程度には。
「流石だね。聞けば分かるけど、って感じかな」
確かに。
この手の問題は元々の難しさプラス、思考の柔軟性を求められる。
それはまるでパズルを解いているかのような感覚と言えるだろう。
「用は済んだな?」
そう告げて席を立とうとするが、三船は会話を続ける。
「ところで。君は一体なんの目的でここにいるのかな?」
どういう意味だ?
「意味がわからない」
「そうだね。君は何を聞いてもそう答えるだろう。でも、知っちゃったから。ごめんね」
何がバレたのか。
いや、そもそもそれさえも鎌をかけているのかもしれない。
俺は内心を悟らせないように、続きを促した。
「僕が知ったのは、君がここにいなくてもいいって事実だよ。
君、既に大卒だよね?」
俺の経歴を調べた?ただの高校生が?
方法は兎も角、理由がわからない。
「だとしたら?」
「あ。前提を話していないから勘違いさせちゃったね。ごめん、ごめんっ!」
理由の一つ。もし、三船が敵対組織の関係者だったら。
そう考えていたのがバレたのか。いや、危うい雰囲気を感じ取ったのだろう。三船は取り繕うように謝罪の言葉を口にする。
その姿は普通の高校生にしか見えなかった。
「僕は君を困らせたくないんだ。だから逆なんだよ。君を守る手助けが出来ないかと思ってね」
「…どういう意味だ?」
なんだ?何が言いたい?俺は話の方向性が掴めないまま。
「そのままだよ。君はその歳でえむっ!?」
「これ以上の話をここでする気はない。賢い三船なら、この意味がわかるだろう?」
危うく大卒であることを話されかけたな。
咄嗟に三船の口を塞いで周囲を観察する。
教室は無人だが、すぐそこの廊下には人だかりが出来ているからな。
案の定、か。
三船が頷いたのを確認すると、その口から左手を離した。
「翔?どうしたの?何かあったの?」
クラスメイト…いや、誰に対してもだが、俺は身体的接触を嫌う。
その辺りを香織も何となく察していて、その香織は三船に対した行動を見てしまい、気になったのだろう。慌てながらも近づいてきた。
「問題ない。ただ、話が盛り上がってな。そういうことだから、俺達は行くよ」
「え?待って。今日のお祝いは?忘れてないわよね?」
「忘れていない。それまでには帰るから、心配するな」
テスト勉強をしていた二人が無事にAクラス残留を決められたらお祝いをすることになっていた。
勿論、これも勝手に決められていたことだが、断り文句が尽きていたこともあり、本日我が家にて夕食会が開かれることになっているのだ。
大事の前の小事。
今回は小事の前の大事が待っている。
三船の返答次第では、パーティは中止になるだろう。
そんな感想を抱きつつ、俺は三船を伴い、屋上へと向かうのだった。