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珠音いろ  作者: 今安ロキ
第2章 プロ野球編
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9回表 結実の時(後編)

舞台は整った。

長く険しい戦いの続いたペナントレースが、間もなく決着する。

球場にこだまする大歓声を背に、背番号37はグラウンドの最も高い場所に立つ。

9回表 結実の時(後編)


 8回裏の攻撃が終わり、球場内の興奮が冷めやらぬまま9回表に突入する。

 茉穂の放った歴史的瞬間をブルペンのモニターでチェックしていた珠音の投球練習にも、自然に熱がこもっていた。

「さぁ、舞台は整ったぞ」

 投手コーチの城所から、ドリンクが手渡される。

 彼もまた、サンオーシャンズという歴史の浅いチームの浮き沈みを見届けてきた生き証人の一人だ。

「ありがとうございます」

 ブルペンに残るピッチングスタッフ一人ひとりとタッチを交わし、全員の想いを受け取ってからグラウンドへと向かう。

「鍛冶屋!鍛冶屋!鍛冶屋!」

 珠音がバックヤードからベンチに顔を出すと、視線の先ではレフトの守備につく茉穂がスタンドから彼女の偉業と殊勲打を称える大声援を受けており、彼女はスタンドへ大きく手を振って何度も何度も頭を下げていた。

「サンオーシャンズ、選手の交代を申し上げます」

 ウグイス嬢のアナウンスが入ると、興奮冷めやらぬファンのざわめきが徐々に収まっていく。

 彼ら彼女らが待ちわびる人物の名前を、しかと耳に届けるために。

「代走の由田がそのまま入りライト、ライトの普久原がファースト。五番ライト由田、七番ファースト普久原。代打いたしました梶に変わりまして――」

「さぁ、行ってこい!」

「はい!」

 葛城の激に背中を押され、珠音はグラウンドへ勢いよく飛び出し、その姿を見て観客のボルテージが上がり始める。

「――ピッチャー楓山珠音。ピッチャー楓山、背番号37」

 2点リードのマウンドへ立つ投手の名前が球場にコールされると、球場のボルテージは瞬く間に最高潮まで到達した。

「思っていたより、落ち着いているな」

 球審からボールを受け取り、マウンドの足元をならす。

 あえて口に出した独白だったが、自分の声が耳に入ってきたというよりも骨伝導でのみようやく感じられる程に、球場を包む声援は大きい。

 それでも珠音は気持ちが激しく高揚することはない。

むしろグラウンド上の最も高い場所で一人、静けさすら感じていた。

「――よし」

 浩平の構えるキャッチャーミットに、寸分違わぬ制球で投球が収まっていく。

 8回を投げたトーマスよりも遥かに遅い球速にも関わらず、ネクストバッターサークルで準備する選手たちが如何にして打ち崩すか、思案に暮れているようだ。

「プレイ!」

 球審の合図とともに、ポートスターズの9回表の攻撃が始まる。

 緩やかかつ手元の見えにくい投球フォームから腕をしならせ、90キロにも満たない打ち気を削ぐスローカーブに打者のバットは空を切る。

「ストライク!」

 球審のコールに、球場は大いに沸き上がる。

 背中に受ける大声援が心地よく、何より心強い。

 浩平からのサインへ首を縦に振り、要求通り左打者の内角高めへ勢いのある直球を投げ込む。

「ストライク!」

 球速表示は121キロ。

 一般的な男性選手とは比べ物にならないほど遅いストレートでも、ひとつ前のカーブと30キロ近い速度差と、投球動作のわりにまるで遅れてやってくる投球にプロの打者たちは幻惑される。

「ストライク、バッターアウト!」

 打者のスイングしたバットから逃れるように真ん中低めに沈んでいったパームボールは、今シーズンの珠音の飛躍を支えた一つの球種だ。

 以前より左打者の内角にやや曲がりながら沈んでいくチェンジアップは投げていたが、それよりも更に遅く、ストレートの球速差をより活かせるようになったことで引き出しを増やすことができた。

 浩平の意図としては見せ球のつもりだったが、打ち気に逸った先頭バッターはまんまとボール球へ手を出してしまい、悔しさのあまり片膝をついて暫く動けなかった。

 優勝へのアウトカウントは残り二つ。

 幸先の良いスタートに、割れんばかりの歓声がグラウンドへ送られた。



 相棒の投球を受け、浩平は珠音の成長を改めて噛みしめていた。

 球速のように臨場感のある”分かりやすい”数字では前のイニングを担ったトーマスの方が圧倒的に勝っている。

 しかし、サインに対して的確な投球を見せる珠音の方が”プロの投手”としての格は上だろう。

「くっそ、何でだ」

 時折、打者が小さくつぶやく声こそ、珠音にとっては最高の勲章だ。

 120キロに満たない直球に打者はタイミングを合わせることができ、右打席から一塁側ファールグラウンドへカットするのがやっとになっている。

「ナイスボール!」

 球審からボールを受け取り、珠音へ送球する。

「(よし、問題なさそうだな)」

 過剰に意識することも、環境に飲まれている様子もない。

 途中に歯抜けはあったが、10年を超えてバッテリーを組んできた経験は伊達ではない。

 ”プロの捕手”として、もはや相棒のちょっとした体調の良し悪しまで分かってしまうほどだ。

「(最後はギリギリいっぱいのストライクゾーンにスローカーブ)」

「(なるほど、嫌でも手を出させるつもりね)」

 サインの意図は完璧に伝わっている。

 二人の間に流れる空気感は、高校球児だった頃には既に言われていた通り、”老夫婦”そのもの。

 指示通りに投球できる珠音もさることながら、サインを出す浩平の捕手としての力量も今シーズンは大きく飛躍したと言える。

「(よし、狙い通りだ)」

 ストライクゾーンのギリギリに入りそうな投球だが、ヒットゾーンへ運ぶのも難しいコース。

 打者としてはカットして難を逃れたいところだが、そうしたくても球速の遅さが難易度を引き上げる。

 結果として強引に上半身の力だけで芯を食った打球を飛ばすものの、打球はセカンドを守る大庭洋輔のグラブに収まった。

「ナイスピッチ!」

 これで2アウト。

 内野を回ってきたボールをファーストの普久原から受け取ると、珠音は一つ大きく息を吐きだした。

 盤石などとは口が裂けても言えないチーム状況の中、工夫を凝らしてここまで勝ち上がり、ペナントの覇者となるまでアウトカウントはあと一つ。

 グラウンドへ駆け出た時と比べれば、心拍数もいくらか上がっただろうか。

 頬に熱を感じるが、これが僅かながらの興奮なのか、はたまた気温が高いだけなのかの判断がつかない。

「いかんいかん」

 油断は許されない。

 雑念を振り払うように敢えて言葉として口に出し、浩平から送られるサインにのみ集中し、首を縦に振る。

「あと一球!あと一球!」

 球場中から巻き起こる大合唱も、ミットにのみ視線を集中する珠音の耳には届かない。

 打ち気に逸る打者が珠音のパームボールにまんまとバットを空振りさせただけで沸き起こる大歓声もお構いなしだ。

 タイミングを外し、打者の視線を切るスローカーブはストライクゾーンから僅かに外れ、1ボール1ストライク。

「(2点差あるから、ソロホームランは最悪許してもいい。思い切り腕を振れ)」

 浩平からのサインは、前球より球速差30キロの内角やや高めのストレート。

 意図は間違いなく詰まらせてのファールか凡打狙い。

 珠音は小さく頷き、制球が乱れない程度に渾身の力で腕を振るうと、打者は目論見通りに打撃動作へ入る。

 球場に集うファンがバットの軌道とボールの軌跡が交差し、一瞬の静寂の中に鈍い衝突音が生じるのを確認した。

「おっ――っと」

 打球はまるで、ボールが持ち主のもとへ自発的に戻ったのかと思わせるほど自然に、珠音のグラブのポケットにすっぽりと収まる。

捕球した事実を念のため自身で確認してから改めて球審へダイレクトキャッチをアピールすると、打者アウトが宣告された。

 9回表のアウトカウントはこれで3つ。

 ゲームセットの宣告など誰も確認することなく選手たちはマウンドへ駆け寄り、珠音の小さな身体は大柄で屈強な男たちの中に一瞬消えた後、浩平に抱きかかえられた状態で現れた。

「やったな!」

 ようやく集中を解き、マウンドの頂上からいつもより幾分か高い位置で球場を見渡すと、グラウンドはアルプスからの大歓声に包まれ、長いシーズンを戦い抜いた選手たちは涙を流していた。

「勝ったんだよね?」

「いや、お前が最後のアウトをとっただろうが」

 実感がまだ湧いていない様子の珠音に、浩平が苦笑を浮かべる。

 周囲の様子を見て徐々に湧き上がり、それに合わせて珠音の心拍数が上昇していった。

「優勝したんだよね?」

「あぁ、そうだ!さぁ、監督を胴上げしよう!」

 選手の輪の中心に葛城が招かれ、プロ野球の優勝において恒例の胴上げが敢行される。

 球場一体となった歓喜の象徴として、弱小チームをまたも優勝に導いた名将は6度宙に舞った。

「よし、次は殊勲打の鍛冶屋だな!」

「……えっ!?」

 満面笑みの葛城の指名を受けると、流石に筋力不足で外側から見守り役に徹していた茉穂が輪の中に呑み込まれていき、決勝打となった史上初の快挙の祝いも兼ねて大きく3回宙を舞う。

「この流れは…」

 若干腰の砕けた茉穂をグラウンドに降ろすと、チームメイトの視線が1点に集中した。

「最後は当然、胴上げ投手!」

「やっぱりか~~」

 照れくさそうな笑みを浮かべ、珠音は屈強な男たちに囲まれる。

「何回いく?」

「背番号37だし、3+7で10回な」

「監督より多いよ!」

「細かいことは気にすんなって。珠音がいなきゃここまで勝てなかったんだから」

 浩平の言葉に、集まるチームメイトたちは笑顔で頷いている。

 マスコットではなく、チームの中心選手として彼女が先頭を走り引っ張ったからこそのペナント制覇であると、誰もが認めている。

 自分たちの偉業を祝福する上では、珠音の胴上げこそフィナーレに最も相応しい。

「ありがとう、ございます…!」

 珠音は感極まりそうになるのを堪え、近寄る浩平にまず身を委ね、その後チームメイトたちに持ち上げられる。

「それじゃいくぞ、せーのっ!」

 男たちの掛け声とともに、ウィニングボールを手にした珠音の小さな身体が高々と舞い上がる。

 1回、また1回。

 舞う度にアルプスからも”万歳””万歳”と声援が沸き起こる。

 球場中の祝福を受け満面の笑みで溢れる珠音の姿が、監督を差し置いて翌日のスポーツ各紙の1面を彩った。

Pixiv様にも投稿させていただいております。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=26840138

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