冬の始まり
『翔へ。昨日は見事な働きぶりだったようだね。結果もちゃんと聞いたよ。おめでとう。後夜祭は楽しめたかな?また手紙を送るよ』
これは何とも分かりやすい。
「了解」
手紙を見ても、アメリア…クラスメイトの父親を殺した影響は見られない。
いつもの早朝のルーティンも熟し、普段通りに過ごしているようにしか見えなかった。
『えっ?会えなかったのぉ?』
今日は文化祭での休日登校の代わり、振替休日の日。
後夜祭のあとが気になった遥香は、香織にメールで確認してデート中ではないとわかり、すぐに電話をした。
「うん…私の勇気って、何だったんだろう…」
別に告白でも何でもない。ただ、口実を使って遊びに誘うだけのこと。
それでも、この年頃の少女にとっては、一世一代の決意が必要だった。
『まだだよー。家に行って誘いなよー』
「良いの。あの時探し出せなかったのは、何か理由があるはずだから」
『…そう』
嗾しかけたのは自分だ。
二人には上手くいってほしい。
いや、仲の良い香織には特に幸せな結末を迎えてほしいとさえ思っている。
中学からの学友にも同じ才原学園へと通う子はいる。
でも、Aクラスに進学出来たのは自分だけだった。
生まれつき滑舌が悪く、相手が理解し易い話し方として、現在の口調が造られた。
感じ悪く伝わらないよう、なるべく優しいニュアンスで伝わるよう、試行錯誤を重ねた結果がこの口調だ。
しかし、歳を重ねるごとにこの口調は同性に悪く捉えられるようになってしまった。
そんな話し方。
初見であるクラスメイトに受け入れられる筈もなく、男子は兎も角女子には敬遠されてしまった。
痛い奴が来たと。
でも、隣の席の彼女は違った。
『話し方?そんなの人それぞれでしょ?いちいち気にするなんて面倒くさいって感じるわね。え?自分のことだったの?…まぁ確かに男子に媚を売っているって聞かされたら、そうも捉えられるかしら?』
自分の感覚を隠さない回答。
感じたことを素直に答えられる、香織の強さに助けられた。
私も周りも、感じ方は人それぞれなんだ。
じゃあ、私は私の信じる道を進めば良い。
どこに進んでも、全員の正解を導き出せる人など存在しないのだから。
そんな折、私が意図せず翔くんに近づいた時、香織は不安そうな表情を見せた。
ふふっ。高校生にもなって、こんなに可愛らしく愛らしい友達が出来るなんてね。
中学生の時、勉強を頑張ってて良かったよ。ありがとう、香織。隣の席にいてくれて。
「アメリア田中ウィリアムズさんのお父様が、二日前お亡くなりになりました。今日が通夜となり、明日が葬儀となります。
場所は・・・・・」
才原学園の生徒は欠席者が少ない。
理由としては、入試の段階で、中学時の欠席の多い生徒が弾かれているからだ。
勿論、募集要項にて事前に布告されていることでもある。
理由は様々なものがあるが、ここでの説明は省略する。
そういったことから、アメリアが欠席していることを不審に感じる男子生徒が多くいた。
アメリアはハーフということもあり目立っていた。故に他のクラスでも今日は見かけなかったと既に噂の的になっていたのだ。
そこで朝のホームルームにて、担任である杏香から齎されたのが、アメリアの欠席理由である。
女子はその団結力から全員が知っていたが、男子は知る人ぞ知る話であった為、驚きを隠せない生徒もチラホラと窺えた。
「では、朝のホームルームを終えます」
こうして、その噂は瞬く間に学園中へと広まるのであった。
「うむ。翔に変化は見られなかったか」
いつものモニタールームにて、才原所長が確認の意味も込めた言葉を呟く。
「はい。心拍数、血圧にも変化は見られませんでした」
翔の部屋の監視機能は特別製。
その精度は蚊に刺されたことすら見逃さない。
というのも、蚊は病原菌を媒介することで有名な生き物。
あらゆる耐性を持つ翔においてマラリアですら敵ではないが、それでも万が一がある。
そこに対しての危機感を才原所長が認識していないはずもない。
なぜならば、翔の身体はたった一つしかないのだから。
「そうか。監視カメラの設置状況はどうなっているのだね?」
「そちらも順次設置は進んでいます」
「万全を期すためとはいえ、年頃の若者の私生活を覗くのは気が引けるね」
翔の入学時、ここまでの危険を冒すつもりはなかった。
だが、状況が想定よりも複雑化し、やむを得ずの判断となったのだ。
「若く見目麗しい女子生徒の監視は楽しくありませんか?」
「くくっ。やめたまえ。私にそっち方面の興味が薄いことをよく知っているのは、私よりも君の方だろう?」
「はい。…ですが、もし違えば、殺されたとしても監視カメラは外させます」
怖い。
冗談話しだとお互いに理解しているものの、女性とはこうも恐ろしい生き物なのかと、才原所長は一層の理解を深める会話となった。
クラス全員の家への監視カメラの設置は、年越しを待たずに完了することとなった。
「才原理事長。お連れしました」
ここは学園の理事長室。
学園関係者であれば、この部屋がいつももぬけの殻であることは周知の事実である。
しかし、今日は人がいた。
「ありがとう。君は下がりなさい。よく来てくれたね」
「いえ、呼ばれたのであれば」
当然来るだろう?そう、嫌味っぽく答えたのは佐伯杏香だった。
案内の事務員を下がらせ、理事長室は二人きりとなる。
「嫌われてしまったかな?子供の時はよく懐いてくれていたと記憶していたがね」
「昔話ですか?」
「いや、よそう。本題に入ろうか」
才原理事長は才原所長だった。
理事長はこの学園のオーナー。
つまり、創始者一族又は関係者か創始者本人だということ。
才原理事長は創始者である。
T大の元助教授であり、最年少でのT大教授の座が約束されていた男。
そんな男が十年の時を経て、再び世間の前に姿を現した。
それが学園創設だったのは、巷でも有名な話。
「翔の様子はどうかね?君を困らせていないだろうか?」
「問題ありません。優秀な生徒です。…あの。次は世間話ですか?」
「そう邪険にしないでくれないか?終ぞ意味を為さなかったが、君の後見人だったこともあるのだからね」
杏香は知らされていない。才原と名乗るこの男が、自分の血の繋がりを持つ父であることを。
しかし、何となくは勘付いている。
薄々ではあるし、そうであって欲しいと願う時期があったのも確かではあるが、現在に至ってはどうでもいいとすら考えている。
「………」
「済まない。聞きたかったのは、君の生徒であるアメリアさんについての話だ。今後、どう対応していくつもりかね?」
才原は杏香に対して、何の思い入れも持たない。
翔ほどの無関心さではないものの、実世界の父親とは程遠いくらいには。
それでも、気にかける。
理由は母親。
思いやりとは程遠いところに位置している男だが、誰しもが持つ情は少なくとも持ってはいる。
そんな少ない情を向ける恵に対してしてやれることもまた少なく、本人も望んではいない。
では、二人の娘に対してはどうか。
二人の共同作業の代表格は間違いなく翔である。
しかし、次点は?
そこで思い至ったのが、二人の子である杏香だった。
彼女はごく普通の女性。
平均的に見れば優秀ではあるものの、才原や恵には遠く及ばない。
だから興味を抱かなかったのだが、人とはそれだけが全てではないことに気付いた。
そう、最近の翔を見ていて考えに変化が生まれてきたのだ。
普通の父親のような感覚は芽生えないものの、この変化が生じたことの理由を探る為、生物学的では娘であるはずの杏香へと接触を図ったのである。
「変わったことをされていましたね」
モニタールームにて、恵にしては珍しく否定的な態度を見せる。
「自身の変化を探れば、082の小さな変化に気付けると考えたのだが…無駄だったよ」
「人としては082も変わっていますが、あの子も特殊な子です。対象に問題があると愚考します」
「つまり、君を頼れと?それは出来ない。今でも頼り過ぎているのに、これ以上甘やかさないでくれないかね?」
才原所長は理解している。
人の世から逸脱している自分を、未だ現世へと留めてくれているのが恵だということを。
恵がいなければ食事もままならず、もしかしたら既に墓の下にいたかもしれない。
研究も然り、日常生活も然り。
全てにおいて頼っているのに、これ以上は望めない。
いや。頼れば全てを喜んで引き受けてくれるのはわかっている。
それもまた良いだろう。
だが、自分で動くことを忘れてしまえば、それは死んでいるのと何ら変わらない。
生きている今、それを選ぶことは出来ない。
いずれ自分が死する時、その時はよろしく頼むと才原所長は強く願っていた。
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「君のやる気は買っているつもりだ。でもね、君では能力不足なんだよ。理解して欲しい」
若き日の才原は、今日も足繁く自分の研究室を訪ねてきた佐伯恵を遇らう。
「才原助教。確かに私は非才の身です。ですが、そのやる気をもう少し買ってくださいませんか?
助教の研究されている『ヒトゲノム解析』。その真理を私などでは到底掴めません。
ですが、お手伝い出来ることはあるはずです。何でもします。治験であれ、細胞の提供でさえ惜しみません。
ご希望とあれば、一糸纏わない私の身体を隅々まで研究なされても構いません」
いつもこれだ。
この女学生は勤勉にして、付け入る隙がないことで有名でもある。
それは尊ばれることなのだろうが、私にはどうでも良い。
私が欲しているのは勤勉な僕ではなく、私と同レベル帯の頭脳を持っている共同研究者なのだよ。
いくら雑事を任せられようが、この研究が進むことはない。
漸くスポンサーが見つかったのだ。それも大切な。
今の忙しい私に、少し見目が良く、少し頭が良いだけの小娘など必要ないのだ。
「悪いね。忙しいので帰ってもらっても良いかな?」
この手に論理武装は通用しない。
無駄に時間をかけて突破口を見出そうとしてくるだけだ。
であるならば、キッパリと答えるのが何よりもタイムロスを防げる。
ガラガラガラガラッ
無言で見つめてくる彼女を無視して、私は扉を閉めたのだった。
あの手の人間はタチが悪い。
半ば優秀だから、わからないことを理解しようとしてくる。
それだけ見ると、とても立派で使い道もあるように思えるが、理解など及ばないのだ。
この研究が努力で理解出来るものであるのならば、私はとっくに完成させている。
つまり、私にも何かが足りないのだ。
それを補ってくれる誰か。そこを必死に探してはいる。
人付き合いの悪さから、そういった物事は遅々として進まないのが私の才能の無さといえるだろう。
兎に角。
彼女のようなレベルでは質問に時間を取られるだけで、無為に時間だけを浪費してしまう。
私は厚手のコートに身を包み、暗くなった廊下へと出る為に扉へ手をかけた。
ガラガラガラッ
「まだ居たのか…」
どうしたことだ。
今は冬真っ只中。気温は氷点下へと迫り、廊下は酷く冷え込んでいる。
彼女を突き動かすものに検討はつかない。
いや。興味がないから考えたことがないのだ。
「…か、かけ…」
「かけ?」
「か、賭けませ、んか?」
紫色の唇。
昼の装いと何ら変わっていない彼女は、上着を羽織っていない。
「…何を?」
普段なら返さない言葉。
いつも通り、無視して進めばいい。
しかし、彼女の事を少なからず考えてしまい、この行動の意味を知りたくなっていた。恐らく。
「わた、しが、よく朝ま、で…まって、いられるか」
「なんだと?」
正気の沙汰とは思えない。
コートを羽織っていても、じっとしていることが苦痛に感じる気温だ。
「わた、しは、まつ方にかけま、す」
「…私が勝てば二度と付きまとわない。君が勝てば、研究に参加させろ…と」
「は、い」
この子は確か…ここT大理科三類の学生だったはず。
確かに将来医療研究者を目指すのであれば、私の研究は魅力的に映ることもあるだろう。
しかし…ここまでする程、か?
研究対象など、他にいくらでも転がっているはずだ。
やはりわからない。
私に他人を理解しようなどと、烏滸がましい考えだったか。
「ダメだ。君は確かに待つだろう。だが、翌朝には確実に死んでいる」
つまり、命懸け。いや、命捨てか。
「君の覚悟はわかった。明日朝九時に来なさい」
「っ!!ほ、ほんとう…です、か?」
「本当だとも。その代わり教えて欲しい」
そこまで君を突き動かすモノが何なのか、を。
死ぬほど私を愛しているとは思えない。
そもそも関わりがないのだ。
翌朝、しっかりと休めた彼女は教えてくれた。
答えは私の預かり知らぬところにあったのだと。
若き日の才原へと情熱を燃やす恵でした。
答えはその内、話の流れで出てくる予定です。