祭り、それは秋の風物詩
『清楚という言葉は二十代までの、淑女という言葉はそれからの。私にとっては、妻の為にある言葉でした』
その一文から始まった依頼者の独白は、懺悔のように聞こえた。
大切にするあまり、すぐそこに危険があることを教えていなかった。
家族みんなの仲が良いことを理由に、何でも話してくれていると勘違いしていた、と。
『妻が出て行ったことで娘は不登校になり、賑やかだった食卓には現在カップ麺の空箱が並んでいます。
私達の生活をそんな風に変えた…アイツだけは許せません……』
依頼者の声が震える。
『薬物で妻を狂わせ、私と娘から家庭というものを奪った、あの男だけは……』
ここ日本では、全般的に薬物は禁止されている。
許されるのは医療機関から処方された物のみ。
所持も使用も。
しかし、禁止されるとそれに手を出したくなるのも人の性。
本末転倒ではあるが、不法薬物は老若男女関わらず蔓延していた。
但し。
普通に生きていれば、それに手を出すことの愚かさも教育の賜物として周知の事実となってはいた。
『お金なら、保険を解約した金があります!どうかっ!どうか、あの男に天罰をっ!』
請負人は神ではない。
しかし、その男が悪であるならば、それを超える必要悪と成れる。
妻を薬物廃人にされ所謂寝取られてしまった男。
その者の依頼は、かくして受理されたのであった。
「えー、ですから、そう私は思うのです」
夏の暑さは終わりを告げ、涼しい秋が訪れていた。
学園の校庭には全校生徒360名が顔を揃えている。
「校長先生。ありがとうございました」
ただ長いだけの話が終わると、遂に体育祭が開幕する。
「では全校生徒の皆さん。所定の位置へと戻って下さい」
身体を動かすと、必然的に音が出てしまう。
例えば、歩く音であったり、衣擦れの音であったり。
人一人が出す音は小さなものだが、三百六十人が一度に出す音はそれなりに大きなものだ。
そんな音が出るということは、ついつい雑談をも促してしまう。
自分達の持ち場へと戻る時、それは生徒にとって大切なコミュニケーションの時間だったりもするのだ。
約一名。
相変わらず静かな男は、移動時の物音すら立てていないが。
「ねえねえ、聞いた?」
「聞いた聞いた!リレーの話でしょ!?」
「うん!ウチのクラス…勝てるかな?」
才原学園の体育祭。
例によって、体育祭の目玉はリレーである。
しかし、そこは私立の学園。他の高校とは予算が違う。
「もし、優勝したら…学園の奢りで、焼肉食べ放題…」
生徒達へとっておきの人参をぶら下げていた。
元々盛り上がるリレーなのだが、体育祭において全てのやる気を上げる為に選んだ方法なのだ。
通常何事においても、結果を出せば将来へと繋がる。
この法則を現在にも当て嵌めたわけだ。
『才原学園では、在学中に結果を出せば優遇される』と。
勿論、体育祭が盛り上がったところで学園にメリットは少ない。
だが、デメリットを減らす方向では大いに貢献している。
ここで言うデメリットとは、目に見えないもの。
若者とはエネルギーに満ち溢れているのだ。
それはやる気のない者も、不真面目な者も同じである。
この不真面目な者達のエネルギーを体育祭で使わせることにより、起こっていたかもしれない不祥事が起こらなくなる。
元々勉強が得意な生徒が多い学園である。
不祥事とは無縁だが、こうした方策を用いているお陰なのかもしれない。
閑話休題。
「真面目に走らなかったら、殺すわよ?」
射殺すような視線と、危険な言葉。
香織はクラス代表のリレー選手の一人を激励したつもりだ。
「リレーは一人では走れない」
返ってきたのは至極当然のルールだった。
「そんなことは分かってるわよ!他の選手は良いの。部活動でも体育でも結果を出しているんだから!
問題はアンタよ!翔さえ頑張れば、一年での総合優勝も不可能じゃないんだからっ!」
激励という名の脅しを受けていたのは翔。
1-Aでリレー選手を決めた時、体育で測った記録が重視された。
翔のタイムはクラス七番目。
一番から三番はサッカー部。四番は野球部。五番はバスケ部の生徒だったが、責任という名のプレッシャーに負けて辞退した。
更に六番目の生徒も辞退。
七番目の翔に回ってきたところで、クラス委員の二人から『やれ』と退路を絶たれたのだ。
リレーの参加人数は五人。
一年の中でも一番から四番までの記録を持つ選手が、ここ1-Aに揃っていた。
文武両道は難しく、こういった事態は稀だった。
不公平かもしれない。
だが、クラス分けの制度が変わることもまたないのだ。
陽キャである香織が、こうしたイベントで張り切らない筈がない。
さらに賞品まであるのだ。その熱量に翔は圧倒されているのかもしれない。
「一番でゴールする」
「え…」
面倒になった翔は、その暑苦しさから逃れる為か、安請け合いをする。
しかしこれを別の取り方をしたのは、翔以外の全てのクラスメイト達だった。
「ひゅーっ!やるな!翔!告白か!?」
「そもそもお前がアンカーって決まってたのか?」
「良いじゃん、良いじゃん!翔に華を持たせてやろうぜ!」
香織が翔へと話しかけるのは、今やこのクラスの風物詩となっていた。
香織以外が話しかけることも皆無ではなくなったが、それでも日に一度あるかどうか。
そんな風物詩は本来スルーされるべきであるが、ヒートアップした香織の声量により、クラス中が聞いていたのだ。
(えっ…それって、私の…為…?)
男性からのアプローチには慣れていた。
でも、まさかという人物からのアプローチには、心構えが出来ていなかった。
勿論、翔にその意図はない。
「トイレ」
あまりにも煩い。
喧騒というのよりも、騒音だ。
自分に向けられる熱量にあたったのか、翔は逃げるようにしてその場から離脱した。
「マジかよ…アレって、照れ隠しだよな?」
「どっちでも良いって!面白いから翔をアンカーにしようぜ!?」
「オッケーオッケー!報われない恋心をみんなで応援してやろうぜ?」
男子はテンションがあがり、最早止められない。
女子は近くの女子とヒソヒソ話に夢中だ。
つまり、ここに翔をアンカーとすることを反対する者はいない、となったのである。
『体育祭、残念だよ。もし行けても午前中の早い時間帯だけなんだ。
それはそうと、私の応援がなくとも頑張って、そして楽しむんだよ?
PS.今日も屋上から手紙を書いているけど、風が気持ちいいよ』
屋上は、よく使われる狙撃場所である。
故に『今日も』と綴られていた。
この手紙は、体育祭の十日前に送られてきたもの。
そして翔はトイレへと向かわず、屋上へ真っ直ぐに向かったのだ。
「現場に到着した」
いつもの確認を済ませると、隠し場所から道具を取り出した。
そこには目標と方法が書かれた紙も。
『今日の天気は曇り。1164-28546。赤の一番。四階の角部屋』
数字はある地点を示し、四階の角部屋はそのまま。今日の天気はカモフラージュ。赤の一番は使う道具の種類である。
使う武器は慣れたライフル。
道具の種類とは、そのライフルで使う弾丸のこと。
いつもと少し形状の違う弾丸。
その先端へと、翔は赤い薬剤を丁寧に塗っている。
そこへ触れないように慎重に弾をセットして、ライフルに付けられているスコープを覗いた。
スコープには、四階建ての建物の角部屋が映っている。
ベランダには植物が飾られているが、よく見ると大麻であった。
勿論たてす―(所謂日除け用のシェード)―で目隠しはされているが。
それでも大胆なものだ。
学園の屋上からは丁度たてすと建物が横を向いていて、無防備にも全てが見えている。
その建物の中にはベッドが置かれており、裸の女性が虚ろな瞳でタバコのような物を嗜んでいる姿も窺えた。
少し待つと。
ベランダの窓が開き、上半身裸の三十代くらいに見える男性が出てきた。
そこで翔は指をかけていたトリガーを引いた。
直後、男性は首を押さえるも倒れたりはしない。
失敗か?
弾は男性の首を掠め、その先の何も無い空中へと飛んでいった。
男性は首を傾げながら、元居た部屋へと戻り、窓を閉めて鍵をかけてしまう。
「任務完了。これより持ち場へと戻る」
どうやらあれで成功していたようだ。
持ち場という名の騒がしいクラスメイト達の元へと、行きとは違い重い足取りで戻るのであった。
随分と久しぶりの狙撃……
いえ。
翔はいくつもの狙撃を成功させています。
作者が書いていないだけで……多分。