2回表 ―背番号『 』― 3.白い背中、濁る心
選手登録が叶わない珠音は、野球部の秋季大会をアルプススタンドから見守ることになった。
進学を決めた時から分かっていたこととはいえ、プレイする姿を見る珠音の背中は真っ白であり、その心には僅かな嫉妬の濁りが沸き立ち始めている。
その様子を、吹奏楽部部長の水田舞莉は見逃さなかった。
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3.白い背中、濁る心
夏の暑さは休暇明けも続き、テレビ出演する"有識者"が語る通りに秋は季節ごと無くなってしまったのではないかと、本気で勘違いしてしまいそうになる。
少雨が問題視された8月から天気は打って変わり、9月に入るとなかなか青空を望めない日々が続いていた。
遠い過去に"秋雨前線"と名付けられた列島を覆う雨雲の巨大帯が、自身の存在と"秋"の到来を誇示するかの如く、南方からの長旅を経た台風と互いに降水量を競い合っているかのようにも思えた。
野球部を始めとする秋季大会を控えた屋外競技の部活動もグラウンドでの練習ができない日々が続き、空模様に負けないどんより気分に浸っていた。
「今度の土曜日は晴れの予報みたい」
そんな中でも、珠音の声は晴れ模様。
「やれやれ、試合前に一度はグラウンドで練習がしたかったけど、贅沢は言えないか」
天気予報を確認する珠音の声を、肌を真っ黒に日焼けさせた浩平が背中越しに聞く。
室内練習では、投手と野手が別メニューになることも多い。
一足先に下半身強化のメニューを終わらせた珠音が、野手組のトスバッティングを手伝いに来ていた。
「連続でいくよ」
「おけー」
3球連続で早打ち、それを1セットとして連続で打ち返す。籠いっぱいの練習球は甲高い金属音と共にフード付きネットに吸い込まれ、すぐに無くなってしまった。
「予備日もフル活用だろうし、ハードスケジュールだな」
ボールをフードから取り出しながら、浩平がポツリと漏らす。
鎌倉大学附属高校硬式野球部は無事に地区大会を突破し、県大会へと駒を進めている。
長雨の影響で開幕が遅れていたが、秋雨前線がいよいよ南下したおかげでようやく開催の目途が立ち、試合を消化するべく予備日を活用した過密日程が予定されていた。
学業もこなしながらの日程では、身体をゆっくり休ませる時間を十分にとれそうにない。
「まぁ、試合ができるだけマシだよ。私はスタンドで吹部と一緒に応援しているから、楽しんでおいで。頑張れよ、正捕手」
「あぁ、もちろんだ」
浩平は1学年上の高橋とのレギュラー争いを制し、レギュラー捕手の証である背番号"2"を勝ち取っていた。
さらに、日頃から行動を共にすることの多い二神、大庭の2人だけでなく、マネージャーの夏菜も記録員としてベンチ入りを果たしている。
つまり、本来選手で夏休み期間中にエースピッチャー格として実力を如何なく発揮した珠音以外は、大会に”参加”できることが確定している。
「珠音、本当に良いの?」
夏菜としても、厳しい練習をこなしてきた珠音がベンチ入りできないことをいたたまれなくなり、記録員としてのベンチ入りを代わろうと言ったこともあった。
「気にしないで。夏菜だってマネージャーとして、みんなのサポートを頑張ってきたんだし、ベンチ入りの権利を譲ってもらう訳にはいかないよ」
「でも...」
珠音以外の唯一の女子部員として悩みの一つも相談に乗りたいところだったが、珠音の作り笑顔の前に夏菜は敢え無く退散した。
「私は選手だから。夏菜はみんなのサポートよろしくね」
珠音は夏菜の申し出を断り、あくまでベンチ入りできなかった選手として、スタンドからチームメイトを応援する道を選んだ。
珠音は高校野球の"選手"であることを優先させた形だが、自身は隠しているつもりでも、皆を羨む様子は傍から見ても明らかだった。
「無理すんなよ」
現状の部内で、珠音に踏み込んで接することができるのは浩平くらいである。
浩平の一言に周囲のメンバーの動きが一瞬止まり、雨音に上書きして唾を飲み込む音が聞こえてくる。
「何が?」
「何でも」
浩平の言葉に珠音はぶっきらぼうな返事を返すと、周囲に秋雨の空に負けじとどんよりとした空気が流れ、偶然通りかかった吹奏楽部が異様な雰囲気に怯えて思わず小走りで立ち去った。
しばし2人の間には、雨音をバックに練習球をバットが打ち返す金属音のみが流れていく。先ほどまで心地良い音を奏でていたバットも、どこか重く鈍い音を出す。
「ごめん、八つ当たりした。ありがとう」
最後の一球を浩平が弾き返すと、珠音は溜め息の後、重い口を開く。
「いや、こちらこそ悪かった。一緒に頑張ろうな」
長年の付き合いは伊達ではなく、珠音の”女房役”として相棒のガス抜き方法は心得ている。
「皆も、ありがとう。頑張ろうね」
2人が用具を片付けると、その場を後にする。
試合にも勝る緊張感が解けると、その場に居合わせたチームメイトたちは大きく溜め息を漏らし、その場に転がり込んだ。
「あぁ、死ぬかと思った」
「こんなんで死ぬかよ」
大庭の大袈裟な表現に、二神が呆れる。
「これ程とはな」
珠音の入部以来、もうすぐ半年が経とうとしている。
すっかりチームの中心となった珠音抜きで、どれだけの試合ができるだろうか。
一連の様子を脇から見ていた鬼頭は、1人の指導者として思わず頭を抱えたくなった。
待ちわびた大会初日は空気中の湿気も合わさり、9月も下旬を迎えようとしているとは思えない程の蒸し暑さだった。
家を出た珠音も、朝からあまりの暑さに早くも引き返したい思いで一杯である。
「(別に、私は試合に出られないんだし、行かなくても――)」
口から出かかった言葉を何とか飲み込み、額に浮かぶ汗を拭う。
「みんな頑張っているんだし、行かないわけにはいかないよね」
試合前の集合場所は学校。
そこからバス移動で、試合会場となる伊勢原球場へと向かう。
「やぁ、おはよう」
「何だ、そのわざとらしい挨拶は」
いつものようにバスで浩平と落ち合い、学校へと向かう。
2人が学校に到着すると、吹奏楽部が野球部の応援のために楽器を運び出し、慌ただしく準備を進めていた。
「全員着替えたら、バスに荷物を積み込んでくれ。1時間後には出発するからな」
鬼頭は一足先にユニフォーム姿に着替えており、部員に指示を送ると吹奏楽部の方へと歩いていく。
顧問と部長に挨拶をしているようで、先輩教師に対して鬼頭はらしくもなく頭を何度も下げていた。
「......ん?」
ふと、珠音は部長と思われる女生徒と視線が合う。
顧問2人が挨拶を交わす間もジッと珠音を見つめ、話に耳を傾ける様子など微塵もない。
「ほれ、急がないと遅れるぞ」
「うん」
浩平に諭され、珠音は着替えに急ぐ。
校舎内へ移動する間に振り返ることはなかったが、その背中に感じる視線が消えることはなかった。
暫く雲に隠れていた太陽が自らの存在を誇示するかのように、陽射しを青空から地表へと注ぐ。
「礼!」
対戦する両校の選手がホームベース付近に整列し、主審の掛け声に合わせて帽子を取り挨拶を交わす。
鎌倉大学附属高校は先攻をとり、整列を解くとベンチ前に集合し、円陣を組む。
珠音はユニフォームの背中に縫い付けられた背番号を眺めながら、自身がその輪に加われていないことを改めて実感していた。
「番号なし、か」
自身の背中を恨めしそうに見る。
背番号を与えられなかったのは、中学校に入学した最初の夏大会以来である。
「分かってはいたんだけどなぁ」
スタンドの最前列では、珠音と同じくベンチ入りが叶わなかった部員が応援の音頭をとり、打席に入った1番打者に檄を飛ばす。
しかし、応援団長を担う野球部員と珠音では、その立場は大きく異なる。
彼らはグラウンドに立つ権利を有し、その枠から努力も虚しく漏れてしまっただけであり、翌年以降にチャンスを残している。
対する珠音はそもそもの権利すらなく、チャンスが訪れることは永久に無い。
声援を送りつつ興奮とは別の感情が少しずつ溢れ、握り拳に力が入っていく。
「3番キャッチャー、土浦くん」
アナウンスに迎え入れられ、1年生ながらレギュラー捕手として打線の中軸をも担うようになった浩平が打席に入る。
強豪校には目もくれず、試合に出るための選択肢をとった彼の判断は、結果として目の前に現れている。
「あの子、震えてるな」
湧き上がる嫉妬の感情を認めず眼前に集中しようとする様子は吹奏楽部の部長にジッと見られ続けていたが、珠音はその視線に気が付くことはなかった。
接戦を制した鎌大附属は、勝利の興奮をそのままに学校へ帰着した。
打てば決勝打、守れば堅守と好リードを見せ、正しく勝利の立役者となった浩平は試合後にチームメイトから揉みくちゃにされたこともあり、バスの中では疲労も相まって珠音の隣で爆睡していた。
「明日は八部球場だ。連戦で疲労も溜まるだろうし、怪我のリスクも高まる。今日はなるべく早く寝て、明日に備えるように」
鬼頭も一先ず安堵した様子を見せていたが、次戦に向けて既に気を引き締めているようだった。
部員に明日の集合時間と諸注意を告げて用具の片付けと順次解散の指示を出すと、一足先に戻っていた吹奏楽部の顧問へ挨拶すべく、職員室へ戻っていった。
部員たちが用具を倉庫に片付け終わる頃には太陽も相模湾に沈もうとしており、1日が終わりに向けて静かに時間を進めていく。
「やぁ、お疲れ様」
試合に出場するメンバーに負担を駆けないよう、片付けを率先していた珠音が校舎に入ろうとしたところで、見慣れない女生徒に声を掛けられた。
「......あ、吹奏楽部の」
薄闇の認識しづらい時間帯ということも合わさって、声の主が吹奏楽部部長と気付くのに少々の時間を要してしまった。
「そ、よく分かったね」
「い、いえ......今日は応援に来てくれて、ありがとうございました」
「どういたしまして。勝ててよかったね!」
普段から話すような仲でない。むしろ、今日この瞬間に初めて言葉を交わす相手である。
標準以上の社交性を身に付けていると珠音は自負していたが、初対面の相手に最初から親しくできる程ではなかった。
警戒感を前面に出しすぎてしまったか、訝しげな表情を見た女生徒はその様子を面白がり、ケラケラと笑い声を上げる。
「ま、そりゃ名前も知らない相手と初めて話すんだから、そんな顔にもなるわな。ごめんねごめんね~」
女生徒は手を差し出し、握手を求める。
「2年生の水田舞莉、ふざけた名前に思えるかもしれないけど、なかなか良いワードセンスだと思っている。人の印象に残りやすいし、私は気に入っているよ。こんなんだが、吹奏楽部の部長をやっていてね、何かと会う機会も多くなるかもしれない。以後、よろしこ!!」
どこか"狙ったかのような"名前を笑顔で語る舞莉に対し、珠音はぎこちない笑みを見せ右手を差し出す。
「楓山珠音です」
2人は握手を交わすと、しばし目を閉じていた舞莉が満足そうな表情を見せる。
「度々見かける君のことが気になっていてね、どこかで話をしてみたいと思っていたんだ。それが、今ってことだね」
「はぁ......」
会話のペースは完全に舞莉が握っている。
早く着替えて家路につきたい気持ちもあるが、わざわざ部を上げて応援に来てくれた吹奏楽部の部長を邪険に扱う訳にはいかない。
先輩を立てる訳ではないが、染み付いた運動部の上下関係を頭と身体が無視することはできなかった。
「どうして、私と話してみたかったんですか?」
珠音は会話のペースを握ろうと、自ら話題を振る。
「君は目立つからねー。部活の練習をしながら君のことを観察していたんだよ」
グラウンドにも校舎から漏れ聞こえてくる吹奏楽部の練習音。
珠音もその音色へ時折耳を傾け、練習に励んでいた。
「か、観察ですか......何でまた」
舞莉の"観察"という表現に、珠音は口角を引きつらせる。
自分を隅々まで調べ尽くされているような感じがして、舞莉のことをとても好意的には感じられなかった。
「確かに、変わっているとは思いますけど」
鎌大附属には、それなりの数の”女子運動部”も存在している。
体力、筋力、体格差の男女差が大きくなる中学校以降、運動部は組織ごと男女別になるか、別メニューで練習することが多い。
わざわざ男子に交じって厳しい練習に望む姿は、確かに目立つ存在だろう。
「いや、別に君は普通の人間だから、特段変わってはいないよ」
「はい?」
あっけらかんとした表情で語る舞莉に、珠音は怪訝な返答をする。”普通”と形容されることは、決して快いものではない。
もちろん、普通であり、そうあり続けることを願う人もいるのは確かだが。
「いやー、ずっと気になっていたんだよ。君は夏休みの間、野球部のエースと言われる程の存在だった。文化部の私ですら噂を耳にするレベルでね。それなのに、君は大会メンバーには選ばれていなかった」
「そういうルールですから」
「そうみたいだね。私も気になって調べてみたんだ。それで、合点がいったことがあってね。こうやって君に直接、質問してみたくなった訳」
珠音の淡々とした口調に対し、舞莉は明るい口調で言葉を並べていく。
「......何ですか?」
珠音の明らかに低く不機嫌な返答に臆することなく、舞莉は抑揚のない言葉を返す。
「君の瞳、最初から何もかも諦めたような色をしている」
「......え?」
舞莉の冷ややかな表情と冷徹な口調に虚を突かれ、珠音は呆気にとられてしまう。
「ど、どういう――」
「ギラギラとした強い意志を装った殻に引きこもって、内面では何をやっても無駄だと思っている。表情では懸命な姿を演じながら、心では意味なんてないって諦めている」
言葉の意味を訪ねようと珠音は口を開くも、舞莉が食い気味に発した言葉にかき消されてしまう。
「君が練習する姿を見ていて、君が見せる表情と瞳の色が嚙み合っていないことをずっと気になっていたんだ。君は何を考えているんだろう、ってね」
「どうして、そんなことを聞くんですか?」
やや荒っぽく、とても”先輩”に向ける語気にも、舞莉は臆さない。
「私の大事な友達と同じように見えてね。似たような悩みを持っているのなら、何かしらのアドバイスや参考にならないかと思ったわけだ」
自分の置かれた現状を恨み、大会出場権を生来持つチームメイトを妬み、どうせ変わらないと全てを諦める。
珠音の脳内に浮かぶのは、反論ではなく自責の言葉。
自己嫌悪の余り、吐き気さえ覚える程である。
しかし、その心を昇華できる程、珠音の心は成熟していない。
「まぁ、特に何もないってことはただただ図星で、自分でも感情をどうしようもないってことだね」
舞莉の瞳は珠音を捉えて離さない。
どこか心の内で考えてしまっていた自分の感情を文字通り”観察され”、珠音は自身の心に針が刺さったかのようにチクチクと胸が痛み、釣り針にように返しが付いているのか、抜き取ろうとするとかえって痛みが増す。
今日初めて話す他人から自分自身でもハッキリとしていなかった心情を見透かされ、珠音の心は沿岸に台風が来た時の海面のように荒く波立っていた。
「なんだ珠音、まだ着替えていなかったのか。早く帰ろうぜ」
「あれー、部長。こんな所にいたんですか~」
ユニフォームから制服に着替えた浩平が、二神や大庭、夏菜と近付いてくる。
舞莉の下にも、吹奏楽部の後輩が駆け寄って来た。
「ごめーん、ちょっと野暮用でね~」
先程までの冷徹さはどこへやら、舞莉は元の明るい口調へと戻して振り返る。
「動かない限り変わらない、覚えておくといいよ。番号無しさん」
舞莉は向き直すことなく珠音へ冷たい口調で語り掛けると、駆け寄る後輩と合流して校舎内へと消えていく。
「どうした?」
暗がりで俯き加減に佇む珠音に、浩平が声を掛ける。
「ごめん、何でもない」
「......そう、か?」
何とか絞り出した声に、浩平らは心配そうな視線を送る。
「大丈夫。ちょっと時間かかるかもだし、みんな試合で今日は疲れているだろうから、先に帰ってて」
何者も寄せ付けないような雰囲気に、浩平らは立ち尽くす。
「さ、みんなも疲れていることだし、さっさと帰った帰った。明日も試合だしね。うちら2人は女どうし、ゆっくり語らいましょってね」
夏菜が珠音の肩に腕を回し、男性陣を手で追い払う。
「お、おぉぅ」
浩平らは追い払われるがままにその場を離れ、一足早く家路につく。
「ほんと、どうしたの?何かあった?」
「......大丈夫だよ」
心配そうに表情を覗き込むと、珠音は力の無い笑みを見せる。
「珠音......?」
その表情は、普段の珠音からは想像の付かないものだった。
「ほんと、大丈夫だから。夏菜も、ごめんね」
夏菜へ力無く声を掛け、珠音は弱々しく前へと脚を運ぶ。
普段のグラウンドを駆けまわる様子とは正反対の姿に、夏菜は掛けるべき言葉を見つけ出せなかった。
翌日の2回戦で敗北を喫した鎌倉大学附属高校硬式野球部。
先に進むためには落とすことのできない3回戦は、藤沢市の八部野球場で行われた。
「ゲーム」
舞莉との会話で珠音の心に突き刺さった針はもがけばもがく程に深く食い込み、未だ抜けないままでいる。
心に覆い被さる分厚い雲。
今にも雨が降り出しそうな暗い雲の下で、主審の試合終了を告げる声が球場に響く。
珠音の虚ろな気な瞳に、惜敗を表すスコアボードが映る。
鎌大附属の秋は、早々と終了した。