マガタマと感情屋
「おーい。大丈夫?」
目を覚ましたら、心配そうに感情屋が私の顔を覗き込んでいた。
その底抜けに人が好さそうな表情に、怒りよりもむしろ恐怖が先立つ。
当たり前だ。先程自分を殺そうとした相手が、まるで無辜の善人かのように振る舞っているのだ。
「あ、良かった、目を覚ました! ごめんね、ちょっと刺激が強すぎたよね。落ち着いたらで良いからこれ飲んで」
そう言う彼が手に持つのはハーブティー。すわ毒かと一瞬警戒したものの、匂い的におそらく鎮静作用のあるカモミールか何かだろう。
様々な感情がないまぜになって言葉にならない私に、感情屋はあくまで優しく声をかける。
「お陰で、灯里はちゃんと見つかったよ。ほら、ご覧」
私の傍らに佇むその少女。
肩口まで切り揃えられた髪型は、確かに先程写真で確認したものだ。
彼女が……お祖父様がかつて地上に連れ出したという、マガタマの生き残り。
「種明かしをしちゃうとね、灯里を引き寄せる為に十和子の強い感情が必要だったんだ。人間、殺されるって思ったら、当然切羽詰まるし強い感情も沸き起こるでしょ。だから」
「……」
「僕には確証があった。十和子がピンチになったら、絶対に灯里は地球の裏側にいても駆けつける。
だって、大事な人の孫娘だもん」
「もし、来なかったら……」
「その時は、助けに入るつもりだったよ。当然」
仮面を貼り付けたみたいに完璧な笑みは、どこまでが本気なのか分からない。
「普通に会話してるけどさ。こんなことをして私に恨まれるとは思わなかった?
ここに包丁があったら、刺されてもおかしくない所業だよ?」
「うーん。正直、そこまで恨まれないことは分かってたかな。ほら、だって死の恐怖自体はもう消えているだろう?」
ハーブの香りを深く吸い込みながら、確かに、私の心の何処にも、あの時感じた強烈な感情が残っていないことに気付く。
私は目の前の男に殺されかけた筈で。その記憶は残っているけれど、昨日観た映画の中の出来事のようにまるで現実味がない。
ただ、喋るのも億劫になるくらいの深い虚脱感だけがそこにあった。
「……マガタマに感情を食べられるって、こういうことなんだ」
きっと、あの時駆けつけた灯里が、私の恐怖を食べたのだろう。
ぽっかりそこの部分だけ穴が空いたみたいな、不思議な感覚。
玉響の人々はこの虚脱感に抗う為に、日々ああやって明りを灯し、強い酒を飲み、お祭り騒ぎをしながら生きているのか。
「最悪恨まれたって良いと思ってたしね? 恨みもまた貴重な感情だからね。
わざと恨みを買う振る舞いをする感情屋も多いぐらい」
もう憤る気力も無くなっていた。
憤るとか恨むとかは多分、その人間が自分と大体同じ生き物だと思うから起こる感情で、私と感情屋は、土台から造りが違う。
それこそ地上と地下、人間とマガタマが全く違う原理で動いているのと同じように、私と感情屋も絶対に交わらない。
「結局、私のお祖父様を恨んでいて、復讐したかったってことでいい?」
「え? まさか。そりゃ商売道具を駄目にされたのには腹が立つけれど。数十年前の話じゃないか。
僕はそんなに気が長くないから、復讐するならとっくにしているよ」
「それもそうか……。というか、え? 感情屋、え?」
「ん? どうかした?」
「私はてっきり、感情屋のお祖父様とうちのお祖父様が当時同僚で……みたいな話かと思ってたんだけど……まさか当事者? え、感情やって今何歳?」
「ふふ、それは企業秘密ってことで」
口許に指を当て、完璧なチャーミングさで片目を瞑ってみせる。
「さてはあんた、人間じゃないでしょ」
「酷いなあ……僕は人間だよ。多分ね」
あと少し!