人それぞれ
「遂にやってきたわね…」
隣の席の奴が、悲壮感丸出しで告げる。
世間一般ではまだ高校生だろう?何を大袈裟な。
とは、言えない。
誰かの大切な何かが他の誰かにとってはどうでもいいことなんて、酷くありふれた話だからな。
俺にとってはどうでもよくても、隣の席の奴にはとても大切な何かなのだろう。
「大丈夫。香織には翔くんが付いているじゃないっ!それに、前回のテストの結果は、私よりも良かったし……」
「結衣…ありがとう。でも、励ましながら凹むのはやめてね?」
何を抱えているのかと思えば、テストの話か…やはりどうでもよかったな。
いや。聞き捨てならない単語が聞こえた気もするが……
触らぬ神に祟りなし、というし。放っておこう。
「あっ!そうだ!良いことを思いついたわ!」
「何?カンニングはダメだよ?」
「しないわよっ!そうじゃなくて、結衣も一緒に勉強しない?」
ふう。どうやら俺の聞き間違いだったみたいだ。
「それって…」
「うん!翔の教え方は厳しいけど、結果に絶対繋がるから!」
「いいの…?」
……まだだ。まだ、何も決まっていない。
「二人の邪魔にならない?」
二人の邪魔の意味は分からないが、二人が邪魔だ。
「ば、馬鹿っ!べ、別に翔とはなにも……」
何の視線だ?
いや、これはアレだ。
視線を合わせたら、いつの間にか勉強を教えなくてはならなくなるアレだ。
「うーん。二人の邪魔はしたくないけど…でも、背に腹はかえられない、かな」
「うん!そうしよ!次は二人して、成績を上げるわよっ!」
「うん。それより…頼めるの?」
嫌だ。
依頼が立て込んでいる訳ではないが、それでも日々のトレーニングがある。
最近は新たに始めた鍛錬もあるし、出来うる限り一人の時間を確保したい。
そう望む俺だったが、隣の席の奴が許してはくれなかった。
「週に三日だからな?」
下校時間。いつもだと、部活動組と帰宅部とで分かれる時間だけれど、今は学年末テスト前ということで部活動は休みのようだ。
そんな多くの生徒と共に、俺達も帰宅中なのだ。
『翔。このテストで私達がAクラスに残れるかどうかが掛かっているの。だから、これで良いわ』
『…何が?』
『私の下着を見たことを忘れてあげる』
まだアレを根に持っていたのか。
とは、思うものの。
やはりその辺りも人それぞれ。
それで全てを清算出来るのであれば。との思いで、俺はその依頼を受けることにした。
いや。やはり、俺からすれば理不尽極まりない話だが。
勝手に雨宿りに来て、良かれと思い風呂を提供し、安否確認の結果だったのだから。
まあ、これも経験…か?
そう思わないとやっていられないのかもしれない。
「たったの!?ちゃんと教えられるのよねっ!?」
「香織…私達は頼んでいる方だよ…?」
川村。頑張れ。俺はお前の味方だ。今だけはな。
「結衣、いいのよ。翔。本当にそれだけで教えられるの?」
「前回の結果は身をもって知っているだろう?一人増えたところで、何も変わらない」
「そう。ならいいわ!」
何で偉そうなんだ?
イマイチわからん。いや。全くわからん。
「川村。今日は出来ないところを洗い出すから、そのつもりでな?」
「うん。ありがとう。翔くんも自分の勉強がしたいだろうに付き合ってくれて」
「俺の勉強は授業だけで充分だ。気にするな」
そうか。香織に足りないのは、川村のように感謝する気持ちだな。
俺が欲しいのは感謝ではなく無関心なのだが、そればかりはどうしようもない。
勉強場所は香織の一声により、結局俺の家になった。
その道中、川村には要点だけを伝えておいた。
「えっ…嘘でしょ…?」
人の部屋を見て、何を愕然としている?
相変わらず失礼な奴だな。相手が俺じゃなかったら友達を失くすぞ?
「翔くん…変わった趣味だね…?」
「?」
「翔…アンタ、まさか……誰かにプレゼント?」
何なんだ、コイツらは。
勉強をする為に来たんじゃないのか?
立ち尽くす二人を置いて、俺は部屋の片付けを始める。
「プレゼント?何の話だ?」
興味はないが、聞かれたからな。
片付けの手を止めることなく、続きを促した。
「その手に持っている物よっ!ねえっ!?一体、誰にあげるのっ!?」
「か、香織!落ち着いて!もしかしたら、香織への…」
「はっ!?そ、そうなの!?」
うん?結局、何の話なんだ?
「これか?これは最近始めた……趣味だ」
しまった。これについて聞かれるとは考えてもいなかったな。
流石に手先の器用さを向上させる訓練とは言えないから、無難に趣味ということにした。
俺が片付けているのは刺繍が施されたハンカチ。
どうやら二人は、これと刺繍用の資材を見て驚いていたようだ。
「趣味?どうみても、プロの技だよ…」
「そうか?確かに上手くはなっていると思うが、まだ始めて二週間だからな。それは言い過ぎだ」
「す、凄いね。女子より女子力が高いよ…」
女子力?それは身体能力か何かか?
確かに平均的に表すと、女性の方が器用だとはされているが、それが数値化されているのだろうか?
「……」
「香織?どうしたの?」
川村はただただ褒めていたが、香織はハンカチを凝視するのみ。
無駄に大きなその目は、全てを射抜きそうでもあり、川村は少々困惑気味に問いかけた。
「翔!」
「何?」
「か、香織!?どうしたの!?」
急に大きな声を出すな。
ここは狭いアパートなんだから、小声でも十分に聞こえるぞ?
川村なんて、来たことを既に後悔していそうだ。
「そ、その…」
「ん?」
「は、ハンカチ…くれない?」
これを?
「別にいいが。生地は安物だぞ?」
刺繍には自信がある。
美的感覚に自信を持てないが、技術的な意味合いで言うと、誰よりも正確に針を動かせる自信はあった。
「良いのっ!それが欲しい!」
「香織…」
本当にこれが欲しいのか?
幼児向けのアニメのキャラクターを模写しただけのハンカチだぞ?
というのも、題材に困った俺は夕方テレビに偶々映っていたそれを刺繍することにしたのだ。
美的感覚はないが、少ない常識は持っているつもりだ。
これを女子高校生がそこまで欲しがるのはどうなのか、と。
ま。趣味も人それぞれか。
川村は俺とは違った方向に何かを感じ取ったのか、憐れむようにそんな香織を見つめていた。
「これはやるから、真面目に勉強しろよ?」
「うんっ!頑張る!」
「…この子、こんな子だったっけ…?」
俺も同じ意見だよ。
兎にも角にも、俺達のテスト期間はこうして幕を開けたのであった。
年度末試験自体は三日に分かれて行われている。
今はそんな二日目が終わった時間帯。
「ああ…心配だなぁ」
「終わった物事を嘆いても、何も変わらないぞ」
テスト期間中ということで早めの帰宅となったが、今日も今日とて追い込みの勉強会がある。
本来であれば、俺はゆっくりと身体を成長させたかったのだが、二人の目指すレベルは割と高いのでそれも出来ない。
「大丈夫だよ。香織が得意なのは理数でしょ?明日が本番じゃないのっ!」
「得意…?」
「でも、総合評価だからねぇ…」
クラス分けの基準は総合点で決まる。
勿論、目指す大学により、文系や理系などに授業は徐々に別れていくのだが、それはあくまでも授業単位であり、クラス分けは別のところに存在している。
「それもきっと大丈夫だよ。見直ししても、現時点での香織の点数は私とそう変わらなかったから、明日が終われば少なくとも総合点では私よりも上にいくよ!」
「そもそも、この三人での三位以内独占には無理がある上に、二人の順位はどちらが上でも同じなのではないか?」
「そうかな?でも、結衣にそう言われたら頑張るしかないわね!さっ。今日も頑張るわよ!」
ええっ!
そんな川村の声を残し、二人は足取り軽く先を行く。
二人がどれだけ追い込もうと、この短期間では学年二位である三船遼河を追い越すことは出来ない。
アレは所謂、努力を積み重ねてきた強さを持っているからだ。
数学などの才能がものを言うテストであれば別だが、暗記系のテストでは太刀打ち出来ないだろうと考察する。
香織は数学の楽しさに目覚めたからか、何故か得意分野だと豪語している。
臨時講師である俺自体がMIT卒ということもあり、数学の教え方が良かったのかもしれない。
それよりも。
あれだけ話せと言う割に、この二人は俺の言葉を無視することが増えた。
『話せって言ったけど、何でも良いって訳じゃないんだからねっ!』
『翔くん。悪い言葉…聞きたくない言葉は無視するっていうのが、今のスタンダードなんだよ』
理解出来ない。
事実以外、全て無駄な会話ではないのか?
二人が言っていることを理解することは難しく、俺は俺の感覚で気にせず物事を発することに決めた。
いや、だって。
話さない方が面倒なのだから。
最近、近場での依頼が減ってきている。
依頼がないということは、この国が平和へと近づいていっていることになると思うのだが、やはり落ち着かない。
そして、恐らくは平和でもない。
この依頼の偏りは、これまでの行動を省みるとわかること。
その最たる理由としては、この近辺の依頼ばかりを受けて来たから、遠いところの依頼しか現時点では残されていない、といったところ。
テストも終わり、漸く長期休暇が目前に迫ったことで、その遠出の依頼を幾つも予定することが出来たが。
その前に一応結果を見てみるとするか。
試験結果が貼り出された掲示板へと足を向けると、いつものわかりやすい位置にいつもの名前があった。
一位 五十嵐 翔 1-A
二位 三船 遼河 1-A
三位 山城 彰 1-A
四位 三咲 奏 1-A
ここまではこれまで通り。
五位 鏑木 翔子 1-A
六位 仲村 理玖 1-A
七位 飯田 詩織 1-A
八位 浜崎 香織 1-A
九位 田代 秀平 1-A
十位 山口 翠 1-A
十一位 川村 結衣 1-A
以下続いていく。
二人とも大きく順位を上げることが出来たようだ。
目標は遠いが、そもそも登っている山が違うのだ。富士登山に出掛けて、K2を登頂することなど出来はしない。
充分な成果と言えよう。
「五十嵐くん。ちょっといいかな?」
「三船、か。なんだ?」
掲示板へと向けていた視線を声のする方へ向けると、そこにいたのは学年二位の男。
その学力は他を寄せつけないが、俺という例外がいることで二位に甘んじている。
文句でも言われるのかと少し警戒をする俺だったが、聞かされた話は予想外のモノであった。
学年が変わると出席番号も変わってしまいます……
作者にとっては辛い出来事……
頑張って纏めます……