2回表 ―背番号『 』― 2.球夏到来
夏大会終了後、3年生の引退した新チームの練習試合で、珠音は登板の機会を得る。
2年生投手よりもエースさながらのピッチングを見せる珠音の姿に、チームメイトは大会参加資格がないことをただひたすら嘆いていた。
秋季大会へ珠音の選手登録は規約により叶わないが、私設大会なら問題ない。
鬼頭は私設大会への参加登録する意志を固めるが、この決断が野球部に大きな変革をもたらすことなど、この時点で分かりようも無かった。
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2.球夏到来
肌に纏わりつく湿気が、夏の到来をまざまざと感じさせる。
部活へ向かう通学路を歩きながら、頭上からじりじりと照り付ける日差しを恨めしく思う珠音の肌は、例年通り程よく香ばしいパンのような狐色にこんがりと焼けつつあった。
「んー、ようやく試合で投げられる。身体を思いっきり動かしたくて仕方が無かったから、楽しみで仕方がないよ」
「いやいや、スポーツ大会であれだけの活躍をしておきながら、それはないだろ。他の部の女子が泣くぞ」
浩平が呆れたような苦笑を珠音に向ける。
珠音は入学以来、男子と同じ練習メニューをこなしてきた成果を女子しかいない体育の授業でしか発揮できない日々を過ごしており、本人としては消化不良感を募らせていたのだろう。
試合に出場できない鬱憤晴らしか、授業のバレーボールや学期末の水泳大会ではそれぞれの競技を本職とする女子生徒たちの追随を許さない活躍で蹴散らしてしまった。
その後は女子運動部による珠音の引き抜き作戦や助っ人依頼が頻発したのだが、更に輪をかけて金銭問題にまで発展した、ファンクラブが設立されたなどの真意の定かでない噂が広まっていると、ゴシップハンターを自称する夏菜が面白おかしく語っていた。
「まぁ、そうだろうけどね。私はやっぱり、野球やってなんぼだから」
1学期を終業し、夏の大会をおおよそ例年通りの結果(三回戦敗退)で終了した野球部の体制が新チームへ移行したことで、入学以来基礎トレーニングに励んでいた新入生もようやく活躍の機会を得つつあった。
夏の大会までチームを支えた六車に代わり、新キャプテンの野中を中心とした新チームは、秋の大会に向けて学年関係なしのレギュラー争いに突入していた。
高校入学前までと違って公式戦に出場できない珠音としては、そこに加われない寂しさを覚えることもあったが、今この瞬間は試合に出場できる喜びがそれに勝っていた。
「私が公式戦に出られないことを、みんなに残念がらせてやろう」
「その表現だと、本番でうちがボロ負けしそうだからやめてくれ。残念がるのは監督やチームだけで、相手にはホッとさせないと」
「確かーに」
笑顔を見せて瞳を輝かせる珠音の姿は、正しく水を得た魚と言えよう。
「大丈夫そうだな」
浩平としては時折沈んだ様子を垣間見せていた珠音を心配もしていたのだが、今の姿が続く限りは安心である。
長年バッテリーを組んだ"女房役"としては、"旦那"のコンディションを把握することはお手の物である。
「何が?」
「何でもないよ」
校門をくぐると、同じく新体制へと移行した運動部の声や吹奏楽部の合奏が、蝉の声に負けじと聞こえてくる。
「そういや、レギュラーいけそう?」
「獲ってみせるよ」
「おや、頼もしい」
浩平の力強い返事に、珠音は満足そうな表情を見せる。
その表情の影に、羨望と嫉妬の色がぐちゃぐちゃに滲み混ざる様子を、”女房役”は見逃さなかった。
夏季休暇中の成績は、珠音の宣言通りにチームメイトを心から残念がらせた。
奪三振こそ少ないものの、丁寧にコースをつくピッチングで凡打の山を築き、成績だけならチームのエースピッチャーと言っても過言ではなかった。
最も、相手打者が女投手に対して侮った様子を見せたことや、加えて遅い球に対してムキにバットを振ったのも容易に打ち取れた要因だと、浩平は分析している。
「さて、どうやったらお前を女とバレずに公式戦へ出場させられるだろうか」
事前に予定されていたイニングを見事なピッチングで抑え込んだ珠音に対し、鬼頭は大袈裟な溜め息をつく。
「どうしたんですか、急に。幸せ逃げますよ」
「大丈夫だ。この通り、既に結婚している」
鬼頭は結婚指輪を見せつけ、小さく笑みを見せる。
「改めて、お前のピッチング内容が素晴らしかったということだ。褒めているんだよ」
「あざっす」
帽子をとって汗を拭う仕草には、まだまだあどけなさが残っている。
「髪を坊主にして、胸は晒か何かでグルグル巻きにして押し潰しましょうか」
珠音はセミロングに伸ばした髪を払うと、ユニフォーム越しでも分かる膨らみを強調し、悪戯な表情は小悪魔ささえ感じさせる。
日頃のハードトレーニングで鍛えられるべき部位が引き締まっている分、女性としての成長により目立ち始めた部位とのコントラストがより際立つようにも思える。
「お尻は難しいかもしれないけど、遠巻きに見れば性別なんて分からないんじゃないですかね」
「いや、それは無理じゃないかなぁ」
夏菜が薄めたスポーツドリンクを珠音に手渡す。
「まずは身長」
「背の小さな男子だっているでしょ」
「それに、世の中の女子と比べれば鍛えている分で身体はがっしりしているかもしれないけど、男子と比べたら何だかんだで華奢だよ」
「......そうかなぁ」
珠音が自分の身体を隅々まで確認するが、自分ではいくら観察してもよく分からない。
「田中の言う通り、遠くから見ても案外と誤魔化されないものだ。あと、野球をやる上で尻が大きいのは別に構わん」
「監督、セクハラです」
「きゃー、セクハラー」
正論で20年も年下の女子からセクハラ呼ばわりされるとは、教師も辛い仕事である。
「五月蠅い」
悪戯な笑みを見せる珠音に、鬼頭はまた溜め息をつく。
彼の悩みは、珠音の快投だけではない。
「(チームの状態は、俺が監督に就任してから一番と言っても過言ではない)」
彼女の活躍に触発されたか、新チーム結成後に試合へ出場させ始めた新入生も負けじと自分の強みをアピールし、2年生も後輩にポジションを簡単に譲る訳にはいかないため、先輩としての意地を見せている。
「毎日逆立ちして過ごせば、色々ひっくり返るかもよ」
「腕が脚になるだけで終わりそう」
「じゃあ、誰かとごっつんこ」
「"私たち入れ替わってる!?"ってか?」
珠音と夏菜の軽妙な掛け合いに思わず苦笑しつつ、鬼頭はいかに珠音なしのチームで勝利をもぎ取るか思い悩む。
練習試合を通して好調なチームだが、その要因は珠音を起点とした相乗効果によるものである。
「チームの底上げが必要か」
夏休み明けすぐの9月に秋季地区大会が開催され、運よく勝ち残れば10月に秋季県大会に駒を進めることができる。
しかし、それ以降は3月頃まで公式戦はない。
「今年も市大会はあるだろうが、場数は踏んだ方がいいだろうな」
小さな自治体だが複数の高校が存在することもあり、毎年リーグ戦形式で高校野球連盟の後援を受けていない小規模大会が開催されもしているが、それだけでは経験値として足りないだろう。
同様に高校野球連盟主催でないトーナメント形式の私設大会が開催されることもあり、職員室の鬼頭の机にはその内1つの参加登録用紙が置かれたままになっている。
『ナイバッチ!』
浩平の放った打球がレフトフェンスを越え、沸き立つベンチで現実に引き戻されると、鬼頭は首を大きく横に振る。
「いかんいかん、俺が目の前に集中しないでどうする」
「監督......?」
心の中でのみ発したつもりだったが、声に出てしまっていたらしい。
夏菜が訝しげな表情を浮かべる。
「すまん、独り言だ。気にしないでくれ」
鬼頭は参加登録用紙に向けられていた意識を目の前に戻し、浩平をベンチに迎え入れる。
今年のチームは一味違う。きっと、来年も。
勝負事の指揮官として昂る気持ちを心の内に抑え込みつつ冷静な大人を装うと、次の打者にサインを送る。
「戻ったら、参加申請を出しておくか」
「監督、どうしたんですか?」
「さっきからブツブツ言ってますけど、年ですか?」
アイシングをしている珠音が独白に反応する。その後ろでは、夏菜が先程よりも険しい視線を送っていた。
「......いや、気にするな」
鬼頭は学校に戻ったら、参加登録用紙を投函しようと心に決め、眼前の試合に集中する。
この用紙が定められていたはずの運命を外れ、新たな道を切り開くための通行手形となるなど、この時の鬼頭は考えすらしなかった。