地下都市「玉響」への訪問
地上と地下それぞれの住人は、相手の領域を侵犯しないように、お互いをなんとなく避けて生活している。
地上には地上の論理があり、地下には地下の規則がある。
そしてそれは交わらないことをお互いによく理解している。
逆に言えばそれは不文律の境界線であって、超えようと思えば本当に簡単なのだ。
それはもう、何を躊躇っていたかというぐらいに。
地上と地下を結ぶ電車に乗れば、なんと三十分も掛からなかった。
なんなら職場に出向くより余程近い。
しかし距離にするとたったそれだけなのに、地下に降り立った瞬間、その光景に圧倒された。
夜だとはとても思えない。光の洪水が起きたみたいに、眩しい。
赤提灯や美しい玻璃が輝き、街全体がまるで内側から発光しているかのよう。
その水彩が溶け合ったような色彩の美妙な美しさと言ったら無かった。
この輝きのどれもがマガタマの光によって造られていて、その光の為にどれだけの感情が費やされるのか……私にはさっぱり理解らないけれど。
「オカエリ」
初めて見る地下都市「玉響」の美しさに圧倒されていると、いつの間にか感情屋の傍らに可愛らしい少女が寄り添っていた。
少女というには、顔つきや造形は大人びているかもしれない。
外気を知らないような青白く透き通った肌。
瞳が妙に大きく、虹彩が独特の色合いでチカチカと瞬いている。その碧に薄紅がちらつく不思議な虹彩に思わず見惚れていると、彼女の肌がぼうと光った。
「…もしかして、マガタマ?」
「どう見てもマガタマだろ? 他になんだと思ったのさ」
失礼を承知でジロジロと頭の付け根を確認してしまう。
角がにょきにょきと生えているから、識別は容易いと聞いたのに。
「この子は、特別だからね。角も尻尾も出し入れ自由」
「セツナ、トクベツ」
「せつな…?」
「この子の名前、刹那って言うんだ。僕がつけたの。いい名前でしょ?」
そう言って、自慢げに胸を張る。
まあ……人のネーミングセンスに口を挟む気は無いけれど。
少し寂しい名前な感じがすると言ったら怒られるだろうか。
「ナンテナマエ」
「え?…私?」
「ナンテナマエ」
「私は…十和子だけど」
「トワコ」
刹那の口から発される言葉は、イントネーションだろうかあるいは声の響きだろうか、まるで言葉ではなく何かの電子音のように聞こえる。
それが暗号めいた密やかなニュアンスを与えて、私は正直、嫌いじゃないと思ってしまった。
困ったことだ。お祖父様には、散々「マガタマ」には関わってはいけないと言われていたのに。
「とわこ…良い名じゃないか。悠久を感じさせる」
「誤解してそうだから言っておくけど、数字の十に、和みに、子、で十和子だからね。永遠の方じゃないから」
「なんと、それは失礼したよ。しかし、十も平和がある、どちらにしろ良い名じゃないか」
「フォローがフォローになってないんだよなぁ……」
「僕も十和子って呼んで良いかな?」
人畜無害そうな笑みでぐいぐいと距離を詰めてくる。
「別に良いけど……じゃあ私も感情屋のこと、名前で呼びたいな」
その一瞬、感情屋が微かに顔を歪めたのを私は見逃さなかった。
「嫌ならいいよ」
「いや、嫌っていうか……そうね。ちょっと危険だから僕は引き続き、感情屋ってことで」
そう言って眉毛を下げ、へにゃりふにゃりと、こちらの庇護欲をそそる子犬みたいな顔で微笑ってみせる。
そういえば私の情報だけうまく引き出されたけれど、一方の私は彼のことを何も知らないということに、今更気が付いた。
深入りしたくは無いけれど、ここに連れてきた理由ぐらい、いい加減教えて欲しい。
まさか本当に、私に地下都市を案内したかっただけでもあるまいに。
「名前を知ることの、何が危険なの」
せめてそれだけでも聞き出してやろうと意気込むと、
「地上の人においては、単なる識別記号でしかないかもしれないけどね。玉響において名前はとても重要だよ。僕の名前は、玉響では高値で取引きされてる」
さらっと返されたが、どうやら嘘を吐いているわけでもなさそうだ。
「何、まさか指名手配犯とかじゃないよね」
「ははっ、それは無いかな。ただ、有名人とは言ったでしょ。ほら僕、なんせ顔が良いから」
「…うざ」
「イクゾ」
私達の生産性の無い会話に痺れを切らしたのか、刹那が歩き出す。
その後ろ姿もぼんやりと発光しているのを見て、思えば遠くへ来てしまったなあ、お祖父様は怒るだろうか、などと考える。
距離にして、たかだか数キロメートルのことなのに。
ちょっと細かく区切りすぎて全然話が見えてこない気がするので、この後かもしくは明日、連続投稿できれば……と思ったり。お話を投稿するって難しいですね……!(サブタイトルも全然思いつかない)